koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

新内閣に期待無し・・・

2012年10月01日 21時59分09秒 | 時事問題,ニュース

今日から10月というこの日,第3次野田内閣が発足。
民主と自民のWトップ選挙も終わり,民主は野田と興石という代わり映えしない陣容,対する自民は今更ながらの安倍・・・と,いうことに・・・。
何で興石なのか,私としてはようわからんのだが,解散総選挙は無いということだろうか・・・。
というか,このまま行くと紛れもなく次の総選挙で民主がぼろくそに負けるのは目に見えているから,とにかく今は民主党政権を細々と延命させようという魂胆なのだろうか・・・。

三党合意による消費税引き上げ決定によって大量離党をくらった民主党には,もはや内閣の権限を高める余力は残っていないのだろう・・・。
かつての保革連立政権が時代の徒花となり,自民党待望論のようなものが起こり,出てきたのが小泉のような鉄面皮であり,その後の短命自民内閣による混迷(安倍-福田-麻生)を経て,国民は民主党を選択した。
では,その結果は・・・??
え゛,田中真紀子が文科相だぁ・・・??
小泉内閣の外務相時代に,やらかしているんだよな・・・。
ちょっとは大人になったってことか・・・(本当か)
対中強行派の前原が国家戦略兼経済財政担当とな・・・。
この2人ってうまく行くんか・・・??
・・・と,そんなことぐらいしか頭に浮かばないくらい又しても新内閣には期待皆無ということで・・・。
日記@BlogRanking


今日も地震・・・

2012年04月13日 22時20分19秒 | 時事問題,ニュース

週末疲れで床に転がっていたら,地震で起こされた。
昨日もそうだったが,震度3クラスの地震が頻発している。
福島沖震源が多いようだが,原発再開が取りざたされている昨今だけに,困ったことだ。
困ったと言えば,我が県の北部産の椎茸から検出された放射性セシウムが基準値を超えていたことだ。
去年の同時期は,牛乳が騒がれていた。
風向きの影響でスイートスポットとなったのだろうか・・・。
さらに,先週の土曜日,某模型店で聞いた話だが,今月に入ってから何故か放射線量がうなぎ登りで,ガイガーカウンターが鳴りっぱなしなのだそうだ。
もう県内産の野菜は駄目だ,とか関東産はもっと駄目だ,いや東日本全体がもはや放射能汚染されているとか,言いたい放題だった。
放射線量測定サイトを見ても,別段線量が上がっても居なかったし,3日前に職場近隣の測定値を見る機会を得たが,基準値以下だった。
つまり,風評というものだろう。
こうなったら,連休は我が町からの修学旅行が激減して大打撃を蒙ったと思われる会津若松にでも行って,地元経済に少しでも貢献してやろうか・・・。
時間が取れるかどうかが問題だけど・・・。
日記@BlogRanking


今日は無かったようで・・・

2012年04月12日 21時35分05秒 | 時事問題,ニュース

今日はミサイル発射は無かったようだ。
石垣島の小中学校などの公共施設では,ミサイル発射の報と同時に屋内待避をすることになっているそうだ。
先日,彼の国の「人口衛星」が公開されたが,どう見ても小さくて張りぼてではないか・・・とも言われているらしい。
「平和利用」を標榜しての公開であり,弾道ミサイルの実験であることを隠匿するダミーではないかという見方もあるらしいが・・・。
勿論,弾道ミサイルの技術が宇宙ロケットに応用されるのは,大戦中にV2を開発して,やがて人類を月に送ったサターン5型ロケットに至ったウェルナー・フォン・ブラウン博士の例でも分かるように当然のことではあるのだが,使い終わった多段階ロケットが落ちてくるというのはとんでもない話だ。


しかし,15日に金日成の生誕100年を控えて,景気づけにロケット飛ばすとしたら,やはり14日だろうか・・・。
こんだけ騒がれていても,私の周りにごまんといたサヨクたちは,戦争は起きないとか,非武装中立とか自衛隊は違憲・不要とか言うのだろうか・・・。
それとも,人工衛星なのに騒ぎすぎ・・・とでも思っているのだろうか・・・。


