空華 ー 日はまた昇る

小説の創作が好きである。私のブログFC2[永遠平和とアートを夢見る」と「猫のさまよう宝塔の道」もよろしく。

青春の挑戦  9 [ 小説 ]

2021-06-05 20:06:10 | 芸術


9
外は秋晴れで、白い雲のかけらがゆったり動いていた。ポプラ並木の歩道を歩きながら、新聞記者の林原が真剣な表情で言った。
「松尾さん。 今日のことは記事にしますよ。 実におもしろい。 それであなた方にわたしの家に来てほしいんですよ。岡井さんとこと同じように、私にも息子がいましてね。上の長男と長女は仕事を持っているのですが、一番下の 私の息子なんですが、美大を出て広告会社に一度勤めたんですが最近、 そこをやめて家でぶらぶら遊んでいるのがいるんですよ。
今の話には飛びつくと思いますよ」

松尾は一人帰った。一人になりたかったのだ。田島とロボットは車で帰った。林原も車で帰った。松尾は広い公園を歩いたり、ベンチに座りながらこの日の出来事の中で、一番の収穫は何かと思った。
核兵器は政治家や軍だけにまかせておくだけでは、軍拡が進むばかり。一人一人が立ち上がるのは無理だろう、今のままでは、政治家集団に核兵器廃止を頼みたい所だが、それも見とおしが暗いとなれば、企業の一角に目を付ける。平和産業のように、企業という名の人の集まり、の一角に核兵器廃止の金字塔を打ち立てることにより、この金字塔がいくつにもなり増加していくことを願いながらという人の意表をつくのも一つの手段。
それは途方もない夢で、あることは分かっていても、若い彼の頭には、自分のやっていることが正しいと思う切ない気持ちがあった。それに、世界の一角で若い女性が気象温暖化で立ちあがり、国連にまで、波紋は届いたではないか。利潤追求の筈の企業も平和がなければやっていけないと、獅子のように雄たけびをすれば、獅子の雄たけびは世界を動かす。それが平和産業だ。何もしなければ、世界は滅びるという実感のある企業は立ち上がる。もはや、企業は株主だけのものではない。こういう考えが世界に広がれば核兵器の軍縮という奇跡が起きる。
松尾優紀はそういう希望を持った。核兵器は政治家と軍人にまかせておけば、軍拡が進むのはニュースを見ているだけで分かるではないか。
便利なネットを平和のために使えないのか。世界の核兵器を廃止することに反対の人はいない筈。それにしても、「偶然だな。岡井さんと林原さんの息子さんが失職している。その二人ともロボットに興味を持ちそうなことを自宅でやっている。」と松尾優紀は思った。
夕焼けが空に広がる頃、彼は故郷に向かう電車に乗った。

松尾優紀の頭の中に、平和産業に若い仲間を集めることが出来るではないかという思いは膨らんでいた。この気持ちを船岡工場長の家で道雄の家庭教師をした帰り、父親の船岡に伝えた。道雄の国語力が上がってきたことが船岡工場長の信頼をさらに高くしていた。
「それは良い。君を平和産業の有力スタッフに推薦しようと思っていた。仲間がいるなら、それの入社試験の係は君だ。須山社長に話しておくから、そのようになるだろう。」
須山社長は今度の事件で、安泰だった以上に、船山工場長の後押しでさらに、力を増したようだ。
ちょっとしたことで、広川取締役のことが出た熊野の話では、「広川さんは白沢さんと彼と親しい政治家に誘われてギャンブルにはまった。それで、今度は白沢さんぬきで、政治家に誘われて、行った時、一千万円を吸ってしまった。このすった額も大きいがはたして広川さん一人の責任なのか、そこが分からない。広川さんは日本に帰ると、返すつもりで、会社から金を借りた、そしてああいう結果になった。

気の毒だが、ギャンブルにのめり込んだのがいけなかった。白沢さんのように財産家とちがう。広川さんのようなサラリーマン重役にそんな大金を出せるわけがない。
誘われたという言い訳は大人の社会では、同情論はあっても、自らの責任を取らなければならないだろう。政治家はどうも巧みに、法の網をすり抜けているようだ。広川個人の問題にされてしまったようだ。どちらにしても、須山社長は安泰だ。平和産業も安泰だ。

松尾優紀は仲間を集めた。まず自分の会社の仲間である、遠藤と飯田と先輩の熊野に声をかけた。遠藤と飯田は、すぐに松尾の話に喜んでのってきた。
熊野に話しかけた時は、彼はまじめに松尾の話を聞いていたけれど、「ちょっと考えさせてくれ」と言った。
松尾優紀には、 平和産業はとりあえず、ロボット課と映像詩課と平和セールス課に人材を集めるようにと言われた。優紀の頭の中の人材の中には、自分の仲間と島村アリサが入っていた。
しかし何日かして熊野も平和産業の話はおもしろいから、 まだ参加するかどうかはわからないが、 話の仲間に い れてくれないかといって きた。それから岡井警部の息子。 そして松尾。 松尾は声をかけた仲間と一緒に、新聞記者の林原の息子憲一の家をたずねることにした。新聞記者の林原が 「息子を助けてくれるなら、別荘を使っても良い」 と言ってこの話にひどく積極的だったことと、別荘はルミカーム工業に近いということで、今の仕事を早めに終えた後、彼の別荘を根拠地にしばらく活動できるという話になった。
平和産業そのものは株主総会を終え、社長も部長、課長、アンドロイド課、映像詩課、平和セールス課などの組織も決まり、ルミカーム工業から一キロの広い敷地に中古のビルを借り、スタートすることになっていた。



新聞記者である林原の息子憲一は親父の別荘で、孤独な世界にとじこもりながら美大出身者としての自分の芸術論を磨いていた。松尾達に会った時、 憲一はすでにウイスキイーを飲んでいたらしく、 とたんに芸術論を始めて人を煙にまいた。
「映像詩とロボットで、世界中に平和をばらまく、核兵器をなくすですって。 まあ、 おもしろい話ですがね。ま、夢みたいな話ですな。ユーチュウブはもうすぐ日本に上陸しますよ。これは面白い。面白いが、見る人が限られますからね。ロボットの話もね。
それなら、僕の考えている反機能的なロポットが良いと思いますよ。もちろん、 看護ロポットなんて機能性がなくては話になりません。 ですから、僕の言っている反機能性というのは、必要な機能性は当然のこととしてあるんですよ。 その上に機能性をこえた反機能的なものを加えていくんです。 ですから一見した所、反機能的な作品で充分人間の精神を満足させてくれるんです。 それで いて人間の要求に応じた機能も立派にあるんですね。今の日本では機能性にひきずられたデザインが多すぎるので、人間生活が大変無味乾燥なものになって きていますね。平和論も同じ。パターン化した平和をその時期になると、叫ぶ、それも必要な大切なことは分かっていますが、もっと違う角度から、平和を言う。意表をつくような形で平和を叫ぶ、世界の核兵器をなくして、その金を福祉に回せと叫ぶ。最も、今の日本では一市民がうっかり言うと、差別されることがありますから、気をつけた方がいい」
松尾は驚いた。林原憲一の考えていることは、自分の考えている平和セールズにそっくりではないか、こんな偶然があるのだから、いやもしかしたら世界中にこういう考えをする人は少なからずいるのに、彼らは冬眠しているのかもしれない。
平和産業はそれを掘り起こし、大きな平和の声にしていく必要がある。特に大国の若者が核兵器は地球にいらない、その金を福祉に回せという風になれば、世界の政治家が動く。
「君のおやじさんが週刊誌に書いた記事を読んだ」と熊野は低い声で言った。
「白沢専務と広川取締役の関係ね。白沢は広川を巧みにギャンブルに引き込んだ。
白沢はルミカーム工業の創始者の家柄で資産は莫大だ。ギャンブルにも慣れている。ところが、広川取締役は貧しい家からのぼりつめた秀才。」と熊野は笑った。
「今の社会は資本主義社会ですよね。」と林原憲一は言った。「 人間は、 もともと動物ですから弱肉強食の本能を持っていて、 常にこの弱肉強食の原理は人間の社会に作用しているということですよ。 今は、 民主主義が説かれて、 すべての人はお互いに紳士的につきあうことを知っていますから、 見かけはこんな弱肉強食は捨てられたようですけど中々どう して人間のこの本能的な原理は根強いのです。
こうした洞察は、 心理的に落ちこぼれた人間でなくては わからない社会の原理なんですよ。 ですから、人は虎視耽耽と相手の弱点を見つけようとし、 そして自己の力に相手を屈服させようとする野心を持っているといえるんです。
広川さんは繊細な秀才型なんですよ。でも、船岡さんのような強力で誠実な実務家と手を組んで、途方もない平和産業に手を出そうとした。たちまち敵意を持った相手から駄目なやつだとレッテルを貼られ、それを宣伝されるんです。 こうした宣伝は、 効果的ですから今まで友人だと思っていた人ですら、 この宣伝にのせられ友情を裏切るということをやるんですよ。 そして、この有能な人間もこうした社会のレッテルを貼られると、そうした人間関係のしがらみの中でがんじがらめにされて動きがとれず、 ますます自己を落ち目にさして いくことになるのです。こうした相手をけおとそうとする悪意はいたる所にありますよ。
自分を守るのは自分であり、 自分の価値を知っているのは自分なのです。 機能性が社会にとって必要であることは認めますが、 機能性は科学の発展にともなっ て機械やロポットやコンピユーターにとってかわられていくではありませんか。 そんなに簡単に機械にとってかわられる人間の機能性などというものに人間の価値があると は思えません。 では、 いったい人間の価値とは何か これはむずかしい。 難問ですよ。 でも私はこう考えています。 人間はみな、 すばらしい宝を持っているのです。 その自分の宝を発見し、 その宝の輝きを隣人や社会にひろめていく方法を自分なりに知り、 それを実践していくことのできる人は、 価値のある人間だと思うのです。私はこう思った時、 私を疎外し、 私を歯車の地位に追い

やろうとした会社の機構に腹が立ち、自分の主体性をとりもどすことができたのです。私は会社をやめました。そして私は、もう一度デザインを勉強し、反機能的なテザインの必要性を考えたわけです。あなた方が、 ロボットで世界平和を叫ぶという考えはわかりました。私も今やっと自分なりのテザイン感がつかめた所で、さて何を始めるかという所に立って いるのです。あなた方の話にのせていただけるならば、この上なくうれしく存じます」

「映像詩の話も平和産業の重要な一角を占めています。」と松尾優紀言った。「僕は広島の映像詩を作ったのです。ま、見て下さい。」

別荘は、ちょっとした高台の上にある。窓からは、緑の林やまとまった家並みや川が見える。
家は木造の二LDKの一軒家で、そこにあるテレビは大型のものだった。松尾優紀は会社や中学校の職員室でやったように、映像詩を見せた。

