防災ブログ Let's Design with Nature

北風より太陽 ソフトなブログを目指します。

無名の工匠

2010年05月14日 | Design with Nature
早速『建築家なしの建築 - 系図なしの建築についての小さな手引書』をかってきました。世界各地の156の街や住居の成り立ちについてわかりやすく説明してあります。1984年の初版から2009年の第12刷ですから、専門書としてはかなり息の長い方ではないでしょうか。

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専門家の芸術になってしまう以前の建築からは学ぶべきことは沢山ある。無学の工匠たちは、さまざまな時代、さまざまな地方において、建物を自然の環境に適応させることに素晴らしい才能を示している。彼らは、今日の私たちのように自然を”征服”しようとするのではなく、気候の気まぐれや地形の険しさをよろこんで受け入れる。私たちは平坦で特徴のない土地を最も好み、土地の凹凸はブルドーザによって取り除いてしまうのだが、もっと洗練された人々は起伏の多い土地に魅力を見出すのだ。
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ARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS - 建築家なしの建築 -

2010年05月13日 | Design with Nature
ネットの使えない山里に長くいたので、携帯でお気に入りのサイトを確認していたのですが、下山先生のサイトに”まさにARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS - 建築家なしの建築 -”という文章がありました。

http://blog.goo.ne.jp/gooogami/e/a37c66384f5b275de18a1ec89f881ebd
“ALTE BAUERNHAUSER IN DEN DOLOMITEN”から、イタリア・ドロミテ地域の建物を観てきました。いずれも、「それぞれの場所で暮す必然が生みだした(と考えられる)いわば建物づくりの原点」そのもののつくりかたで、まさに ARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS 。それゆえ衒いがありません。

そして、この「ARCHITECTURE WITHOUT ARCHITECTS」の訳書が鹿島出版会から出ており、詳しい解説が掲載されていました。

http://www.kajima-publishing.co.jp/theme/syohyou/20010608-3.html

50年代後半から60年代以降にかけてのテクノロジーの高度化=技術革新によって、巨大な建設需要とそれに見合う巨大な生産組織と技術が生み出される。そしてテクノクラートの主導の下、新しい建築機能や都市機能を実現する大規模で複合的な建築計画が押し進められることになる。一方、テクノクラートに与することを拒否する建築家=デザイナーたちは<テクノロジーを主題とする近代建築の解体>の担い手として登場する。だがこの両者に共通するのは、意識的であれ無意識的であれ<神に代わるデザイナー>としての存在である。<計画者>の意識である。この点にこそ、決して風化することのない『建築家なしの建築』の今日的意味がある。

「正統的建築史の中では、建築家個人の仕事に重点が置かれているが、ここでは共同体による事業が強調される」のであり、しかも「ここから得られるべき智は単に経済的あるいは美学的な思索の範囲にとどまるものではない」のである。すなわち本書に取り上げられた個々の建築の豊かな造形性に感動するばかりでなく、それが「伝統を共有し、経験の共同性に基づいて働く、全住民の自発的継続的な作業によって生み出された共同作品」であるという事実、そして「なかでも特にわたしたちの感動を呼び起こしているのはこの種の建築のもっている人間性に違いない」というルドフスキーの指摘にこそ注目しなければならないのだ。

私は建築物の個々を詳細に観察することは少なく、地すべりや火山岩類の貫入などの地質学的背景やそれに基づく生態系の発達などから、いかにして現在の風景が出来たかを考えることが多いわけで、それゆえブログのタイトルにDesign with Natureなどとつけているわけです。

参考 http://www.xeriscape-jp.org/ecology/070409_3.html

土木の世界では、砂防堰堤などを作るときに”現地発生材をコンクリートに混合しているから経済的でエコだ”という論調がありますが、なんというかスケールの小ささを感じてしまいます。

アマゾンのサイトで「建築家なしの建築」を調べてみたら、専門書には珍しくカスタマーズレビューが3件入っていたので良書なんだろうと思います。興味を持ちました。
http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4306051846/ref=dp_top_cm_cr_acr_txt?ie=UTF8&showViewpoints=1

砂防学会

2010年05月12日 | 技術動向
砂防学会のHPに、5月27日から行われる研究発表会のプログラムが掲載されておりました。私の知っている人は、2名口頭発表を行うようです。

発表内容を見た全体的な印象としては、いちばんベーシックな、地すべり、崩壊、土石流に関する調査研究が少ないなあということです。「観察」よりも「観測」に重点が置かれているような気がします。土石流の発生頻度・規模など、地表踏査によって解明すべきことは多いと思うのですが、、、

