大徳寺塔頭の黄梅院は、庭園の美しさに定評があって人気の高いスポットです。しかし、常時拝観可能ではなくて不定期の特別公開期間にしか拝観出来ないため、公開期間には大勢の観光客が訪れます。実際に今回回った塔頭のなかで最も拝観客が多く、入場制限をかけている時間帯もあったようです。
それでU氏が混雑する時間帯を避けて昼前にタイミングを設定していたので、それに合わせて入りましたが、入場制限は解除されていたものの、受付より先は写真撮影禁止となっていました。
したがって、撮影出来たのは、表門から受付までの間の、紅葉庭の一画のみでした。一応、庫裏と玄関は見えるので、これらは撮影可能でしたが、U氏は黄梅院を一番楽しみにしていただけに、とても残念がっていました。
紅葉庭から見える、本堂(方丈)の玄関の唐門です。唐門への参道は立ち入り禁止区域になっていて近くまで行けないので、デジカメの望遠モードで撮りました。本堂とともに国の重要文化財に指定されています。
庫裏です。表門や鐘楼、客殿と同じく天正十七年(1589)に小早川隆景によって改築された建物で、国の重要文化財に指定されています。他の塔頭では拝観順路が表門からまっすぐに庫裏に進んで本堂へと繋がりますが、ここ黄梅院では南側の広く美しい庭園をメインにして順路を南に大きく迂回させているため、受付も南側にあってぐるりと回って本堂へ繋がります。それで、庫裏や唐門玄関へのルートは特別公開時においても閉鎖されて立ち入り禁止区域になっています。
それで、いちおう拝観はしましたが、撮影禁止範囲の本堂、玄関、庫裏の内部詳細については記述を省きます。本堂内部中央間の襖絵が雲谷等顔(うんこくとうがん)の作で国の重要文化財であるのを、U氏が撮影禁止処置への不満からか「雲谷斎」などと茶化していましたが、私自身は裏の間の小田海僊(おだかいせん)の襖絵のほうが江戸期特有の風雅に満ちて印象に残りました。
南の庭園も撮影禁止区域になっているようですが、観光客の中には堂々と撮影している輩も少なくなく、女性が多かったので、U氏が何度も眉をひそめていました。二度ほど「水戸中納言の威光をもって成敗してくれようか」などと呟いていました。私が「それよりは信長鉄砲隊三千挺の斉射のほうが」というと「それはナイスだ」と笑顔になっていました。
本堂、玄関、庫裏はいずれも天正年間の建築ですので、戦国期特有の豪壮さがあり、換言すれば室町期までの優美さや繊細な意匠感覚というものが薄れていました。さきに興臨院や瑞峯院の見事な建築群を見てきた眼からすると、禅寺の方丈のあるべき姿には届いていない感じがあって、なにかがちょっと違って物足りない気がしました。
同じような感想をU氏も抱いていたようで、一番楽しみにしていた塔頭であったのに、見学後は一切の感想を語らずじまいでした。撮影禁止処置への不満と批判ばかりを繰り返していました。
今回の大徳寺塔頭見学において、大仙院と黄梅院の二ヶ所が撮影禁止となっていましたが、他の塔頭は撮影もOKでしたから、大仙院と黄梅院の撮影禁止の理由というか根拠がよく分かりませんでした。黄梅院の受付でU氏が撮影禁止の理由を訊ねたところ、「庭園の保護のため」というよく分からない答えが返ってきました。文化財保護法への正しい理解もなく、科学的根拠もないまま習慣的に撮影禁止にしている社寺が未だに少なくありませんが、黄梅院もその一例であるようです。
なので、今回の黄梅院の記憶としては、見事な紅葉の景色だけが鮮やかなものとして残っています。
表門だけは撮影可能でしたので、見学しながらあちこち撮りました。細部もかなり簡素化が進んでいて、室町期から戦国期への変化が顕著に見て取れました。例えば、垂木の数が最低限になっています。
軸部の蟇股や虹梁、組物も小振りになっています。必要最低限の材料でいかに小奇麗に整えて造るか、という技巧的な意識ばかりがやたらに目立ちます。装飾も最低限におさえますが、こうした傾向への反動が、次の江戸期の豪華絢爛な建築意匠に繋がるのでしょう。
紅葉庭の秋景色をしばらく堪能した後、表門を出て黄梅院を後にしました。
そのまま南の中門をくぐって出て、その前でU氏が立ち止まって時計を見ました。まだ13時過ぎでした。大徳寺の他の塔頭は、来年の春季に特別公開があるようなので、その時にまた来よう、とりあえず昼飯をどこかで食べるか、と言いました。
そのあとはどうするんだ、と訊くと、「折角京都に来てるんだから、どこかもう一ヶ所、禅寺の塔頭みたいなの行きたいねえ」と答えてきました。この時期に公開やってる所といえば、妙心寺のほうぐらいかな、と話したら、それいいな、との返事が返ってきました。
したがって、紫野大徳寺の見学レポートは、次の春季の特別公開見学までしばらく中断させていただきます。 (了)