岡井は微笑して言った「よく出来ている。原爆の恐ろしさがいかに、悲惨であるか、観念でなく現実として理解できます。ただ、問題なのはどれだけの人がこの映像を見るかですよ。見ても、行動に移すかですよ。結局、反戦映画を見て、次は娯楽という風な現代の流れでは、結局は力になるかですよ」
「ええ、ですから、ロボットを使って色々の人の集まり、組織を訪ねて映像詩を見てもらい、平和の波紋を広げる、それが平和産業の腕ですよ」

「ロボットがこの映像詩を見せて回るという事実を既にやっておられるわけですね。つくる場面では、ロボットと映像詩は違う場所でやるのでしょうけど、平和セールスということでは、一緒にやるのが効果的かもしれませんね。」

岡井は一瞬、宙を見るように視線を向けたあと、松尾に視線を合わせて言った。
「私は高校生の頃からの夢として何かものをつくってみたいという気持があったのですから、この夢の実現としては、あなた方のロボット平和論の話にのってみるのがいいです。映像詩も興味があります。平和産業、どうです。やりましょう。」



その時、遠藤洋介が岡井に握手を求めて言った。
「僕はこういうアイデアを持っているのですよ。ミニロボットを作り、額から電波を飛ばし、白壁に映像詩を映し、それから、平和演説をする。これだと、ロボットと映像詩の両方を持って飛び回る必要はないのですよ。ミニロボット一台でいい。これを世界中に売りまくれば、ミニロボットが多くの人に平和と核兵器の廃止を演説してくれる。これは前から考えていたことですが、喋るのは初めてなのですよ。夢がありますよね。僕は以前からヨガや禅に興味を持っ ているんだが、ヨガや禅をコーチするミニロボットなんていうのを作って、全世界に売りまくったら面白いと思っていた発想から出てきたアイデアなんですが。」
「平和産業ですよ。儲けることばかり、考えるのではなく、本気になって核兵器を無くすことを考えなくてはね。遠藤君のアイデアはいいが、売れなくてはね。多くの人はエンターテインメントを求めていますからね。世界中の皆が共感してくれるかどうかですよね」と技術者の田島が重々しく言った。

飯田が口はさんだ。 「また遠藤君は夢みたいなことばかり考えますね。ヨガの出来るロボットなんて出来るわけないでしょう。そりゃ、遠い将来にはできたとしてもね。坐禅できるミニロボットは出来るかもしれませんが、全然面白くないでしょう。でも、今回、初めて聞いた電波を額から飛ばすという話、これは面白いね。」
「ついでに、言わせてもらえれば」と遠藤は笑いながら言った。 「おれね、 こんな夢みたいなこと考えているの。 つまりね、 ダンスの出来るロボット、体操のできるロボット、 こういうロボットをつくって我々はロボットと一緒に自己の心身の鍛錬をするのだよ。 子供には家庭教師のできるロポット、 こうなるとロボットも人間なみだな。 どうですか。 松尾君。 君は夢想家で詩人だから僕の気持、 わかってくれ るだろ。」
松尾優紀は微笑して言った。 「そりやわかるさ。 でも実現可能な所で我々は商売するのだから、 その点も考慮しないとね。僕は最初は映像詩から出発しているから、原爆の恐ろしさを多くの人に訴える完璧なものをつくりたい。この間の作品は短いし、確かに今度アメリカから入ってくるユウチュウブに乗せるのにはいいかもしれないが、もう少し大型の映画に近いものもつくって見たい。
でも君の夢みたいに考えるくせ、い いと思うね。人間夢がなくちゃ。 ミニロポットをつくって、 このミニ ロボットに平和のセールスをしてもらうというのは映像詩を運ぶ必要がないからね。ただ、田島さんの心配するのは今直ぐにそこまでの技術力がないだろうということではないかな、近い将来、目指すミニロボットいうことでは、僕も大局としては、
賛成。ただ、今、僕のやっている、ロボットと一緒に、映像詩を持ち歩いて、平和セールスをするという儲からないビジネスも忘れないで欲しいね。
全世界に平和をうったえ核兵器をなくしていく運動、 これこそ、 現代人に課せられた最大の有益な仕事だと思う。具体的にはね。 菩薩や仏像の顔をしたミニロポットをつくるんだ。 もっと現代的な顔でもいい。平和を訴える真摯な顔だ。 それは芸術の域にまで達する顔である必要がある。 つまり僕の考えて いるミニ ロボットは芸術と科学の結合だよ。 コンピュータによって動かされるロボットであると同時に、 人間の心の底にうったえてきて感動を与え、 人々を平和にかりたてるような顔を持つ必要があるんだな。 これは確かにむずかしいしい、実現性に乏しいかもしれないが、 将来的には平和産業で考えていくアイデアとしてミニロポットはいいね。目標はそこにあると思う。 遠藤君の考えているようなダンスのできるロボットや家庭教師のできるロボットも素晴らしい夢だと思うが、 やはり平和産業は平和にしぼる。核兵器のない世界をつくる。


熊野はさきほどから腕組みをし、笑いもせず気むずかしい顔をしながら、 三人の話をまじめに聞いて いたが、 ついにがまんができないというような調子で声を出した。
「松尾君」 そう言った熊野の声 かあまりにも大きかったので、 みんなあきれたような表情で熊野を見た。 熊野は理論家だが興奮すると、 たまにこんな抑揚のある調子になることを優紀は思い出して苦笑した。
「松尾君、 君も遠藤君と同じように夢想家だな。ミニロポットをつかって平和をうったえるというのはアイデアとしてはおもしろいが、 そんなロボットがはたし て売れるのかね。 世界中に平和運動をもりたてていくために商品をとおして、 平和というのもわかるがね、 それは結局、 今うちの会社で君が中心になってやっている平和セールスと同種類のものだね。 悪いとはいわんが、 平和が商品となってしまうというのはなんだか寂しい気がするね。 平和ぐらい商品にしないで、 もっと純粋な人間の気持からうったえる方法はないものかね。僕はミニロボットをやるというのはおもしろいと思っている。しかし、それはあくまでも商売としての話である。商売は売れてもうからなくては、商売をしている者の生活がなりたたないのだし、その意味で、 ミニロボットは売れない予想がつく。それと平和を結びつけるのは 、ちょっと飛躍のような気もする。
平和は、署名運動や集会、デモ、国会や政府への請願それに大切な選挙という人間の主体的行動の中から、政治家を動かして平和を作り上げていく必要があるんじゃないのかね。

こういったからと言って、僕がミ=ロポットをつくってもうけることばかり考えているなんて思ってもらいたくないね。僕は、むしろその逆だ。 ミニロボットを生産し、それか売れるような土台がつくれたら、 平和産業という会社の組織を一種の原始共産制のような組織にして、利益は、公平に分配するというようなことを考えているんだ。
この平和産業は船岡工場長の発案なのだから、彼はこういう組織を理解できる。
株式会社のルールに基づいて社長をはじめ従業員が完全に平等であるような組織がつくれたら素晴らしい。そして、商品がどんどん売れてこの組織が大きくなっていけば、従業員は賃金が上昇し、働く意欲がわくだろうし、労働の中で完全な平等性を獲得できる。これが、俺の夢で、さきほど林原君が言っていたような能力の問題もこの組織で は完全に解決される。もっとも、 この株式会社そのものがもっと大きな日本 の社会の矛盾をしよっているのだから、こんなことは結局無理なんでしょうが、さっきからみんな夢みたいなことばかり言っているから、僕も自分の夢を言わせ てもらえば、組織を人間性の回復に役たてるような風にすること、 これこそ平和の問題とならんで、我々現代人 がやっていかねばならない重要な問題なんだ。組織の問題と平和の問題は結び付いている。現にここに集まっている人達で平和産業を立ち上げようとしている。」

それまで黙っていた飯田が、大声をたてて笑った。「 や、実に熊野さんらしい発想だね。 人間性の回復に役立つような株式会社か。しかし、大会社の幹部の連中がそんな話を聞いたら、目を丸くして会社は慈善事業じゃねえと言いそうだね。」
飯田はそう言っておかしそうに顔の表情を震動させた。それは笑っているというよりは笑いをこらえてい るというような感じだった。
松尾はお酒を半合ほど飲んで、少し夢見心地だった。そのせいか、心の中に詩でないような詩句が浮かんできた。
  
   お茶の香りと昇りあがる優雅な白い蒸気
   広島の中心部の座敷で、十人近い人がお茶の会をやっていた。
   ところが上空からB29が黒い円筒のようなものを落とした
   それが地上に物凄い光を放つ時
   その十人は消え、広島の町も焦土と化した。
   たった一つの核兵器がこれだけの威力を持つ
   今やそれが世界に何千とある。
   少し前の話だが
   インドとパキスタンが衝突しそうになった時
   思春期のインドの女の子達が「核戦争をしないで」と叫んでいた。
   そういう風に叫ばないと、核兵器を地上から、なくすなんて夢物語になってしまう
   どんな美しい花も虎や猫のような愛すべき生き物も焦土には生きていけないのだ
   国や組織のエゴが衝突する時
   まとまって良い筈と思うものもまとまらない
   軍は勝つだけを考えた組織だ
   最近は宇宙軍なんていうものも出てきた。
   政治家は話をまとめることをせず、自分の威信を高めるために、腐心する。
  
   核均衡論は主張する。
   同じくらいの核兵器を持てば、怖くて戦争できない。
   はたしてそうか。
   理性が万能ならばありうる。
   歴史を見ると、理性は感情に動かされ、戦争が起きるのは証明ずみだ。

                      【 つづく 】
                     



青春の挑戦 5

2021-05-07 16:34:20 | 芸術
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彼は久しぶりの中学校になっかしさと会社とはちがう雑然とした雰囲気にとまど ったが、気持を引きしめちょっと緊張した表情で大声を出したのだった。
「大山中学校の先生方、私はルミカーム工業の宣伝課の者です。今日はみなさんにルミカーム工業の商品について知ってもらい色々買っていただきた いというお願いよりももっ と重要なことでま いりま した。実はルミカーム工業では世界平和についてみなさま方にう ったえていこうということになりました。会社がこうした問題に深入りするの を 不思議に思う方もありましようが、わか社は自社の発展を真剣に考えるならば、平和こそ第一条件であるという結論に達したわけです。この平和については、なにもわが社の特権ではありません。むしろみな様職員の方のほうが次の時代の子供達をそだてているのですから、より切実に真剣に考えているテーマだと 思われます。私はその意味でみな様と協力して世界の平和について考えていきたいと思っております。」

