世界保健機関が9月10日を世界自殺予防デーと定めているらしい。
それに合わせて日本では9月10~16日の一週間を自殺予防週間としていたらしい。
ということは昨日までがそうだったということになる。
じゃあ、今日なら自殺の予兆が見られる友人に対して見て見ぬふりするのか、というふうに、いかにも子供めいた発想でそういうふうに設定された特別週間を突っつくつもりも毛頭ないが、今、まさに僕が変換ミスをしてしまったように、そういうものは週間ではなく習慣にしてしまえば尚のこと良いのではないかと思う。
日々、密なコミュニケーションで、柔らかい鎖で自死を雁字搦めにして、命を繋ぎ留めていければいいと思う。
この夏、僕は30になりましたが、僕より若くして自殺しようとする人々に対して僕が自信を持って言えることがある。
それは
「死んじゃったら勿体無いぜ。」
ってこと。
世の中には、そういう目で探せば素晴らしいものがたくさんあります。
それこそ、一生かけても見尽くせないであろうほどの数の美の形があります。
そりゃ僕にしたって、自分の人生が今後どうなるのかなど、もちろん知るよしもないし、それでなくとも“為すがまま為されるがまま”をモットーにせらせらと生きる道を選んでいる以上、人生はことのほか予測不能です。
だから、先のことに関しては自信を持って語れることなど、残念ながら何一つない。
が、生きてきた年月、その道程に関しては、僕なりに“まっとう”に生きて多くを経験し、日々何かを得ながら生きてきたという自負がある。
だから、自殺を考えている同世代以若の人には声を大にして言っておきたい。
僕はあなたが知らない美を知っている。
そして、それを知らずに自ら命を絶つなんてどう考えても勿体無い。
なぜって、それを知ることはそれだけで十分に生きるに値する素晴らしいことだから。
なので、自殺願望の芽生えは人の成長過程で必要なプロセスであるとしても、実際そこに身を投じることにはやはり賛成できない。
すでに、この素晴らしき腐った世界に生きるだけの価値を見出した人は、それをまだ知らない人にそれとなく教えてあげることが大きな意味での愛と呼べる行為なのだと、僕は思っています。
そんなBOLD AS LOVEです。
音楽でも絵でも写真でも文章でも、手段はなんだっていい。
それらの芸術がコミュニケーションの究極形ならば、その目的は?
一体何をコミュニケートするのか?
現状、社会はもっとコミュニケーションを!とは言うけれど、では何をコミュニケートするのかまでは言及しない。
別段、それを言ってしまったら全てがオジャンだ、というわけでもあるまいに。
というわけで・・・
PCから見ている人は是非こちらをご覧になっておくんなまし。
http://www.youtube.com/watch?v=UQSGa8nZs8g
TOEIC800点とか取っちゃう人は途中のMCも聴解しておくんなまし。
なにやらいいこと言ってるぽいので。
仮に短い時間では不可能だとしても、命の連鎖を利用して、それを知ることが生きるに値するような何かを後世に伝えていければ、いつか人類は真に理に適った存在になれるような気がして止まないのです。
また、宗教ちっくな締めくくりで失敬。(笑)
なんかこう、胡散臭くない言葉でそういうことを言い表してみたいもんです。