それにしても,彼の国はこれだけ強硬姿勢を見せれば,日米韓が歩み寄ってくるとでも思っているのだろうか・・・。
内憂を反らすための総書記絶対化・神格化を焦っているのと虚勢を張っているとしか思えないのだが・・・。
で,どーでもいーけど,第一書記と牛の一塁手と猫の三塁手の後ろ姿が似ている・・・と言ったら怒られるか・・・??
日記@BlogRanking


物騒な週末・・・

2012年04月11日 20時50分09秒 | 時事問題,ニュース

つい3時間ほど前,スマトラ島で大規模な地震(M8.7)が発生した模様だ。
津波警報がインド洋沿岸に発令され,我が国には影響なしというが,その後の情報が入らない。
それにしても,我が国として困るのが彼の国の「人工衛星」である。
弾道ミサイルの実験なのか本当に人工衛星なのか分からないが,いずれにしても切り離されたロケットが落ちてきたらたまらない。
自衛隊は,石垣島や首都圏など7か所にPAC3(つまりパトリオット)を配備したというが,果たしてどうなるだろう。
海上のイージス艦が大気圏外に向けて迎撃ミサイルを撃ち,それが当たらなかったらパトリオットで迎撃するらしいが,パトリオットは当たらないという噂も聞く・・・。
尤も,ノドンとて同様だろうが・・・。


今回の一件で,鍵を握るのは中国であると言われた。
同じ共産圏だから・・・というより,中国にとって彼の国は無くてはならない存在なりである。
例えば,国民が旱魃と飢餓に苦しみつつも,米韓の脅威を鴨緑江で止めているのが現状であるから,中国にとって彼の国は米韓を筆頭とする旧自由主義陣営にとっての緩衝材なのである。
万一半島で有事となり,南北統一などということになると,直接米韓と境を接することとなる。
かといって,露骨に彼の国を支援すれば,日米との貿易で苦しくなる。
逆に支援しないと,彼の国からの難民が鴨緑江を越えて,国内に流入してくるだろう・・・。
それも困るわけだ・・・。
中国が旗幟を鮮明にしない理由は,そこにあると思う。


本日金正恩が党総書記に就任。
景気づけにミサイルを撃つのは明日か,それとも金日成の誕生日前日の14日だろうか・・・。
今回の「人工衛星」打ち上げにかかる費用は700億円。
コメ141万トン分に相当するという。
さらに,15日に予定されている記念行事には1670億円かけるという・・・。
絶句するしかないが,とにかく莫迦なことにならないでもらいたい・・・。
日記@BlogRanking


嵐の前の静けさ・・・

2012年04月03日 19時52分20秒 | 時事問題,ニュース

西日本から関東にかけて大変なことになっているようだ。
970mbという超大型の低気圧が西から接近したため,25mを越える風速によって各地で被害が出ている模様だ。
甲子園の選抜決勝も明日へ順延なった。


我が町は,というと,朝は何と晴れていた。
昼が近づくにつれ,だんだん雲が厚くなり,昼過ぎにはぽつぽつと雨も落ち始めた。
Kスタでは塩見が王者鷹を完封に仕留め,ようやく今季初勝利を呼び込んだ。


現在篠つくような雨が降っていて,空気がやけに生温かく,現時点で今夜は暖房を点けていない。
風雨のピークは午後9時以降との予報だが,果たしてどうなるのだろう・・・。
嵐の前の静けさか,それともこのまま何も起こらないのか・・・。
いかん,雨足が強くなってきた・・・。
明日まで強風は残るというし,出勤時に被ると極めてやばい。
今日こそ早く寝ないと・・・。
日記@BlogRanking


不気味な鳴動・・・

2012年03月27日 20時58分30秒 | 時事問題,ニュース

ん・・・揺れているか・・・
というのが第一印象。
小刻みな揺れがだんだん強くなる。
(長い・・・)
時間にして数10秒だっただろうか・・・。
髪が伸びて襟足と耳にかかり,鬱陶しくて仕方がなかったので散髪に行って,丁度店を出ようとして,刈ってくれたガノタの兄ちゃん(以前紹介したように,この店にはガンプラとスケール物が所狭しと飾られている)と「08MS小隊」の話をして,店長と四式重爆「飛龍」とキ109,そして「靖国」の違いを分熱く語っていた時だった・・・。
せっかくのマニアックな話題が途切れたのは残念だったが,仕方ない。
天井からテグスで吊られた1/48の雷電と零戦32型,四式戦が激しく揺れ,MGのガンプラが落ちるのでは・・・という揺れだった・・・。
一昨日は直下から突き上げるような揺れを経験したばかりだったので,すわ震災再び・・・と思ったが,しばらくして揺れが収まった。
震源は三陸沖(一昨日のは福島県沖)でM6.4。
最大震度は県北部と三陸沿岸で5弱。
我が町は震度3という発表だったが,かなり揺れたという印象だ・・・。


