ゆるキャン群馬キャンプ編の安中市エリア聖地巡礼、「アプトの道」の続きです。斉藤恵那のベンチからはしばらく上図のような開けた場所の廃線跡を歩きました。一見すると山の中の未舗装路という雰囲気で、廃線跡にはちょっと見えない感じでした。
のんびり歩いていて、いつの間にか橋を渡っていました。渡ってから上図の標識に気付いて、いま橋を渡ったのか、と振り返りました。碓氷第二橋梁でした。明治25年11月の竣功で、全長は約23.5メートル、川底からの高さは約12.2メートルです。横から見ようとしましたが平場が無く、橋も夏草に覆われていましたのでよく見えませんでした。
さらに「アプトの道」は続きます。このあたりは右側が碓氷湖の坂本ダムからの渓谷になっていますが、木々に覆われて地形が全然見えませんでした。木々の葉が枯れ落ちて林間にも視界が広がる秋から春までの時期ですと、もっと見渡せるそうです。
渓谷は見えませんでしたが、その奥に聳える妙義山の独特の岩塊群はよく見えました。昔、あの向こう側の麓の妙義神社へ参拝したことがありますが、その境内地から見上げると岩塊群の迫力に満ちた独特の奇観が楽しめます。
碓氷第一トンネルの手前まで来ました。ここの景色も既視感バッチリでした。
このシーンですね。斉藤恵那がトンネルの右脇の道標に気付いた場面です。原作コミック第16巻87ページ4コマ目です。
斉藤恵那が見つけた道標は、旧中山道ルートへの案内標識でした。
作中でも詳しく紹介されています。原作コミック第16巻88ページの1、2コマ目です。江戸期までは碓氷峠越えといえば中山道のことでありました。
中山道は、中世戦国期まではもっと険しい山道でしたが、江戸幕府が五街道(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)整備の一環として新たにルートも変えて道幅も広げ、一般の人々でも楽に旅が出来るように整備したうえで、通行監視の拠点として碓氷関所を設置した歴史があります。
江戸期の中山道は、碓氷第一トンネルの上の尾根筋に沿って北から南東へと通り、麓の坂本宿まで続いていました。上図はその中山道へ通じる連絡路の山道です。それを斉藤恵那がのぞきこんでいたのでした。
作中の右のシーンで斉藤恵那が山道をのぞきこみ、それから左のシーンで意味不明のリアクションをしています。原作コミック第16巻88ページの3、4コマ目です。
このリアクションは各務原なでしこも丸山変電所跡でやっており、さらに二人で横川鉄道博物館にて蒸気機関車の前でもやっています。
さて、碓氷第一トンネルに進みました。明治25年9月の竣功で、全長は約186メートル、今回の「アプトの道」散策でくぐる最後のトンネルでした。ここのポータルも標準的な型式で、総レンガ造りです。
内部はこのように上下に照明が設けられて明るく、歩きやすかったです。他のトンネルとは違って、ガードレール状の長い柵があり、それに等間隔でライトが点いているのでした。何らかの事情があったのでしょうか。
第一トンネルを抜けました。あたりの地形が平坦になって空が広く感じられましたので、これで山岳地帯を抜けたのだな、と思いました。
第一トンネルを振り返ると、こちらのポータルはレンガ造りではなく、アーチ環以外は全て切石で造られていました。石造の冠木門タイプです。内部のレンガ壁はこちら側のほうが保存状態が良いように思いました。
しばらく進むと、右手に上図の立派な石碑がありました。「アプトの道」に関する碑かな、と思って近寄ってみましたら・・・。
北原白秋の歌碑でした。 (続く)