A Moveable Feast

移動祝祭日。写真とムービーのたのしみ。

松田優作

2008年01月13日 | その日その日
四方田犬彦の本が出るとよく読む。
「ドゥルシネーア白、赤」という、きれいな装幀の新刊書が出ていて、パラパラとページをめくっていると、松田優作の劇作について書いた文章が目についた。愕然とした。自分は松田優作を全く誤解していた。
こっちは「なんじゃ、こりゃ」という「太陽に吠えろ」の松田優作ごっこをした世代である。(それに、若い頃、自分は優作に似ているとよく言われた、イヤ、ほんと)
「死亡遊戯」、「蘇る金狼」、「家族ゲーム」、「それから」、「ブラック・レイン」を見ている。ニヒルでシニカル、破壊的な役柄を好んで演じていた。山口県下関市の出身であって、自分と同じ中国地方出身ということから、何事か分かっているつもりでもあった。40歳で亡くなった時には、非常に傷ましい感じを受けたが、それは病気のせいだと思っていた。「ブラック・レイン」の撮影中には、膀胱癌のため激しい血尿が止まらなくなっていたそうだ。
しかし彼はもうひとつ在日という出自を背負っていた。それをこの本で初めて知った。そして役者としてだけでなく、劇作を自ら書き、自分の劇団で演じるという作家性を持った人間だったことも。
彼は、われわれの前に登場する前に、整形までやっていたのである。ありのままの自分でいることに対する、いたたまれなさ。それが彼にあったに違いない。中上健次より3歳年下であるが、中上とよく似たところがある。
彼はドラマでよくパッチギをやった。これも民族的な記号だったかもしれない。自分の血を見て「なんじゃ、こりゃ」とつぶやいた彼の演技に、われわれは、それと知らず、実はかなり深い所で、こころ動かされていたのかもしれない。そこには、人生の入り口で、自分という存在の不可解さ、いたたまれなさを発見した人間の悲鳴が挟み込まれていたからである。
表現者には、こういうことはよく起こりうることであって、われわれは彼の作品をもう一度見直してみる必要がある。