学習から学問、そして実学へ。
これらが一体、どのようなカタチに変貌するのか。
社会構造の劇的な変化に適応し、改編、改編、また改編。
法治国家における法改正。
只、自然には法改正は1世紀単位ですらない。
自然の摂理に沿った人間の生き方、社会つくり。
これを逸脱するとカオス、カタルシスが起こる。
ここからの逸脱はあり得ない。
第4回「国家の氾濫②」 2003.03. 29放送
発端はなんであったのか?
それは神から開放されたいと願う人間の自由への希求ではなかったか。
しかし、この自由への希求はそのまま冨への希求へ進み、
自由を求める声は、そのまま人間を殺戮(さつりく)する
近代戦争に変貌するまでに至った。
神からの開放が、人間の自由を喧伝し、そしてその自由が国家へと
回収される近代というシステム。底にあったものは拡張への欲望であり、
なかったものは貨幣から逃れ、少数者、弱者に対して共感する価値観である。
勿論19世紀末期に現れた開放の哲学、社会主義もこの枠組から逃れていない。
本来社会主義というシステムは人間の協同性を練り上げるというシステム
であったが結局それは資本主義と動揺し、世界の拡張へと乗り出すことになった。
現実の世界に現れた社会主義の挑戦は人を資本主義の軛(くびき)から
解放するのではなくやはり国家へと同調させる統制をためらうことは
なかったのである。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます