11時2分発のトロッコ列車の案内アナウンスが流れたので改札口に行きました。嫁さんが係員にスマホの予約画面を提示すると、改札口前に列が5つ出来ているうちの中央、3列目に案内されました。我々の乗る車輌が3号車だからでした。
トロッコ列車は客車が5輌あって、1号車から5号車まであります。席は全部が予約制なので、あらかじめオンラインまたは窓口で購入します。乗車前にホームへ案内されますが、列ごとに順番にホームの指定位置へと誘導されます。
ホームのすぐ隣がJR山陰線つまり嵯峨野線の駅でした。山陰線の新旧の線路の位置関係がよく分かります。嵯峨野観光鉄道の路線は、旧山陰線の線路を活用していますが、駅を出てすぐの箇所で、現山陰線の一部を通ります。
10時57分、トロッコ列車がホームに近づいてきました。後ろに並んでいた嫁さんが小声で「わー」と言い、私の背中を軽くつついて、良いアングルの写真撮ってね、と催促してきました。言われるまでもなく、既に私のデジカメは連写モードに入っていました。
ホームに入ってきた列車の先頭はディーゼル機関車のDE-10形でした。「嵯峨野」のエンブレムが渋い感じでした。嫁さんが「あれと同じ機関車が梅小路機関区にもあるんですよ、予備機だとか聞きました」と後ろで言いました。
なるほど、予備機があるのか、この嵯峨野観光鉄道が西日本旅客鉄道(JR西日本)の完全子会社である関係で、車輌はJR西日本の車輌でも使用出来るようになっているわけか、と理解しました。
私たちが乗った客車3号車の車内です。SK100形といい、JR西日本から譲受したトキ25000形貨車の改造車であるそうです。貨車を客車に改造して観光列車用に供している点は、大井川鐡道井川線の客車と同じでした。が、こちらは客席が木製でクッションが全くありませんので、嫁さんが「痛くならないかなあ」と不安げに話していました。
そしてトロッコ亀岡駅までの全線を往復で乗り、トロッコ嵯峨駅に戻ってきたのが11時56分でした。途中の保津渓谷の景色は嫁さんがスマホとタブレットでドンドン撮っていましたので、私がデジカメで撮ったのは上図の1枚だけでした。
11時56分にトロッコ嵯峨駅に戻って下車した直後に、ディーゼル機関車のDE-10形の横を通って改札口へ行くので、横から機関車を何枚か撮りました。
ディーゼル機関車のDE-10形です。こんな近くで撮るのは初めてでした。
「嵯峨野」のエンブレム。1991年つまり平成3年の開業であることが分かります。
製造元の日本車輌の銘板。昭和46年といえば、私は5歳で、当時の父は日本車輌の技術者で名古屋製作所に勤務していたと記録にあります。当時の名古屋製作所では機関車の製造を行なっていたそうですから、このDE-10形1104号機の製造に父も関わっていたのかもしれません。
その父は既に故人となりましたが、その勤務現場で製造されたDE-10形1104号機は、いまも現役です。
嫁さんが「ね、あれもスロープロウですか?」と小声で訊いてきました。そうだよ、と頷いておきました。
改札口のすぐ手前に、このDE-10形1104号機の先頭が位置していましたが、明らかに観光客へのサービスのためでしょう。大抵の乗客はこの機関車を撮ったり記念撮影したりするので、撮り易い位置に停めているのだと思います。
嫁さんが「これのNゲージ欲しいなあ」と言うので、君はDE-10形を持ってるやないか、と返したら「え?持ってましたっけ?」と首を傾げつつ、改札口を通っていきました。
去年の夏に初めてNゲージの線路買いに河原町のポチへ行ったやろ、あのとき川さんに案内して貰ったやろ、そのときに動力不良の中古機関車を500円ぐらいで買ったろ、と説明すると、「あー、あれですか、茶色の機関車。あれDE-10やったんですか」と思い当った表情になり、「持ってるんなら、買う必要無いですねー」と納得していました。
かくして嵯峨野観光鉄道のトロッコ列車往復を楽しみました。場所が嵐山だけに、これからどうする?と訊きましたが、嫁さんはもう大満足だったようで、「帰りましょう、帰ってランチ食べましょう」と言うのでした。
それでまっすぐJR嵯峨嵐山駅に入ってホームで帰りの列車を待ちました。次のトロッコ列車が発車していくのが見えました。それを見ていた嫁さんが「いま気付いたんですけど、あのトロッコ列車って、あれ1編成だけで他に無いんですね、あの1編成でがんばって毎日往復して運行してるんですねえー」と感心していました。
嵯峨野観光鉄道の路線は片道7キロちょっとしかありませんから、往復でも15キロ未満で所要時間が1時間未満です。機関車の整備は梅小路機関区で行なっているうえ、予備機もあります。だから平成3年の開業以来の機関車と客車の1編成だけで充分なのでしょう。 (了)