その時、 職員室の隅の方から争う声が松尾優紀の 声を圧倒するように、響いてきました。職員室の中の人間は、みな松尾優紀の方からそちら の方に注意をむけたのです。 一人の大柄の男の子が椅子にすわっている教師に反抗的な口調でなに かを言って います。
黒の学生服の胸元を開け、背が百七十ぐらいありがっちりした体格で、髪は伸び放題で、長細い浅黒い顔には大きな目と厚い唇があり、声の調子といい、中々中学生離れした町のお兄さん風の迫力を感じさせるのだった。
「おれか弁当をどこで食べようとおれ の勝手だろう。屋上でおれが食べたからといって学校に何の迷惑をかけたわけじゃない。先公はなんでそんなにうるさいことを言うのだよ。
それに、何だ。この間の職員会議の話を盗み聞きしてみればよ。教師の意見はわれているじゃないか。マルクス主義だの保守主義だの聞こえていたぜ。話が割れていたのは弁当のことでじゃなかったけどよ。どちらにしても、二つに真っ二つ。俺たちの前では、同じ意見のようなことを言い、中身はひどい割れ方じゃないか。俺たちに似たような意見もあったような気がしたな。内容は忘れてしまったけどよ。弁当のことだって、議論しりゃ、意見は割れるぜ。俺たちのように、弁当は自由に食べていいという教師もいると思うぜ」
松尾優紀は驚いた。マルクス主義という言葉をこの中学生から聞くとは思わなかったし、この言葉は先輩の熊野から一度、聞いて何か印象深かかったからだ。具体的な詳しい内容は聞いてなかったが、いずれ聞いてみたいという気持ちを持っていたからだ。
その頃は、教師は弁当を食べ終わった者、教室から昼の休憩に戻る者と、いたが、生徒を指導しているのは白い半そでのワイシャツをきた細面の紳士という風貌をした中年の男だった。

生徒は二人だ。松尾はちょっとそちらに気をとられ、自分の話をやめて近くの教師に事情を聞いた。大柄な男の子二人は教師の前にすわらせられているのだ。口だけは反抗的だった。つまり教室で弁当を食べることになっているのに二人で屋上で食べている所をある生徒の注進により知った担任が呼び注意を与えている所だった。
「学校は迷惑しているよ。お前たちのように、学校のルールを違反すれば集団生活が乱される。そんなことが分からんのか」
教師は生徒に反抗されて興奮して大きな声で怒鳴った。生徒も負けてはいなかった。「なんだよ。俺たちにだって好きな所で楽しく食べる権利はあるよ。学校が勝手にルールを決め、俺たちに押し付けているだけじゃないか。」
そんな風に強い口調で言った男の子は立ち上がり、教師につかみかからんばかりの勢いで言うのだった。
もう一人の男子が先生の机の上に何気なく置かれていた週刊誌を見つけ、「あ、この週刊詩。親父が言っていたぜ。「2003年の今から、二十年後の北朝鮮」というのだ。それは松尾優紀も読んでいた。
「その頃、北朝鮮は核武装をすっかり整え、日本にとって脅威になっていたので、平和憲法のもとに、日本でも、防衛省の裏方で核武装の準備を始めていた。」とその男子は言った。
教師は驚いて、彼の口を塞ごうとした。松尾は自分の頭の中でその文章を思い出した。「国民に内緒で自衛のために、核武装をするのだから、合憲とする勢力が多勢を占めるようになり、準備段階に入っていた。しかし、これが北朝鮮にもれたのだ。北挑戦は怒り狂い、自分達が持っているくせに、日本に核武装を辞めない限り、通常兵器で日本のすべての原発を攻撃するとSF風に書かれている。」
北が核攻撃すれば、アメリカが出てきて、北は全滅することを計算に入れて、通常兵器で原発をねらう、とその作者は想像している。優紀は北がどう出て、アメリカがどう出るかは分からないが、恐ろしいシナリオだと思った。
どちらにしても、こんな将来の心配を考えても、平和憲法を国に守らせ、北朝鮮に核放棄の平和志向を取らせることが日本の役割なのだと思った。アメリカの力も必要だが、中国の力も必要だ、そのためには文化交流が大切なのでは。それに、憲法九条を守り、核兵器禁止条約の批准が重要だと、松尾優紀は思った。



職員室は緊張した雰囲気に包まれた。弁当を食べている教師もハシを持ったままそちらの方に気をとられていた。
その時、優紀の友人である田島がすばやくその男の子の所にかけよった。田島は小柄ではあるが、柔道三段の太い腕で、その大柄の男の子を優紀の方にまでひっぱってきた。その間の時間は数秒であった。
怒っていた教師もあっけにとられて田島の方を見ていた。
田島はうむを言わさずにその男の子を捕まえて優紀と菩薩の前にすわらした。その生徒はびっくりした表情をしてアンドロイド「菩薩」を見た。
「何だ。こいつは。ロボットじゃねえかよ」
「そうだ。ロボットだ。平和の使徒として働くロボットだ」
菩薩は金属性の声でそう言った。
口は動かないで音だけが流れた。
「ふーん。ロボットのくせしてなまいきに口までききやがる」
そう言ってその生徒は立ちあがろうとした。ロボットはその生徒の肩を抑えて言った。
「今の言葉は許せない。ロボットだって人間だ。そんな風に僕を差別する人間を僕は憎む」
その生徒はちょっとびっくりしているのだが、それを隠すかのように乱暴な口をきく。
「ロボットが人間だって? 冗談言うなよな。お前に俺の気持なんて分からんだろう。お前は結局、人間の奴隷なんだよ。奴隷に主人の気持なんか分かる筈ねえだろ。」
「それは違う。君は勝手な人間だ。ロボットより、劣る。ロボットの心はやさしさに満ちているが、君の心は野蛮なエゴで一杯だ。」
生徒は立ち上がって妙な顔を見詰めた。
その時、優紀は微笑を浮かべて言った。
「君は中学生だろ。中学生ならこのロボット君の言っていることが分かる筈だ。君は自分のことしか考えない勝手な人間になりかけている。天気が良いから屋上で弁当を食べたい。これは誰しも思うことだ。その欲望を許したらみんな勝手なことをやりだすぞ。
そしたら、中学校をめちゃくちゃになってしまう。
分かるだろう。自分の欲望を抑え、君は正しいことを考え、行動するように、自分を訓練する必要があるんだ。君は素晴らしいエネルギーがある。それを正しく使いたまえ。神と平和について考えたまえ。毎日、祈りたまえ。」
その男の子は一種の夢遊病者のようにうなずいていた。松尾優紀は菩薩の方をふりむき、
「この少年をさっきの先生の所に連れて行きあやまらせなさい」と言った。
菩薩は「はい」と返事をし、その男の子をひっぱり、さきほどの教師の所まで、連れて行った。そして「あやまりなさい」と菩薩が言うと、その生徒は素直にあやまった。教師はきつねにつままれたような顔をして生返事をし、生徒を叱責することもなく二人とも教室へもどらした。松尾優紀は教頭に呼ばれた。校長室に入るとた ぬきのように色黒で丸い顔をした校長が目がねの中の瞳をきらきらさせて言った。「いや、これはどうも。今、あなたのお手並みを拝見させていただきまし生徒をあっかう腕前などは教師の見本という感じですな。それに又、会社の方が平和問題を訴えるなんていうのも大変ユニークですな。どうです。今日の六時間目、全校集会があるのですが、ぜひ生徒達にあなたのお話を聞かせていただきたいものです。」
「ええ、私としまし てはそのような申し出は大変うれしいです。喜んでお話させていただければと思います」
そのあと、松尾は教頭の案内で校舎の中をまわった。まだ昼休みだったのでグラウンドに出ず、教室にのこっている生徒が大変な騒ぎだった。松尾は菩薩と田島をうしろに従え、教頭のあとにあちこち目を四方にくばりながら歩いた。もの珍しそうに見る女生徒。ていねいに挨拶する中学生。教室内でポールを投げていて教頭の顏を見るとやめる生徒。将棋をやっていてまわりに数人が取り囲みわいわいやっている所もある。そうかと思えば教室の隅にすわり込みべちゃくちや、おしゃべりに夢中の女生徒。実にさまざまな中学生がさまざまな形で躍動していた。
そしてたいていの生徒は ロポットの「菩薩」を見ると驚きと憧れの表情を出して近づいてきた。彼等はも の珍しそうに菩薩の身体にさわったり「可愛いい」と言ってみたり色々話しかけての楽しんでいた。菩薩君はいつもまじめな調子で答えるので生徒の中にはからかう者もいた。
「あなたは自分を美男子だと思いますか?」菩薩君が「はい、美男子だと思います」と言うと、どうっと笑いが四方の中学生達の間にひろがった。松尾は背丈が百八十五センチあってやせていたから、ひどく長身に見え、たいていの生徒は松尾の方を見て驚いたよう な顔、憧れる顔、挑戦的な顔と色々な顔をして見せるのたった。それでもロポットの人気が抜群だったため、松尾の行く所、生徒か集まった。こんな風にして会社のセールスマンが校舎の中の見学を許可されたり集会で演説するなどは前代未聞のことですと教頭は笑いながら言った。教頭は中肉中背できわめていんぎんな男だったが、その表情の裏になんとなくずるい調子のあるのを松尾は見のがさなかった。

チャイムが鳴った。グラウンドにいた生徒が戻ってくるため、廊下や教室は生徒の人数が急に増えた。その時、さきほどの男の子が廊下の隅で別の男の子と喧嘩をしていた。両方とも大柄だ。殴りあっている様子だった。さきほどの男の子は松尾達を見ると、驚いた顔つきになり、その激しい語調を急にやわらげていた。教頭が「どうしたんだ?」と声をかけると、その男の子は「なんでもありません。ちょっとした喧嘩です。」と言って教室にもどろうとした。ところが、もう一方の男の子が涙を流し泣きながら「逃げる気かよ」と相手の肩に手をかけた。「逃げるわけ じゃねえよ。先公達が来たからやばいだろ」その男の子はちよっと激しい口調たった。 「おい、待て」田島がその男の子の前にふさがった。「なんだよ。てめえ、先公でもないくせに何で出しやばりやがるんだ。」
男の子は口調は戦闘的だが、あきらかに逃げ腰だった。
「まあ。落ち着け。あいつ、泣いているじゃないか。何で喧嘩していたのか、ちょっと訳をきかしてくれよな。さつきは先生に反抗し、今は友達をなぐ るっていうのはあんま穏やかじゃないからな。」教頭が松尾に小さな声で耳うちした。 「この子はうちの学校の問題児なんですよ。大変むずかしい子でしてね」 松尾はその男の子と田島のそばに近かずいて、言った。「君の名前、なんて言うんだい?」「俺の名前か。川山海彦っていうんだ。」「君と友達になりたいね。」
「小づかい、くれるかい」
「小づかいはないが、君にはできるだけ僕の贈り物をしてあげたいと思う。これは僕の名前だ。ぜひ、ここに遊びに来てくれたまえ」
「じゃあな。あばよ。」



