2023年4月22日、伏見方面へ歴史散歩に出かけました。嫁さんは神戸三宮にてモケジョの集まりがあるとかで、夕方に祇園で落ち合って夕食を食べる約束をしたので、午後5時までに祇園四条へ戻る予定になりましたが、今回の散策コースはそんなに遅くまでかからないだろう、と思いました。
この日は嫁さんが早朝から出かけていったため、私も朝食をとらずに出発しました。家の最寄りのバス停からバスに乗って、清水五条で京阪電車に乗り換えて伏見桃山駅で降りました。歴史散策の前に、まず何か食べておこう、と考えて、近鉄桃山御陵駅ガード下の「大中」で軽くラーメンをいただきました。
伏見エリアは、知る人ぞ知る京都ラーメンの激戦区です。有名なお店だけでも10軒は数えられるほどで、私も昔からあちこち食べに行っていますが、なかでもここ「大中」のラーメンは個人的に好きな味わいです。
うーん、旨い。実に旨い。
旨いラーメンに大満足しての後、ゆっくりと府道79号線伏見大手筋を東へ歩き、御香宮神社の大鳥居をくぐりました。
そして御香宮神社の門前に着きました。今回の歴史散策の一ヶ所目がこの神社でありました。周知のように上図の神社表門は、もとは伏見城の大手門であったのを移築しています。国の重要文化財に指定されています。
今回の歴史散策の目的の一つが、伏見エリアに残る旧伏見城の建物を見ることでした。ここ御香宮神社の大手門のほかにもう一ヶ所を予定していました。
門柱には「伏見城大手門」の札が懸かっています。この大手門は、一般には豊臣秀吉が築城した伏見城の大手門を移築したもの、とされていますが、正しくは徳川家康が慶長七年(1602)6月から再建させた徳川期伏見城の大手門にあたります。
その徳川期伏見城は、元和五年(1619)に廃城が決まって後、建物の多くが二条城や駿府城、淀城や福山城などへ移されました。そんななかで徳川頼房が元和八年(1622)に伏見城の大手門を貰い受け、後御香宮神社に寄進したことによって、貴重な建物が今日まで伝えられることになったわけです。
大手門の規模は幅が約九メートル、高さが約八メートル、三間一戸、切妻造りの単層門で、屋根は本瓦葺きで両端に鯱を上げています。徳川期の再建ながらも建築の様式そのものは安土桃山時代のそれを踏襲しており、おそらくは豊臣期伏見城の大手門をほぼ復元する形で建てられたのではないかと思います。
現在は古色蒼然としていますが、創建当時は豪華に彩色されていたことがうかがえ、庇の四個の蟇股(かえるまた)には中国の故事「二十四孝」を題材にした彫刻が施されています。こうした彫刻を建築の各所に配するのが安土桃山時代の特徴であり、他の時代の建築と比べると大変に分かりやすい特徴でもあります。
かたわらに立つ文化財指定標識にも、伏見城大手門、とあります。伝承とかではなく、史料的にも建築史的にも間違いが無い本物の伏見城大手門であると確定しているからこその表記です。
豊臣期および徳川期の伏見城からの移築伝承をもつ建物は、京都市内だけでも三十ヶ所近くにのぼりますが、由来や様式からみて確かな建築遺構だけに絞ると半数以下の十四、五ヶ所になります。非公開の建物も少なくないので、いつでも見学出来るのは十ヶ所前後となります。全部が京都市内にありますから、いずれはそれらを回って連載で紹介しようかと考えています。
今回は、そのための見学取材も兼ねての歴史散策でしたから、大手門が移築されている御香宮神社を訪ねないわけにはいかなかったのでした。 (続く)