何か地雷原の上に乗っているようで不気味である。
さすがにある規模のものは・・・とは思うが,真綿で首を絞められるような感覚である。そろそろ備蓄した食料が賞味期限が近かったり減ったりしているので,今から買い出しに行かなくては・・・。
非常持ち出し用品も今一度確認である・・・。
日記@BlogRanking


3.11・・・・・

2012年03月11日 14時11分06秒 | 時事問題,ニュース

あの日から丁度1年。
間もなくその刻限になろうとしている。
そして津波が到達したのは,地域によって違いはあったもののその1時間後であった。
今思うと迂闊極まりないことに,大きな揺れの被害と家族の安否(相方がよりによって携帯忘れて,私も前夜充電せず,夜7時過ぎまで分からなかった)にのみ気持ちが行って,津波による二次災害にまで気が回らなかったというのが現状である。
実は,その3年近く前の2008(平成20)年6月14日の内陸地震の際も同様だった。
あの日は土曜の朝だったが,試合のあった上の子と相方を海浜の野球場まで送った帰り,偶然通った聖地Kスタ宮城の前で大きな揺れに遭った。
内陸が震源だったから津波被害は皆無だったが,昨年の地震のように宮城県沖が震源だったら,間違いなく助からなかったであろう。
何せ,その野球場(海浜緑地球場)は,去年の今日津波を被って現在も瓦礫置き場となっているくらいだから・・・。


私が今こうして家族と共に自宅で平穏に追悼番組を見たり,PCに向かっていたりできるのは只の偶然の所産でしかないのである。
市の中心部に程遠からぬ高台に居を定めたこと(市南部の平野部は,暖かいとは言うが,水が上がったことが有ったので敬遠したし,東部は実家に遠いので考えなかった),たまたま耐震免震構造の建物の中に居たこと・・・といった偶然が重なり,幸いにして生き延びることが出来たに過ぎない・・・。
知人の知人には,たまたま当日市内東部の海沿いに仕事で行き,災禍に遭って命を落とした者も居るし,海沿いの工場に勤務していた知人はごった返す西に敢えて逃げず,丘陵の走る北を目指してひた走って避難所に駆け込んで助かった・・・ということは以前書いた。
全くをもって人ごとではない・・・。
私と家族が同様な運命を辿るのに何の不思議も無かったのである・・・。


現在も34万人が居を失い,避難所での不自由極まりない生活を強いられている。
瓦礫の撤去は6%しか終わっていないとも言われる。
政府が出した原発問題収束宣言を信じる者は誰も居るまい。
こうしているうちにも一昨日来幾度とない揺れを感じる・・・。
1年で完全復興などあり得ないし,況してやあの日を境に生活と家族を失った人たちの傷は癒えるはずもない。
しかしそれが故に,残された私たちは自分たちの役割を全うしなくてはならないと思う。
被災地には多くの災害ボランティアが集い,勿論無償で必死で働いているという報を聞き,その姿勢に目頭が熱くなると共に,動きがとれないでいる自分を顧みて悔しい思いをすることもある。
しかし,今の自分に出来ることは,家族の安全を保証して養うこと,そして仕事を全うすることだと思う故に仕方ないとも思う・・・。
せめて季節が良くなったら,かつて訪れたことのある被災地を再訪し,香華を手向けてこようか・・・とも思う・・・。


各地では多くの追悼行事が行われ,我が町でもボランティアの方々の肝いりで,昨夜市内を一望する山で花火が上げられた模様である。
私に出来るのはせめて14時46分に合掌して黙祷を捧げることぐらいだが,哀悼の意を表すのに1曲貼っておく・・・。
せめて,あの時の思いを決して風化させない為にも・・・。
Bruckner Symphony No. 9 D minor ?Claudio Abbado Berliner Philharmoniker

