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国語力と数学力の統合

2007-07-06 01:25:33 | 受験・学校
国語力と数学力の統合

現代社会・平安社会・中国社会という
その社会の持つ常識を持って読解に臨む
必要のある国語、英語も同様。
数学は時代や地理的背景の
必要のない論理だけの科目。
論理だけの科目が土台となり、
現代文・古文・漢文・英文・理科・地歴・公民が
背景つまり常識を持たないと読破不可能である。
これら意味を持った科目類は根幹には
論理といった数学があるのである。
大学受験は論理学を知った上で
臨まないと高校生の常識では歯が立たないであろ
う。高校入試レベルは常識で解ける。
つまり、世の中を十分に見つめ、
分析することから数学以外の科目は始まる。
したがって、数学だけは抽象物だけを
必要条件とするため、逃げてはならない。
 国語・社会が理数より容易というのは、
ある程度の常識があるからである。
数学はそうはいかない。帰納-演繹の繰り返し。
「式は文である。」「数字は名詞である。」
「助詞・助動詞・接続詞は等号や不等号である。」
「=も接続詞である。」

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現代文を読むカラクリⅣ

2007-07-06 01:19:36 | 受験・学校
-人間の積分-

「地理」という平面
それを積分すると「歴史」という空間になる。
人間は「点」ならば、それを積分した線は
人間と人間との関係、それを積分すると
人間を取り巻く社会となる。

このような見方で学問を志すことが
人つくりなのであろう。

私は逆に人間を微分した。
20代後半に朝日に1年間連載した随筆を
この秋ここで紹介する。

徳竹君、学問にオ-バーワークという言葉は
ありませんから、思い切って新しい未知の世界に
挑戦してください。将来、100倍にも1000倍にも
なる種です。所謂、自己革命です。

-哲学への挑戦-
<近代という罠:第3章>              
近代哲学とは何であったのか。
それは、国家と軍事とテクノロジーの暴走を、
「我(われ)」の肥大化によって忘却させるシステムを
作り上げる根源であった。
そして、近代主義を批判した実存主義とは何であったのか、
それは肥大化した「我」を極小化し、伝統と民族と国家に
収束させるシステムの根源であった。
対立軸は明確である。
そこにあるのは「我か否か」という二者の選択である。
 しかし、それは奇しくも人間を同じ地点に着地させた。
それは近代の要請する優雅な軍事化と半近代が
要請する剥き出しの軍事化である。
多くの社会主義国家が秘密警察国家であったように、
多くの資本主義が階級社会であったように、
それらはすべて軍事という共通項から逃れることはできなかった。
ならば、ここをすり抜ける新たな思考はないのか。
またここを脱する哲学はないのか。
それに答えたのが現代西欧哲学である。
現代西欧哲学は実存主義に、
またファシズムに取り込まれないよう、
慎重に迂回路を採りながら、
すでに私たちの眼前にまで来ている。
 しかし、私たちは未だ現代哲学を意識しえない。
無論、それは近代哲学がその自明性の壁に阻まれ、
理解し、イメージ化できないからに他ならない。
(498字)
Essay-A 2003.04.26.SAT

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