吾輩、寅坊の前に、大男シンアストランが巨木のように突っ立っている。
そして、小声で何かを歌っている。
【銀河の幻の松を今日見れば、蛍の群れに横笛の音かなし 】
吾輩は猫であるが、彼はネズミ族だという。こんな邂逅は不思議である。この宇宙に不思議なことは山ほどあるけれど、これは何か夢でも見ているような気持ちになる。
それにつじつまの合わないことがある。猫族の幽霊ナナリアは吾輩には見えないのに、第一次大戦のヨーロッパの西部戦線で戦った兵士は吾輩の目にもひどくリアルだったではないか。
夢はけっこうつじつまの合わないことが一緒に出て来ることがある。そういう疑いを吾輩は持ったのだが。
大男はそんな吾輩の思いなど無頓着に悠然と突っ立っている。
吟遊詩人が立っている大男シンアストランに、「ここにお座りになりませんか」と我々の席の一つ空いている所を指さした。
「ありがとう。わしもそうしようと思っていた所だ。あんた方は地球の方だろう。地球も今は大変だな」
吟遊詩人は言った。「ネズミの惑星も大変なようで。一歩、間違えると、自滅する」
「ほお、よく知っていますな。あそこの情報は中々手に入れにくいのに」
「私はニューソン氏と少し、お付き合いしましたので。あの惑星アサガオで、革命さわぎの中で、結局、カナリア国に亡命という形になったのですけど」
「ほお、ニューソン氏と。わしはあいつとは肌が合わないので、一度会ったかぎりだが、面白い話がありましたか」
「ネズミの惑星の様子を心配していましたね」
「ほお、どんな風に」
「ともかく物凄い科学文明の発達ですよね。今じゃ、原子力とニューソン氏の弟子達の努力によって、水素エネルギーの利用が可能になり、惑星と周囲の三個の衛星のエネルギーの需要をまかなえるようになっていた。しかし、一つの衛星で原子力発電所の大事故があり、沢山のネズミ族のヒトが死に壊滅状態になったけれど、そんなことに無頓着にさらに物質文明を進めようとしている。
確かに、惑星も残りの一個の衛星も十分に豊かな住宅地が生まれ、物凄く豊かなネズミ族の文明が栄えている。しかし、この衛星の中の領土の取り合いで、
惑星の四つの国が激しく対立し、国と国はいつ戦争するか分からない状態という。
どこの国も、武器の発達は凄いので、恐怖の均衡という状態にあるとか。
精神文化も衰え、人々は毎日、享楽的な生活にあけくれているとか。人と人はばらばらになり、金銭を積み上げることが人生の目的になってしまったような社会で、自殺者も地球の十倍とか。それでも、人口は増えて、その解決のために、もう一つ残された未開拓の衛星獲得競争が始まっているという話です。
しかし、奇妙なことに、ここの星の住人ネズミ族は、外の宇宙に出ようとしないという鎖国状態が続いている。
もう少し、大きなアンドロメダ銀河に目を向けてもらえれば、つまらない争いも減ると思うのですが、何かニューソン氏の話では、あるエリート学者がアンドロメダ銀河の他の文明は低すぎて、我々高貴なネズミ族が得るものは何もない、それよりも、この惑星と衛星にネズミ帝国を築き、その文明を磨いた方が楽園になると発言したことから、もうみんなそういう風に思うようになってしまったのです。
広い宇宙に目を向けないということは寂しいとニューソン氏は言っていました。広い宇宙に目を向ければ、つまらない争いも減るし、優れた考えも生まれるというのですね。
あなた、シンアストランさんを見ていると、私のような旅人もそんな風に思ってしまいますね」
大男のシンアストランは手を合わせてから、目を半眼にして、大きな呼吸をした。
「吸う、吐くに集中する呼吸の瞑想ですね」と吟遊詩人は言った。
シンアストランは頷き、何度か吸う、吐くの瞑想をやり、急に目を大きくして言った。
「『吸う』と頭の中で、言いながら空気を吸い、『吐く』と頭の中で言いながら、空気を吐くと頭の中が空っぽになって、気分がよくなりますよ」
