れいな日記《Reina- diary》

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自然と歴史に恵まれた「棚倉町」と〝もんど祭〟開催を機に相互交流を‥北茨城市

2007-09-27 | 爺の想い
棚倉城(内堀)(画像は、棚倉町〝棚倉城〟冊子からコピー)
当時お城は〝外堀〟まであって、その外堀の内周には、侍屋敷、馬見所、武具庫があり、外周には商家などが軒を並べて商いをするなどの町民の生活があった。
現在は、本丸屋敷跡には中央公民館と図書館が建ち又、亀ケ城公園として町民に親しまれている。

はじめに
過日の塩の道(平潟・棚倉街道)の古道を辿っていたら、棚倉藩十万石があった肝心の福島県東白川郡棚倉町に行って見たくなった。
9/25・午前9:00前に自宅・磯原を出発し、高速勿来インター沿いの国道289号線を白河市方向にバイクを走らせた。
棚倉城本丸屋敷跡に建てられた棚倉町立図書館に着いたのが、11:00前、走行距離は、68㌔(17里)だった。
図書館の郷土資料を閲覧後、棚倉町学芸員の方から、町内にある「棚倉の民間歴史伝承館」を紹介され訪ねていった。
民間歴史伝承館の本看板には、「石安米肥店」とあり、伝承館は、隠居されている〝おじいさん〟が担当されていた。
おじいさんの話によると、昔、石安家は棚倉藩の海産物の御用商人であり、その当時から現店舗地で営業をし、平潟町にも曾祖父様が「石安○○」として支店を置き商いをされていたとの事。
色々な当時の平潟に関するお話もお聞きしたが、お話好きなおじいさんなので時間が長くなり、隣で家業のお仕事をされている息子様のお邪魔にならないように、話の切れ目で暇乞いをして帰ってきた。
棚倉町での滞在時間は、食事時間を含み3時間余だった。

街の感想
実は、例年2月に白河市のダルマ市へ行く道の通過点でしかなかった棚倉町は、意識していなかったが、目的を持ってきてみると観る目が違っていた。
昼休みの約1時間の短時間だったが、棚倉城周辺の街を歩き見た。
見た限りでは、商店街の人出は少ないが店舗のシャッターは下ろしているところはなく、街並からも活気が感じられた。

爺の想い
北茨城市は、6月の市長選挙で新市長が選出され、当市長は選挙公約の中での観光行政の一環として、平潟港が、棚倉藩御用港当時、浦役人として代々(世襲して)活躍した鈴木主水の「主水屋敷」再興を掲げた。
この事により早速今年の夏、市長出席のもとに〝もんど祭り〟が開催された。
〝もんど祭り〟は、市内中・高校の吹奏楽、地元音楽家などが出演する〝納涼祭〟であり、その〝納涼祭〟も盛会に終わり、演奏中、舞台のバックにそびえる穴の開いた茅葺屋根の〝主水屋敷〟が、嬉しそうに微笑んでいるかのようであった。
北茨城市は、野口雨情生誕の地であり、雨情と作曲でコンビを組んだ長野県中野市出身の中山晋平の関係で中野市と姉妹都市の提携を結んでいる。
このことと同じように〝もんど祭り〟を機に棚倉町との相互交流を図ることも有意義なことと思われる。

○棚倉町ホームページ



亀ケ城公園(棚倉城跡)のお堀
寛永4年、丹羽五郎左衛門長重公が築城した棚倉城跡地であり、春には、お堀の内側に植えられた500本の桜が一斉に咲きほころび見事とのこと。
普段も、お堀の鯉に餌をやる人など安らぎがある街を感じる。



棚倉城前の大ケヤキカメラのファインダーに収まらないような巨木だ。


時の鐘ポケットパーク
友好都市「川越市」の「時の鐘」をイメージした「棚倉・時の鐘」を設置し、城下町としての風情を醸し出し、街に賑わいを取り戻しして、訪れる人に町の魅力や特色を知ってもらうとのこと。


お酒の醸造元?
こんな建物が街のあちこちに見られる。


棚倉町民間歴史伝承館ここが石安米肥店であり、おじいさんのお歳は、80歳を超えていると思われる。

※最後になりましたが、棚倉町立図書館職員の皆様と同町学芸員・藤田直一様に対し、ご協力を感謝申し上げます。有難う御座いました。



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