人間には性別が二種類ある。
男性と女性だ。
ホルモンバランスの問題で女性のような男性や、精神と肉体の性別が一致していない例はあるが、
人間は男性が女性に変化したり、この二つ以外の第三の性が存在したりすることはない。
だがこの制限は自然界においては絶対的なものではない。ある種の微生物は無数の性別を持つことが知られているし、雌雄両性体や雌雄が変化する生物も沢山いる。
カタツムリは雌雄両性体で、交尾してお互いの卵子にお互いの精子を送り込む。
また雌雄変化にはオスからメスになる場合とメスからオスになる場合がある。
基本はそれぞれの個体が繁殖に最も有利になるような変化を選択しているということだ。
これを適応度を高める行為と呼ぶ。適応とは、より多く繁殖することを意味する。
そしてこの適応度を研究する学問のことを「社会生物学」と呼ぶ。
その学問はこの現象を次のように説明する。
まず生殖細胞には二つのサイズがある。
小さな精子と大きな卵子である。
精子は少ない資源で大量に生産でき、出せば終わりである。
一方、卵子は精子よりはるかに大きくて一定量しか作れず、受精した後も胎内で長期的に育てて生まなくてはいけない。より多くの資源と時間を要するわけである。
よって体の小さい間は少ない資源で精子を生産できるオスでいて、体が大きくなった時に多くの資源を必要とするメスになった方がコストパフォーマンスが良いことになる。
それがオスからメスになる変化を選択した種だ。
魚にこういう選択をした種が多い。
広い海では異性に出会うチャンスが少なく、少ない機会を最大限に活用する必要があるからだ。
せっかく魅力的な異性がいるのに僕は子どもですから他を探して下さい、なんて言っていたら子孫は残せないわけである。
だから彼らは一刻も早く体の小さいうちから性的に成熟してしまいたい。
そうなれば初めは少ない資源(小さな体)で精子を生産できるオスになって、体に余裕ができたらメスになるのが一番である。
それではメスからオスになる生物はどういう理由で存在しているのだろうか。
それを選択した種は一匹のオスが複数のメスを独占するハーレム型の種に多い。
つまり体の小さいうちはメスになってオスの子どもを産み、体が大きくなって戦闘力がついたらオスになってライバルを負かし沢山のメスを妊娠させるわけだ。
これなら少なくとも一体には自分の遺伝子を残せるし、上手くいけば沢山のメスに自分の遺伝子を持つ子どもを産ませることができる。
しかし大型の哺乳類で雌雄の変化をする種はほとんどいない。
それは魚類と違って哺乳類の生殖器官は大きくて複雑な構造をしているからだ。
魚なら直径一ミリ以下の卵巣を少し変化させて精子を作り、同じ管を使って排出すればいい。
しかし哺乳類が同じことをするには陰のうを子宮に変えて、排出の為にペニスを膣に改造しなくてはいけない。
それがどれだけ大変かは歌舞伎町の人に聞けばよく分かるはずである。
男性から女性、女性から男性になれない理由は分かった。
では両性を同時に持つことは不可能なのだろうか。つまりあらかじめ両性を持って生まれてくる可能性である。
つまり単一性、もしくはカタツムリのように両性具有が「適応」に有利ならば人はそれを選択していたはずであるから、そうならなかったのには理由があるはずである。
まず、性は何故分化しなくてはいけなかったかのだろうか。
それは遺伝子のエラーを修正するために性は別れる必要があったからである。
単一性ならば遺伝子にエラーが生じれば、それはそのまま子孫に受け継がれ続け、破滅をもたらしてしまう。
しかし2つ以上の性別の遺伝子があれば、お互いに遺伝子を比較しあってエラーを修正することが可能となる。
これが単一性にならない理由である。
では両性具有にならない理由は?
それはおそらく不合理だからであろう。
オスであり、同時にメスであるにはコストが高くつく。
しかしオスである利点や、メスである利点はあっても、両性具有である利点はあまりない。
コストが高くつき、見返りも少ない。
それならば誰も両性具有などは選択しないであろう。
「個体は自分の適応度を高めるための選択しかしない」という社会生物学の公理に反する行為である。
ここで私は夢想する。
もし環境に合わせて自分の体を縦横無尽に変形させることができる生物。
筋肉を増やし、骨格を変形させ、臓器の構造を変化させ、自分自身にとって最も有利と思われる身体能力をあっという間に手に入れてしまう生物がいたとしたらどうなるだろうか。
彼らににとってオスになる方が有利ならば、彼らは女の性なんてものはとっとと捨ててオスになってしまうことだろう。
ありえないことを考えるのは面白いものである。
(参考文献)
生物はなぜ進化するのか サイエンス・マスターズ
ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子(訳)
(追記、同日)
ここでの私の主張は「全人類が両性具有にならない理由」であり、少数者としての両性具有ならば存在している。
両性具有 - 半陰陽、あるいは第三の性
半陰陽『ウィキペディア(Wikipedia)』
半陰陽
「半陰陽者」ハッシーさんインタビュー
インターセックス・半陰陽者連絡会
井野博美 短編小説集
生物学的に「両性具有の人間が淘汰される」ことと、「人間社会において生きる彼らの権利を守る」ことは別問題である。
よって前者の立場から後者を見下したり、後者の権利のために前者の説を否定することは避けるべきである。