川山海彦は教室の中に入って席についてしまった。松尾優紀は生徒がみんなの席につき、静まった廊下でまたざわつく教室を見、教頭と話をしなから再び職員室にもどった。五時間目は職員室の中で待った。授業に出ない教師、教頭、校長、生徒指導主任などが映像詩を見てくれた。見終わったあと、松尾はまばらにいる職員の中を回って、感想を聞こうと思った。映像を見終わった後、感想らしい声が何も聞こえないのも奇妙に思われたからだ。
新聞や本を読んでいる教師や鉛筆を紙の上に走らせて仕事をしている教師、雑談をしている教師、実にさまざまな形がそこにはあった。松尾は暇そうにしている教師を見つけ話しかけた。
「どうでした。映像詩は」
「大人に見せるのには良い映像詩だと思いますよ。中学生はまだ子供ですからね。残酷な場面がいくつもあったでしょう。中学生に見せるのには、私は賛成出来ませんね」
お茶を飲んでいた浅黒いこわもての顔をした教師は目を丸くして松尾を見つめそう言った。
「それに、お宅の会社は面白いことを始めましたな。営利企業が広島の原爆を映像詩にする。理解しにくいですな」
その時、ロボットと田島が松尾の近くに来た。
「平和のロボットですか」とその教師は言った。
「愛称は『菩薩』っていうんです。わが社はですね。単に自社の利益追求ということたけでなく人類の平和と経済に貢献できるために寄与しようと願っておるわけです。 ともかく経済の発展のためには平和が必要です。核兵器をこの地上よりなくすことは緊急にやらねはならぬことなのです。
世界平和のためにわが社が貢献できれば大変名誉なことです。」
「ほほお、そうですか。」面白いことをルミカーム工業さんは始めましたな。それで、商売になるんですか。企業は利益が第一だと思いますのにそんな採算のあわないことをやって大丈夫なんですかね。もっとも、お宅の会社なんか内部留保が沢山あるから、そういう余裕があるのかもしれませんね。お宅は車もつくるのでしょ。車は僕はこの間まで乗っていましたけれど、一か月ほど前からやめましたよ。考えてみれば、車は小さな子供を脅かしますし、日本古来の美しい風景を破壊してきたのですから、法人税を沢山払うべきですよ」

「そうですか。確かにそういう疑問はあると思います。なんならその答はわが社の開発したロボット「菩薩」君に答えてもらいましよ う。」
「おーい。菩薩君に平和について喋らせてくれ。」と松尾は菩薩と田島に声をかけた。
田島は松尾の声に徴笑を浮かべ菩薩に合図をした。すると菩薩は松尾のいる方向に歩き始めた。そしてまるで生徒のようにまじめな雰囲気で教師の前に立ったのだ。
松尾は菩薩に言った。 「菩薩君、答えてくれたまえ。わが社がなぜ平和問題と取り組むこと になったかについて。明快な答を頼むよ」
「はー 。社長。松尾社長。今度ルミカーム工業の宣伝担当の子会社として平和部門をあっかう松尾社長」
「おーい 、余計なことは言わんでくれよ。」
松尾は菩薩君がまちがったことを一言 ったのでびつくりした。松尾は子会社の社長になったわけではなく宣伝課の係長にすぎないから、 こんなまちがいをロポットが言うのに内心動揺していた。冗談に言っていたことが菩薩君の電子頭脳に人力されてしまったのだと思った。



【つづく] 











青春の挑戦 3

2021-04-24 13:35:34 | 芸術
3



理恵子は、ちょっと早口に向きになったような表情でそう言った。彼女に抱かれた猫が大きな目を見開いて、松尾優紀の目を見た。「うむ、不思議な目だ」と彼は思った。
目の奥に一つの宇宙が広がるという詩的なイメージが松尾の心に浮かんだ。
「瞳の奥から、迷い込んできた自然の神秘な光はわが胸を射す」という以前ノートに書き留めた詩句を思い出した。
理恵子の母は上品な微笑を浮かべていた。
「でも、世界をアニミズム的に見る方なんて、今時、珍しいんじゃない。その点では二人は一致しているのよ。」と彼女は娘の理恵子の方を向いてそう言った。
工場長が細い目を大きく見ひらいた。 「そうだな。お母さんの言うようにア二ミズムという点では二人は一致している感じがするね。そのことで思い出したんだが、うちの会社でもロポット開発がさかんになってきているんだが、このロボットのことを考えると君達の考えているアニミズムが 正しいのかもしれないと思う。今のロポットは、まだ自動車工場で使われている程度の簡単なものだが、近い将来は高度なものができるだろう。内の研究所でも研究しているからね。アンドロイドをね。そうするとね、 ロボットに意識が生まれるという風に言っている学者もいるんだがね。かなり先の話だと思うが、話題としては面白い。
機械 が人間と同じような意識を持つのだからね。ある意味で意識というのは別に珍しい現象ではなくて、条件され整えばいくらでも生まれるんだね。とすると松尾君の言う石ころを人間と同じように見る見方というのも納得できる。
人間は他人の意識を見るこ とはできないで、自分の意識の世界しか感ずることができないんだが、それと同じように猫の意識や犬の意識を知ることはできない。だが、猫や犬にも人間に近い意識があると想像できる。ならば、草花や石ころにだって意識に近いものがあると想像するのも面白いね。
意識について一番知っているのは自分だよね。この自分が生きているという感じを 一番大切にしたいと思うんだ。色々のものを見たり 聞いたりしながら希望を持って生きているというこの自分がなによりも意識の証明だね。つまり、それと同じように他人も生きて いる し、猫や犬そして石ころさえも 意識や無意識を持ちながら生きているんだという風に考えれば、さきほど松尾君の言ったアニミズムの考えは充分理解できるし、僕としてもそうした考えに共感できる。さらに話を発展させれば、そうしたすべて のものが生きている生命に満ちたこの世界で死を意味する 核兵器の使用は許せな い という ことだね。
科学は人間の持つ最高の道具である理性が発展させてきたものだが、理性というのも戦争に勝ちたいという自我と結びつくと、とんでもないものをつくる。核兵器をつくり、さらに性能の良い核兵器へと進む。これは人類の死を意味する。だからこそ、会社が生き残り、さらに発展していくためにも平和のための宣伝を世界にむけて率先してやっていく必要があると思っているんだ。
ところがこれには勇気がいる。うちの会社の上層部は保守的で頭のかたい人が多いから、今そういう行動は中々とれない。
しかし、社長は立派な平和主義者だから、僕のこうした考えもいずれ理解してくれ、わが社が世界に向けて平和へのアピールを出す日が来ると思うね。
その時のためにも松尾君にさらに良い作品を作ってもらわなくちゃならんと思っている。いずれ、君を本社の宣伝部に推薦するつもりだ。ところでね、松尾君。
会社の仕事とは別に君に頼みごとがあるんだ。
実はね、道雄の家庭教師をやってほしいんだ。週に一度でいいんだ。
いつ来るかは君の都合の良い日を選んでもらえば良い。
時間は二時間ぐらいだな。
僕はね、この子のことがとても心配でね。
以前にも大学生の家庭教師に何人か来てもらったことがあるのだけれど、どうも僕がそうした大学生が気にいらないんだ。確かに優秀な学生だったんだが、ハートがないんだな。
もちろん彼らだけで今の大学生全部を批評しようとは思わないが、また大学生を頼む気がしないんだ。
誰か、いい人がいないかなあと思っていたのだけれど、君の映像を見してもらった時から君が良いと心に決めていたんだ。教える内容は国語だけで良い。
君の日本語の鋭い感覚をいかしてもらって道雄にいくらかでも豊かな感受性と国語力をつけさせたいんだ。どうだね。僕の頼みを聞いてくれないかね。」
工場長はおだやかな瞳で、松尾を見詰め、返事を待った。
「僕でよろしかったら、喜んでお受けしますよ。
でも、家庭教師なんかしたことないから、僕が教えて道雄君の学力が向上するかどうかはあまり自信がないんですけど」
松尾は工場長がこんなにも自分を好意的に見てくれているのがうれしかった。
「学力が向上するかどうかは道雄の努力にもかかっているのだから、そんなことはあまり気にかける必要はないんだよ。
むしろ、君のものの考え、行動力が気にいっているわけだから、なんらかの影響を道雄に与えてもらえればそれで良いんだ。
ま、気軽に考えてくれたまえ。つまり、道雄と友達になってもらえれば、僕は満足なんだ。姉の理恵子がいるんだが、やはり君に若い男のエネルギツシュな魅力を道雄に見せてほしいんだ。
理恵子も道雄の面倒はよく見てくれているのだが、やはり魅力的な男性を道雄の友達にしてあげたくてね。君が受けてくれるということで、僕は君に感謝するよ」
奥さんもうれしそうな表情をして言った。
「あたしからも、お礼を言わせて下さい。母親として、この子がたくましく生きていく力をつけてほしいと願っているのですけど、やはり、すぐれた指導者が今の時期にはこの子に必要なんですわ。松尾さんなら、この子も喜びましようし、あたし達も大喜びですわ。毎月のお礼も充分さしあげるつもりですから、よろしくお願いしますわ。で、 いつ来ていただけますの ?」
松尾は、結局毎週土曜日の夕方、 道雄の家庭教師として船岡家に通うことを約東したのだっ た。 理恵子が二人の会話が終わるのを待っていたかのように、言った。
「ねえ、松尾さん、 又、議論をふきかけるみたいで悪いんですけど、このことはぜひ、あなたの御意見をうかがいたいんです。あなたは、悪魔の存在を信じていないようだけど人間として生まれ、 人間として活動しているということじたい何か悪魔と手を結んて遊んでいるような所がありませんかしら。私は最近そんな気がしてならないのですけど、こんな感じ方異常かしら?
パウ ロも言っておりますわ 。善をなしたいと思 ってもその欲している善はすることができず、悪ばかりやると言って嘆いているパウロの気持が、 私には わかるような気がしますの。たとえばですよ。あなたの着ていらっしやる洋服は、洋服屋でつくったものでしようし、それは立派な布地を使っているのでしょうけど、もしも、その洋服が悪魔の変身だとしたらどう でしようね。あたし達は、悪魔にたぶらかされているのかもしれませんよ。あたしがあなたを素敵な男性と思ったのも悪魔のたぶらかしかもしれませんしね。悪魔は、色々なものに化けますから用心するにこしたことはありませんわ。見えるものにばかり変身するとはかぎりませんし、本当に悪魔は気紛れだと思いますよ。ですから、空気の中に入り交って私達の胃の中に人り、血液から脳の中にまで人り込む かもしれませんよ。パウロの言うように、 あたしは自分が悪魔に支配されているのかと思って、ぞおっ とすることがありますわ。でも神を信じることはできない。神様を昔の人のように素直に信じれたらどんなに幸福でしよう。この心の中の悪魔を神様は決してお許しにならないでしようし、きっと追い出してくれますわ。でも、こんな奇跡は信仰のない私には無理なこと。どうです、松尾さん。私の話はあまりにも夢物語のようで面白くありませんでしよう」
松尾は、 理恵子の話を聞きながら、彼女の話が現実にあてはまるのか疑いながらも、 そんな風に周囲を見てみる実験をするのも悪くないと考えた。応接室のシャンデリア風の豪華な飾りをつけた螢光燈の 黄色い光から小愛魔のような小さな小人達が飛び出して船岡家の人々 と松尾の頭上で小悪魔の村の祭りで楽しい舞踏を始めているという風に。松尾は、 そんな風に周囲を見た自分を不思議な生き物のように感じていた。
「いえ、大変おもしろいです。妖精について考えたことはありますが、悪魔について深刻に考えたことはありませんので、大変勉強になります」

