蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

受験勉強的技術

2005年09月21日 05時41分22秒 | 悼記
わたしがSと知り合うようになったのはHを介してだった。Hは学校に入ってわたしが初めて言葉を交わした学生で、以降わたしの交友関係はすべてHを中心にして広がっていった。
最初からSと親しかったわけではなかった。どちらかというとわたしはむしろ彼を敬遠していた。なにしろサルトルがどうの、カミュがこうの、三島由紀夫はああ言っている、福永武彦はよいとか、だいたい名前は聞いたことがあるものの、彼らの作品など一切読んだことがないのだから話しがかみ合うはずがない。フランス系思想家にはうんざりしていたし、三島文学も当時はまったく読む気にならなかったのだが、これではどうも取り残されてしまいそうな気分になってきたので、わたしはとりあえず福永武彦を読んでみることにした。印象はというと、たとえば「忘却の河」などその暗さにはとことん辟易したものだ。池澤夏樹が福永の息子だと知ったのはつい最近のことである。ついでに書いておくと池澤夏樹の娘、池澤春菜は「知性派として有名な」声優なのだそうだ。しかしここまで来ると福永の七光りが滑稽にさえ見えてくる。
ま、よけいな話は止しにして、後々三島由紀夫の作品を集中的に読むようになって三島の世界を知ってから、Sが三島と福永を同時に好んだことにある謎めいたものを感じた。というのもこの二人の作風がわたしには北と南ほどにも異なるもののように思えたからだ。だがよく考えてみると、フランス文学の専門家である福永と、フランスの小説を好んだ三島にはそれなりの共通点があるのかもしれない。
しかしわたしたちの前ではSはあくまで三島のアポロン的側面を真似て、夏場の蒸し暑い日など学部図書館のロビーで、女子学生たちの前でわざと胸を大きく曝け出しながら「あちーいなあ」などと言ってみたり、講義の合間にキャンバスの芝生で級友のTにプロレスの技をかけたりして暇潰しをしたりしていた。わたしはといえば、プロレスにも三島的アポロンにも興味はなかったので、彼らが戯れているのを脇で眺めているだけだった。
中国近代哲学の試験直前のことだったと記憶している。Sとわたしと他にもいたはずなのだがもう忘れてしまったが、一号館の階段踊場で試験の想定回答を作ってそれを暗記していたときのこと、その想定回答に出てくる思想家の名前「譚嗣同」をどう読んだらよいか分らない、とSに尋ねると彼は「そんなのはAとかBとかにしておきゃいいんだよ」と軽く言い放った。考えてみれば当たり前のことで、わたしたちはなにも口頭試験を受けるわけではないのだから「譚嗣同」は「A」でも「甲」でも「与太郎」でもよいわけだ。要すれば漢字を憶えるだけ。これは受験勉強でのテクニックなのだが、わたしはまともに受験勉強などしたことがなかったので、Sに教えられてはじめて気がついた。この時点でのわたしとSは、じつは基礎学力的にはかなりの差があったことと思う。わたしはSに英語の発音の初歩的な間違えを指摘されたことさえあった。
そんなこんなで、結局初学年のときのSとわたしの関係は、けっして親しいといえるものではなかった。