そこまで言うと、シンアストランはしばらく沈黙してから、再び喋り出した。
「ところで、地球も核兵器だの、気候温暖化現象だの大変のようですな。それに、最近、わしは文殊菩薩に会った。信じますか。
信じないなら、夢の中で会ったと言っておきましょう。菩薩は美しい顔に珍しい怒りの表情を浮かべていた。
プルトニウムは核兵器の材料になる。知っているだろうな、と菩薩はおおせだった。勿論、日本のもんじゅは発電のためにある。発電しながら、燃料のプルトニウムを増やしてくれる。だから、増殖炉で、夢の発電の筈だった、しかし、この二十年間まともに動いたことはなく、今や止まったままでも一日五千五百万円という高い維持管理費がかかっておる。一日の費用だぞ、今までに、おそらく何兆という金額が無駄にされているのだ。
知っておるのか。これだけの大金があれば、どれだけ福祉の方に金がまわせて、消費税なんか必要のない真の意味での豊かなゆとりのある国がつくれたではないか。
こんな無駄使いが許されるほど、かの国は富があふれているのか、と文殊菩薩はおおせだった。わたしの名前をつけるなど、ふとどきだと菩薩は怒りで頭から蒸気がのぼっておられた。」
「よく知っておられますね」と吟遊詩人が言った。
「わしはね。地球とアンドロメダ銀河で起きていることには詳しいつもりだ。特に地球で起きていることは我々アンドロメダ銀河に生きる者にとっては、おおいに参考にすべきことが沢山ある。原発の恐ろしい危険性は明白。プルトニウムは核兵器の材料にもなる。核兵器で恐竜のように、人類が滅びないように願っているよ」
隣にいた青ざめた顔の兵士が声を出した。「核兵器。何だ。それは。我々は機関銃と大砲で戦ったのだぞ」
「ヨーロッパの西部戦線でな。何十キロという長い塹壕を掘って、互いにドイツ軍とフランス・イギリス連合軍がにらみあった。たった四年で、二百万の若者が死んだ。愚かな戦争だった。君達は死んで、長いこと時間と空間のない異界を彷徨い、やっとこの銀河鉄道にたどりついたというわけだ。しかし、地球はもうあの二次大戦を経験し、核兵器の時代に突入している。まあ、この銀河鉄道についている宇宙インターネットでしばらくその辺の歴史を調べて見ることだよ」
「本当に愚かな第一次大戦でしたね。あの塹壕戦だけで、二百万人の若者の死ですからね」
「わしはな。最近。地球の反戦映画を見た。まるで幽霊のような兵隊が亜熱帯の森と荒野を彷徨っている。敵の戦車が来れば、銃の的になり、ばたばた倒れ、生き残った男達がサルを銃で殺して食べる。その内に仲間割れし、味方を殺し、人肉を食べようとする男を別の兵士が殺し、最後は荒野を人里めがけて、両手をあげながら、ふらふら歩いて行く。
あれが悲惨な戦争の現実さ。核兵器は兵士だけでなく、沢山の普通の民衆と子供をそうした戦火にまきこむ」
吾輩はシンアストランの話が文殊菩薩の怒りから、戦争への怒り、核兵器廃棄の方に話が移るのを自然なことと思った。
大男シンアストランはじろりとハルリラを見た。
「おぬしは何で剣なんか腰に下げているのだ」
「わしか。わしは剣のない国、武器のない国を理想としているが、そうなるまでには人間の努力が必要だ。わしはこの剣で、武器をもちたがる連中を成敗しようと思い、剣の道に励んでいるのだ」
「剣の道か。まだ、道がそこにはあるから、いい。卑怯なことはしない。ジェントルマンでなくてはならぬ。礼節を重んじ、悪い奴を退治する。思いやりこそ、武士道の道じゃ。そうじゃないか。ハルリラさん。それなら剣も生きる。」とシンアストランは微笑した。
「その通りさ」
「ところで、ハルリラさん。その剣を貸してくれ」とシンアストランは言った。
「どうするのだ。剣など簡単に人に貸すものではないぞ。」とハルリラはきっとした顔になって答えた。
「そう向きになるな。ちょっと剣舞を踊りたい気分なのだ」
ハルリラが剣を渡すと、シンアストランは隣の席が空いているのを見て、
そこに立った。