「それはあなたがロマンチストだからですわ」

「 ファウストだって、「罪と罰」のラスコニーコフだって常に悪魔と結託しているではありませんか。人間って誰にもそんな所があるんですよ。松尾さんだってそういうことにそろそろ気づいてもらわなくちゃ。良い作品は生まれないんじゃありませんかしら」
松尾は、彼女の話が自分に善と悪の問題について考える切っ掛けをつくってくれたように思った。工場長の家でタ食まで御馳走になり、 色々と歓談したあと帰りの道で、深刻に彼の思考に肉薄してきたのは、この善と悪の問題であった。



彼は広島の原爆の恐怖を映像にしてビデオ作品を製作し、 それを人々に公開することにより平和を訴えようと行動を始めていた。これは善としての行動であると思われた。だが、 はたして彼は善人であろうかと彼は自分を疑ってみたのだ。善人としての行動の裏に功名心がないであろうかと考えてみた。絶対にないとはいえない自分がなさけなかった。しかし一方で、なぜ自分は善をなしたいと思うのだろうか。
そして又、今まで 自分はどれほど善をなしたであろうかと思ってみた。もしも善を他人とのかかわりあいの中で他人への思いやりのある行動、他人への救いの手を伸ばして あげることという風に定義するならば、過去における松尾優紀の行動は、あまりにも本物の善が少なかったのではあるまいか。
しかし人はなぜ悪を反省し、善を求める必要があるのであろうか。昔ならば善をすれば天国か極楽に行け、悪をなせば地獄に行くという風に考えれば良かった。しかし、現代人でそんな風に考えることのできる人は少ないだろう。だとするならば天国も地獄もないと思い この地上と科学的理性だけを信じる現代人が善を求める理由は何か? 個人の立場から言えば、悪をなしたっていいじゃないか、それは個人の勝手という風に考える人達が生まれるのもある種の必然であるかもしれない。 松尾は徹底的に悪人としての生活を貫きとおす人物の姿を思い浮かべ てみた。だが、彼自身は反対の方向を考えていた。つ まり善をなしたいという欲望が彼の心の中に高まっていくのであった。これは不思議な感情だった。弱い人を助けたい、悪い奴をこらしめたい、これは欲望というよりは地下水からこんこんと湧き出る泉のような愛と慈悲の感情だった。彼は帰りの道々、人類愛に似た感情が彼の心を圧倒し、目から涙があふれ てくるのをどうすることもできなかった。その理由は彼にもわからなかった。
工場長の家には、土曜日ごとに行った。家庭教師のあとの夕食の雑談を繰り返していくうちに、会社の上層部でかなりの内紛があるということを松尾は知るようになった。 工場長が、 どうもその主役であるらしかった。 工場長は、重役にはなっていなかったが、 才気があり会社への貢献度で重役を圧倒しており、 社長の信任が厚かった。 工場長の会社への経営についての提言を社長がどんどん取り入れていくので、大株を持っている重役を中心に工場長への不満と圧力が強まっていたらしかった。工場長が重役になれないのは、重役の中に船岡を敵視する者がいたということかもしれない。
<<会社の株は、 森下家と藤沢家の二家が半分近く所有しており、 この二家が経営陣の採用には大きな力を持っていた。しかし、 この二家は昔は一緒に事業をやった仲であるにもかかわらず、 最近ではひどく仲が悪くなっていた。現社長は森下家の信任が厚く、重役陣の中には藤沢家の子息が入りこんでいた。 この程度のことが松尾の耳に人ったわけだが、 この二つの勢力が会社の経営についてどんな風な相違があるのかよくわからなかった。
ただ、 わかったのは、 工場長が松尾の平和運動に大きな関心を持っていることであり、 この平和運動も会社の営利事業の中に組み込んで いこうという考えがあるらしかった。もともと大株主の森下家は、理想家肌の人が多いのに対し、藤沢家は実務家肌の人が多いとも聞いていた。社長や工場長にとって他の重役はこわくなかったが、 藤沢常務か面倒な相手であった。藤沢常務はロポットとAI導入による合理化によって、 労働者首切りを主張していて、労働者の生活よりも会社の利益と内部留保を優先するような人物だった。 であるから、組合側も社長に対しては好意的であり、藤沢常務に対しては警戒色を 強めるという感じであった。熊野は、松尾の親しくしている先輩でもあり組合活動家として強力な指導力を持っている若者であるだけに、藤沢常務に対する悪感情は露骨に松尾の耳に披露されたものだった。

秋も近くなったある日のことだった。工場の近くに、森林公園があった。久しぶりに、熊野と松尾は二人で昼食後に、噴水があるその公園に散歩に出た。沢山の小鳥のさえずりや青空の白い雲やそよ風が心地良かった。相変わらず、セミの声は樹木の間から、聞こえてきたが、ツクツクボウシの声はどこか弱弱しく秋を告げているように思われた。


二人はベンチに座ると、熊野は図太い声で、会社の話をした。
「ねえ、松尾君。藤沢常務みたいにロポットを導入して労働者を首切り 、利潤ばかり追求していく会社が日本にどんどんふえていくとしたら大変なことになるよ。企業は、もっと社会的責任ということを考えるべきだよ。 藤沢常務は大株主だから、会社を私物のように考えているようだがとんでもない話だ。あの優秀なロボットの入った最新鋭の工場はみんなのものだ よ。 ロポットを導人することは僕も結構なことだと思っている。人間が危険なことやひどい重労働をする必要がなくなるからね。 これからの企業は、もっとアイデアを出して工場で働く人々の創意工夫による色々な生産活動があって良いと思うんだ。特に我が社は、ロボットや電気製品を多く売っている会社で消費者と密接に結びついている。アイデアさえあれば、我々の日常使っている電気製品は驚くほど豊かになり、生活は芸術的にすらなると思うよ。例えば、ロボット、これは工場だけのものでなく、やがて家庭で使うペットのようなロボットが出てきても良いと思う。松尾君が工場長の家でやっている家庭教師のような仕事のできるロボットもあって良いと思う。もちろん、これはすぐにできることではないが、ロボットは我々の生活を豊かにするために、使うべきだし、だからロボットはすべての労働者の共有物なんだ。それを藤沢常務は何を勘違いしたのか、私物のように考えている。全く馬鹿な常務だよ。その点、うちの社長の方がずうっと話が分かる。内の組合は今の段階では、社長をある程度支援して藤沢を追っ払う力に加担するのが得策だろうね。もちろん我々の組合が社長や大株主と利害が完全に一致するということはありえないから、その点ではいつも経営に対しては警戒の手をゆるめてはならないし、戦いは進めていくべきなんだが、最終的には労働者の代表を経営陣の中にいれなければだめだろうね。そうすれば、君の核兵器反対の映像詩は会社のイメージアップにもつながるということが大声で主張できると思うよ」
それから、熊野は一息ついた。
その間に、松尾優紀はそばの花壇に咲いているホトトギスを見た。白に赤紫のまだらが彼の興味をひいたのだ。
その後すぐに、熊野はちょっと強い調子で言ったので、優紀ははっとした、
「そうすれば、多くの国が核兵器禁止条約を批准し、発効しはじめたというのに、被爆国の日本が批准しないという愚かなことを辞め、批准する方向に前進できる筈だ。」
ふと、森の方の小鳥のさえずりの中に、ホトトギスの声が聞こえたような気が優紀にはしたのだった。

【つづく】









青春の挑戦 2 【小説】

2021-04-17 13:10:43 | 芸術

2

松尾がそこまで言った時、工場長はち ょっと厳しい表情になって話始めた。
「松尾君と いったな。 確かに君の言うとおりだ。 核戦争を避けることは、人類史的な大問題だ。だがね、 わが社は営利会社なんだ。政治のことに口だしする立場にはないんだよ。会社の利益につながらないことで、会社は行動することはできな い仕組みになっているのだ。君が ビデオで平和を訴えることにより、何か良いイメー ジが会社につながるのなら良いんだがねえ。これは、中々むずかしい問題だなあ。
確かに、わが社と平和が結びつくことは会社の宣伝効果としては良いだろう。しかし、世の中は複雑で色々な考えの人がこの平和については、色々な角度から意見を言っているんだ。 わが社が積極的に平和をとりあげることにより、それかプラス になるかマイナスになるかは簡単には即断できない。君はただ、わが社の応接室を借りたいだけだ と思 っているかもしれないけど、工場長としては、そんな単純にことを進めるわけにはいかないのさ。会社の部屋を 貸し、従業員に見せるとすると、 そのことが会社にとってプラスになるのかマイナスになるのか、 大きな視野から考察する必要があるのさ。今の私も即答できない。ただ君の熱意には脱帽するよ。 ところで君に聞きたいのだけれど、最近、わか社で会社の営利活動の足を ひっばるような組合運動が一部におきていると いう風 に聞いているのだが、君はそういう人達と、 つきあっているのかね?」

松尾優紀は工場長の誠実な話の仕方に感動していた。
「名前を具体的に言っていただかないと返事のしようがないのですけど。でも、工場長はおそらく熊野さんのことを言っておられるのでしよ うから、そのことについて僕も言っておきたいことが あります。熊野さんとは親しくしておりますが、僕は彼を大変尊敬しております。ですから、彼が会社の営利活動を妨害しているなどという悪口を耳にはさみますと、僕は腹が立つのです。彼は、会社で働く人のためになると思っていつも行動しているはずです。彼は、自分のことよりもまずみんなのことを考えます。困った人がいると助けようとします。現代社会では、自分のことしか考えない人間 かふえているのに彼は、そういう意味でまれな人間です。」
「そうか、わかった。君の気持はよくわかった。しかし、君は実におもしろい人間だね。核戦争なんていう問題を会社の仕事を扱うように持ってくるんだから。僕は、最初君の話を聞いた時、少々めんくらったね。 でも君の勇気には感心した。熊野君のことも考えてみよう。まあ、じや、僕も忙しい身だから今日はこの辺で。返事は課長を通じて君に伝えるから、 いいね、」