Bruckner Symphony No. 9 D minor ?-2 Claudio Abbado Berliner Philharmoniker







「引き分け」だってさ・・・

2012年03月08日 19時46分30秒 | 時事問題,ニュース

今まで,北方領土問題に触れたことは1度も無かったと思う。
イデオロギーに関する話題は,個人の思潮の問題でもあるしナショナリズムとも直結する場合が有るので極力発信を避けてきたのだが,今回はいろいろと思うところがあるので,少しばかり述べてみたいと思う。


ロシアという北方の大国を語る際に,歴史上避けて通れないのが南下政策である。
つまり高緯度にある北の国故に,不凍港の確保はロシア帝国以来の懸案であり,その為に多くの戦争・紛争を経てきたとも言って差し支えないであろう。
その端緒は,何と17世紀のネルチンスク条約まで遡ることになる。
これは,清との間に交わされた北満の国境に関する条約であるが,強勢を誇った清帝国の時代であったが故に,不凍港を獲得するには至らなかった。
ロシア帝国の南下政策は,バルカン半島,中央アジア,そして極東地域の3カ所で行われ,近年では1979年の旧ソ連によるアフガン侵攻も紛れもなく南下政策であり,さらには第二次世界大戦でドイツの侵攻を退けて戦後の東欧諸国を衛星化した鉄のカーテンの時代も,南下政策と捉えて良いのかもしれない。
そうした意味でも,泥沼化したクリミア戦争や清帝国の弱体化につけ込んだアイグン条約や続く北京条約で遂に念願の不凍港である尼港(ウラジオストック)を手に入れたことは,ロシアという国家の体質が躍如していると思う。
つまり,強引としか言いようのない手段で他国を侵し,絶対返さないという・・・。


我が国とロシアの最初の接点は,多分1792年のラックスマンの根室来航と間宮林蔵による樺太と未来流行沿岸・沿海州の探査だと思うが(隣の国が国際世論で認められた日本海の表記を不当と言いがかりを付けて「東海」にしろ,と言ったように,間宮海峡の名を変えろという要求は無いのだろうか・・・と思って調べたら,ロシアではタタール海峡,中国では韃靼海峡と言うらしい),正式に締結された1855(嘉永8)年の日露和親条約においては,樺太は両国に境を求めずという内容だったし,続く1875(明治)8年の千島樺太交換条約において,樺太はロシア領で北方四島を含む千島列島は日本領と明記された。
つまり,北方四島は竹島や尖閣諸島と同様に,紛れもなく我が国固有の領土なのである。断じてロシア領ではない。
これに関しては,日本共産党ですら我が国の領土であることを主張しているくらいだ。


では何故,北方四島を含む千島列島がロシアが分捕ったのか。
それは,日ソ中立条約を一方的に破棄して,南樺太と千島(あとは満州)に押し寄せた囚人部隊の旧ソ連軍のせいである。
何のことはない,1945(昭和20)年1月のヤルタ会談後,アメリカの極東での利権独占を警戒するスターリンが,原爆投下後に突如として対日参戦(日本に分割案まで有った。マッカーサーが断固はねのけたので,朝鮮やドイツのようにならずに済んだのだが)。
押し込み強盗ややくざ以下のやり方で,南樺太と千島を分捕ったせいである。
一般に,昭和20年の8月15日に戦争は終わったとされるが,上記地域では20日を過ぎても戦争は行われていたのである。
否,戦争とは名ばかりで,南樺太や北満など殆ど蹂躙であった。


今回,大統領への返り咲きが決まったプーチンが,「引き分け」なる言葉を持ち出して,2島(歯舞・色丹)返還へ前向きの姿勢を示したという。
のだめ総理はそれを突っぱねた。
当然である。
歯舞・色丹は面積にして4島の7%に過ぎない。
「引き分け」など笑止である(軍事基地のある国後・択捉を返す言っても引き分けになぞならん)。
今回ばかりはのだめ総理に賛同するが,問題はこの後である。
今までのような及び腰外交ではなく,毅然とした態度での外交を望みたいが,望み薄であるのが何とも情けないところである・・・。
日記@BlogRanking


