玄文講

日記

幕間5

2005-10-06 07:12:16 | 個人的記録
学位論文の提出が明日にまでせまってきた。
しかしそんなことは別にどうでもいいことではある。

どうでもいいことと言えば、昨日、私は運がないと書いた。
しかしだからと言って私は自分が不幸であるとは思っていない。
運がないのと不幸は別のことである。

私はバスにはねられたことがあるが軽い打撲ですんだ。だから不幸ではない。
切符をなくし、道に迷い、ぼったくられて、犬に追われたことがあるが、目的地には着けた。だから不幸ではない。
ケンカ騒ぎに参加するはめになったことがあるが無傷ですんだ。だから不幸ではない。
くだらないトラブルに巻き込まれたことがあるが私に被害はなかった。だから不幸ではない。

月給は9万円で、器量は悪く、体力はなく、知恵もないが、生きていられる。だから不幸ではない。

犬の糞はふむし、急な雨に降られるし、チンピラにはからまれるし、プリンタは壊れるし、バスは目の前で走り去り、1時間待ってからさっきのバスが最終便であることに気がつくし、味噌汁の中にふやけた虫が入っているし、茶を布団にこぼしてベランダに干しておいたら地面に落ちていたし、風呂の湯沸かし器は調子が悪いし、バクチには負けた。
しかし不満はないのである。

なにも私はパレアナのように「良かった探し」をするつもりはない。
不運は不運。ダメはダメ。バカはバカ。無能は無能。クソはクソである。
解釈や視点を変えて前向きに考えるだなんて現実逃避であり、「貧しきものは幸い」なわけはないのである。
ただ私は不運や自分の無能が致命的な損害を呼んだことがないので「不幸ではない」と思っているだけなのである。

(ちなみにパレアナは日本ではアニメ版のタイトル「愛少女ポリアンナ物語」と言った方が通じやすいであろう。
それにしても酷いタイトルである。)