蜘蛛網飛行日誌

夢中説夢。夢の中で夢を説く。夢が空で空が現実ならばただ現実の中で現実を語っているだけ。

芳賀留学日誌(五)

2005年09月29日 04時01分37秒 | 黎明記
九月十七日月曜日午後五時、プロイセン号は福州湾に入る。「恰も瀬戸内海に入る観あり」(注1)ということで、一行はやっとひと息ついた。しかしそこで芳賀の見た中国はというと「舷窓より煎餅、ビスケット等を投下するに争うて之を拾ふ 老若男女さながら餓鬼の如し 日本の民如何に貧困下等のものといへども恐くはこの態をなさゞるべしと坐に清国を悲む心あり」(注2)。芳賀も中国人に「煎餅、ビスケット等を投下」したということか。おそらく初めのうちは面白がってやっていたことと思う。ヨーロッパ人たちと一緒になって食べ物を投げ与えている自分が彼ら白人と肩を並べる一等国の国民であることに優越感さえ感じていたのだろう。しかし次第にそのようなことをしている自分自身に嫌悪感を覚えてきたに違いない。「清国を悲む心」は同時に自分自身の愚かさにたいする反省でもあった、とわたしは思いたい。
しかし中国民衆の惨憺たる状況に反して福州は「両岸砲台のある処を通過すれば風光益佳なり 群松の叢生せる山相連り茂林の下時に支那風の村落を見る 山骨露るゝ処飛瀑蜿蜒として下る 一幅南宋画を見る想あり」(注3)といった具合で、芳賀はその風景を褒め称えてもいる。要すれば中国とは東洋の巨大国家なのだ。「煎餅、ビスケット等を投下するに争うて之を拾ふ」人々がいる一方、世界に誇る文化を連綿と継承する文人たちも多く存在する。単に貧富の差が激しいことだけでその国の成熟度を判断するというのはきわめて近代西洋的な発想に過ぎないのであって、欧化路線をまっしぐらに進む明治日本の芳賀にしてもやはり同様の価値基準で中国という国を見ていたのだろうと思う。
九月十八日火曜日「喫煙室に在りて国学史を校訂す」(注4)とある。道中にあってもなお御仕事とはまさに働く日本人の象徴的存在だ。わたしにはとても真似ができないが。ここに書かれている「国学史」とはおそらく明治三十三年十一月に國語傳習所から刊行された『國學史概論』のことだろう。

(注1)『芳賀矢一文集』617頁 芳賀檀編 冨山房 昭和12年2月6日(引用にあたっては旧字体漢字は新字体にて表記しています)
(注2) 同上
(注3) 同上
(注4) 同上 618頁