せせらぎせらせら

日々思うこと

迷い

2009-09-09 | せらせら
そういえば昨日、食べながら一瞬寝てた。
疲れてんのかな?

いったん無責任にサボタージュするか。
自覚を持ってもうちょい攻めるか。

迷いどころだ。

持論口論  

2009-09-09 | ぎらぎら
曲がりなりにも十数年ベースを弾いているので、それなりにベースという楽器に関して哲学めいた所懐の一つや二つはある。

先日、ロックをやる知人に「どうも音に自信がないんですが、ピッキングのやり方はこんな感じでいいんですか?」と尋ねられた。

見るとちゃんと弾いていたのだが、僕は「それじゃ駄目だ」と答えた。

そもそもベースの弾き方に正解なんてない。(おそらく、それはベースに限った事ではない。)
そういうピッキングをすれば、そういう音が出るだけなのである。
(良い楽器ほどその辺は素直だ。これは持論だが、未熟なプレイヤーは出来るだけ良い楽器を持たないほうがよい。下手が目立つ。その楽器では自分を表現しきれなくなったときに初めてワンランク上の楽器を手にすればいい。)
では、正解がないなら間違いもないんじゃないかと思う人もいるかもしれないが、これがまたそういうわけでもない。

音楽、特にロックという音楽は自己主張だ。
自信のない自己主張など何の意味もない上に、何よりカッコ悪い。
ことロックに関しては、「カッコよさ」だけが唯一それを計るパラメーターになる。(上手い!より、カッコイイ!のほうがロック的には素晴らしいってこと。ちなみに「上手い」には上手いけどカッコよくないというニュアンスを含む場合もあるから注意が必要)
だから、いくら正解がないとは言え、やはり迷いながらオドオド弾くことは間違いなのである。

自信がないなら、自身が身に付くまで、「コレでいいのだ!」と思えるまで練習すればいい。
真剣に音楽をやってる人は皆それをやってるし、そのためにリハーサルスタジオがある。
その意味でも、スタジオはステージに立つための予行演習の場なのだ。

(念のために言っておくけど、自信を持って弾けば正解ってことではないので、根拠のよく分からない自信だけで「ロックだぜ~」って音楽をやってる人は勘違いしないように。)

自己探求に終わりがないのと等しく、正しい音などない(そして、真摯にそれを追い求めることには何か意味があるのではないか)ってこと。

無駄

2009-09-09 | せらせら
皆さんご存知の通り、僕の半分は無駄で出来ている。
ところが最近、あろうことか僕は環境の変化に合わせて無駄を削り、効率化を図りつつある。
関係ないが、一昨日の早朝、我らが二級河川、境川の町田駅裏辺りでフライフィッシングを敢行している男性を発見した。
こんなところで何か釣れるのだろうか、と思った。
先に述べたように効率化の話とは全く関係がない。
関係がないということは、この状況でその男性の話を持ち出すことは無駄なのだし、無駄な文章を書くことはそれ自体が無駄なのだが、僕は無駄のない人生というヤツがどうも好きになれない。
無駄だから好きなんだ。
無駄無駄。

バランス。

祈り

2009-09-09 | せらせら
蝉の鳴き声もまばらになってきた今日この頃。

8cmのシャドーボクサーは未だ無名のまま、虎視眈々と生きる練習に励む。

僕もまた、未だ無名のまま襟を立てシャドーに励む。

蝉は自らの短命を知ってか知らずか、ひと夏を精一杯に鳴く。

僕らもまた、長かろうが短かろうがその命を精一杯に生きればいいと思う。


願わくば、もうしばらく蝉の声の爽やかに響かんこと。

秋よ、この妖しく美しき残酷な季節よ、今の僕を再び魅了することなかれ。

そして燃え尽きた蝉たちの魂よ、さらなる循環とともにあれ。

只今チューニング期間です。

2009-09-09 | せらせら
ベースのチューニングは簡単だ。
チューナーもあるし、それを見ながらペグを回せばいい。
しかし、人間の場合はなかなかそうはいかない。
人間は複雑だし、環境も随時変化する。
だから、新しい環境へのチューニングにはやはりそれなりの時間がかかるのである。
そういう場合に必要なのは、焦ることではなく、慎重になること。
周囲とコミュニケーションを取りながら(どう動けば、どういう結果を生むか観察しながら)、じっくりと不協和音を減らしていく。
そうすればそのうちに自然といい演奏が出来るようになっている。
とにかく、チューニングが狂ったまま下手に自己主張プレイをすれば、単に場を乱すだけの厄介者になるのがオチだ。
守破離。