ダムと地質

2010年05月11日 | Design with Nature
10日ぶりに都会に降りてきました。

最近はダム造成事業もすくなくなり、経済的視点一辺倒のような感じでダムの是非が語られていますが、地質や斜面変動の知恵はダムによって貯められたといってもよいかと思います。今回の調査でも40°近い急斜面を比高300~400mとのぼり続け、薮を掻き分け露頭を探す、寒冷な気候が岩を緩ませるし、ホルンフェルス化した岩石、時には”舐めて”鉱物(好物?いやいや)地球の成り立ちを考える、、某総理の”学べは学ぶほど”ではありませんが、自然を現場で理解することの重要性を感じます。

もちろん現場を歩いているだけではわかりにくい広域の地質構造を知るために空中写真判読や地形図を入念に眺めたりします。そんなときは、あそこで羽ばたいている鳶になれたらなあ、と思ったりまします。ボーリングコアも見たりします。

共通するのは、その基本にあるのは「観察」であり、語弊があるかもしれませんがローテクであり、文字通りの地道な作業なのです。

祗園精舎の鐘の声

2010年05月10日 | 雑感
平家物語のあまりにも有名な一節。自然に人生を重ねる、、、、名文ですねえ

崖錐 odt

2010年05月09日 | 雑感
いま尾根についたので携帯がはいりました。ルートマップに散々書いたodtを検索したら、なかなか古期崖錐の意味ではひっとしませんねえ。

砂漠の中を歩くことになる???

2010年05月08日 | 地球温暖化・寒冷化?人類の課題
現場でカーラジオかtら聞こえてきた何かのCMで、地球温暖化をストップしないとぼくたちの通学するときも砂漠のような灼熱地獄のなかを歩くことになるんだようっと、子供の声が、、、何をかいわんや、、、

ツイッターで災害情報提供

2010年05月07日 | 技術動向
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利用者が急増している簡易投稿サイト「ツイッター」に今月中旬から最新の災害情報を提供するよう、総務省消防庁に指示したことを明らかにしました。原口大臣が「ツイッター」をよく利用していることは報道などで有名ですが、いろいろと賛否両論あるようです。

反対意見としては

・ツイッターを使わない人は情報を知ることは出来ない
・日本でのユーザー数はmixiやGREE以下であり、ツイッターの理由が不明。
・ツイッターには情報が二次加工されやすい問題がある。誤った情報を流してしまった場合、情報修正をすることはできても、混乱の収拾は事実上不可能。
・サーバーは決して強固ではなく、ダウンしやすい。

などです。一方賛成意見としては、

・ネット専門でテレビ、ラジオを使わない人に速報を伝えることには、良い試み。
・一企業のインフラを使うのはどうなんだ、という声もありそうだが放送局でもそれは変わらない。
・携帯電話ではホームページを閲覧しにくく、ツイッターで情報が入手できる事は有益。

などいろいろです。

永年的にツイッターのみで限定するわけではなく、他の情報機関で同じ試みを初めても良いわけで、試みとしてはいいのではないでしょうか。

災害時の情報が一斉に広がる速さと危うさを認識しつつ、住民に誤った情報が広がっている場合、ネットに誤情報が蔓延した場合などに、全国一斉に正すツールとなることなどを期待し、見守りたいものです。
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いさぼうネットより。直観力がなえそうですが、、、、


ラピリタフ

2010年05月06日 | 雑感
携帯から記入するので短い記事になります。現場でよく見た”ラピリタフ”、Googleで調べたら6件しか出てきませんでした。http://www.sakura.cc.tsukuba.ac.jp/~isaomoto/motoyama.lab/material1.html

今週の防災格言

2010年05月05日 | 災害の記憶と想像力
[今週の防災格言]

 『 あのときの私は、他の多くの人とともに自分が死ぬであろうとは、
また、これまでの短い一生、<WBR>これからの長く大きな可能性のすべても
今ここで私とともに失われるとは、<WBR>少しも頭に浮かんでこなかったの
だから不思議である。
あのときの状態を考えれば、生きるよりも死ぬほうが、
より大きな安らぎをもたらしたであろうに。 』

 小プリニウス(AD61~112 / 古代ローマ帝国の文人 元老院議員 学者)

 AD79年8月24日、イタリア・<WBR>カンパニア州にあるヴェスヴィオ(Vesuvio)火
 山が大噴火し、古代ローマ帝国のポンペイ市(当時の人口2万人)<WBR>は10mの
 火山灰に埋もれ壊滅した。その後、<WBR>歴史とともにポンペイの災害は忘れ去ら
 れたが、1700年後に遺跡が偶然発見されることになる。
 この災害で伯父(大プリニウス)を亡くした甥の小プリニウス(<WBR>ガイウス・
 プリニウス・カエキリウス・セクンドゥス / Gaius Plinius Caecilius Sec
 undus)は、<WBR>友人のタキトゥスの求めに応じ伯父が亡くなった時の様子を書
 簡にしたためて送っている。<WBR>今ではヴェスヴィオ火山噴火を知る貴重な資料
 となっている。格言は、塩野七生著『ローマ人の物語 VIII 危機と克服』(
 新潮社 1999年)第六章より。