その翌日、松尾優紀は課長からビデオ試写の許可を 言い渡された。彼は、この黒木という名前の課長をすいていなかっ た。黒木は皮肉な笑いを浮かべ松尾に言 った。
「君は、随分常識はずれのことをやる男だね。工場長に直接かけあうなんて。そういった問題は、まず私に言うのが筋じゃないのかね。それに内容も内容だ。原爆と平和のテーマのビデオだって。私には工場長が何で許可したのかわからんよ。会社とは、まるで関係ないことじゃないか。そんなことは、君が私的な立場でやればいいことだ。まあ、ともかく工場長が許可したのだから勝手にやりたまえ」
松尾は、黒木課長に注意めいたことを言われても、 そんなに腹も立たず、許可を受けたことを素直に喜んだのだった。
その当日、多くの従業員が見ただけでなく、工場長まで来て、試写か終わったあと、わざわざ松尾の所へ来て感想を述べていったのだった。感想は、ほめ言葉と技術的なことについてのアドバイスであった。そして、工場より本社の宣伝部の方がむいて いるのではないかというよう な ことも言われた。その頃、2003年。ネットが盛んになり、熊野はアメリカでユーチューブのような動画配信サービスが近い内に起きる可能性は高いし、それが日本に入ってきたら、個人が作る映像詩の発表の場が生まれると指摘した。そうなれば、気象温暖化の問題や核兵器廃棄の提案のような映像詩も掲載できる日がくるから、そうなればそうした映像が世界に飛び立つこともできるかもしれないとも言った。


その日は日曜日だった。熱中症など、いのちにかかわる暑さが警告される酷暑の到来が予告されていた日だった。
松尾が朝食をとるために近くの喫茶店に行こうと思って下宿で着替えをしている時、工場長から電話が入った。内容は工場長の自宅に遊びに来ないかというものだった。工場長から、直接、自宅に電話がかかるなどどいうことは前代未聞のことだったので、松尾はびっくりした。
松尾は電話をおいてから工場長の真意をはかりかねていた。遊びに来ないかという単なる誘い以外のことは何も言われなかったので、松尾はそれを単なる好意と受け取るほかなかった。彼は工場長室で、話をした光景を思い浮かべ、よほど馬があう仲なのかもしれないという風に考えるのだった。松尾は近くの喫茶店で、朝食をすましてから、出かけることにした。

陽ざしが強く、彼は豪雨を思い出し、再び、地球温暖化という言葉を思い出さざるを得なかった。

工場長の家 は、松尾のいる尾野絵市から電車ですぐの所にあった。町の郊外から少し入った閑静な住宅地にあった。庭が広くスぺイン風の二階だての家でちょっと目立った存在だった。白ぬりの壁と工夫をこらした窓は、 芸術的ですらあった。庭には、バラが咲きみたれていた。松尾が玄関のベル を押すと大学生風の娘が出てきた。あとで聞くと短大一年生ということであった。美人ではないが非常に魅力的な女性であると松尾は思った。
小柄で色の白い細面の顔に宝石のようなやさ しい瞳が輝いていた。松尾は頭の中で島村アリサと比較した。理知的な瞳の輝く丸顔のアリサが明朗で活動的な魅力を持っていたとすれば、船岡理恵子という工場長の娘は静寂な雰囲気を持っていた。アリサは誰の目にも美人と映るタイプであったが、 理恵子は美人型の顔立ちというわけではなく清楚な美しさが顔から服装まで漂ってい て人をひきつけるのだった。そしてアリサは短かい髪を好んだが、 この日、松尾の見た理恵子は腰にまで届きそうな長い髪をしていた。

松尾は、理恵子に案内され応接室のソファーにすわっ た。しばらくして工場長と奥さんが出てきて挨拶した。 そして理恵子がコーヒーとケーキを持ってきた時、彼女の後ろにほっそりした小柄な中学生ぐらいに見える男の子がついてきた。 工場長の家族 は、 この四人で あることは工場長自身が松尾に家族のこと を色々と詳しく紹介してくれたことでわかった。利口そうな目をした末の中学二年生の男の子は、 町の郊外の里山から植物や昆虫を集めるのが趣味で、学校は好きでないようだった。奥さんは、娘と同じようにほっそりし ていておちついた気品のある瞳 と威厳のある唇を持っていたが、やはり四十を少々過ぎた年を感じさせる顔の皮膚には、 しわが時々目につくのだった 。

「いや、本当によく来てくれた。実を言うとね、僕は君のビデオに感動して しまったのだよ。よく、あのような立派な作品をつくってくれたと思ってね。原爆と平和の問題、 これこそ現代人にとって最も緊急に 解決しなけれはならぬことだよ。そのテーマに君が映像という表現形式を使って取り 組んでくれた。すばらしいことだ。僕はね、 松尾君。終戦の時広島にいたんだよ。僕は、その時、五才でね。ちょっ と事情があって広島の親戚の家にあずけられていて東京から離れていたんだ。親戚の家は、広島の郊外にあったので原爆による直接の被害は受けなかったけと、 死の灰は少々か ぶったと思うね。 そんな ことより、原爆が 落ちてから三ケ月ほどたって叔父に連れられて広島の町を歩いた時の衝撃は生涯忘れることはできぬ。君か原爆資料館で見たものを、僕は広島の町の中に見たんだ。こうした恐ろしい事実を世の人に伝えたいという気持はあっても、僕のように大会社で忙しい身になってしまうと、中々 思うように動きがとれない。本当に君のような青年を見ると実にたのもしく思うし、それに君の作品は、見る人に訴える力もある。才能もあると思う。がんばってくれたまえ。ところでテープを持ってきてくれたかね。家内や子供達も見たがってね」
松尾は持 ってきた黒い鞄の中からビデオテープを取り出した。奥さんが、微笑を浮かべながら言った。
「それは、 しばらく貸していただけますの?」
松尾が肯定の返事をすると奥さんは、再び言った。
「それなら、あとでゆっくり見せていただきますわ。 主人はもう見たのでしようから。 あたしと子供達、それに場合によっては近所の人達も呼んで見るかもしれませんわ。映像の魅力があるというのですから、 単に反戦というだけでなく、私達の胸に感動すら与えてくれるか もしれませんわ。私達が、のんきに毎日をくらしている間に戦争の準備がどんどん進んでいってしまわぬためにも、私達の反戦の決意を高揚させていく必要がありま すものね。そのためにも、そうした映像は一見の価値があると思いますわ」
松尾は、工場長から思いの外の称賛の言葉を聞いたり、 奥さんの高い期待にふれたりして、ちょっと困惑していた。将来的には反戦の芸術作品をつくることが目標ではあるが、今回の作品の出来についても彼自身は決して満足しているわけではなかったからだ。反戦の色合いは相当出てはいるが映像の魅力ということになると、まだ改善すべき余地がたくさん残されていると彼は考えていた。それでも急いで公表に踏み切ったのは 、未完成であってもともかく核兵器廃止運動は緊急を要すると考えているからに他な らなかっ た。
それに昼間の職務をやったあとの編集なので完成品をめざしているとまた 相当の日数を必要と すると思われたからだ。
「やあ、奥さん、そんなに期待をかけられるとがっかり致しますよ。私のせい一杯つくった作品ではありますが、まだ色々と不満足な点か 目立つんですよ。でも核兵器の恐ろしさと反戦の気持は充分でていると思いますが。映像の魅力ということになると自信はありませ んね。 でも映像が、 こうした問題に深人りする必要があると思っているんです。 月や花がどんなに美しくたって、そのすばらしい神秘性を感じる 人間が減びてしまうことを考えたら、 やりきれませんからね。
この宇宙にある 、あり とあらゆる美しさを芸術作品を通して表現していくことも大切です が、 一方で 、そうした美しさを無意味にしてしまうような悪魔の力を警戒しなけれはなりません。この悪魔を映像の中に登場させ悪魔の力を弱めるためにはどうしたら良いか、考えてもらう材料を提供するのも映像の重要な役割だと思いますね」

松尾がそこまで言うと今まで黙っていた理恵子は、母親に似た微笑を浮かべて、 な めらか な明るい声で言うのだった。「松尾さんのおっしやること、ごもっともですわ。芸術至上主義では、現代人を満足させること はできませんわ。でも、満足しないくせに芸術も政治も捨ててクリスタルに生ぎるなんてい う のか流行して いるのですから、とても残念ですわ。ク リスタルって水晶のことでしよう。天使も悪魔も知ろうとせずに 人生の一番透明な所だけ通過して、事足れりとする流行は我慢がなりませんわ。あたしは松尾さんのおっしゃる通り悪魔が人間を支配しようと、やっきに なって いると思いますの。そんな 時、クリスタルに生きるなんて許せませんわ。松尾さんは悪魔を信じますの?」
「そういうものが現実にいるとは思いませんね。しかし、人間の心の中に悪魔と いって形容して 良いほどの野獣 性や逆に天使のような美しい心が同居していますからね。そうした一人一人の野獣性が社会という集団になった時、悪魔が現実にいて人類を支配して いるかのように見えることはあ りますね」
「それはちがいますね。悪魔はいるんですわ。歴史は進歩しているはずなのに、ありとあらゆる災難が人類を待ちかまえているのを考えてみて下さい。膨大な核兵器はそのシンボルですわ。
気象温暖化もそうですし、今は2003年ですけど、おそらく二十年以内に大地震や何かとてつもない怖い病気がはやるということもありえますわ」
松尾は理恵子の言葉が強い調子で断定的に言うように変化したのでびっくりした。理恵子の母親が横から口を出した。
「すみませんね。松尾さん。この子 は、ちょっと激しやすい性格で してね。会話の最中によ く興奮してこんな強い調子になるんですよ。」
工場長は笑った。
「理恵子はね。 真剣に徹底的にものを考えるんですよ。親の口から 言うの もなん だか私がび っくりするほと本も読んでいますね。 でも思想的にはノンポリで、ちょっとキリスト教に興味を持っているということかな。最近は 、悪魔にこってい る よ うだね。、妖精だの天使だのって、ちょっと 中世か古代の人 のよ うなことを言 うんで 私も戸惑いますよ」


