忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

震災と「精神」(4)

2012年07月11日 | 東日本大震災と道徳教育
◆『日本人の心はなぜ強かったのか (PHP新書)

続けて「日本文化のユニークさ」7項目に沿って検討する。とくに(4)と(5)に注目したい。

(4)大陸から海で適度に隔てられた日本は、異民族により侵略、征服されたなどの体験をもたず、そのため縄文・弥生時代以来、一貫した言語や文化の継続があった。

(5)森林の多い豊かな自然の恩恵を受けながら、一方、地震・津波・台風などの自然災害は何度も繰り返され、それが日本人独特の自然観・人間観を作った。

まずは(4)から。異民族による侵略、征服がほとんどなかったということは、日本文化や日本人の性質を語るうえでかなり重要なことである。要点のみ述べよう。

民族相互の争いに明け暮れる悲惨な歴史を繰り返してきた大陸の人々は傾向として、常に相手からつけこ込まれたり、裏切られたりするのではないかと怯え、基本的には人間を信頼しない。つねに警戒すると同時に、どうやったら相手を出し抜き、ごかませるかと、攻撃的、戦略的に身構える。そこには前提として人間不信がある。

一方日本のように平和で安定した社会は、長期的な人間関係が生活の基盤となる。相互信頼に基づく長期的な人間関係の場を大切に育てることが可能だったし、それを育て守ることが日本人のもっとも基本的な価値感となった。その背後には人間は信頼できるものという性善説が横たわっている。

加えて日本人は、人口の8割以上が農民だったので、田植えから刈入れまでいちばん適切な時期に、効率よく集中的に全体の協力体制で作業をする訓練を、千数百年に渡って繰り返してきた。侵略によってそういうあり方が破壊されることもなかった。

礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、治安のよさ、勤勉さ、仕事への責任感、親切、他人への思いやりなどは、こうした歴史的な背景から生まれてきたのであろう。

(5)についても要点を記す。異民族間の戦争の歴史の中で生きてきた大陸においては、信頼を前提とした人間関係は育ちにくい。戦争と殺戮の繰り返しは、不信と憎悪を残し、それが歴史的に蓄積される。一方日本列島では、異民族による殺戮の歴史はほとんどなかったが、自然災害による人命の喪失は何度も繰り返された。

しかし、相手が自然であれば諦めるほかなく、後に残されたか弱き人間同士は力を合わせつつ、忍耐強く生きていくほかない。こうした日本の特異な環境は、独特の無常観を植え付けた。そして、人間への基本的な信頼感、優しい語り口や自己主張の少なさ、あいまいな言い回しは、人間どうしの悲惨な紛争を経験せず、天災のみが脅威だったからこそ育まれた。

以上のような日本人の特質は、東日本大震災後の混乱状態のなかでも保たれ、世界の人々を強く印象付けた。それは、戦後も失わなかった日本人の特質だが、齋藤のいう「精神」が戦後失われてしまったのだとしたら、失われたものと失われなかったものとの違いは何か。

太古の昔から地理的・歴史的条件の中で自然に身についてしまった文化の基盤は、そうおいそれとは失われない。しかし、それはあまりに自然に生きられてきたので、自分たちの特質として自覚されにくく、ましてや共有される「精神」とはなりにくい。

齋藤のいう武道「精神」や儒教「精神」は、江戸幕藩体制に組み込まれ、強化されてきたという側面もあり、それらの「精神」を伝えていく教育方法もしっかりと確立していた。しかし、その教育制度を断ち切られてしまうと途絶えてしまうもろさも持っていた。それは比較的新しい教育方法の上に成り立っていた「精神」だからである。逆に言えば、その教育方法を取り戻せば復活しうる「精神」だともいえる。

一方、(4)や(5)のような地理的・歴史的条件によって育まれた日本人の特質は、おそらく日本の歴史とともに古く、あまりに当然のものだったので、それを誇りに思うことも、共有財産として自覚的に生きようとすることもなかった。しかし、共有財産として自覚するようになれば、それは「精神」となる。何らかの教育によってそれを次世代へ伝えていこうする自覚が生まれ、「精神」としてさらに強化される。そうなったとき、心がもろくなったと言われる日本人にとって、心の大きな支えになることは間違いない。

子どもたちの視点から言えば、自分たち日本人の礼儀正しさ、規律性、社会の秩序、勤勉さ、仕事への責任感、親切などが、日本の地理的・歴史的条件の中で育まれてきた大切な財産であることを自覚する学びとなり、その学びが誇りともなる。ときに震災などによる犠牲をともないながら日本人が守り育ててきたかけがいのない財産であることを学ぶのである。そして、それを守り、未来に伝えていこうとする「精神」をともに生きることは、子どもたち一人ひとりの心にとっても、何よりも力強い支えとなるはずである。


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