日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

石橋湛山の歩みを学ぶ・・・

2024年08月22日 07時31分48秒 | 政治
という見出しで、18日付「山梨日々新聞」は、超党派議連の衆参両院の国会議員9人が、甲府市朝気1丁目にある「平和ミュージアム<石橋湛山記念館>」を訪れて、暦史上最も短命の内閣を主宰した石橋湛山(1884-1973)元首相について学んでいった、という記事を掲載した。その徹底した平和主義、現実主義者の石橋湛山こそ、政治資金問題で上を下をの大騒ぎをしているような今どきの堕落政治屋たちには丸ごと忘れられているに違いないとあきらめきっていた筆者には、驚天動地の話題で大いに驚いた。聞けば、この研究会は昨年6月につくられ、国旗議員90人もが参加しているという。大いに遅きに失したのは言うまでもないが、今どきの政界人士にとって手の届かない偉人石橋湛山であってみれば興味も関心も呼ばないだろうと思っていたから、これは誤算であったと大いに驚いたのである。
当日は、堀内詔子衆院議員が案内役を務めたそうだが、そう言えば彼女の祖父小林中(こびゃしあたる、通称コバチュウ1899– 1981):実業家、初代日本開発銀行 (現・ 日本政策投資銀行 )総裁、 日本航空 会長、 東急電鉄 社長、 富国生命保険 社長。1ドル360円の固定レートを決めた外資審議会長)は湛山とは、同じ甲州人として大いに交流があったはずだから、そんな先祖の導きがあったかもしれない。
歴史に「 if 」は無いというが、それでもあの時「もし、湛山が肺炎に罹らなければ岸信介の芽は無かったかもしれない。さすれば日米のその後の関係はかくも隷従屈服の関係ではなく、対中・対ロの外交関係においてももうちょっと温和な戦後国際関係が形成されていたかもしれない。そもそも、岸の孫安倍晋三氏が歴史上最長政権を樹立するなどという後日譚は生じなかったに違いない。
いま、日中、日ロ、日朝とこの島国を囲む隣人国とはすべからくとげとげしい関係に陥っている。遠くの親戚より近くの他人との付き合いこそが外交の基盤であってみれば、現状は最悪の国際関係と言うべきだ。この事態を見て、湛山は何と思っているだろうか?、筆者はなんとしてでもこれを湛山翁に聞いてみたいと思うのである。
この議連の諸氏にはぜひそういう思いで、石橋湛山について学んでもらいたい。上記石橋湛山博物館には湛山の著作が完備している。大いに読んで学んで、東アジアの平和について熟慮をしてもらいたいものだと、上記べた記事を読んでの感想である。