空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

エッセイ

2016-11-19 10:48:52 | 文化
三日間ほど秋の空の中を旅をした。そして若い頃一度しか行っていない、とある大都市で、高いビルが沢山立ち並ぶ所で、夕方三十代半ばのなが袖姿の若いサラリーマンにホテルの場所を聞いた。彼はポケットからスマートフォンを持ち出し、さあっと右の人指し指をつかって、GPS機能を使い、直ぐに私の方を向いて、道をどのように行けば、そのホテルがわかるはずだと親切に教えてくれた。ついでに、そばにある観光名所の城のある場所も教えてもらった。
彼の指先の器用さにも驚いたが、ホテルの方角が分かって喜び、簡単なお礼の言葉とともに、横断歩道を渡ると、彼が私を追ってきて、よびかけ、「あの看板にホテルの名前が書いてありますよ」と指さしてくれた。
別れ際に、「ここは初めてなもので、ありがとう」とお礼を言うと、彼は別の方角の所を渡りながら、「旅を楽しんで下さい」と手を振った。
次に見た城の素晴らしさと共に、私の持っていたその大都市のなんとなくのイメージが薔薇色に輝いてしまった。忙しいサラリーマンがよくあれほど余裕を持って、親切に教えてくれたものだ、「中々、日本も素晴らしいぞ」と思った。




さて、これから、本論に入ろうと思う。日本の良い所を上げれば、数えきれないだろう。

しかし、最近のニュースで流される出来事つまり、多くは事件は何か深刻なものを感じさせる。どこから、書いても良いのだが、まず思いつくのは群馬大学の医学部の手術による沢山の死者。最近では、障害者施設に対する元職員の殺人事件。続いて起きた病院の高齢者に対する殺人、犯人はまだ分からないようだ。その前には、Stap細胞の発表をめぐる優秀なエリートの自殺者まで出す悲しみ.。
そして、最近では、大手の広告会社の新入社員の過労による自殺。三人目だという。オレオレ詐欺。悲惨な交通事故。
そして女子中学生の自殺。

ここ十日間ほど、高い頻度で入ってきたニュースの中で、私が注目をしたのは、女子社員の過労自殺だ。眠りたいという気持ち以外のものを失ったというほどの、眠りの時間を奪われて一生懸命に仕事をしてくれた新入社員に浴びせられたのは上司の暴言だそうだ。
ハラスメントということだろうと思うが、その後に自殺した。優秀で誠実な感じのする写真があちこちで見られ、世間は驚き、怒り、なんとかしなくてはと後悔を感じていた。
しかし、遅い。既に、彼女は若くして死んでしまったのだ。

私は日本には、最初に書いたような立派な若者が沢山いると思うが、一方、色々な人が一億人もいるのだから、前から感じていた悪も当然あるということを改めて、この事件で確信に変えた。
勿論、悪は人類はじまって以来、ずっと以前からあった。最悪のものは戦争だろう。しかし、私はここでは話をしぼって、この女子社員の死のような現象が今の日本にインフルエンザのように蔓延しているのではないかという形で書いてみたい。
ごく一部の親の小さな子供に対する虐待も動物ですらしないことをすると、嘆きたくなる。
子供の自殺も集団で個人を攻撃するいじめが原因だったりする。
しかし、これは大人社会にあることが今回の大会社の新入社員で証明されてしまった。



夏目漱石の「それから」という小説で、主人公の代助は三十になっても、父親の財産で邸宅に住み、書生とお手伝いさんを置き、本人は仕事をしていない。親友に銀行に就職し、途中から新聞記者になったのがいるのだが、彼から「何故、世の中に出ない」と言われると、「こんな邪悪な社会に急いで出ることもあるまい」と言っている。そして、一代で財産を築き、息子に財政援助をしている父親を軽く見ている。
何て困った息子だろうと思っていたが、2015年のクリスマスに起きた自殺事件を見て、代助の言い分にも理があり、夏目漱石はさすがに鋭いと思ったものだ。



ハリーポッターの最初の場面で、社長が部下を怒鳴り散らして、それでそのあとはご機嫌だったと書いてある。さすが、優れた文士である。人間性を見ている。仕事の指導で厳しくするのは愛情だとか、それに似たようなことが言われることを耳にすることがある。
しかし、それは半分以上は嘘だと思う。ハリーポッターに出てくる社長のように、快感を感じているのではないかと推測される。セクシャルハラスメントはそれが露骨に出たものではないか。必死にやってきた仕事を持ってやってきた部下をぼろくそに言うことに快感を感じているのではないだろうかと疑いたくなる。だから、ハラスメントという形で、犯罪に近いものという認識が最近になって生まれてきたのではないか。

勿論、個人の問題だけに、矮小化してはまずい。会社の過労死ならば、会社全体の組織としての劣化があると見るべきだ。組織は外部からの厳しいチェックがないと堕落する。
だから、公認会計士がいるのだろう。しかし、会社が大きくなると、そうした公認会計士や弁護士より、巨大な力を持つようになり、監督官庁がしっかりしないと、組織はそういう悪をためこんでしまう。

今回、やっと監督官庁の捜査の手が伸びた。しかし、既に優秀な若者が三人も死んでいると聞き、他は大丈夫なのだろうかと思う。
自殺者が三万人と十年間続き、最近減ったと喜んでいる向きがあるようだが、遺書のないのは変死者になるので、本当は十万人近いとも聞く。や、自殺予備軍や未遂者までいれると、膨大な人数になり、小さな一地方都市の人数くらいの人が毎年消えようとしているとも考えられる。
その中には、心根の誠実な人、優しい人、優秀でも身体の弱い人、がんばりすぎてしまう人、金銭に困っている人、色々な日本人がいる。それをそんな風に追い込む社会は正常といえるのか。
健康で文化的な生活を保障され、GNP三位と言われるこの日本は何らかの病にとりつかれていると考えざるを得ない。

一つは言葉の暴力だ。今、日本に蔓延している病の一つはそれだと、私は診断する。
それが一番よく現れているのは子供のいじめだからだ。
メールで特定の子供の悪口を周囲の多勢がやる。
昔から、子供はこんなことをしたのだろうか。
私は疑問を感じる。
少なくとも、そういういじめの側に立たないという誠実さ。場合によっては、やめようぜという強い子供もいた筈だ。
大人社会の何かのマイナス面が子供をそういう風に追い込んでいるのではないか。
禅では、愛語を大切にする。それを失った社会は病にかかり、衰退する。
日本語は美しい言葉である。その言葉を大切に使う社会をつくろうではありませんか。

【お知らせ】
「猫のさまよう宝塔の道」のブログに、マゼラン銀河鉄道白鷺号の続きである『銀河アンドロメダの夢ーひまわり惑星』を掲載しました。よろしくお願いします。

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