koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

今年も目出度くも無い日に・・・

2022年03月01日 20時20分41秒 | 音楽

今年も巡ってきたこの日,05年より続けてきた自分だけの恒例の一曲。
お気に入りの一曲を貼って,自己満足に浸るひとときを,今年も持つことにしよう。
でもって,今までのラインナップは以下の通り。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年  交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)
17年 大学祝典序曲(ブラームス)
18年  祝典行進曲(團伊玖磨)
19年  ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503(モーツァルト)
20年  序曲「ローマの謝肉祭」(ベルリオーズ)
21年  交響曲第2番ニ長調(ブラームス)

という感じで,最初の三年なんかは,割と目出度い曲を貼っていた気がするが,10年のシベリウスの第1とか12年のブラームスのピアノ四重奏曲とか自虐でしかないし,13年の「ローエングリン」なんて,波乱の予感でしかない。
なので今年は,暗いニュースばかりなのでせめて明るく朗らかな曲を・・・とも思ったが,どうもそんな気分にはなれそうもない。
世相を反映してか,スカッとするものよりも,激しく悲劇的なパッション に満ちた楽曲こそ相応しい・・・と,自虐を兼ねて思う。

2つのラプソディop.79~第1番ロ短調(J・ブラームス1833-97独)

2年続きのブラームスとなるが,熟年期の名作を。
何せ古今の楽曲の中でも名曲の誉れが高いヴァイオリン協奏曲ニ長調とピアノ協奏曲第2番変ロ長調に挟まれた時期の作品だけに,充実感が半端ない。
冒頭からテンモーニッシュなパッションの発露が顕著で,正しくラブソディック(狂詩曲的)に盛り上がっていく。
今の世相と自分の心情には,このような仄暗い情感とパッションが交錯する曲こそ相応しいと勝手に思い,底なしのブラームス沼にどっぷりと浸るのであった・・・。
因みに,10代から既にしてブラームス沼に填って出られなくなったと以前書いたが,この曲を気に入るようになったのは,割と近年のことであり,若い頃の私の感性は,この曲を理解するには到らず,未熟だったと云うことだろう・・・。
私の生まれた年に,ハノーヴァーのベートーヴェンザールで録音されたマルタ・アルゲリッチの緩急自在なピアノで。
ブラームスの楽曲は,所詮男の世界・・・と勝手に思って居た己の浅学と未熟を恥じる・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=NcgOp-2T05A


今年も目出度くも無い日に・・・

2021年03月01日 22時38分45秒 | 音楽

今年も又,目出度くも無い日がやってきた。
惰性で,恒例行事・・・と思ったが,その前に若い頃は,一体この日の生誕時刻である13:15にどこで何をしていたかを思いだしてみた。
16歳・17歳-高校で部活。
18歳-高校の卒業式。謝恩会なんてのが有り,いろいろと食べ物が出されたので,部室に居た後輩達に,それを何度か運んだ。翌日受験で上京。
19歳-大学入試の合否待ちで自宅。
20歳-友だちの家で遊んでいた。
21歳-部活の仲間と鳴子温泉に泊まり。
22歳-部活。昼食でカフェテリア。
・・・という感じである。
以降は,平日なら職場,休日なら自宅と決まってしまったが,30歳は何とスキーを履いて雪の上で迎えた。

・・・ということで,本題である。
例年,この日はお気に入りの一曲を紹介して,リンクを貼るのが恒例となっているので,今年は何にしようかと,例によって考えながら帰る。
確か2005年から始めたと記憶しているが,例年のラインナップは以下の通り。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年  交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)
17年 大学祝典序曲(ブラームス)
18年  祝典行進曲(團伊玖磨)
19年  ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503(モーツァルト)
20年  序曲「ローマの謝肉祭」(ベルリオーズ)

・・・と云う感じてある。
10年のシベリウスの第1とか ,12年のブラームスのピアノ四重奏曲だの,翌年のローエングリンだの,完全に自虐としか思われない・・・。
そこで今年は,これからの季節に合った明朗な楽曲にしようと思う。
昨日所用で好天の蔵王町に出掛けた際に聴いた曲に,迷わず即決した。

