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神宮外苑⑤新国立競技場騒動から学んだ明治神宮内苑・外苑100年以上の歴史と背景/少数派

2023年09月11日 | 環境・海洋プラ
Ns170minoritytp 少数派シリーズ/環境・海洋プラ
神宮外苑⑤新国立競技場騒動から学んだ明治神宮内苑・外苑100年以上の歴史と背景

G42kokuritsu 新国立競技場、何が問題か/槇文彦・大野秀敏 平凡社

■神宮外苑再開発は新国立競技場環境保全騒動の問題再来(再燃)と捉える
Nharu 神宮外苑再開発・大伐採の5回目から第2部的というか、100年以上に渡る「明治神宮内苑・外苑100年の歴史と背景」を4回に渡って触れる。歴史を知れば、ますます伐採が許されないことが分かる。そもそも投稿者が明治神宮について認識し調べてみたのが、2013年頃だった。2021年開催の東京五輪に向けての、あの“新国立競技場騒動”がきっかけだった。神宮外苑と内苑(いわゆる明治神宮)を語るには、いわゆる「コクリツ」(当時、省略してそう呼ばれた)が避けて通れないのである。建設に最大時3000億円が見込まれ、外国建築家ザハ氏(故人)による近未来の設計は何だったのだろうか。神宮の森の景観には相応しくないデザイン、高さ70mにも及ぶ環境を壊す巨大建築物。既存の国立競技場を改修すれば済むとして、「3000億円の無駄」と都民・国民の大多数に不信感を抱かれた。その際、明治神宮外苑一帯を熟知している建築家の槇文彦氏たちの尽力により、やっと間違いが正された。氏は、建築物というものは街並みや風景と融合することを大切にし、作品の東京体育館もその信念から目立たずできるだけ低く設計した経緯がある。都民・国民の大反対の声によって追い込まれた安倍首相(当時)が、白紙撤回して現在の競技場に至った経緯がある。

Nharu その際に投稿者が読んだのが、多くの建築家の寄稿とシンポジウムの内容を載せた「新国立競技場、何が問題か」(上記画像)だ。現在の国立競技場は、2015年に再デザイン化された建築家・隈研吾(くま・けんご)氏の設計によるもの。さて小池都知事が就任したのは2016年、国立競技場の権限は国にある、などの条件があるにせよ、東京五輪の開催都市の首長・小池氏に絶大な権限がある。40か所近い会場場所の決定や建設に際しても同様だ。投稿者はその時点から、知事の発言に注視していたがほとんど発していない。従って当時から、「環境に全く関心がない」と認識した次第だ。以後7年、築地市場は仲買人らとの「再建の約束」を平気で取り崩し、有害物質・汚染物質が埋まっている東京ガス跡地に、5000億円を掛けて「豊洲新市場」建設を強行した。ビッグモーターの樹木枯死には批判したが、神宮外苑には業者と“宜しくやって”(古い表現)、3000本の大伐採、185mの高層ビルを強気に作ろうとしている。つまり神宮外苑再開発(大伐採)は、「コクリツ」環境保全騒動の二の舞・問題再来(再燃)と投稿者は捉える。小池氏のお得意の英語ではsustainableを繰り返すが、驚くほど環境に微塵も関心がないお方だ。

M20230812

■先人が100年以上も明治神宮一帯の文化・歴史・景観を守ってきたのに・・・
Nharu ここからは、投稿者が120回以上に渡り東京五輪を批判した「東京オリンピックの危うさ」シリーズのうち、「明治神宮内苑・外苑の歴史と背景」の関係記事をピックアップ、一部を修正してご案内する。なお土地勘がない方もいらっしゃるので、「内苑(明治神宮がある場所)」と「外苑(神宮外苑・神宮球場の一帯)」を、できるだけ切り分けて説明する。
『まず明治神宮内苑から説明しますと、現在、明治神宮があるところです。1912(M45)年・明治天皇が崩御し、翌年、渋沢栄一ら民間有志が、明治天皇奉祀(ほうし・奉る)の神社を建立しようとした動きが高まり、1920(T9)年に明治神宮が完成しました。その内苑に対し、明治神宮外苑は最初から和洋の公園として計画され1926年にできました。計画は100年後を見据えて、全国から365種12万本の樹木が集められました。植樹ではあるものの100年経てば“自然の森”になる発想で、手入れや肥料は与えない考え方が踏襲されました。そのことから、今では貴重な植物や昆虫も見られると聞きます。余談ながら、当初から内苑=外苑を結ぶ「表参道」と「裏参道」(現・北参道)が計画されていました。裏参道は、北参道→高速4号線→千駄ヶ谷駅→東京体育館→新国立競技場のコースです。<※詳しくは次号参照>なお戦前は戦争・宗教色が強く、内苑・外苑のこの辺り一帯が国営でした。

Nharu 一方の「外苑」は、緑の中に競技場を配置した日本初のスポーツ公園です。旧国立競技場の前身・明治神宮外苑競技場は、公園に先立ち1924年に完成しました。一帯は、東京の風致地区第1号に選ばれました。聖徳記念絵画館(通称:絵画館)は国の重要文化財に指定、銀杏並木も素晴らしい景観の1つです。また戦前・戦後の間もない頃のスポーツの発展は、外苑のお陰なのです。外苑に留まらず先人は100年以上、明治神宮一帯の文化・歴史、景観を守ってきたのです。ザハ案の新国立競技場が完成していたら、台無しだったでしょう。だから槇氏は、先人への尊敬の念を忘れた行為・景観をぶち壊す行為として憤っていたのです。しかし日本人の“風致音痴”は際立っており、京都の有名仏閣のすぐ側にマンシャンが建ったり、広島平和記念公園の周りには高いビルが建ち並びます。さて都内エリアの「緑のベルトゾーン」と呼ばれる、明治神宮内外苑を始め皇居・赤坂御用地・迎賓館・青山霊園・新宿御苑・代々木公園は貴重なものです。』 以上

再び現在の投稿者の文章に戻る。神宮外苑再開発・高層ビル建設は、そのスポットだけ見ても大問題だが、広域に渡る都内の「緑のベルトゾーン」さえも棄損する。本当に、先人の長年の努力や思いをぶち壊す行為だ。小池氏や再開発企業は、全く東京の歴史さえも冒涜する所業と断言する。

Sankoub
次号/神宮外苑⑥明治神宮内苑は100年後の現在を見据えて全国から樹木が集められた
前号/神宮外苑④再開発ストップは「小池都知事の英断しかない」知事の力で流れを変えて

Ntopkeiji

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