グリフォンの日記

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児童ポルノ規制の先にあるもの

2008-05-25 00:05:34 | 日記・エッセイ・コラム

最近になって、また降って沸いたような規制の数々。児童ポルノ所持で規制、インターネットの容量規制、中国人の犯罪行為より日本人を規制。なんでもかんでも規制、規制、規制...。今日は少し長くなるのをご了承頂きたい。

 

この『児童ポルノ、単純所持規制法案』についての話しである。まず、自分の考えでいけば、幼児に対して、性的欲求をぶつけるというのは、一般常識として、自然界の摂理からしても、おかしな話だと思う。まあ、自分自身は、ロリコンとかの類の趣味は、ないのでどうでも良いと、言えばどうでも良いのだが、ただ、この法案には、自分が考え付く限り、大きな落とし穴が二つ考えられる。

 

 一つは、闇での売買の横行。二つ目は、冤罪の可能性である。

 

一つ目の話は、アメリカの例を出してみよう。1920年 アメリカで『禁酒法』を制定、施行したが、これが犯罪の増加や夫からの暴力、マフィア同士の抗争による治安の悪化などの社会問題を引き起こす、きっかけとなった。さらには、酒の密造やカナダからの輸入が急増。それをマフィアが、高値で大量に売りさばき、莫大なる資金源とした。

 

つまり、欲しいという願望を持つものがいる限り、残念な事に、この世から無くなることは決してないのである。当然、それを規制することによって、今まで見えていた部分が、闇のそのまた闇の中へと販売ルートが移るだけであり、その結果、暴力団の資金源として成り立つ危険性を秘めているのである。

 

また、二つ目の『冤罪』について言えば、痴漢行為と同じく、何の落ち度も無い人間が、そうした犯罪者としてデッチ上げられる可能性があるのである。

  

例えば、女性が恋人の男性宅で同棲していたとする。ふとした、きっかけから男性側から女性に別れ話をしたとしよう。もし、この時女性が男性を憎いと思えば、荷物を纏めるフリをして、その男性が居ない間に、こっそりと押入れの中に児童ポルノをしのばせ、パソコンに、これでもかっと言うぐらいの、児童ポルノ画像を入れ込んでおく。そして、男性が帰宅したのを確認し、警察に訴え出る。知らぬは、男性本人ばかり成り。瞬く間に、冤罪で起訴されてしまうのである。

 

それだけではない。女性側でも同じような冤罪に持ち込まれる可能性を秘めているわけで、例えば、買い物袋を提げた女性が電車に乗っているとしよう。買い物袋の口が開いていれば、そこの児童ポルノを入れられて、通報される可能性はゼロだろうか?「私は女性だから、女児のポルノなんて入れられても、おかしな話じゃない?」とお思いのそこのあなた。児童ポルノと一口に言うが、男児も女児も含まれていることに注意しなければならないのだ。

 

「そんなことしても直ぐに疑いは晴れるよね。」と楽観視していると、酷い目見るだろう。痴漢の冤罪の例を見て見ればよい。『児童ポルノ所持違反で逮捕』なんて事が、近所にバレて、会社にもバレて、いくら冤罪で釈放されて「いやいや、あれは冤罪ですよ。誰かが私を陥れようとした罠なんです。」と言い訳をしても、周囲の目というものは、何処か他所他所しく、冷たい視線を感じるようになると思わないだろうか?特に、あなたに好意を持っていない人間からすれば、「ざまーみろ!」と冷たくあしらわれ、散々陰口を叩くだろう。

 

要は、厳しい規制ばかり作っても、決して、問題の根本解決に至ることはないのだ。しかも、「冤罪」がまかり通るような悪法を通そうとしてる議員は、やっぱりそこまで頭の回らないアフォなんだと思う。いくら前に作った法案が破れているからといって、そこを補修もせずに、その上に厚化粧を施して、これで良し、などと話しをしているのが、こうした議員なんだろう。失礼な話しついでに言うが、こんな事考えてる暇があったら、そのぶ厚い皮の上に重ね塗りしなければならない厚化粧の事でも考えてた方がいいんじゃないか?と思う。それこそ、こんな駄案を通した暁には、その議員の机の中にでも、例のものを放り込んでおいて、「小○代表 児童ポルノ所持で逮捕」なんて新聞の見出しで発表されれば、少しは自分達の愚策に気づくだろう。

 

そもそも、「そうした性的嗜好を何故持つのか?」という問題定義が、全く抜け落ちていると思うのである。変な話をすれば、性癖というのは、SもあればMもあり、ホモも居れば、レズも居る。そのような性癖が何故、人それぞれに形成されているのかを考えなければ、問題解決のプロセスは、絶対に導き出されることはないのである。(どこぞのトラ退治をした姫様は、ドMの”ぶってぶって”姫だったそうだが・・・。)少数の嗜好に対して、あまりに過剰に反応して今回のような法案をぶち上げているようだが、その人間をどうやって、あぶり出し、その感情を歳相応の異性に適応できるように更生させれるかが、本来の目的でなければならないのでは、ないだろか。

 

自分の例で考えてみると、そうした類の嗜好を持たなかった原因は、一つは過去のトラウマであり、もう一つはその成長過程における恋愛プロセスであったと考えられる。

 

そのトラウマとは、生まれて初めて異性というものに対して、欲情を覚えた時であると考えれる。これは、ただの初心な初恋とは違い、その異性の体の構造に対して、敏感に反応したという事を指す。自分の話しで申し訳ないが、まだ小学校二年生だった頃。友人の家に、遊びに行った時に、その友人の母親が、自分らの目の前で、突然、下着姿になり、衣服を着替えていたことだったと記憶する。何故なら、今でもその光景が鮮明に脳裏に焼き、その状況を刻銘に綴っているのである。自分より年上の女性に対する初めての欲情という感情が、脳裏にインプットされていることを考えれば、幼い子供に対して、そのような感情が芽生える可能性はかなり低いのでは、ないだろうか?

 

これが、トラウマの正体であり、おそらく誰にでもこのトラウマはあるはずだ。それは、近所の優しいお姉さんのスカートが捲れ上がってパンツが見てしまった時かもしれない。あるいは、かっこいいお兄さんが、着替えをして三つに割れた腹筋を見た時かもしれない。まだ、幼かったあなたが、そうした日常にありふれた場面の中に、何かしら敏感に反応する場面を覚えていないだろうか?その感情は、相手に対する憧れや尊敬、羨望であり、そうした好奇心と性的衝動が交錯した時に、起こったと考えられる。

 

この過去のトラウマと同時にもう一つの成長過程における恋愛への得手不得手が、後のこうした幼児に対する性癖を形成していったのではないかと考えるのである。

 

そうした観点から見れば、このような性癖を持った人を矯正できるかと言えば、心理学を使った刷り込みによる矯正は、可能だと思われる。そうした性癖から脱したい人間が居れば、そうした人間に対して社会が、それの手助けをすることが重要なのである。 むやみやたらと「叩けばいい」「臭いものには蓋をすればよい」では、根本的解決はできないと思うのである。