玄文講

日記

犬とケンカ

2005-10-09 01:03:49 | 個人的記録
昨日、私は野良犬とケンカした。

日も暮れた頃に私が周囲を畑で囲まれた道を一人歩いていたところ、小走りに後ろから何かが近づいてくる気配を感じた。

振り返るとみすぼらしい汚れた白犬がいた。
首輪をしていないので生来の野良なのかもしれない。
間の抜けた顔をした、弱そうな犬だった。

それで犬は私の後ろ、横、前を行ったり来たりし始めた。
私は始めは特に気にもせず、横目でその犬の様子を見ていたのだが、やがて犬はやけに私に近づいてくるようになった。
後ろを振り返ると、足元にいた犬と目が合い、犬は急いで畑の中に入って私の横を走ったりするのだ。
何か妙だ。

そして、しばらくしてから犬は急に低くうなりながら私の周囲をゆっくりと旋回しはじめたのだ。
その顔から先ほどのマヌケさが消えていて、敵意を露わにしていた。
私は、この犬は狩りをするつもりだと理解した。


やがて犬は急に勢いよく走り出して私の後ろに回りこんだ。
来るつもりだ。
私は急いで振り返り、腰をかがめて、懐から寸鉄を取り出した。
それで私に向けて一直線に走り出そうとしていた犬が止まった。

牙をむいた犬の両目が夜道の中で光っているのが見えた。
嫌だ。嫌だ。
犬とケンカなんて御免だ。犬は強い。犬は加減を知らない。
あの犬はなんてことはない普通の中型犬だ。しかし、それでも犬に素手で勝てる人間は少ない。
しかもあれは首輪をしていないから(いまどき狂犬病なんてないだろうが)噛まれたときの病気が心配だ。だが無傷で勝つ自信はない。
やばい。やばい。やばい。

私が持っているのは護身用のちんけな寸鉄だけだ。
相手が人間ならばこんなので十分なのだ。腕や足や腹を少しつつくだけで戦意をなくして逃走してくれる。
しかし動物に中途半端な攻撃をしても逆効果だ。

私は昔何度か見た闘犬の犬を思い出した。目を潰され、耳が欠けて、顔や胸が血で赤黒く染まり、相手の首にしがみついたまま身体を回転させて、火を近づけても決して相手を離そうともせずに闘い続けるあの犬たちの姿を。

私は、あの犬たちの返り血と血の混じったよだれで服を汚しながら、その闘いに感心したものだった。
この野良犬があの闘犬と同じだとは思わない。もしそうならば私は確実に死ぬ。
しかしこいつがあれと同じ犬科の生き物であることは確かなことなのだ。

こんな寸鉄では接近戦に持ち込むしかない。だが犬との接近戦は自殺行為だ。せめて口の中に手を寸鉄ごと突っ込むか、噛まれながら腹や首や目を突きまくるしかない。
無謀だ。私はケンカが弱いのだ。私の古い知人たちならば、あんな野良犬の1匹ぐらい簡単にねじりふせるだろうに。
自分の無力が恨めしい。それに犬とケンカするなんて滑稽で頓馬でバカなことだ。大バカだ。

私と犬のにらみ合いはほんの少しの時間で終わり、犬は再び畑の中に駆け込むと、小刻みに動きながらうなり、そして吠え始めた。
だから私も吠え返した。
歯をむき出して、うなりながら、雄たけびを上げた。
犬の吠える声を掻き消すくらいの大声で「ウオオオオオオ」と叫び返した。
自分の叫び声が障害物のない畑を抜けて遠くまで響くのを感じた。

それで犬がひるんだ。
私は心の中で快哉をあげた。犬の中での私の扱いが「格下の獲物」から「不可解な奴」に変わったのを感じた。
今がチャンスである。
私はきびすを返して走って、逃げ出した。

追いかけてきたら闘う。このまま逃げ切れれば幸運。そう思いながら走った。
そして私は幸運であった。
犬は追ってこなかった。




吠えられて、叫んで、逃げて、私は本当に滑稽だったことだろう。
それから私は念のために犬対策をすることにした。
催涙スプレーがあれば一番良いのだが、
私は昔所有していたほとんどの武器を「いい大人がこんなものを持って喜んでいてはいけない」と思い、処分してしまっている。
催涙スプレーもその時に処分済みだ。
犬相手には最適な道具であったのに惜しいことをした。
とりあえず私は近くのコンビニでコショウと虫除けのスプレーや刺激の強い薬品を買い、犬対策の道具を幾つか作った。
これで次に襲われたときは余裕をもって逃げることができる。(闘うことは始めから考えていない。)



それにしても、いたずらしたわけでもないのに、なぜ私が襲われそうになったのかは分からない。
昔から犬は私を嫌うのだ。
知人の飼うおとなしい小型犬も、私を見ると吠え始め、飼い主が「いつもは、こんなのではないのですが」と当惑することも度々(たびたび)だ。

犬に襲われそうになったのだから、本当は今すぐに保健所に電話すべきなのだろう。しかし、だ。

あの犬は、もしかしたら昔大学で誰かに飼われていた、よく眉毛を書かれたり、体に落書きをされていた有名な「バカ犬」かもしれない。
あの犬も白くてマヌケな顔をした弱そうな犬だった。
もっとも白い犬なんてどこにでもいるし、あれは人間に対してほとんど無抵抗な犬だった。
しかし、どんな犬も何故か私の前では凶暴になるのだ。

あれがもしあの犬ならば、あまり殺したくない。
とりあえずもしもう一度襲われたら、保健所に電話して駆除を依頼しよう。