忘れえぬ体験-原体験を教育に生かす

原体験を道徳教育にどのように生かしていくかを探求する。

私の原体験 ⑱

2010年04月18日 | Yutakaの原体験
 我が家に家計の問題と共に、家事の問題もふりかかってきました。
私は子どもの頃から、料理・洗濯・食器洗いなど
全くやったことがありませんでした。
 ご飯の炊き方から、洗濯機の使い方まで何も知りませんでした。
妻の死後、まず子どもたちと家事の分担をして滑り出したのですが、
毎日がイライラの連続でした。
 食器洗いがしていなかったり、掃除がしていなかったり。
おまけに室内犬の犬がオシッコやうんちをしていたり、
大事なものをかじっていたり。
 子どもや犬を怒鳴ったり、
イライラしている日が続くようになりました。
家計は余裕が無くとも、なんとか生活をしているのですが、
家事の方はイライラの連続でした。
 良いことと言えば、職場の女性とのコミュニケーションが
密になったことです。
 理由は、料理の作り方から食材の買い方、
保存の仕方など、知らないことばかりでしたので、
いちいち教えてもらっていたからです。
 子どもを怒りながらも、ある時私は決心をしました。
「私が家事全部をやろう。私が家事全部をやるのだ、
 と思えば子どもたちがやらなくとも腹は立たない。
 手伝ってくれれば感謝できる。」
その日から毎朝4時半に起きて、掃除機をかけ、
洗濯ものを乾燥機で乾かし、乾いた洗濯物をはかごに入れ、
お弁当を作り、犬の散歩をし(仏壇のお供えも)、
朝食の準備をする日々が始まりました。
 女性の先生から学んだ家事の鉄則、どんなに疲れ夜遅くに帰宅しても、
その日のうちに翌朝のご飯を炊くこと、
洗濯機を回すことを併せて実行していきました。
 それ以後、体は疲れますが、イライラも少しずつ無くなり、
子どもや犬に怒らなくなっていきました。
 子どもに頼る、私の心のずるさに気づいたのかもしれません。
妻が生きていた頃も、こうしたずるさがあったことを思い出しました。
 妻に「これをやっておいてくれない」と優しく頼んでいるようで、
やっていてくれないと妻に腹を立てている自分がそこにいました。
 忙しいからと、周りの人に頼る性格を、
改めて思い知らされたのでした。
 今から思うと、妻にお願いと言うより、
実質的には命令していた自分が情けなく思いました。
 男は仕事だ、とうぬぼれていた以前の私のから、
家事と仕事の両立の生活が始まりました。
 両立といえば格好良いのですが、
職場で夜8時を過ぎるとスーパーで食材が買えなくなることが頭をよぎり、
仕事が中途半端でもスーパーへ向かう今の自分、
今日の料理は何にしようかと職場で考えている自分、
弁当のおかずはどうするか、そんなことを考えている自分、
新しい自分が始まったのです。
(つづく)


温かい叱り方と冷たい叱り方

2010年04月18日 | 教育談義
 子どもを叱るのは、子どもがよりよく生きていけるように行動や態度を
正しくしてあげたいからです。
 ほめるだけでそれができれば越したことはありませんが、
子どもにしっかりとした生活習慣や考え方を身につけさせるためには、
いけない時には叱らなければなりません。
 しかし、その場合の叱り方はあくまでも心の通った温かい叱り方であって、
子どもを見放した冷たい叱り方ではいけません。
 冷たい叱り方とは、子どもに親の温かい心を感じさせない、
突き放した叱り方です。
子どもに反発心や敵意、孤独感を感じさせる叱り方です。
 温かい叱り方とは、たとえ厳しく叱ったとしても親に愛されている
という実感が子どもにつたわる叱り方です。
それはその子にとってかけがえのない体験となるでしょう。
 上手な叱り方や正しい叱り方、好ましい叱り方というものは、
叱られた結果その子どもが悪かった点を自覚し、
「これからは改めよう」という気持ちを起こさせる叱り方です。
 叱る者と叱られる者との間の人間関係がより深まる叱り方です。
子どもがこれからの生活を、
より良くしようとする意欲を起こさせる叱り方です。
叱られて、良い気持ちのする人などひとりもいません。
誰にとってもつらくいやなものです。叱る立場も嫌なものです。
 しかし温かい心から叱るのであれば、
必ず子どもに温かい親の思いも伝わっていくものです。
「温かい心で叱る」ということが、叱り方の基本なのでしょう。