蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

遷居

2005年09月06日 03時10分38秒 | 彷徉
横浜橋商店街を伊勢佐木町通り側から抜けて、中村川にかかる横浜橋を渡って小さな商店街の途中あたりで左折して路地に入ると、まもなく急峻な坂道を登ることとなる。ここを登りきると平楽に出る。なにもそんなところを息せき切って上っていくこともないのだろうが、わたしはこの坂道がすきなので、というよりもその辺り一帯の家並みが好きなのでそのようなアホな真似をするわけだ。もちろん坂の途中には民家が密集して立ち並んでいる。雨ならまだ凌げるが、これが雪でも降った日にはとんでもない事になるのは目に見えている。降った直後ではない、その後のアイスバーン状態の坂道のことだ。などと人ごとのように書いているが、わたしもここと似たようなところに住んでいるので降雪時の難儀は実感としてわかる。
そんなこともあったりして(じつは他にも原因があったのだが)引っ越すことにした。引っ越すのは良いが、それではどこにするか。いろいろと迷った末、都内の大森あたりにしようかと思って物件を探してみたのだがどうも適当なものがない。目黒区の中根や大岡山も探してみた。やはり高い、がしかし中根には魅力を感じた。最寄駅が東横線の都立大学駅なのがよい。渋谷まで十分ほどか。そしてこの町には今井館があるから。
今井館は一九〇七年(明治四十年)に大阪の香料商今井樟太郎・信(のぶ)夫妻の寄付により東京新宿の柏木に建てられ、そこであの内村鑑三が聖書の講義を行った。一九三五年(昭和十年)に今井館は現所在地である目黒区中根町に移っているので、一九三〇年(昭和五年)に亡くなっている鑑三が中根で聖書講義を行ったわけではない。しかしこの建物は内村鑑三以外にもいろいろな有名人と繋がりがある。たとえば長谷川町子とか。もっともわたし自身はクリスチャンではないので宗教的な意味での興味はまったくない。あとは王貞治の自宅があったりもする。表札が出ていないのと、大きな家のわりにとても地味な創りなので、人に教えてもらわないと判らない。ちなみにこの中根の隣町、緑ヶ丘には南馬込に移る前の三島由紀夫とその家族が住んでいた。これはむかしむかしのことなので今ではもうどうでもよいことだが。
いろいろとすったもんだした結果、中根に引っ越すことに決めた。何十年かぶりで再び東京都民に戻ることとなった。そうかといって特別な感慨が沸いてくるわけでもない。今までよりも楽な生活環境、つまり雪の心配をすることのない土地に移れてほっとしたということくらいか。家族の者のほうがよほど歓んでいるがわたしにはどうでもよいことだ。何十年というスパンで自分の行末を考えることができない年齢になってしまうと、すべてが色褪せて見えてくる。大声を立てて笑ったりすることも他人と意気投合することも、無くなってしまった。