もうすぐ1年・・・

2012年03月06日 20時57分14秒 | 時事問題,ニュース

1年前のブログを読み返すことが最近増えた。
あの時期-つまり震災の前後,いったい何を考え何をしていたのか,今更ながらに反芻することが多い。


被災地では,今尚不自由極まりない生活をしている人が多く存在する。
特に,二次災害である津波で生活と家族を根こそぎ持って行かれた方々のことを考えると,自分なんか被災していないに等しい故に心が痛む。
機会が有れば,現地に行って少しでも役に立てれば・・・とは思うものの,仕事を抱えている身としては不可能であり,それもまた気持ちが落ち着かぬ原因の1つとなっている。


いずれにしても,あの時の三日三晩の暗黒の闇の世界と,それに続くひもじかった日々を思うと今でも心が暗くなるのは事実だ。
否,被災していないに等しい私ですらそうなのだから,被災地で必死に生を模索されている方々にとっては如何ばかりだろうか・・・。
いずれにしても,あの時の思いを風化させてはならないと思う。
灯火の無い漆黒の闇の中で,物流が回復しなかったら最悪餓死もあり得る・・・と思ったあの暗澹たる思いを決して忘れてはなるまい。


間もなく1年になる。
来週の日曜日は,厳粛な気持ちで迎えたいと思う・・・。
持ち帰り仕事の最中だろうが・・・。
日記@BlogRanking


笑止哉・・・

2012年02月22日 20時22分24秒 | 時事問題,ニュース

済みません,ちょっと思うところ有って,今回は(も?)毒吐きます・・・。


時事通信社及びmixiのニュースによると,昨日那覇市と同市の海上自衛隊第5航空群は,23日に予定されている子どもを対象にした雪遊びイヴェントを中止にした,と発表した。このイヴェントは04年から続いており,青森県十和田市の雪を那覇市に海自の対潜哨戒機P3Cを使って空輸して,雪のない沖縄の子どもたちに雪遊びを体験してもらおうという主旨のものだそうだ。


ところが,今月に入ってから会場となる那覇市内の児童館や主催する市に対して,中止を要求する抗議が10件ほど入ったという。
中止を要求してきたのは,放射線被害を避けて自主的に沖縄に避難してきた人たちだという。
市では,空輸した630kgもの雪を,搬送時と到着時の2度にわたって放射線量を測定した結果,震災前の平常値と変わらぬ値だったという。
市は20日に児童館で説明会を開催し安全であることを説明し,開催に対する理解を求めたが,以下の理由で参加者(20人程だったらしい)から中止要求の声が上がったという。


・雪に含まれた放射能が溶けて空気中に拡散するのではないか。
・放射能汚染を避けるため沖縄に避難している。少しでも放射能が測定されているなら中止してほしい


・・・ということである。
以前,京都五山の送り火に陸前高田の松の木を使用しようとして(放射線量に問題がなかったにもかかわらず),反対の声が上がって中止になったことがあったが,それにも況して一体何なのかと言いたい。
自主的に沖縄に避難・・・ということは,東北人若しくは東日本の住民なのだろうか。
自然界でも放射線は浴びるし,X線撮影も然り。
故郷を捨てて自分だけ助かりたくてさっさと逃げ出した輩に,どうのこうの言われる筋合いは無い。
だいたい,基準値以下と言っているのに,少しでも放射線云々・・・には,もう何をか況やである。
だったら,十和田市より遙かに原発に近い私などはどうなるというのだ。


この人たちは,沖縄に「自主避難」なるものをした際に,当然飛行機で逃げたのだろう。だったら,当然宇宙からの放射線を0.2mSV/h浴びることになった筈だ。
さらに,沖縄は大陸に近いので,黄砂の影響があることを知っているのだろうか。
因みに,さっき調べてみたら,