平家の里でITについて考えてみる

2010年05月04日 | 雑感
連休明けから早速2週間ほど現場に入ります。携帯も入るかどうか微妙なところで、平家の落人伝説がのこるところです。最近は多少現場から時間がかかってもネットが利用できるビジネスホテルを利用することが多くなりました。

ところで、今日の太田さんのブログに、

木内里美の是正勧告 情報強者であり続けることの意味は何か?(vol.19) 
http://it.impressbm.co.jp/e/2010/04/05/2088

というコラム記事が紹介されていました。一部抜粋します。

情報強者である技術マネジャが、PCやスマートフォンを駆使して手際よく業務を処理している。情報強者だけに一見、効率はいい。効率がいいのだから当然、時間に余裕がありそうだが、現実は全く逆だ。いろいろなリクエストがきてスケジュールはタイトになる一方である。移動中にもメールで連絡したり経路検索したりGoogleマップで行き先を確認したりしている。確かに便利だがひたすら多忙感だけが残る。

そういう合間に情報弱者の営業担当者から電話が入る。資料はFAXで送った、と言われても事務所に戻るまで確認できない。情報弱者のコミュニケーションツールは面談、電話、FAX、郵送である。確認はFAXの資料を見てから電話するしかない。情報強者は情報弱者のスタイルに合わせざるを得ないのだ。情報弱者は客先を回り、やたらと人的ネットワークが強い。そして営業実績も高水準である。面談に勝るコミュニケーションはない

そういえば、最近現場の地形図がDWGファイルで宅ファイル便等で送られることが多くなりました。ひとつのファイルなのにやたらとデータ量が重く、開くのにも一苦労、自分の行く場所ををプロットするだけでもPCはうなるばかり、、、、それでもPCで扱いやすいようにとデータ量をしぼろうとして、等高線の精度を落とすなど本末転倒、、、地表・地質踏査に行く前の地図が形骸化した情報洪水に流されているため準備に時間がかかり、不便になりました。昭和40~50年あたりは、現地で自然と面談するというコミュニケーションに長けた人が地図作成に携わっていたので、それをコピーすれば精度の高い踏査が出来たのだろうと思います。

木内里美氏の別のコラムで、部品作りは得意だが、システム作りは上手とはいえない。ルールは作れても体系化は上手くない。フレームワークなどは輸入物を活用することが多い。情報分野においてもデザイン力がないと複雑で横断的な仕組みがうまく作れないし、キラーアプリケーションのようなものも生まれて来ない。http://it.impressbm.co.jp/e/2010/03/08/1960 という指摘もありました。実用の”実”は現実の"実”なのですが、、、、、、、、、


三渓園の建築と風景

2010年05月03日 | Design with Nature
休みを利用して、横浜の本牧にある三渓園に行ってきました。都心からややはずれた海の近くにあるのですが、広大な敷地の起伏を生かし、庭園との調和を考慮した配置になっていて、美しいところです。このうち聴秋閣という建物が大正11年に移築されたという解説版をみました。すぐに気になったのは、その翌年に関東大震災があったということですが、倒壊しなかったのでしょうか。良く見たら床下に庭石が基礎としておいてあったので、まあ大丈夫だったのだろうと思ったのでした。

人に優しくない「高分解能な災害情報」

2010年05月02日 | 技術動向
牛山先生のブログから http://disaster-i.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b484.html

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災害情報に関するニーズとして,「より正確に,より詳しく」といった声をよく聞く.しかし,「より詳しい災害情報」は,本当に「被害軽減に結びつく災害情報」になるのだろうか (途中略)

県などから市町村に届くFAXに含まれる情報は,現在よりむしろ簡略化される.従来なら警報発表地域名と,具体的に予想される現象などを記した「文章情報」がFAXの中に記載されたが,情報量が増えすぎて警報発表地域名の列挙が中心になると聞いている.情報端末の使い方に習熟しなければ,むしろ今までより得られる情報が少なくなる可能性すらある.