工場長は、 うれしそうに徴笑 していた。


「松尾さん、私の会話の調子が母の言うよ うにまずいものでしたら、ごめ んなさいね。私の性格の欠点は、自分でもわかっているのですけど感情の起伏が激し い ことね。外見は、おと なしそうに見えて言うこ とはきつ い って時 々言われますのよ。これは努力してなおすように しますわ 。それはそれとして今の私は、神様や悪魔や天使や妖精を信じていますの」
「僕は、この世界にいのち以外のもの はないと思っている んです。ただ理恵子さん の おっしや る よ うにいのちが悪魔や天使の形となって僕達を動かすということはあるかもしれませんね」
「それ、 どういう意味かしら?私にはあなたのおっしやる意味が理解できないわ。 もう少し詳しく説明してくたさいませんか。」
理恵子は用心しながら言葉を連んでいるようで、 ゆっ くりした調子であったし口もとには徴笑をたたえていた。 工場長が松尾の方をむいて言った。
「厳しい質問だが、僕も聞きたいね。僕は物質が世界を支配しているのだと思うよ。 その物質の法則をあきらかにする科学こそ現代において最も信頼すべきものだと 思うがね。 でも宗教を否定する気持はないんだ。 ただ科学と宗教とが心の中でつながらないんだね。 君のさきほどの発言だと悪魔や天使が科学の対象になるように聞こえるんだが、 そこの所を説明してほしいね」
「僕は、 花も石も人間もいのちの現われだと思うんです。つまり、僕は石ころを人間のように見る見方が好きなんてす。石ころは生きているんです。 こうした感じは、僕の子供の頃からありました。 そりや、 石ころを生きているなんて言ったら生物学者にしかられるかもしれません。君は生きているという言葉の意味を厳密につかんでいないねとかいう風にね。
僕も工場長と同しように科学を信じます。 ですから生きているということで人間と石ころを同列にならべれば、 非科学的だと言われる くらい承知しております。そういうことを知っていながら、 あえて石ころは生きて いるという風に言いたいんです。 な ぜなら、そんな風に子供の時代から僕は感じていたんです。 人間だけが生きて いるんではないんだ。山も川も花も昆虫も生きているんだというのは、僕の実感なんで すね。 ですから、 森の 中に妖精がいるなんていう考えは、 僕は好きなんですね。山の中にはいって、風と樹林がすれあう時、 ざわざわ音をたて ますね。 あの音はまるで妖精が合唱しているみたいですよ。 風と樹林の会話は音という生き物となって森の中を動きまわるんです。これを妖精と呼んだってい いじゃありませんか。さきほどの悪魔だって同じことです。 人間の心の中にある汚いものを 、 心理学という科学の力を借りて欲望 だのエゴだのと分析しなくたって、 これを悪魔と言ったっていいじゃないか と思うんです かね」
理恵子は笑った。その笑いは本当におもし ろくてしようがないという風に陽気に部屋の空気を震動させるのだった。

「あなたは、結局、アニミズムの信奉者なのよ。そして、あたしは観念論者というと ころかもね。 パパと ママはその中間ね。
道夫君はどうかしらね。神様を信じているという所かしら。」
船岡道雄はさきほどから松尾達の会話をおとなしく黙って聞いていた、ひどく行儀がよく無言でみんなの会話を聞いている様子は幼児のようにあどけなかった。
身体も中学二年生の平均的体格から見るとひどく見劣りがして、片足がよくきかないらしく歩く時はどうしても身体が傾くのだった。

それで、クラスでいじめられることあるらしく、それも母親の悩みの種だが、本人の心は意外に強く、植物や昆虫を集めて標本にしていると、全てを忘れるようだった。
その道雄が理恵子の呼びかけにびっくりしたような顔をして、実に美しい声で言ったのだった。
「僕、神様、信じているよ。松尾さんのお話なんだか、よく分からない。でも、神様がいらしゃることは、間違いないことだと思います」
工場長が笑って道雄の肩を軽くたたいた。
「道雄はどこから、そんな確信を得たのかね。私は無信仰だし、お母さんはどちらかというと、仏教の方だから、やっぱり姉さんの影響かね」
奥さんが口をはさんだ。
「理恵子はキリスト教を信じてないくせに弟には神様やキリストのことを教えて時々、聖書まで読んで解説したりするんですよ」
工場長は笑った。
「ミッションスクールだから聖書の勉強もしなくちゃならんだろうからね」
「そうよ。でも聖書を読んで礼拝に行ってもキリスト教の神様は、よく分からないわ。すなおに信じられる人は幸福よ。どちらかというと、私の家は仏教的色彩が強いのよ。
そうした雰囲気の中で育ちながら、短大に入ってから急にキリスト教にふれても、よく分からないのが正直な所よ。
同じ神様でも古代ギリシャや古代日本の神話に出てくる神様なら、なんとなく親しみやすく、わかるしそんな風な素朴な神様なら、むしろ素直に信じちゃうんだけど。
というよりは信じているのよ。
悪魔や天使や妖精と一緒にそうしたアニミズムの世界に生きる神様なんて面白いわ。
でも、あたしが一番関心あるのは悪魔なの。
あたしの心にも悪魔はやってくるし、人間の歴史を動かそうとたくらんでいるのも悪魔であるような気がするの。核兵器をつくるように、背後から人間をあやつったのも悪魔だと思いますわ。もしかしたら気象温暖化もね。
今は核兵器が強国にあるのが当たり前になっていますよね。悪魔の悪知恵はたいしたものですよ。多くの人はその状態にまひして、何も言わなくなっている。核兵器反対なんて普通の市民が言うと、単細胞の連中が騒ぐのも、背後に何がいるか想像つくじゃありませんか」
理恵子の母が手を口にあてて笑った。
「理恵ちゃんの考えと、さきほど松尾さんのおっしゃた考えとまるで、そっくりじゃありませんの。きっと気が合うかもしれませんわよ」
「あら、どこが似ているのかしら。アニミズム世界観ね。でも、あたしと松尾さんは同じ妖精を見る場合でも随分違うわ。松尾さんは妖精はいのちだっていうし、あたしは悪魔とはまるで違う心の綺麗な世界の住人だと、答えるし」
そこに妖精とでも形容して良い丸い顔をした黄色い美しい顔の猫が来て、理恵子のそばに座った。
彼女は猫を抱っこして座り、「この子はあたしの妖精よ。でも、石のことまで、考えたことはないわ。三毛っていうの。可愛らしくまるで私の気持ちが分かるように、私の心を慰めてくれるし、とても綺麗な猫でしょ。これこそ、あたしの妖精のシンボルだわ」



(久里山不識より)
1 胃の調子は 一時随分悪く心配しましたけれど、歩くことに熱中して少し改善されてきましたが、油断するとまたあの不快で重苦しい状態が復活すると思うと、憂鬱です。
敵は 運動不足と一合以上の酒、それからストレスや不眠です。

2 それから、ブログの内容は 小説です。ですから、登場人物になりきって、その登場人物
なら、どんな風に考えるか、どんな風に言うか想像して書きます。シェクスピアとハムレットが別人物であるように、私と私の小説の登場人物とは別人物です。
書く方の私の気持は子孫のためにも、今の内に気象温暖化の解決や核兵器の廃棄をめざしたいという思いから、書いています。そんなことは不可能だなんて言われそうですけど、一人一人のそういう思いが世界中に、特に若者に広がれば、前へ進めるという希望を持っています。
現代社会は複雑です。はっきりしていることは格差社会であるということです。
これは是正して、市民が余裕のある生活を営めるように、することが大切なのではないでしょうか。余裕がないと、大切な本も読めません。考える時間も持てません。それでは、政治を見る力も衰えてしまいます。今の日本は全体として見た時、この余裕に欠けていると思います。だから、くだらない噂を広める人が出て、簡単にその噂を信じてしまう人が多くなるのです。
競争が激しいからでしょう。これを直すには、福祉を充実させることだと思います。
労働時間をできるだけ、縮小させ、生活できる給料が支給されることだと思います
私は今、少し改善されたとはいえ、全体として体調が悪く、無理は出来ませんが、時間はあります。その時 思うのはやはり核兵器の恐怖です。コロナは多くの医療従事者の献身的な努力によって、いずれ時間が解決の方向に向かうと思いますが、核兵器は昨年の夏でしたか、国連の事務次長が危険な状態に進んでいると警告しているように、危ないと思ったときにはもう遅いのです。今から軍縮に取り組むしかないと思います。それは気象温暖化にも言えると思います。


銀河アンドロメダの猫の夢想 31 【満月】

2018-12-29 09:34:34 | 芸術

 移動するには石炭で動く蒸気自動車か馬車しかない。路面電車をつくれという意見もあるが、今のところ、電気の技術の開発のめどがやっとたった段階で、実現は無理のようだ。伯爵は四頭立ての馬車と、エンジンに石炭という蒸気自動車の両方を持っているようだったが、この日は我々の希望もあって、馬車で行った。

 

町は広い自動車道路に大量の排気ガスを吐き出す大型の奇妙な蒸気自動車があふれ、空気は淀んでいるようだった。馬車は大通りをしばらくゆっくり行き、途中で横の広い通りに入り、そこから川のそばの通りを走った。そこは車は通行禁止になっているようだったので、馬車は少し速めに走った。川は汚れていて、いくつもの廃棄物が浮かんで見苦しかった。

 

吾輩は葛飾北斎や歌川広重の絵が好きだったから、もう少し町の美観を考えた街づくりができないものかと思ってしまうのだった。

 

吾輩の好きな絵がまぶたに浮かんだ。満天に星という美しい夜に、大きな緑の松の枝が青色の川面に下がっている。あたりは、素晴らしい江戸の静けさが漂っている。木造の橋の上の方に、満月がある。月の下は隅田川の美しい青色が広がり、橋の上には提灯を持つ色々な人たちが行きかい、沖合には漁り火が点々と並んでいる。

しかし今は銀色の弓形のレインボーブリッジと高いビルの見える綺麗な川に変身している。

 どちらに比べても、馬車で走るこの惑星の道は薄汚い煉獄の街角のようにも思えてくる。

 

 伯爵の話によると、建物はみな会社などで、外から入ることは出来るが、実際の店舗や企業そのものは地下に多く存在しているようなものだという。

確かに、この町は地下の街なのだ。外は移動に使うだけというのも、強い紫外線と暑さの二つで、地上は使えないわけではないが、長い歴史の過程で、地震が少ないこともあって、地下は安全というイメージが定着したといういきさつもあるようだ。

 

監獄は町のはずれにあった。比較的刑の軽い者が入っている所ということだった。伯爵はいつもの正装で出かけた。吟遊詩人と吾輩と若者モリミズがあとに従った。

銀河鉄道の乗客の観光の一環という触れ込みだった。伯爵は案内役。一番軽い監獄なら、それもそんなに不自然ではないと伯爵は言った。以前にもこの監獄は観光客が見に来ている。

 

馬車から外に出ると、熱い風が我輩の頬をなでた。何かキーという鳥の声が聞こえ、どんよりした雲の下をインコのように赤い小さな鳥が飛んで行った。外は、厳しい日射からくる暑さ。何かもやっとした黄色みを帯びた悪臭を放つ空気の流れがあちこちに漂っていた。