交響曲第2番ニ長調op.73(ヨハネス・ブラームス 独1833-97)
これもまた10代の頃より,飽かずに聴き続けてきた一曲である。
ブラームスは駄作の無い10割打者のような作曲家であるが,残された100曲を越える作品は,いずれも深い憂いと孤愁の蔭に満ちた佳品揃いだ。
但しその中に合って,春の日射しと咲き誇る野の花のような穏やかな美しさと明朗な風気に満ちたのがこの第2交響曲である。
勿論,ブラームスの作品であるから底抜けに明るい・・・とはならず,愁いをたたえたような楽節も散見されるのだが,最後は作曲者の喜びを示すかのように,明るく大きく結ばれる。
おそらく作曲者が好んだ南オーストリアの保養地ペルチャッハや,私も傍を通ったザルツカンマーグート(「サウンと・オブ・ミュージック」の舞台であるモントゼーがある)の景勝地バート・イシュルといった風光明媚な地で作曲されたと云うことも大きいのだろうし,きっと何か良いことがあったのだろう・・・(勿論,女性絡みで・・・)。
今,傍らで鳴っているのは,何と同年生まれのラヴェルは勿論,若い頃にブラームスの演奏にも接したというフランスの名匠ピエール・モントゥ(1875-1964)が,62年に手兵のロンドン交響楽団を指揮した滋味溢れる演奏だが,超絶的なテンポで終曲を席巻するワルター~ニューヨークフィル(51),党的な重厚で燻し銀のようなサウンドにも関わらず,この曲の持つ躍動感や喜悦を余すこと無く再現したカイルベルト~ベルリンフィル(59),恣意的な糸は皆無で自然に流しつつ絶妙な味わいで聴かせるケンペ~ミュンヘンフィル(75)といった歴史的名盤を愛聴してきた。
何れも,春の穏やかな陽光の下,滔々と流れる大河と一面の菜の花畑が想起されるような演奏ばかりだ(標題音楽ではないが・・・)。
動画は,ベーム~ウィーンフィルか,ドホナーニ~北ドイツ放響か迷ったが,クライバー~ウィーンフィルを貼る。
天才の考えることとすることは,常人・凡人には理解できん・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=dFeYcZEKpZk


今年も,目出度くも無い日に・・・・。

2020年03月01日 21時52分47秒 | 音楽

今年も目出度くも無い日が,こうしてやってきた。
とは云え,多くの方々からいただいたご祝辞を,アルコール片手に読むのは,心楽しい時間だし,何よりも嬉しく有難い。
そこで,今年も性懲りも無く,お気に入りの一曲を紹介して,齢(よわい)を一つ重ねようと思う。
因みに今までのラインナップは,以下の通り。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)
17年 大学祝典序曲(ブラームス)
18年 祝典行進曲(團伊玖磨)
19年 ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503(モーツァルト)

10年のシベリウスの第1とか,12年のブラームスのピアノ四重奏曲とか,翌年のワーグナーのローエングリンだの,16年のショパンのソナタ3番だの,どう考えても自虐だろうとしか言えない。
そこで,今年は底抜けというか無条件で楽しい曲で行きたい。

序曲「ローマの謝肉祭」op.9(ルイ・エクトル・ベルリオーズ 1803-69仏)
元々は,歌劇「ベンヴェヌートとチェッリーニ」の第二幕への前奏曲として作曲されたが,独立した演奏会用序曲として演奏されるようになる。
湧き立つような喜悦とラテンの熱狂,終盤の追い込みは,三連符を基調としたイタリアの民俗舞曲サルタレロ(タランチェラ)か。
最後の意外な和声で,全編が結ばれるのも良い。
95年の1月,イタリア放送交響楽団の演奏会のチケットを前日に貰い,急遽出掛けたコンサートのアンコールがこの曲で,会場が見事に盛り上がったことは記憶に新しい。
同年のモントリオール交響楽団のサントリーホールに於ける来日公演。
指揮は勿論シャルル・デュトワだ(つい最近,セクハラ疑惑で訴えられたようだが・・・)。オーケストラという多色絵の具を使い,コンサートホールというキャンバスに,鮮やかな色彩感に満ちた管弦楽曲という一大絵画を描くのに,これ程相応しい演奏家は居るまい。私は89年に仙台で来日公演を聴いたが,いやはや素晴らしいオーケストラだった。
因みに,この曲は高校2年の時にやりかけて以来縁が無く,未だに演奏したことが無い。極めておいしい役割でもあるタンブリンのリズムを,嘗てはシングルストロークで打つことができたのだが,今となっては・・・である。
これを聴いて,上質なトスカーナワインでも空ければ良いのだが,生憎そんな気の利いたものは無いので,洋酒をロックで行くか・・・。
https://www.youtube.com/watch?v=LK8mdW0LF6I