 市町村警報によるメリットが多々あることは間違いない.メリットを生かすためには,誰が,どう使うのかを,より真剣に議論していく必要があるだろう.
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このあたりは、専門家が陥りやすい罠の典型だと思います。わかりやすいというのは「詳しい」ということではなくて「イメージを共有しやすい」ということです。その意味では、ポイントを絞ったメリハリのある情報提供が必要です。例えば曲の楽譜をいくら詳しく解説しても、それがメロディーとして人々の印象に残るとは限らないというのと同じことと思います。


七面山登山 - 日蓮宗と岩盤クリープのシンボル -

2010年05月01日 | 各地でのTOPICS

GWは天気にめぐまれ、以前から予定していた七面山登山をしてきました。1989mですから結構な山ですが、登山道は良く整備されていて山頂まで3時間半くらいで上ることができました。

七面山といえば、一般的には日蓮宗の寺院があり信仰の山として有名でしょう。一方で、山地の防災や地形・地質に関わる技術者にとっては、岩盤クリープに伴う大規模崩壊の山として有名でもあります。千木良先生の著書『風化と崩壊』http://www.d1.dion.ne.jp/~kinmirai/05-Fuuka-to-houkai.htmlに詳しく書いてあります。

写真は標高1500mを超える場所にある寺院の池です。岩盤クリープ領域で地層が東方に倒れかかり、V字型の断層ができて、船の底のような凹地が形成されたと考えられています。


私としてはどうしても空中写真が見たかったので買ってみましたが、これぞ2重山稜といった感じ、また日本を代表する地質構造線が走る地域で、地形変化が活発、まさに動くこと山の如しです。敬慎院の鐘の音にも諸行無常を感じました。


事業仕分け - 建築研究所の仕分け、国総研や土研との統廃合も

2010年04月30日 | 防災・環境のコンセプト
ケンプラッツの記事より。長いので興味のあるところだけ抜粋します。

建築研究所の仕分け、国総研や土研との統廃合も
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/article/building/news/20100428/540994/?P=1

評価者 国交省内に一つの研究機関を設ければ、建築研究所と同じ役割を十分に果たせるのではないか。

説明者 建築研究所にはプロの研究者が四十数人もいる。行政官とは立場や専門分野が違う。実験装置もいろいろと必要になる。国交省内に設けるよりも、今のままやる方が・・・・・・。

評価者 省内とは、(場所を移すのではなく)組織内に移すという意味だ。建物や設備、研究者の陣容を全く変えずに、看板だけ独立行政法人から国交省に掛け替えた方が、管理費が浮くのではないか。その分を研究費などに回せるのではないか、という質問だ。

説明者 建築研究所が国立の研究所になるという意味か。ご指摘の側面はあるかと思う。研究効率が確保されるならば、(省内に移すことを)否定する気はない。ただ、我々は現在の組織体制で研究効率の向上に努めている。職員のモチベーションも高いし、それなりに業績も上がっていると思う。



評価者 建築も土木も全くの素人だが、両者の境目はどれくらいのものか。統合することで、管理部門以外のメリットも出てくるのではないかと思うが。

説明者 建築と土木は近いようでも違う。例えば、大学では建築学科と土木工学科は分かれている。ゼネコンでも組織が分かれている。なぜかと言うと、土木はダムや道路といった巨大インフラを国土に整備する。一方、建築は住宅などの日常生活を対象にしている。対象やスケール、手法、成果の生かし方などがかなり違う。



評価者 基準をつくることと、基準をつくるための研究をすることは、ある程度分ける必要がある。前者は国交省や国総研がやっている。建築研究所はそのサポートをしている形だが、この機能は国交省がまるごとやった方が整理しやすい。一方、後者は本当に建築研究所しかできないのか。ほかにも研究機関はたくさんあって、競争的な入札などができるのではないか。

説明者 最近は民間の研究機関もレベルが上がっている。しかし、民間は収益性の向上を目指した研究をしている。建築研究所の研究のように、公益性を目指した研究ではない。基準づくりのための研究は収益性に結びつきにくいことが多く、民間の参入意欲が低い。民間はプレーヤーで、国や建築研究所がアンパイアとしてルールをつくっている。ルールはプレーヤー自身がつくるよりも、公的な第三者が中立的な立場でつくった方が適切ではないか。そういうわけで、建築研究所の研究をすべて民間に任せるというのは限界がある。

評価者 ルールづくりは、国交省などがしなければならないことだ。民間がつくってもいいとは誰も言っていない。一方、ルールづくりの前提となる研究を民間がやれば、うそをつくのか。科学的な研究だから、うそなんかつきようがないでしょう。

説明者 我々は大学や民間の研究成果を踏まえたうえで、基準化していくときに欠けているところは何なのか、足らないところは何なのかという点を抽出して研究している。だから、よそでやった研究成果を必ず使っている。よそでやっているからいらないというのではなくて、基準づくりに必要な最後のキーポイントの部分を研究している。