我が街 0.099μSV/h
沖縄    0.081μSV/h
青森市 0.087μSV/h

・・・のようだ。
あはははは。
殆ど変わらんよ・・・。
日記@BlogRanking


1.17・・・

2012年01月17日 21時52分21秒 | 時事問題,ニュース

この日のことは,7年前に1度書いたことがあった。
http://koshipiatti.wordpress.com/2005/01/17/1995%e5%b9%b41%e6%9c%8817%e6%97%a5/
決して忘れてはならない日・・・と思ってきたのだが,つい昨年それに3月11日が加わった・・・。
関西のあちこちでは関連のイヴェントも多く開かれたようだが,印象的なのは先の東日本大震災の起きた14時46分にも黙祷を捧げた地域があったことだ。
勿論,5時46分にも黙祷が捧げられた(46分というのは偶然の符合か・・・)。
東北の被災地代表も招待されたというし,東西を問わず自然災害からの復興に向かっていこうという意志が感じられた。
先の震災を経て,私としても17年前のことは余計人ごとではなくなった。


この2つの震災は形として全く異なる。
阪神淡路大震災(M7.3)は,震源が淡路島と阪神地区に極めて近く,震度7で都市部を直撃したため,犠牲者の9割は家屋倒壊による圧死だったという。
それに対して,先の東日本大震災は震源が宮城県沖と人口が集中する仙台圏から割と離れた宮城県沖だったため,M9.0(最初は8.4だかで,その夜のうちに8.8となり最終的に90.となった)と,とんでもない規模だったが,直撃だった私のところでも震度6強だった。
しかし,2万近い犠牲者の9割超は二次災害の津波による溺死だった。
昭和56(1981)年に建築法が大改訂され,耐震・免震構造の住宅が義務づけられたことで,建物の倒壊による犠牲者は33年前の宮城県沖地震の教訓が生かされたのか減ったものの,津波の被害が甚大であった・・・。
実は丁度1年前の2月末,チリで大地震が発生して津波が来るということで,県南部の沿岸に避難勧告が出されたことがあった。
結果的に何事もなかったので,今回も・・・という考えがあったのかどうか・・・。


いずれにしても,また30年以内に関西・東海・東北の太平洋側は危険だという。
あのような思いは2度と勘弁して貰いたいが,備えるしかないだろう。
非常持ち出しの整備,食糧備蓄,週末満タン給油など,これからもいろいろと考えていかなくては・・・。
日記@BlogRanking


し,将軍さま・・・・・

2011年12月19日 21時00分44秒 | 時事問題,ニュース

「キム・ジョンイル死んだんだどや」
「え゛,ホントすか」
「んだ。列車ん中(なが)で,心筋梗塞だどや」
「何ちゅう・・・」


午後3時近くだっただろうか。
政治や国際情勢が話題になることが,滅多に無い職場なので異例中の異例だった・・・。


「三男が継ぐんか」
「長男の方がおもっせやづだけどな,デズニーランドさ言ったり・・・」
「う~ん,何でもいいげど,そごいらさノドン落っでこねーべなや」
「どうせ当だんねべ」
「おらほのパトリオットも当だんねって話だけどな」


以上,脚色・粉飾一切無しの会話である。
関東圏以西の方にとっては,殆ど異国言語だろう・・・。


しかし,この時期に果たしてどうなるのか,皆目見当がつかない。
この日を見越して,将軍様は三男の正恩氏に帝王学を身につけさせてきたのだろうし,世論も巧みに操作することで,自分の後継者たる位置を確固たるものにしようとしてきたはずだ。
来年は,先代の金日成総書記の生誕100年+将軍ちゃまの70歳の誕生日ということで,大いに盛り上がっていた矢先,まさに青天の霹靂ということだろうか・・・。
正恩氏は,父の将軍ちゃまが軍部を背景に実力を蓄えたのとは逆に,朝鮮労働党をバックにしてきた。
そのあたり,軍部がどのような行動に出るのかにもよるだろうが,全く先が読めない。
朝鮮労働党総書記,「最高指導機関」である国防委員会委員長,人民軍最高司令官という重要3ポストが空席となったが,正恩氏をどう割り付けるのかも見物である。


願わくは,内憂を反らすために,日韓両国に対して急進的な施策に走るようなことのないように・・・という1点に尽きる。
韓国では軍が厳戒態勢に入ったというし,米国もデフコンレヴェル上げた。
我が国でも,多分小松や新田原といった空自基地は緊張が高まっているのではないだろうか・・・。


