精神的にどうにもこうにも手の施しよう無くなってしまった。だからというわけでもないのだが、気分転換でもしようと散歩に出かけた。
近所の中根公園に行ってみると、奥さんたちが子供を遊ばせていた。平和とは理屈でない、このようなごく当たり前の営みが保証されることがすなわち平和なのだ、と自分でもめずらしいくらい神妙なことを考えたりしたら腹が減ってきたので、無駄遣いと非難されるのを承知の上で、駅前の「大菊」で五目そばなんかを誂えた。この店も古いよなあ。一度無駄遣いをするとかえって気が大きくなるもので、わたしはその足で東横線に飛び乗り綱島まで行ってしまった。別にどこでもよかったのだ、渋谷でも代官山でも。代官山は旧同潤会アパートが取り壊されてしまい、すっかりのっぺりとした街になってしまった。渋谷はというとこちらもすっかり子供の街となってしまい、わたしのいられる場所は道玄坂の文紀堂書店か渋谷古書センターくらいのものだが。
綱島には大きな古書店がある。最近はチェックしていないので近頃どのような品物が並んでいるのか興味があった。最後に訪れたのはもう数年も前になるか。そのときから私の興味ある範疇はあまり変化していないから、多分また期待を裏切られることだろう。いつもいつも裏切られてばかりの探書彷徨なのだがこれがまた楽しいといった、書痴というのはちょっとサディスティックな心情の持ち主でもある。
そして綱島では案の定、期待は裏切られた。身体が疲れたというよりも、頭の芯から疲れ果てたといったほうがより正確な表現のように思う。そこで疲れ序に横浜まで出た。伊勢佐木町にあった誠文堂書店が馬車道に越したということは前に書いているけれども、その綺麗になった誠文堂を半年振りに覗いてみた。黒っぽいのも多いが結構白っぽいのもあって値段も比較的安いのがうれしい。今回は特別に眼を引かれる品物はなかったが、ご祝儀も兼ねて『ヘーゲル哲学の真髄』という内容的に良いのか悪いのかまったくわからない本を買った。定価二千八百円のところ千八百五十円の売値。ま、じっくりと読んでみて評価することにしよう。
午後三時近くになっていたけれど、馬車道からみなとみらい線で元町・中華街駅まで行き港の見える丘公園まで足をのばした。こうなったらもうヤケクソだ。徹底的にサボってみたくなった。平日であるにもかかわらず結構人が多い。神奈川近代文学館の横で左前足を付け根から失った黒と茶の斑猫に出会った。足をなくしてから時間がたってはいるのだろうが、それでもかなり歩きにくそうに見えた。そりゃそうだろう、人間だったら松葉杖を使わなければならないところだ。飼い猫のようには見えなかった。今まで生きてこられたのは誰か餌を与える人間がいるに違いない。
わたしは、暗澹とした気分で帰りの電車に乗り込んだ。
近所の中根公園に行ってみると、奥さんたちが子供を遊ばせていた。平和とは理屈でない、このようなごく当たり前の営みが保証されることがすなわち平和なのだ、と自分でもめずらしいくらい神妙なことを考えたりしたら腹が減ってきたので、無駄遣いと非難されるのを承知の上で、駅前の「大菊」で五目そばなんかを誂えた。この店も古いよなあ。一度無駄遣いをするとかえって気が大きくなるもので、わたしはその足で東横線に飛び乗り綱島まで行ってしまった。別にどこでもよかったのだ、渋谷でも代官山でも。代官山は旧同潤会アパートが取り壊されてしまい、すっかりのっぺりとした街になってしまった。渋谷はというとこちらもすっかり子供の街となってしまい、わたしのいられる場所は道玄坂の文紀堂書店か渋谷古書センターくらいのものだが。
綱島には大きな古書店がある。最近はチェックしていないので近頃どのような品物が並んでいるのか興味があった。最後に訪れたのはもう数年も前になるか。そのときから私の興味ある範疇はあまり変化していないから、多分また期待を裏切られることだろう。いつもいつも裏切られてばかりの探書彷徨なのだがこれがまた楽しいといった、書痴というのはちょっとサディスティックな心情の持ち主でもある。
そして綱島では案の定、期待は裏切られた。身体が疲れたというよりも、頭の芯から疲れ果てたといったほうがより正確な表現のように思う。そこで疲れ序に横浜まで出た。伊勢佐木町にあった誠文堂書店が馬車道に越したということは前に書いているけれども、その綺麗になった誠文堂を半年振りに覗いてみた。黒っぽいのも多いが結構白っぽいのもあって値段も比較的安いのがうれしい。今回は特別に眼を引かれる品物はなかったが、ご祝儀も兼ねて『ヘーゲル哲学の真髄』という内容的に良いのか悪いのかまったくわからない本を買った。定価二千八百円のところ千八百五十円の売値。ま、じっくりと読んでみて評価することにしよう。
午後三時近くになっていたけれど、馬車道からみなとみらい線で元町・中華街駅まで行き港の見える丘公園まで足をのばした。こうなったらもうヤケクソだ。徹底的にサボってみたくなった。平日であるにもかかわらず結構人が多い。神奈川近代文学館の横で左前足を付け根から失った黒と茶の斑猫に出会った。足をなくしてから時間がたってはいるのだろうが、それでもかなり歩きにくそうに見えた。そりゃそうだろう、人間だったら松葉杖を使わなければならないところだ。飼い猫のようには見えなかった。今まで生きてこられたのは誰か餌を与える人間がいるに違いない。
わたしは、暗澹とした気分で帰りの電車に乗り込んだ。