上海在住の海原修平さんの写真集「消逝的老街」をsatoboさんに仲介になっていただいて入手した。
日本国内では、海原さんはこのシリーズの写真展を開いていないし、写真集も上海でしか発売されていないので、この本は、まぼろしの写真集だった。
スイングレンズ式パノラマカメラで、上海の街と路上の人々をスナップした100枚のパノラマ写真である。「消逝的老街」というのは、字ズラから想像するに、「消え去って行く古い上海の街」という意味であろうか。「逝」という字が日本語入力から出て来ない。
スデクの「プラハ・パノラマ」が好きでよく見返しているのだが、似ているところと、似てない所がある。スデクの写真集では、プラハの森のスカイライン、湧き立つ雲がしばしば登場し、パノラマ写真は、それがとても美しく効果的なフォーマットなのだが、海原さんの写真にそれらはほぼない。空は切り取って排除されており、上海の街角を折り曲げて、そのディテールを掬い撮るように写し取っている。写り込んだ人々は、自分が写されているのを知らず、別々のドラマと時間を生きている。ふたつか三つの視点が生じている。
スデクはいわばマニエリスム的であり、海原さんは、中心点を2つ持つ楕円軌道の視点であるといえるかもしれない。パノラマ写真の方法も、決して単一ではありえない。被写体との距離をどのへんに決めるかを常に意識させられるフォーマットと云えるかも。
カメラは何なのだろうか。縦横比がスデクの1:3に近い感じに見える。自分の感覚だとこの1:3というプロポーションが重要だ。中判パノラマカメラだと、1:2.5くらいになって横が短縮されるのだが、それがちょっと生理的に引っかかる。
写真集には上海の町中の音を録音した音源のCDが付録で付いている。
どうも海原さんは同郷の先輩らしい。
NO1.Panoram Kodak(1900)を入手した。(スデクはNO4の型)
日本国内では、海原さんはこのシリーズの写真展を開いていないし、写真集も上海でしか発売されていないので、この本は、まぼろしの写真集だった。
スイングレンズ式パノラマカメラで、上海の街と路上の人々をスナップした100枚のパノラマ写真である。「消逝的老街」というのは、字ズラから想像するに、「消え去って行く古い上海の街」という意味であろうか。「逝」という字が日本語入力から出て来ない。
スデクの「プラハ・パノラマ」が好きでよく見返しているのだが、似ているところと、似てない所がある。スデクの写真集では、プラハの森のスカイライン、湧き立つ雲がしばしば登場し、パノラマ写真は、それがとても美しく効果的なフォーマットなのだが、海原さんの写真にそれらはほぼない。空は切り取って排除されており、上海の街角を折り曲げて、そのディテールを掬い撮るように写し取っている。写り込んだ人々は、自分が写されているのを知らず、別々のドラマと時間を生きている。ふたつか三つの視点が生じている。
スデクはいわばマニエリスム的であり、海原さんは、中心点を2つ持つ楕円軌道の視点であるといえるかもしれない。パノラマ写真の方法も、決して単一ではありえない。被写体との距離をどのへんに決めるかを常に意識させられるフォーマットと云えるかも。
カメラは何なのだろうか。縦横比がスデクの1:3に近い感じに見える。自分の感覚だとこの1:3というプロポーションが重要だ。中判パノラマカメラだと、1:2.5くらいになって横が短縮されるのだが、それがちょっと生理的に引っかかる。
写真集には上海の町中の音を録音した音源のCDが付録で付いている。
どうも海原さんは同郷の先輩らしい。
NO1.Panoram Kodak(1900)を入手した。(スデクはNO4の型)