またしても,目出度くもなき日に・・・

2019年03月01日 21時08分10秒 | 音楽

さて,今年も目出度くも無い日が巡ってきた。
こうして,アルコール片手に,いろいろな方からいただいたご祝辞の数々に目を通しながら,この日を迎えることができた喜びを享受している。
さて,ではこの日を迎えるに当たっての今宵の一曲を,確か2005年からこうしてうpしてきた。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年  交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)
17年 大学祝典序曲(ブラームス)
18年  祝典行進曲(團伊玖磨)

10年のシベリウスと12年のブラームス,そして16年のショパンのソナタは,どう考えても自虐根多のようなやばい曲だし,13年のワーグナーも波乱の予感でしか無い。
仕事からの帰途,はて今年は何にしよう・・・と,思っていたら,天啓の如く閃いた。

ピアノ協奏曲第25番ハ長調K.503(W.A.モーツァルト 1755-91墺)。
06年のザルツブルク音楽祭のライブと記憶しているが(その割に音質・画質ともに今二つだが),世界に冠たるモーツァルト弾きである内田光子が,リッカルド・ムーティの指揮するウィーンフィルを相手に,見事な演奏を繰り広げている。
モーツァルトの20番台のピアノ協奏曲は,最晩年のK.595を筆頭に名曲の宝庫だが(否,「戴冠式」なる副題のせいか何故か人気のK.537は,どうでも良い作品だと思う),個人的には,「名曲の森」とも云うべき「フィガロの結婚」と同年に書かれたイ長調K.488の天馬空を行くが如き終曲のロンドがお気に入りなのだが,旋律美よりもきっちりとした古典的な構成感と均整美が顕著なこのK.503が相応しいと勝手に思った。

冒頭の決然たるアレグロの輝き。
指揮者がムーティだからだろうが,モーツァルトが憧れた南欧イタリアのソレントの浜に上がる燦然たる太陽の輝き(嘘。太陽は東から昇るから地中海とは逆方向だ)。
祝祭的高揚感に加え,勿論モーツァルトらしい旋律美だって充溢する。
第2楽章の情緒に流されないメロディもそうだし,終章ロンドの主題は,後輩たるベートーヴェンのヴァルトシュタインソナタにそっくりだ。
古典的な構成感と均整美とメロディアスな要素が見事に輻輳し,心地良い響きを奏でるあたりは見事と云うより他はない・・・。

・・・ということで,今宵も1つ齢を重ねた。
この演奏に相応しい酒は・・・??
上質なトスカーナワインか・・・。
 


ルドルフ・ケンペの忌日に12

2018年05月11日 22時40分35秒 | 音楽

5月11日。
この日は,私が数10年来信奉してきたある偉大な音楽家が,その生涯を閉じた日です。
毎年,この日は彼が残した遺産に対して,虚心に耳を傾け,その偉業を偲ぶと共に,指揮者難が叫ばれて久しい音楽界の現況を憂える日としてきました。
昨年はイレギュラーで鴎戦見に行ったので,2年ぶりの執筆になります。

ルドルフ・ケンペ(1910.6.14-76.5.11)。
ドレスデン近郊ニーダーボイリッツに生まれ,スイスのチューリッヒに没したドイツの名指揮者である。
ドイツ伝統の指揮者として,彼の指揮したベートーヴェンやヴァーグナー,ブルックナー,ブラームス,そしてR・シュトラウスは絶品であり,没後40年以上を経過しているにも関わらず,その残された少なからぬ録音の数々は,今も決してその価値を失うことがない。


今回紹介するCDは,LP2枚分を1枚に収めたものである。
曲目は以下の通り。
①交響詩「ドン・ファン」op.20(R・シュトラウス)
②交響詩「ローマの松」(O・レスピーギ)
③交響曲第9番ホ短調op.95「新世界より」(A・ドヴォルザーク)
殆ど一夜のコンサートを飾るようなラインナップである。
オケは,ケンペが50年代を代表する英国の名指揮者サー・トーマス・ビーチャムから後任を託されたロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団である。
録音は①と②が1964年,③が62年と,ステレオ録音では有るが,決して新しくない。

