A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

津山 城東

2008年04月22日 | イカすパノラマ天国
No1. Panoram Kodak
Fast, T-MAX100

津山にNo1. PKを持ち帰り、試し撮りをしてみた。スデク(スーデック?)のモクモクした雲が写っていた。

No1. PKの標準レンズは、Rapid Rectilinear Lensというものらしい。2群4枚、対称構造のメニスカス・レンズで、1866年から製造されるようになったとある。アッジェが大判カメラで使っていた広角レンズも、このRapid Rectilinear Lensであった。
今のところ、PKのRRレンズの焦点距離、F値が分からない。Dagor 94mm/F6.8は、ヨーロッパへ輸出されたPKにオプションで付け替えられたものとか。小生のPKのレンズはこれではないと思われる。
戦後のパノラマカメラのレンズは、どういうわけか、進歩したといっても、せいぜいテッサー止まりである。

120フィルムは、本来の105フィルムより少し幅が狭い。4枚目くらいから巻き上げが非常に固くなり、力任せに巻き上げると、フィルムゲートを外れて内側によれてしまうようだ。最後のコマに、像のくずれているものが多かった。



No4. PKで撮影するスデク

2008年04月19日 | イカすパノラマ天国
フロントパネルにスポーツファインダーを立て、手前の照準(といってもただの1本の棒だが)で狙いを定め、アイレベルで撮影している。
もともとパノラマ写真を撮りたいという考えに取り憑かれること自体が、写り込んでくるものは拒まずという思想の持ち主なわけであるが、天地がどこまで入るかは、ちょっと指標が欲しくなるのが人情だ。
スデクの写真は、地面が大幅に写っている。これはプラハの石畳だからいいが、東京のアスファルトじゃ、なかなかつらい。
スポーツファインダーがあると格段に使いやすくなりそうだ。スデクのファインダーも自作に違いない。
とここまで書いて来て、前ワクに上から棒が1本ぶら下がっているのに気がついた。スデクが目を細めて、見ようとしているのは、この前後の棒の頭を、一致させようとしているのではないか。これらを一致させると、中心が指し示されるだけではなくて、レンズの回転軸の水平、垂直が出せる理屈になる。そう考えるとこれは見た目よりも、なかなか凝ったファインダーである。

パノラム・コダックは19世紀末にまずNo.4が出て、次にNo.1、最後にNo.3Aという順で発売された。すべてフィルムの大きさが異なっている。ネットを調べても、どうしてその順番なのか理由は謎である。どの書き手も「分からん」、「オレに聞くな」と書いている。ライカがM1がなくて、M3からM2の順番だったり、ちゃんばらトリオが4人だったりする謎と似ている。
スデク以外で、PKを使っていた人というと、ラルティーグの写真が残っているし、日本人でも使っていた人がちゃんといた。
誰あろう、最後の将軍、徳川慶喜である。明治維新で、静岡に隠遁してから、この人はいろんな趣味に没頭し、写真もよく撮影した。ヘタだったとも云われているが、そこは帝王写真であって、われわれ下々の者とは比較にならない。1913年死去なので、時代的にも合っている。
PKを使っていた証拠に、日光東照宮に慶喜さんの使っていたパノラマコダックが展示されているそうである。No4と、No1のいずれの方だったのかは不明。これは、子孫の方がカメラマンをやっていて、その方の本で知った話。さすがに明治33年には、ちょんまげは落としていたであろうが、日本人で最もPKが似合う「ふぉとぐらふぁー」だったかも。

試し撮り

2008年04月18日 | イカすパノラマ天国
曇天
No1. Panoram Kodak
シャッター速度:Fast、手持ち、アイレベル
T-MAX100

レンズがDagor 94mm/F6.8 (固定絞り)と仮定すると、Fastは1/125~1/250secくらいか?でも19世紀に1/250secはありえないだろう。
巻き上げは、後ろの窓で120フィルムの裏紙のナンバーを読むのだが、2、4、10、14で4枚撮影したら、右画面が重なってしまった。
これも、2、6、10、14が正しいと思われる。
ファインダーが劣化していて、ほとんどボンヤリとしか見えない(なにしろ19世紀だからなあ、しょうがない)。ワクだけのスポーツファインダーでも付けたいところ。