webを通じて情報発信をしていると、とても良質で含蓄に富むことを教えていただけることがあります。このたび下山先生のブログの記事にコメントを寄せたところ、”萬屋主義の排斥”が技術の低迷を招いているとのコメントを頂きました。
ここで、萬屋主義という耳慣れない言葉が出てきましたので調べたところ、やはり下山先生のブログで、
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かつては、「何かをする人」なら皆(農業であれ、商業であれ、工業:ものをつくること:であれ・・)、その「何か」にかかわることなら、多かれ少なかれ、何についてでも関心をもち、知り、学ぶのがあたりまえだった。
たとえば、近世初頭までに、すでに、建築を含め各種の工作技術は多様な展開・進展を見せているが、これは決して指導者・学者がいて先導・指導したものではなく、また、時の政府が法律などで差配・誘導したものでもない。
その成果は、すべて、「何かをする人」たち自身の日常的な営みの継続の結果であった、と言って過言ではない。
人びとのこのようなあたりまえの営みを、「萬屋(よろずや)主義」として排斥につとめた人物がいる。福沢諭吉である。
福沢は、一般に、日本の「近代」創生の重要人物として賞賛されるが、同時に「現代の停滞」の因をつくった人物でもある、と私は思う。
彼は著書「学問のすすめ」で、西欧の文物に学ぶために、「一科一学」を説いた。江戸時代までのような「萬屋主義」では、西欧文物の会得には時間がかかる、手分けして学べ、というのである。「科」の字は、「分ける」「分類」の意。植物の○○科、学校の「教科」の「科」である。
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という文章がありました。
思うに萬屋主義とは、高い志があれば自ずとそうなりやすいのではないかと思います。スペシャリストにもよいのですが、それが社会にどのように貢献するか、という志です。私の分野でいえば、事業のための防災事業、パソコンの都合に自然観を合わせるといったようなことがはびこっています。本当に地域住民の方にとって必要な、理にかなった、親身の防災調査・対策とはなんなのか、本質・原点を常に念頭に置くべきだと思うのです。そうすれば土地の歴史、水理、地質構造、などなど、自ずと”萬屋主義”になっていきます。
ここで、萬屋主義という耳慣れない言葉が出てきましたので調べたところ、やはり下山先生のブログで、
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かつては、「何かをする人」なら皆(農業であれ、商業であれ、工業:ものをつくること:であれ・・)、その「何か」にかかわることなら、多かれ少なかれ、何についてでも関心をもち、知り、学ぶのがあたりまえだった。
たとえば、近世初頭までに、すでに、建築を含め各種の工作技術は多様な展開・進展を見せているが、これは決して指導者・学者がいて先導・指導したものではなく、また、時の政府が法律などで差配・誘導したものでもない。
その成果は、すべて、「何かをする人」たち自身の日常的な営みの継続の結果であった、と言って過言ではない。
人びとのこのようなあたりまえの営みを、「萬屋(よろずや)主義」として排斥につとめた人物がいる。福沢諭吉である。
福沢は、一般に、日本の「近代」創生の重要人物として賞賛されるが、同時に「現代の停滞」の因をつくった人物でもある、と私は思う。
彼は著書「学問のすすめ」で、西欧の文物に学ぶために、「一科一学」を説いた。江戸時代までのような「萬屋主義」では、西欧文物の会得には時間がかかる、手分けして学べ、というのである。「科」の字は、「分ける」「分類」の意。植物の○○科、学校の「教科」の「科」である。
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という文章がありました。
思うに萬屋主義とは、高い志があれば自ずとそうなりやすいのではないかと思います。スペシャリストにもよいのですが、それが社会にどのように貢献するか、という志です。私の分野でいえば、事業のための防災事業、パソコンの都合に自然観を合わせるといったようなことがはびこっています。本当に地域住民の方にとって必要な、理にかなった、親身の防災調査・対策とはなんなのか、本質・原点を常に念頭に置くべきだと思うのです。そうすれば土地の歴史、水理、地質構造、などなど、自ずと”萬屋主義”になっていきます。
http://ci.nii.ac.jp/ 論文情報ナビゲータ
滝大吉で検索
http://ci.nii.ac.jp/nrid/9000005433510/?sortorder=1&count=20&start=1
下記で紹介させていただいています。
http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/6320a8498c24533cff672996d96931cd
今は、大学を卒業しても職がないからと言って専門学校に通いなおすという訳のわからない状態です。”これしかしない人”と”なにかをする人”には大きな違いがあるということですね。
もしかすると、読まれる方は「萬屋主義」を、福澤諭吉自身が語った、と誤解されるかもしれませんが、この言葉は、実は、明治の半ば、滝大吉という方が、「建築学講義録」という著書の序文で、いわば皮肉まじりに当時の風潮を批判して使っていた言葉です。
滝大吉は、当時の工部大学校を卒業したエリートなのですが、他のエリートたちとは違い、大阪で一般の実業者:職人の方々:を対象とした学校を開き、そこでの講義の記録を、世間からの要望に応えて出版した、その書の序文です。
当時、一つのことを脇目もふらずに学べ、という風潮があり(これが一科一学)、江戸末に育った滝大吉は、それでは何も学べないと考えたのではないでしょうか。
これについては、私のブログで書いた記憶があります。