①の「ドン・ファン」をロードしてみる。
冒頭からスカッとした抜けの良い音で,切れ味抜群。
濃厚にして典雅な19世紀末のウィーンの香りが,音響空間を満たす。
ケンペは最晩年に,故地とも云うべきドレスデンのオケと,見事なR・シュトラウス管弦楽作品集と協奏的作品集を纏めているが,キレ味と覇気なら断然こっちだ。
抜群なホルンの弾奏は,首席奏者だった名手アラン・シヴィルだろうか・・・。

②のレスピーギは,ケンペとしては極めて珍しいレパートリーである。
ドイツ伝統の指揮者のイメージが強いケンペであるが,色彩感豊かにして劇的な上記R・シュトラウスを得意とするだけあって,精緻なオーケストレーションを誇るレスピーギが悪かろうは筈がない。
初めて聴くまでは,楷書体のかっちりした揮毫を見るような,重厚で 色彩感の乏しい演奏を予想したのだが,出てきた音は全く違った。
冒頭の「ボルゲーゼ荘の松」では,ローマ中心部のボルゲーゼ公園で遊ぶ子どもたちの嬉々とした様子が,パリッと明るい音色から如実に伝わるし,二曲目の「カタコンブの松」では,弾圧されてカタコンブ(地下の墓地)に籠もったキリスト教徒の悲嘆な聖歌が重厚に響き,続く夢幻的な「ジャニコロの松」と好対照となる。
最後の「アッピア街道の松」では,ローマへ続くアッピア街道を夜明けから行軍する古代ローマ帝国軍の残影が,骨太なタッチで壮大に描かれる。
学生時代より幾度となく演奏してきた名曲であるが,今でもこのケンペの演奏が個人的にはベストと思う。

そして圧倒的な③の「新世界」が来る。
ケンペは終生この曲を愛したようで,私の手元には最晩年のBBC交響楽団との白熱のライブを含めて4種が有る。
重厚な中なすっきりとした表情を湛え,飽くまでもこの曲がドイツロマン派の潮流からいささかも外れていない印象のベルリン・フィル盤(1959),オケの典雅な音色を活かし,恰もスイスアルプスの清澄なオゾンを吸ったようなチューリッヒ音楽堂のオケを指揮した演奏(1971),そして記述の灼熱のエネルギーが放射される最晩年のBBC響とのライブと,いずれも味わいに満ちた演奏ばかりだが,明るい音色とすっきりした表情で聴かせるのは,このロイヤル・フィル盤ではないだろうか・・・。
特に第2楽章Largoでは,表情は決して粘らず,端正ですっきりした歌が横溢する。 
どの部分を採っても音楽が常に明るく微笑んでいるような,この指揮者のヒューマンな感性が躍如としているし,終曲コーダの痛烈な追い込みも絶大な効果を挙げている。
さすが劇場叩き上げのアルティザンだけ有って,勘所を心得た演奏だが,恣意的な感じが全く無いのは,さすがと云うべきだろう・・・。

1970年代初頭のミュンヘン。
高性能・高機能を誇るバイエルン放送局のオケには,チェコの名匠ラファエル・クーベリック(1914-96)が,伝統のミュンヘンオペラ(バイエルン国立歌劇場)には,我が国とも馴染みの深いヴォルフガング・サヴァリッシュ(1922-2006)と,稀代のカリスマと言われたカルロス・クライバー(1930-2004),そしてミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団にはケンペが居た。
凄い陣容である。
当時のミュンヘンは,ウィーン,ベルリン,ドレスデン,パリ,ロンドン,アムステルダムと並ぶ,欧州楽壇の一大基点であったとも言える。
そしてその一郭を担ったケンペの偉業は,没後40年以上を経ても,決して色褪せることは無い。
それは,未来永劫に渡って,普遍性を勝ち得ることにもなるのだろう・・・。

「ミステリーのオーラが,高度に洗練されてエレガントなルドルフ・ケンペを取り巻いている。彼の丈高いスリムな姿は,いつもすっくと立ったままである。ケンペは,没頭するのを好んだディオニソス的で華麗な技巧の要る楽節で,限度を超えようとする場合に於いてすら,規律正しいジェスチャーを保っていた。オーケストラは彼の明確なサインの言語を即座に了解し尽くした。この点にケンペが忽ちにして世界くまなく成功した要因がある。リハーサルで彼はほとんどしゃべらず,彼の名人芸的な棒さばきと,彼の長い表情ゆたかな両手によって,彼そのものを理解させた。」
                                                   (尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社刊より)


