社名・商品名のイワレ[製品編]
ロマンスカー(小田急)|当時・映画館などで流行していた2人掛けの座席「ロマンスシート」から
◆海老名駅隣接地「ロマンスカーミュージアム」には引退したロマンスカー5編成が展示
東京と神奈川を中心に、鉄道や不動産事業を営む小田急電鉄。1923(T12)年の設立当時の社名は「小田原急行鉄道」で、27年に最初に開業した路線が小田原線(新宿―小田原間)だった。電力会社「鬼怒川水力電気」の社長を務めた利光鶴松氏が、東京郊外の交通網の充実や電力の安定的な需要確保のために設立。戦時中に、小田急を含む東京西南部の私鉄が東京急行電鉄に統合されたが、48年6月に東急から分離独立し、新生・小田急になった。57(S32)年には、同社の代名詞とも言える「ロマンスカー」の特急型車両が運行を始めた。当時、映画館などで流行していた2人掛けのソファ式座席「ロマンスシート」から名づけた。60年には電車、ケーブルカー、ロープウエーなどを乗り継いで箱根の観光地を巡る周遊ルート「箱根ゴールデンコース」が完成し、箱根への輸送基盤が整った。
その箱根は、長く日本有数の観光地として人気を誇ったが、バブル崩壊で観光客数は91年の2247万人をピークに減少。そこで2005年、箱根観光輸送の主力としてロマンスカー・VSE(50000形)を投入した。客室に約4メートルの連続窓を採用したほか、天井を床面から約2.5メートルのドーム型にするなど、従来と一線を画す造りで箱根の魅力の再アピールに一役買った。21年にできた、海老名駅(神奈川県海老名市)の隣接地に歴代のロマンスカーを展示する博物館(ロマンスカーミュージアム)は、鉄道ファンには堪らないだろう。投稿者は行ったことはないが、皆様も下記HPを参照に。引退したSE3000、NSE3100、LSE7000、HiSE10000、RSE20000の5編成が展示している。馴染みがあるのは、NSE3100(運行63-99年)ですね。
ロマンスカーミュージアム/HP
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ロマンスカー(小田急)|当時・映画館などで流行していた2人掛けの座席「ロマンスシート」から
◆海老名駅隣接地「ロマンスカーミュージアム」には引退したロマンスカー5編成が展示
東京と神奈川を中心に、鉄道や不動産事業を営む小田急電鉄。1923(T12)年の設立当時の社名は「小田原急行鉄道」で、27年に最初に開業した路線が小田原線(新宿―小田原間)だった。電力会社「鬼怒川水力電気」の社長を務めた利光鶴松氏が、東京郊外の交通網の充実や電力の安定的な需要確保のために設立。戦時中に、小田急を含む東京西南部の私鉄が東京急行電鉄に統合されたが、48年6月に東急から分離独立し、新生・小田急になった。57(S32)年には、同社の代名詞とも言える「ロマンスカー」の特急型車両が運行を始めた。当時、映画館などで流行していた2人掛けのソファ式座席「ロマンスシート」から名づけた。60年には電車、ケーブルカー、ロープウエーなどを乗り継いで箱根の観光地を巡る周遊ルート「箱根ゴールデンコース」が完成し、箱根への輸送基盤が整った。
その箱根は、長く日本有数の観光地として人気を誇ったが、バブル崩壊で観光客数は91年の2247万人をピークに減少。そこで2005年、箱根観光輸送の主力としてロマンスカー・VSE(50000形)を投入した。客室に約4メートルの連続窓を採用したほか、天井を床面から約2.5メートルのドーム型にするなど、従来と一線を画す造りで箱根の魅力の再アピールに一役買った。21年にできた、海老名駅(神奈川県海老名市)の隣接地に歴代のロマンスカーを展示する博物館(ロマンスカーミュージアム)は、鉄道ファンには堪らないだろう。投稿者は行ったことはないが、皆様も下記HPを参照に。引退したSE3000、NSE3100、LSE7000、HiSE10000、RSE20000の5編成が展示している。馴染みがあるのは、NSE3100(運行63-99年)ですね。
ロマンスカーミュージアム/HP
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