A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

No4. PKで撮影するスデク

2008年04月19日 | イカすパノラマ天国
フロントパネルにスポーツファインダーを立て、手前の照準(といってもただの1本の棒だが)で狙いを定め、アイレベルで撮影している。
もともとパノラマ写真を撮りたいという考えに取り憑かれること自体が、写り込んでくるものは拒まずという思想の持ち主なわけであるが、天地がどこまで入るかは、ちょっと指標が欲しくなるのが人情だ。
スデクの写真は、地面が大幅に写っている。これはプラハの石畳だからいいが、東京のアスファルトじゃ、なかなかつらい。
スポーツファインダーがあると格段に使いやすくなりそうだ。スデクのファインダーも自作に違いない。
とここまで書いて来て、前ワクに上から棒が1本ぶら下がっているのに気がついた。スデクが目を細めて、見ようとしているのは、この前後の棒の頭を、一致させようとしているのではないか。これらを一致させると、中心が指し示されるだけではなくて、レンズの回転軸の水平、垂直が出せる理屈になる。そう考えるとこれは見た目よりも、なかなか凝ったファインダーである。

パノラム・コダックは19世紀末にまずNo.4が出て、次にNo.1、最後にNo.3Aという順で発売された。すべてフィルムの大きさが異なっている。ネットを調べても、どうしてその順番なのか理由は謎である。どの書き手も「分からん」、「オレに聞くな」と書いている。ライカがM1がなくて、M3からM2の順番だったり、ちゃんばらトリオが4人だったりする謎と似ている。
スデク以外で、PKを使っていた人というと、ラルティーグの写真が残っているし、日本人でも使っていた人がちゃんといた。
誰あろう、最後の将軍、徳川慶喜である。明治維新で、静岡に隠遁してから、この人はいろんな趣味に没頭し、写真もよく撮影した。ヘタだったとも云われているが、そこは帝王写真であって、われわれ下々の者とは比較にならない。1913年死去なので、時代的にも合っている。
PKを使っていた証拠に、日光東照宮に慶喜さんの使っていたパノラマコダックが展示されているそうである。No4と、No1のいずれの方だったのかは不明。これは、子孫の方がカメラマンをやっていて、その方の本で知った話。さすがに明治33年には、ちょんまげは落としていたであろうが、日本人で最もPKが似合う「ふぉとぐらふぁー」だったかも。