またまた目出度くも無き日に・・・

2018年03月01日 21時47分37秒 | 音楽


今年もまた目出度くも無き日を迎えた。
例年,この日はお気に入りの一曲を紹介して,リンクを貼るのが恒例となっているので,今年は何にしようかと,例によって考えながら帰る。
確か2005年から始めたと記憶しているが,例年のラインナップは以下の通り。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)
17年 大学祝典序曲(ブラームス)

10年と12年,そして16年は,どう考えても自虐根多のようなやばい曲だし,13年のワーグナーも波乱の予感でしか無い。
はてさて今年は如何なる曲に・・・と,迷うところではある・・・。

祝典行進曲(團伊玖磨 1958)。
名曲である。
平成の年号も今年で終わりとなるが,今上天皇がご成婚のみぎりに,作曲されたのが当曲だ。
ご成婚のパレードで演奏された他,1964年の東京五輪でも演奏された様子を市川崑監督による「東京オリンピック」(私の映画館デビューでもある)でも見ることが出来る。
また,1984年のロス五輪の日本選手団入場の際にも演奏された。

短いファンファーレによる序奏に導入される主部は,晴朗にして輝かしい響きが充溢する。日本人的特性とも云うべき,謙譲の美徳や慎ましきただずまいが感じられ,熱と力,そして十二分な覇気にも満ちる。
高校生の時以来,幾度となく演奏してきた一曲でもあるし,打楽器パートに手を加えて追加して,棒を振ったことも有る。
いつ演奏しても,その格調の高さと美しさ,そして推進力に感じ入るという稀有の曲でも有る。
因みに,團伊玖磨は現皇太子のご成婚の折にも,「新・祝典行進曲」を作曲しており,親子二代に亘る皇室のご成婚のパレード用楽曲を提供という栄誉を担ったわけだが,後者の方ははっきり言って過ぎたるは・・・といった感じであり,結果的に当曲の素晴らしさを引き立てることとなってしまったのは,全くを以て皮肉意外の何者でもない・・・。

今や日本楽団の長老となりつつ有る秋山和慶が,洗足学園大学の吹奏楽団を指揮している。
テンポが早すぎるとか,行進できんという批判はごもっとも。
しかし,コンサートではこのぐらいの快速が映えるのである。
願わくは,再来年に迫った二度目の東京五輪の入場行進には,ぜひ福島の産んだ天才である古関裕而先生の「東京オリンピック行進曲」と,この「祝典行進曲」を演奏して貰えないものだろうか。
勿論陸海空三軍の合同演奏で。
くれぐれも,「新東京五輪行進曲」なんて委嘱しませんように・・・。


今年も目出度くも無き日に・・・

2017年03月02日 00時01分29秒 | 音楽

今年も目出度くも無き日を迎えるに当たって,さてお気に入りの一曲を何にしようかと思って居たところ,例によって睡眠不足と倦怠感に苛まれての起床の際に,脳裏にがんがん鳴り響いていたのは,ブラームスの悲劇的序曲であった。
これは紛れもない名曲ではあるが,如何に自虐根多を好む私としても,どうも相応しくないと感じる。
しかも,演奏したこと無いので,スコアを開いたこともない。


因みに,これを始めたのは2005年と記憶しているが,今までのラインナップは以下の通りだ。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)

去年のも明らかに自虐だし,シベリウスの第1とかローエングリンなんて縁起でもない。ブラームスのピアノ四重奏なんてのも完全に自虐というか自爆に近い。
ブラームスは,自称ゲルマンフリークである私のお気に入りの作曲家の一人であるが,どうもこうした選曲には相応しくないのかと思いきや,晴朗たる一曲を思い出した。


大学祝典序曲op.80(J.ブラームス 1833-97独)
1879年,ポーランドのブレスラウ大学から名誉博士号を授与されたブラームスが,その返礼としてかいたことで有名である。
・・・というより,その第3主題が,その昔ラジオ短波の「旺文社大学受験講座(通称ラ講)」のテーマに使われたり,さだまさしの「恋愛症候群」の導入部に使われたりした曲,と言った方が,私の世代には分かり易いかもしれない。


当初大学側は,荘厳な曲調の演奏会用序曲(既にこの様式からしてブラームスらしくない)や祝祭的なファンファーレを想定していたらしいのだが,そこは一筋縄ではいかない皮肉屋のブラームスである。
何と,学生たちが酒場で歌う学生歌をベースにした楽曲を作曲した。
つまり,大学当局を煙に巻いた,という訳である。
曲は,以下の4部から構成される。