自然は道徳ではなく、道徳は自然ではないのである。
男性と女性だ。
ホルモンバランスの問題で女性のような男性や、精神と肉体の性別が一致していない例はあるが、
人間は男性が女性に変化したり、この二つ以外の第三の性が存在したりすることはない。
だがこの制限は自然界においては絶対的なものではない。ある種の微生物は無数の性別を持つことが知られているし、雌雄両性体や雌雄が変化する生物も沢山いる。
カタツムリは雌雄両性体で、交尾してお互いの卵子にお互いの精子を送り込む。
また雌雄変化にはオスからメスになる場合とメスからオスになる場合がある。
基本はそれぞれの個体が繁殖に最も有利になるような変化を選択しているということだ。
これを適応度を高める行為と呼ぶ。適応とは、より多く繁殖することを意味する。
そしてこの適応度を研究する学問のことを「社会生物学」と呼ぶ。
その学問はこの現象を次のように説明する。
まず生殖細胞には二つのサイズがある。
小さな精子と大きな卵子である。
精子は少ない資源で大量に生産でき、出せば終わりである。
一方、卵子は精子よりはるかに大きくて一定量しか作れず、受精した後も胎内で長期的に育てて生まなくてはいけない。より多くの資源と時間を要するわけである。
よって体の小さい間は少ない資源で精子を生産できるオスでいて、体が大きくなった時に多くの資源を必要とするメスになった方がコストパフォーマンスが良いことになる。
それがオスからメスになる変化を選択した種だ。
魚にこういう選択をした種が多い。
広い海では異性に出会うチャンスが少なく、少ない機会を最大限に活用する必要があるからだ。
せっかく魅力的な異性がいるのに僕は子どもですから他を探して下さい、なんて言っていたら子孫は残せないわけである。
だから彼らは一刻も早く体の小さいうちから性的に成熟してしまいたい。
そうなれば初めは少ない資源(小さな体)で精子を生産できるオスになって、体に余裕ができたらメスになるのが一番である。
それではメスからオスになる生物はどういう理由で存在しているのだろうか。
それを選択した種は一匹のオスが複数のメスを独占するハーレム型の種に多い。
つまり体の小さいうちはメスになってオスの子どもを産み、体が大きくなって戦闘力がついたらオスになってライバルを負かし沢山のメスを妊娠させるわけだ。
これなら少なくとも一体には自分の遺伝子を残せるし、上手くいけば沢山のメスに自分の遺伝子を持つ子どもを産ませることができる。
しかし大型の哺乳類で雌雄の変化をする種はほとんどいない。
それは魚類と違って哺乳類の生殖器官は大きくて複雑な構造をしているからだ。
魚なら直径一ミリ以下の卵巣を少し変化させて精子を作り、同じ管を使って排出すればいい。
しかし哺乳類が同じことをするには陰のうを子宮に変えて、排出の為にペニスを膣に改造しなくてはいけない。
それがどれだけ大変かは歌舞伎町の人に聞けばよく分かるはずである。
男性から女性、女性から男性になれない理由は分かった。
では両性を同時に持つことは不可能なのだろうか。つまりあらかじめ両性を持って生まれてくる可能性である。
つまり単一性、もしくはカタツムリのように両性具有が「適応」に有利ならば人はそれを選択していたはずであるから、そうならなかったのには理由があるはずである。
まず、性は何故分化しなくてはいけなかったかのだろうか。
それは遺伝子のエラーを修正するために性は別れる必要があったからである。
単一性ならば遺伝子にエラーが生じれば、それはそのまま子孫に受け継がれ続け、破滅をもたらしてしまう。
しかし2つ以上の性別の遺伝子があれば、お互いに遺伝子を比較しあってエラーを修正することが可能となる。
これが単一性にならない理由である。
では両性具有にならない理由は?
それはおそらく不合理だからであろう。
オスであり、同時にメスであるにはコストが高くつく。
しかしオスである利点や、メスである利点はあっても、両性具有である利点はあまりない。
コストが高くつき、見返りも少ない。
それならば誰も両性具有などは選択しないであろう。
「個体は自分の適応度を高めるための選択しかしない」という社会生物学の公理に反する行為である。
ここで私は夢想する。
もし環境に合わせて自分の体を縦横無尽に変形させることができる生物。
筋肉を増やし、骨格を変形させ、臓器の構造を変化させ、自分自身にとって最も有利と思われる身体能力をあっという間に手に入れてしまう生物がいたとしたらどうなるだろうか。
彼らににとってオスになる方が有利ならば、彼らは女の性なんてものはとっとと捨ててオスになってしまうことだろう。
ありえないことを考えるのは面白いものである。
(参考文献)
生物はなぜ進化するのか サイエンス・マスターズ
ジョージ・C. ウィリアムズ (著), 長谷川 真理子(訳)
(追記、同日)
ここでの私の主張は「全人類が両性具有にならない理由」であり、少数者としての両性具有ならば存在している。
両性具有 - 半陰陽、あるいは第三の性
半陰陽『ウィキペディア(Wikipedia)』
半陰陽
「半陰陽者」ハッシーさんインタビュー
インターセックス・半陰陽者連絡会
井野博美 短編小説集
生物学的に「両性具有の人間が淘汰される」ことと、「人間社会において生きる彼らの権利を守る」ことは別問題である。
よって前者の立場から後者を見下したり、後者の権利のために前者の説を否定することは避けるべきである。
自然は道徳ではなく、道徳は自然ではないのである。