 

 トパーズ色の:堅固な監獄の入口を入ると、日射がなくなり、ほっとした。汗が噴き出してきたので、ハンカチを出して、手でぬぐった。

例のサルの彫刻があった。茶色の肌をしたサルは威厳のある顔つきをして、大きな石の門の上に座っていた。

サルはハルリラに微笑した。少なくとも吾輩にはそう思われた。

「ようこそ」という声が聞こえる。  

空耳のような静かな口調だった。だが彫刻にそんなまねができるはずはないと吾輩は思ったが、ハルリラはうれしそうに豪快に笑った。

 

受付の所に、兵隊が三人いた。上官らしい口ひげをはやした鹿族の青年兵士が薄手のカーキ色の制服を着て、立っている。

「身分証明書を」

「わしを知らんのか」

「知っております。ウエスナ伯爵閣下です。身分証の提示は規則ですので」

「分かった」と伯爵は言って、胸のポケットから証明書を出した。

「どんなご用件で」

「猫族の娘が逮捕されているとか。」

「はい、確かに」

「アンドロメダ銀河鉄道の乗客だろう。どんな犯罪を犯したのか」

「ああ、そうなんですか。私はそういうことは聞いておりません。鹿族の男と喋っていたとかいう容疑なんです。」

「その鹿族に何か問題があったのか。君も鹿族だろ」

「はあ、そうなんですが。彼はパンを大量に万引きしたというのですよ。何か仲間がいるらしく、そいつらにも持っていこうとしたふしがあるので、その鹿族の男も逮捕しました」

「彼女は」 

「取材とか言っていますけど、まだはっきりしていません」

「そうか。彼女に会わせてもらえんかな。こちらの方は、アンドロメダ銀河鉄道での友人なのだ」と伯爵は我々を紹介した。

吟遊詩人と吾輩は銀河鉄道の印となるカードを見せた。

「閣下のお頼みとあれば、」

我々はそういうわけで、地下に入って行った。堅固なドアを兵士はガラガラと音をたてる大きな錠を使い、開けると、薄暗い廊下がずっと続き、その廊下ぞいに独房があるらしかった。廊下の中も日差しがないだけ助かるが、熱いことに変わりなかった。

その廊下を過ぎ、さらに急な階段を降りると、次の廊下と独房が続いた。独房のドアには、青いプレートがあり、番号が書いてあった。

「猫族は地下三階になっています」

そこの廊下の入口に来ると、猫の写真が飾ってあった。

 

 吾輩は猫族のヒトでなく、猫そのものの写真になんとも言えない郷愁を感じた。

317号です」と兵士ははっきりした口調で言った。

「この独房は地下何階まであるのかね」と伯爵が聞いた。

「地下五階です。ただ、地下五階は兵隊の寝室にもなっています。我々も交代すると、そこで休めます」

なるほど、この国では、地下深い所の方が高級だということだ。地下の方が冷房がなくても自然の涼しさがあるということなのだろう。

 

「君等は自分の部屋を持っているわけか。酒は好きかね」

「好きですが」

「買うのはどこで買うのか」

「地下のドアから抜けると、地下街に出ますので、そこから五分ほどに酒屋があります」

「そうか。彼女のドアを開けたら、この金で飲んでくれ」

「え、でも、それをやると、勤務違反になります」

「他の兵隊分の酒代も渡しておく」

「はあ、でも」

「彼女の容疑は鹿族の男と喋っていたということだろう」

「はい、そうです」

「取材なのだよ。そんなことで、銀河鉄道の乗客を逮捕すると、宇宙鉄道法にひっかかって、あとが面倒なことになる。

よく、相手を確かめて、法律に基づいて逮捕することだ。裁判所の令状も必要なのだぞ。ただ、怪しいというような主観で逮捕してはいかん。それが法の精神というものだ。

この国もカントの平和憲法にある基本的人権を根付かせる必要がある。そうは思わんか」

「カントの平和憲法。基本的人権。初めて聞くので、勉強しなければならないと思います」

「そうだ。素晴らしい憲法でね。カント九条のことも宇宙インターネットを使って勉強したまえ。宇宙で、あれほど平和の尊重を具体的に定めているのはまれだと思う。カント九条は地球にある日本国憲法九条をそのままそっくり取り入れたものだ。両方とも宇宙の宝となる素晴らしい条文だよ。基本的人権については、今度、警察署の署長会議がある時に、わしから言っておく」

「分かりました」

 

 兵士は鍵でドアを開け、伯爵から金をもらい、敬礼をして、地下の下の方に行ってしまった。

虎族の若者モリミズが最初に独房の中に入った。「ああ、良かったね」と言った。独房の中はベッドがあり、彼女は毛布の上に黄色っぽい囚人服を着たまま横たわっていたが、モリミズを見ると、飛び起きた。

「あら、あなただったの。あたしは取材していたのよ」

「監獄で」

「そうよ。この惑星の監獄がどんな風か取材していたのよ。不可解なことをやっているのよ。近くで死刑囚の執行がされると、鐘がなり、それが連絡の合図でオオカミ族の看守が来て、ドアの細い窓からピストルの弾を一発打ち込むのよ。脅しよね。脅しでも、弾にあたって死んだり、怪我することがあるのだから、悪質よね。でも、この間、不思議なことがあったのよ。鐘がなったあと、ドアの前にすらりとした美しい女の人が立っていて、看守を平手打ちにしたのよ。それから、ドアの窓から、私の方を見たの。緑の目をした神秘に輝く色よ。あたし、あんな素敵な目を見たことがない。看守は慌てて、ピストルをうったけれど、方角違いで弾は天井の方に行ってしまったわ。」とナナリアが言った。

「魔界の知路だ」とハルリラが言った。

「面白い人ですね」と我輩は言った。

「面白いものか。魔界の女だぞ」

「どうして魔界と断定するのですか」

「思い出してご覧。最初に彼女を目撃したのは、邪の道だった。それに、彼女の豊かな金色の髪の毛の下に隠れてよく見えないが、二つの小さな銀色の角がある。」

「何か深いわけがあるのだよ」と吟遊詩人は言った。

詩人は優しい微笑をしていた。ウエスナ伯爵が厳粛な顔をして、ナナリアの前に出て言った。

「看守のピストルのことは、知らなかった。けしからん話だ。それはともかく、君が無事でよかった。皆、心配していたのだ」

「あら、すみません。ご心配かけまして。ありがとうございます」

 こうして、我々は馬車で、伯爵邸に戻った。

それから、夕食どき、ウエスナ伯爵が珍しく、顔を出した。

「皆さんは、隣のカナリア国に避難するお気持ちはありませんか。ここしばらく、動乱の嵐の時が来る。既に、巌窟王とお嬢さんはカナリア国に行っている。あなた方もいかがですか」

吟遊詩人は同意した。

伯爵はさらに言った。「ともかく、この国の民衆は貧しい。我々が立ち上がらなければ、いつまでもこの国の貧しさは続く」

吾輩は伯爵のその言葉を聞いて、良寛の和歌をふと思い出した。

「夜は寒し麻の衣はいと狭し

    うき世の民になにを貸さまし」

ひどく寒い思いをしている良寛はその中で貧しい民衆を救えない自分を嘆いているのだろうか。吾輩はこのひどく暑い国で、そんなことを考えた。

我々は巌窟王の後を追うようにして、カナリア国に一旦、避難することになった。カナリア国へは海を渡らねば行けない。カナリア国は大統領制で、民主主義の国である。

ウエスナ伯爵は革命勢力の指揮官の一人なので、とどまることになった。

海は地中海のような感じで、ちょうど、イタリアからエジプトに渡るような船旅に似ていると吾輩は思った。カナリア国はロイ王朝の二倍近い広さがあるということも宇宙インターネットの情報で知った。まあ、ロイ王朝にすれば、隣の大国で、隣に逃げた者を追うことは出来ないのだろう。

 それまでは恋の勝負では、軍配は吟遊詩人に上がるかと、吾輩は期待もした。一方、このシクラメンと吟遊詩人が結婚することになれば、カナリア国にとどまり、吟遊詩人の旅は終えるわけで、吾輩とハルリラのアンドロメダ銀河鉄道の二人旅となる。それも寂しいと複雑な気持ちはこの上もなかった。

それから、もう一つの人間関係もややこしい。

吾輩と若者モリミズ。そして監獄から助け出された取材中の猫族の娘ナナリア。これは三角関係なのだろうか。吾輩の気持ちしだいなのだろう。虎族の若者が懸想していることは確かだ。

吾輩の胸にも長い旅の中で、ふとめぐりあった一輪の花という趣がある。吾輩にはやはりあの良寛の貞心尼を待つ和歌が思い出される辛さがあった。

「君や忘る道やかくるるこのごろは

      待てど暮らせど訪れのなき」

そばにいるのに、良寛と似たような心境というのも何か奇妙な感じがしたが事実だった。それにしても、吾輩の胸の中では、結論は分かっていたのだ。

モリミズとナナリアのことは彼らにまかせ、吾輩は、吟遊詩人の気持ちだけを心配している、それが取るべき道なのだと。

 

 カナリア国に渡ることになった。

ハルリラの船の上での行動が吾輩の心をひいた。地球よりも小さいが黄金の色に近い満月がさえわたり、降るような星の光と夜の闇の中で、ハルリラは奇妙なことに珍しく剣をぬいて突きの練習をしていた。船の甲板の上には、夕涼みに出ている人が二・三見かけるだけで、誰もハルリラのことを気にしている風にも見えなかった。

ただでさえ暑い気候なのに夜とはいえ。そんな宙を突く練習をすれば汗をかくだろうと、吾輩は思った。思った通り、ハルリラはハンカチを取り出し、時々額の汗をぬぐっている。

そして又、剣で宙を突く。運動不足を補うためという理屈も思い浮かんだが、ハルリラの心の中で、何か嵐が吹き荒れていることを感じた。

 

吾輩は彼に声をかけて近づき、月光の元で、波の音を聞きながら、ハルリラと肩を並べ、静かに語った。

「運動もいいが、汗をかくだろう」

「ふふう。夜の船の上の剣の突きは気持ち良い。それに月の光がわが心を洗う」

 「何か悩み事でもあるのかい」

「悩み事。ハハハ。その悩み事をこの剣で一突きして、つぶしているのよ」とハルリラは笑った。豪快な笑いだった。満月がハルリラに微笑しているとも錯覚した。彼の魔法だろうか。波の音も気持ち良かった。

 何故か、吾輩の頭に、ナナリアの清楚な姿が浮かんだ。吾輩にとっても同じ猫族、宝石のように彼女の存在は輝くのだった。

 

               

                    【つづく】

 

(ご紹介)

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