先日,遂に南北が戦火を交える事態が出来したが,まずはそれだけは避けて欲しい。
ただ,私としては,南の李政権が末期的様相を呈しており,ジョーカーを切って慰安婦問題を今更混ぜっ返してきたことの方が問題と感じる。
泥鰌氏は,人道的な支援を・・・と歯切れ悪く言ったそうだが,何をか況んやである。
日記@BlogRanking


「幸福度」ランキング

2011年11月09日 20時47分47秒 | 時事問題,ニュース

法政大学大学院政策創造研究科坂本光司教授らが,興味深い研究データを発表した。
何と47都道府県の「幸福度」を調査したというのだ。
それぞれの都道府県の実態と課題を分析。
さまざまな社会経済統計から抽出した40項目を,「生活・家族部門」「労働・企業部門」「安全・安心部門」「医療・健康部門」に分けて,10段階に評価して平均を出したものらしい。


勿論,1位の県が一番住みやすい良いところ・・・という短絡的なとにはならないが,都道府県民の意識を知る上でも興味深い統計となるのではないかと思う。
かつて紹介したことのある,「世界住みやすい都市ランキング」同様,深く考えず,
「ふ~ん」
と思って見ていただきたい・・・。
で,気になるランキングだが,ベスト10は以下の通り。


①福井
②富山
③石川
④鳥取
⑤佐賀
⑥熊本
⑦長野
⑧島根
⑨三重
⑩新潟


北陸山陰強し・・・というか,首都圏皆無,近畿圏も北日本も皆無。
中京圏だと辛うじて三重が9位に入ったのみ。
上位の県は殆どが人口が100万以内の日本海側で,第二次産業が集積していて失業率も低いという。
福井など驚くべきことに,保育所待ちの所謂待機児童が皆無という(奇跡だ・・・)。
幼児の保育環境のみならず,子育て環境が整っているというのは大きいのかもしれない。
つまり,子ども・女性・就労者や老人に優しいというのも共通項のようだ。


ワーストに関しては敢えて述べないが,我が県は36位と例の標準学力検査同様下位に終わった。
勿論,だからといってそこに住む人々が幸福ではない,という短絡論にはならないのは上述の通りである。
私も日本海側の出身であるが,確かに海の幸に恵まれ,悪い印象はない。
我が県を含む人口200万以上の都道府県は,就業・失業問題とか福利厚生面での問題点の解決に当たるべき・・・ということだろう。
どうしても,ご自分の都道府県のランキングを知りたい方は
こちら↓
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00211219.html
へどうぞ・・・。
勿論,結果を気にする必要はないが・・・。
日記@BlogRanking


トルコ大地震

2011年10月24日 21時07分52秒 | 時事問題,ニュース

トルコ大規模な地震が発生した。
M7.2というから,先の東日本大震災の前々日午前中に起こった地震(私のところで震度4)とほぼ同規模。
しかし,現時点で東部ワン(ヴァン)で100人,エルジシュで117人の死亡が確認された模様で,今後1,000人規模へ拡大していくとの報告も有る。
7階建てのビルが崩落したとも聞くし,何と言ってもトルコ東部は観光資源の多い西部とは異なり,開発の立ち後れもあると思われる。
そうした中での今回の地震被害は,幾度の大地震を体験してきた私にとって全く人ごととは思われない。


以前,F1関連で述べたが,トルコや中東諸国は洋の東西の接点である。
故にイスタンブールはスパイ銀座と言われ,映画「007ロシアより愛を込めて」の舞台ともなった(近年では,ジャッキー・チェン監督・主演の「アクシデンタル・スパイ」というのも有った)。
西は多島海であるエーゲ海を越えてギリシァと旧東欧のブルガリア(アレクサンダー大王の生地マケドニアも),北は黒海とアゾフ海を隔ててウクライナ,東はグルジア,アルメニア,アゼルバイジャンといった旧ソ連邦諸国。
さらに東進してカスピ海を渡るとトルクメニスタン。
つまり中央アジアに到る。
転じて南は,シリアにイラクという中東諸国に隣接している。
まさに洋の東西の分岐である訳だ。


