様々な分野でグローバルに活躍する「普通の人々」が体験を語り、次世代の普通の人々のお役に立てればと思っているサイトです。

日本在住歴約40年のRon McFarlandと外資系勤務が長い齋藤信幸が、それぞれの海外体験を語ります。

Ron McFarlandのPersonal Journey (28) : マレーシアから隣のインドネシアに。

2021-11-13 12:42:36 | Ron's Life Story
コロナが落ち着いてきたので、1年ぶりでしょうか、久しぶりにRon-sanと飲み会。

場所は「六本木」のパブでなく、昭和臭漂う「蒲田」の居酒屋。

なんたって、「普通のグローバル人材」がテーマの会ですので、

空の玄関口、羽田空港に近い中小企業の町、蒲田が一番相応しいし、Ron-sanも私も好きな町なのです。

来年、蒲田でセミナーを開くことを肴に「カンパイ」。



さて、今回の記事はインドネシア。

インドネシアは私がいたハードディスク業界や半導体業界に関わる企業が極めて少ない国でした。

私が行ったのは、バタム島のみ。シンガポールから船で1時間ほどのところであったと記憶しています。

1994年当時、そこには松下寿㈱(現在はパナソニックに吸収)の工場があり、ハードディスクの部品を製造していました。

入国審査に長蛇の列ができていましたが、我々の一団は別の入り口から入って並ばずに審査。

毎回、袖の下でも渡していたのでしょうか。

松下寿での昼食時に「水は絶対に飲まないように」と何度も注意されたことを覚えています。アメーバ赤痢対策でしょうか。

現在、バタム島はリゾート。水質も良くなっているはずです。

最近読んだ『FACT FULNESS』(ハンス・ロスリング他著、日経BP社)によると、マレーシアは日本と同じレベル4、インドネシアはレベル3の国と位置づけられています。

さて、Ron-sanが訪問した当時(1985年)のIndonesiaはどのような国だったのでしょうか。

Indonesia

After those four seminars in West Malaysia, I was asked to go down to Indonesia to study if we could help them develop their dealership network.
It turned out that the country had very strict local content laws and imported assembled vehicles were very heavily taxed.

Like Malaysia, a manufacturer had to not only have local assembly, but required a great deal of local parts in the vehicle, some parts of which were in low supply and of low quality.
So, the problem was not the dealership network, it was supply.

With little business to do, I decided to do market research while I was there. I studied the bus market on the beautiful island of Bali.



Bali, Indonesia, July 1985
コメント
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