形容詞とは何か。答えは簡単で"The adjective adds a quality to the substantive"(注1)、これだけだ。しかし日本語の形容詞についての知識がかえって躓きの石となる。日本語における形容詞の機能は「連体修飾語になる(美しき花)だけでなく、単独で述語になり得るのは、西洋語の形容詞と大いに違う点で、たとえば、英語の形容詞(adjective)は、The boy is honest. のように、be動詞がなくては述語になることはできないが、日本語の場合は「花美し」のように、形容詞が単独で述語になる。また、「美しく咲く」の場合は、動詞を修飾するのであり、それだけ取り出せば、むしろ副詞と呼ばれるべきものである」(注2)。要すればラテン語、というよりヨーロッパ語に共通していえるのは、形容詞とは名詞に性質を付加する品詞だ、といことだけでそれ以外になにもない。だからわたしたちが"pulcher"を読むとき、これは「美しい」何かであって、「美し」でも「美しく」何かをすることでもない、ということを常に意識する必要があるわけだ。まったく理屈っぽい話なのだが、そもそも日本語の「美しい」を形容詞としているのにはヨーロッパ語文法の影響が多分にあることを忘れないでおこう。そして何か他の語を修飾するという意味では形容詞も副詞も同じで、だからこそ現代語の英語にしてもドイツ語にしてもそうなのだが、形容詞を副詞として読まねばならない文章が多々あるわけだ。この辺りの事情は日本語とて同様で上の引用にもあるように「美しく咲く」といった用法も可能。馬鹿なわたしはこのことを知らずに学校で英文を読んでいたのだから、まったくお話にもならない。
ここで人称代名詞について確認しておく。既に明らかなようにラテン語は動詞の活用で機械的に人称が確定する。"amo"なら「わたしは愛する」、"amatis"なら「あなた方は愛する」という意味になる。したがって普通「わたしは愛する」をわざわざ"Ego amo"とは言わない。もしそのように書いてあったとすれば、よほど「私」を対比的に強調したいときなのだ。たとえば「君は愛さなくとも、この私は彼女を愛するのだ」というような場合"Tu non amas, sed ego amo eam."となる。ここで"tu"、"ego"が人称代名詞。曲用は一人称単数がego,mei,mihi,me,me、複数がnos,nostri(nosutrum),nobis,nos,nobisとなる。長短母音に注目するとego,mei-,mihi-,me-,me-、no-s,nostri-(nostrum),no-bi-s,no-s,no-bi-s。注意すべきは属格には所有格の意味はないということ。動詞、形容詞が属格支配であるときに用いられる。これはちょっと気をつけないといけない。所有を表したいならば所有代名詞というのがる(そんなものいらないってか)。二人称単数は、tu-,tui-,tibi-,te-,te-、複数は、vo-s,vestri-(vestrum),vo-bi-s,vo-s,o-bi-s。属格の括弧で括った綴りは部分属格(genetivus partitivus)用法の際に用いる。部分属格とは「~のうちの」というほどの意味で、"vestrum multi"「あなた方の内の多くは」といったような使い方をする。
では三人称代名詞はどうか。英語ではhe,she、ドイツ語ではer,sie,es、となるところだが面白いことにラテン語には三人称固有の代名詞はなく、指示代名詞であるis,ea,idが用いられるがこれについては次回に回すことにする。
さて理屈ばかりでは力が身に着かないので今回も長文にチャレンジしてみる。といっても他愛ない内容の文章なのだが。
"Societatem jungunt leo, equus, capra, ovis. Multam praedam capiunt, et in unum locum comportant. Tum in quattuor partes praedam dividunt. Leo,autem, "Prima pars," inquit, "mea est, nam leo rex animalium est. Et mea est pars secunda, propter magnos meos labores. Tertiam partem vindico, quoniam major mihi quam vobis, animalibus imbecillis et parvis, fames est. Quartam, denique, paretm si quis sibi arrogat, mihi inimicus erit."(注3)
(注1) "Latin Grammer"p.37 B.L.Gildersleeve Gonzalez Lodge Macmillan 1974
(注2)『日本文法大辞典』198頁 松村明編 明治書院 昭和46年10月15日
(注3)『新羅甸文法』97頁 田中英央 岩波書店 昭和11年4月5日第4刷
ここで人称代名詞について確認しておく。既に明らかなようにラテン語は動詞の活用で機械的に人称が確定する。"amo"なら「わたしは愛する」、"amatis"なら「あなた方は愛する」という意味になる。したがって普通「わたしは愛する」をわざわざ"Ego amo"とは言わない。もしそのように書いてあったとすれば、よほど「私」を対比的に強調したいときなのだ。たとえば「君は愛さなくとも、この私は彼女を愛するのだ」というような場合"Tu non amas, sed ego amo eam."となる。ここで"tu"、"ego"が人称代名詞。曲用は一人称単数がego,mei,mihi,me,me、複数がnos,nostri(nosutrum),nobis,nos,nobisとなる。長短母音に注目するとego,mei-,mihi-,me-,me-、no-s,nostri-(nostrum),no-bi-s,no-s,no-bi-s。注意すべきは属格には所有格の意味はないということ。動詞、形容詞が属格支配であるときに用いられる。これはちょっと気をつけないといけない。所有を表したいならば所有代名詞というのがる(そんなものいらないってか)。二人称単数は、tu-,tui-,tibi-,te-,te-、複数は、vo-s,vestri-(vestrum),vo-bi-s,vo-s,o-bi-s。属格の括弧で括った綴りは部分属格(genetivus partitivus)用法の際に用いる。部分属格とは「~のうちの」というほどの意味で、"vestrum multi"「あなた方の内の多くは」といったような使い方をする。
では三人称代名詞はどうか。英語ではhe,she、ドイツ語ではer,sie,es、となるところだが面白いことにラテン語には三人称固有の代名詞はなく、指示代名詞であるis,ea,idが用いられるがこれについては次回に回すことにする。
さて理屈ばかりでは力が身に着かないので今回も長文にチャレンジしてみる。といっても他愛ない内容の文章なのだが。
"Societatem jungunt leo, equus, capra, ovis. Multam praedam capiunt, et in unum locum comportant. Tum in quattuor partes praedam dividunt. Leo,autem, "Prima pars," inquit, "mea est, nam leo rex animalium est. Et mea est pars secunda, propter magnos meos labores. Tertiam partem vindico, quoniam major mihi quam vobis, animalibus imbecillis et parvis, fames est. Quartam, denique, paretm si quis sibi arrogat, mihi inimicus erit."(注3)
(注1) "Latin Grammer"p.37 B.L.Gildersleeve Gonzalez Lodge Macmillan 1974
(注2)『日本文法大辞典』198頁 松村明編 明治書院 昭和46年10月15日
(注3)『新羅甸文法』97頁 田中英央 岩波書店 昭和11年4月5日第4刷