故にトルコは,過去に多くの戦乱を経てきた。
確か「機動戦士ガンダム-The Origin」に載っていたと記憶しているが,旧約聖書にあるノアの方舟が辿り着いた地が,アルメニアとの国境近くに聳えるアララト山だった筈だ。そしてその北に聳えるのが,峻険なカフカス(コーカサス)山脈である。
そのアララト山の麓にあるのがヴァン湖で,今回壊滅的な被害を受けた上記の2都市はこの湖の畔にある。
また,黒海北部のクリミア半島付け根のセバストポリは,クリミア戦争とWWIIに於いて攻城戦が行われたし,先の戦争で拠点ともなったイラクの油田都市でもあるキルクークは国境から200km足らずだ。
さらに,コーカサスを越えたところにあるロシアの都市はボルゴグラード(旧スターリングラード)である。
1942年の熾烈を極めたスターリングラード攻防戦は余りに有名である。
紀元前に遡る前述アレクサンダー大王の遠征も,ローマと地中海世界の対立だった第2次ポエニ戦争だってトルコが関連している。
カルタゴの英雄ハンニバル(象のアルプス越えで有名)は,カルタゴ滅亡後頑強にローマに抵抗し,トルコ北部黒海沿岸のビテュニアに没した。
そして,その後の十字軍の遠征,セルジューク朝とオスマン朝については今更私が述べるまでないだろう。


トルコ東部にはクルド人が多く居住するという。
例のサダム・フセインが虐待した民族であるが,そのクルド人の生活が根こそぎ揺さぶられているらしい。
イラクとの国境付近に難民キャンプを張る様子が,幾度となく映像で語られるのを見てきたが,今度は我々日本人が動くべきではないか。
先の大震災で痛手を蒙った国として,今回のトルコを捨て置くという法はない。
まして,トルコは世界にも類を見ない親日国家で,トルコの地方に行くと日本人はとても歓迎されるという話を以前から聞いたことがある。
勿論,オスマン朝時代の1870(明治3)年,潮岬沖の紀伊水道で起こったエルトゥールル号の遭難事件がきっかけなのだろうが,それにしても日本人ですら過去の戦争責任を過大に解釈して「反日」を標榜する者も居るというこのご時世に,親日国家があるというだけでも嬉しいことではないか・・・。
義援金なのか救援物資なのか,ユネスコかアムネスティか,何らかの形で応えていきたいと思うのは,きっと私だけではあるまい・・・。
日記@BlogRanking


許せん!!

2011年09月22日 22時20分36秒 | 時事問題,ニュース

久々の本土直撃,というか首都圏直撃の台風だった。
私のところは,暴風雨域に入ったのが昨日の夜だったため,山ののり面が崩れた他は大きな被害は報じられていないようだが,首都圏では公共交通機関が軒並み運休で,3.11以来の帰宅難民が出るという大変な騒ぎだったらしい。
ところが,帰宅困難となった人たちにとって,障害となったのは風雨だけではなかったらしい。
何でも昨夜一晩で,都内だけで何と2万本超のビニール傘が路上に捨てられていたという。
風が強いと傘は簡単に壊れるし,横殴りの暴風雨には役に立たない。
それで路上にうち捨てていった痴れ者が,2万人超ということらしい。


許せん事態だ。
壊れてどうにもならなくなったのは理解できる。
許し難いのは,それを路上にうち捨てていったという事実である。
大変なのは分かるが,持ち帰るか,せめてゴミ箱に捨てろよ・・・と,声を大にして言いたい。
街頭に,路上に捨てることに対して,良心の呵責は無いのか。
ビニールは土に帰らないし,何よりも風雨が強いときには歩行者の脚ににぶつかる(或いは突き刺さる)ので危険でもある。


先の大震災に於いては,不平不満を言わず整然と並んで数少ない食糧や物資を受け取る日本人の姿に,海外メディアも瞠目した。
なのに,これが同じ日本人の所業か・・・と,信じられない思いである。
謙譲の美徳を誇る国民性を踏みにじるばかりか,自分のことしか考えないという現代人の属性が暴露され,腹立たしいことこの上ない。
かくなる上は,全国のこのようなことをした者すべてに反省と謝罪を要求したい。
因みに,私は風雨が強まった昨日午後,丁度傘を差しての外廻りだったが,折からの暴風に安物のビニール傘の骨が2本折れてほぼ使い物にならなくなった。
しかし,それをその場にうち捨ててくるなんて到底考えられないことであった・・・。
日記@BlogRanking