愛くるしく降り注ぐ蝉の声も、一種の求愛行為であることを考えれば、森の中はひっかけ橋こと戎橋も真っ青なナンパスポットだ。
そこにあって、一人興に耽りうまびとさびては歌なんぞ詠んでみるもまた滑稽と言えば滑稽だ。そういう“おかしみ”こそまさに俳諧だ。
【閑さや岩にしみ入蝉の声】
蝉の声、、、蝉の声、、、??
・・・それって何ゼミ?
って考えたことありません?
俳句を味わうとき、人は反射的に心に画を描く。
そのとき人は漱石風に画工を気取りながら、与えられたキーワードを増幅して瞬時に想像力の筆を奔らせます。
(山寺の)静けさ (苔の生す)岩 蝉の声・・・
と、やはり蝉の声の正体が解らないままでは最後の一筆が入れられない。
で、調べてみると・・・
やはり既に(敬意を表して→)暇人さんたちによって議論されていました。
題して「山寺の蝉論争」。・・・句に反して穏やかでないなぁ(汗
結構、有名な話らしい。
昭和初期、アブラゼミ派の斎藤さんとニィニィゼミ派の小宮さんが蝉時雨よろしく激しく論戦を繰り広げた結果、一応、ニィニィゼミだったということで決着がついたらしいです。
論争することも滑稽くさいが理由がまた無粋めいている。
「芭蕉が山寺を訪れた7月13日(旧暦5月27日)ごろ鳴いているのはニイニイゼミで、まだアブラゼミは鳴かないから」だとか。
一体ドコの歌人が今の蝉の声に過去の蝉を聞かないだろうか。過ぎた夏を重ねないだろうか。
そう考えれば、7月13日にアブラゼミが鳴いてないことなど無意味だ。
そもそも心には明確な時系列など無意味だ。
芭蕉は心で句を詠んだ。
だから山肌から覗く岩(それはつまり芭蕉自身の心)に染み入ったものが必ずしも山寺で鳴いていた蝉の声だったとは限らない。
山寺の岩質は細かな礫からできていて表面が滑らかでないとのこと。
旅に生きた芭蕉の皮膚も日光や風雨に晒されて、シミもあればシワの一つもあり表面も滑らかではなかっただろう。
蝉の声に包まれながら、百代の過客を歓待してきた岩に自分を見る芭蕉。
その心の内には、さぞや涼しげな閑寂があったことだろう。
きっかけはその場に鳴いたニィニィゼミだとしても、芭蕉の心の閑寂に染み入ったものがその蝉の声だとするのはあまりにも偲びない。
それは、ともすれば幼少の頃の芭蕉自身のイノセンスだったかも知れないし、山の麓の町の活気だったかもしれない。
とにかく。
句の真意とは読み手に委ねられて然りだと思う。
要するにアブラゼミ派の斎藤さんにはアブラゼミが正解で、ニィニィゼミ派の小宮さんにはニィニィゼミが正解だってことだ。
僕はまだ岩に染み入る蝉の声に、「これだ!」っていう正解を見つけることができないので、この句を味わい尽くせない若造だということだ。
46歳まで生きていたら、7月13日には是非とも山寺へ足を運んでみたいもんだ。
そのときには素敵な画が描けるかなぁ。
これは旅に生きた先輩への一種の挑戦だ。
というわけで、今年もそろそろ群蝉(ぐんせん)が時雨始めるか。