「ハルリラさん。貴公の魔法で、この場所を剣舞ができるほどで良いから、ちょつと広げて周囲から見えないようにしてくれ。それから、俺の前に、幻の悪の剣士を一人出してくれ」
「魔法で空間を少し広げるのはいいが、悪の剣士を出せだと、俺にそんなことを要求するとはどういうことだ」
「だから、剣舞の相手に欲しいだけさ。幻の男よ」
「ほかならぬシンアストランの願い。まあ、幻の剣士を出してみよう」
「ハハハ」とシンアストランは笑った。
ハルリラは何か呪文のようなものを唱えた。突然、黒ずくめの剣士が飛び出た。
中肉中背で既に剣をぬき、シンアストランに向けている。
何か気のせいか、シンアストランの周囲が少し広がったような気がした。
「うむ。まだ狭いがなんとか、出来るだろう。ありがとう」とシンアストランは微笑した。
「悪人よ。出てきたな。俺の剣舞の相手をせよ」
シンアストランはそう言って剣で、幻の剣士の剣を下から、突き上げた。
剣士はそれをはずし、シンアストランの胸をついた。シンアストランはすぐに、身体ごと横に飛び跳ね、自分の剣を黒の剣士の頭からたたききるように、切った。
二人の剣士の動きはしなやかで美しかった。
「シンアストランは剣の使い手だな。それなのに、普段は剣の使い手なのに、剣を持っていない」とハルリラは吾輩の耳にささやいた。
「幻の剣士も剣の使い手ですね」
「幻は幻さ。シンアストランに合わせているだけよ」
「それ、どういうこと」
「ふふう」とハルリラは笑った。「俺の魔法も君をだませるだけの力があるということだな」
「大無量寿経」と吟遊詩人が微笑した。
「お、さすが、わしが何を踊るのか分かったか。詩人だな」シンアストランは微笑した。そのあとは厳しい顔に急変し、手と体が優雅に時に激しく動き出した。
「人はとかく 道を求めることには心をかけず、ただ日常の急ぐに足らないささいな事にかかわりはてている。枯葉のようでゆっくりと風に揺られて、四方八方にどこへいくともなく、散っていく」。
大男シンアストランは剣を大きく回転させて、黒の剣士に激しい攻撃をかけた。剣と剣が打ち合う響きが列車の中に響いた。
それから、シンアストランは「人の煩悩は深い。飛び火する炎のようで、燃え尽きることがない」と、そう言って、剣で弧を描いた。そのあと、急に空を切った。
「金銭や財宝のことに憂い苦しみ、欲心のために動き回っているのは政治が良くないためか。
かれらはそれ故に、心の休まるときがなく、不安のあまりうろたえ、憂い苦しみ、思いを複雑にして、空しく自らの生を浪費しているのは嵐の中の小舟のよう、それを救うのは菩薩のような政治家が必要。」
「ああ、嵐の中の小舟のよう。救いたまえ」と繰り返し言いながら、剣で黒の剣士を突いていく。黒い剣士も見事な剣のさばき。
大男シンアストランは列車の狭い空き椅子の間を広い空間があるように体と手を動かし、剣を次々としなやかに踊らした。二人の姿と剣戟の響きを知ることのできるのは列車の中では吾輩と吟遊詩人とハルリラのみというのもハルリラの魔法のためとはいえ、摩訶不思議。
「大無量寿経は人の煩悩に対して厳しい」と吟遊詩人は吾輩の耳元で言った。
「煩悩」
「自我の悪を見つめることから、阿弥陀仏への信仰に導く。宇宙には深い愛と大慈悲心に満ちた深いいのちがあるという信仰さ。神と言っても良い」
「しかし、何故、こんな剣舞を踊るのかな」とハルリラは言った。
「人は仏なのにそれに気がつかない煩悩の深さを知る必要があると、言っているのだな」と吟遊詩人は微笑した。
「煩悩ね。吾輩なんか、煩悩だらけですよ」と吾輩、寅坊は言った。
その時、黒い剣士が煙のように消えた。シンアストランは剣を鞘におさめると、ハルリラに「ありがとう」と言った。
「いい、運動になった」とシンアストランは笑った。
【 つづく 】
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