1."Wir hatten gebauet ein stattliches Haus"(『僕らは立派な学び舎を建てた』-民謡より)
2."Landesvater"(『祖国の父』-"掛布のテーマ"に似たコラール)
3."Was kommt dort von der Höhe?"(『あそこの山から来るのは何』,狐乗り(Fuchsritt)の歌-上述)
4."Gaudeamus igitur"(ラテン語で「いざ楽しまん」)


・・・というわけだ。
生真面目な印象のブラームスとしては精一杯の皮肉と諧謔のつもりだったのだろうが,出来上がったこの曲は,紛れもなくブラームスの個性が十二分に発揮された傑作である。
だいたい,この時期のブラームスは,牧歌的で晴朗たる歓喜に満ちた第2交響曲や,イタリア旅行の所産でもあるパッショネートなヴァイオリン協奏曲,対を成す「悲劇的序曲」,そして,やはりイタリア旅行の影響が大きい大傑作の第2ピアノ協奏曲等々,傑作の森ともいうべき名曲を次々と作曲した脂ののりきった円熟期に入っている訳だから当然なのだろう・・・。
ブラームス自身,この曲を「笑う序曲」(対の「悲劇的序曲」に対しての呼称だろう)とか,「スッペ風ポプリ」とか呼んだらしい。
スッペは同時代にウィーンで人気のあった喜歌劇の作曲家(「軽騎兵」,「詩人と農夫」とか「ウィーンの朝昼晩」・・・)だし,ポプリとはフランス語で小さな花束のことだろうから,この場合はメドレーといったところだろう・・・。
遅筆の印象があるブラームスとしては,短期間で一気呵成にかきあげた印象が強いが,スコアを繙いてみると,ブラームスらしくぎっしりと凝縮度の高い網の目のような書法が顕著である。
二拍子の部分でもフレーズの頭をずらしたり,八分音符を刻む弦楽に対してホルンだけ八分三連で強奏させたり,わずか10分程度の曲なのに,その内容はさすがに大家の筆である。
本来ブラームスは,弟分とも言うべきトヴォルザーク(1841-1904)と違って,基本的にメロディメーカーではなく,気の利いたメロデイを作り出すのは苦手と思われ,それ故,ヘンデル,ハイドン,パガニーニ等の主題を生かした変奏曲に名曲を残したのだろうが,この曲のような主題の活用・変奏はお手の物である。
それでいて,格調高い弦楽の調べや明滅する木管のオブリガートにえもいえぬ魅力を感じさせる。
交響曲や器楽曲,或いは室内楽や声楽・歌劇に比して,管弦楽曲は内容的に一段も二段も低いと思われがちだが,大家の手になると,かくも魅力的な作品となるものなのである。


演奏は,往年の大家から現役まで名演が目白押しである。
私のCD棚には,モントゥ~ロンドン響,ワルター~コロンビア響,バルビローリ~ウィーンフィル,シュミット=イッセルシュテット~北ドイツ放送響,ヨッフム~ロンドンフィル,バーンスタイン~ウィーンフィル,サヴァリッシュ~ロンドンフィル,ハイティンク~アムステルダムコンセルトヘボウ管,プレヴィン~ロイヤルフィル,マゼール~クリーヴランド管,アバド~ベルリンフィル,ムーティ~フィラデルフィア管・・・と,山のように有った。
大家と呼ばれる人では,ベームにカラヤン,ケンペ,そしてヴァントはこの曲の録音を残さなかったようだ(フルトヴェングラーは有るのだろうか・・・??トスカニーニ,クナッパーツブッシュ,クレンペラー,セルは有る)。
交響曲全集にフィルアップされる例が多いため,私の手持ちも多いのだが,単品では意外や意外,最近のお気に入りは,メキシコのど派手指揮者という印象の強いエンリケ・バティス~ロイヤルフィルである。
存外に端正で,そして予想通り分熱いのである・・・。

・・・ということで,動画も貼っておく。
バーンスタインとウィーンフィルによる分熱い演奏。
かつてオケで2度演奏したが,実に楽しかったな・・・。
今日のような日に相応しいか否か分からないが,これで今年も齢を重ねよう・・・。


Bernstein - Academic Festival Overture (Brahms)

 


ルドルフ・ケンペの忌日に11

2016年05月11日 21時32分07秒 | 音楽

Rudolf Kempe - Dvořák: Symphony No.9 in E Minor "From the New World"

最近は文章を書くのも億劫で,10年前はあれだけ気合いを入れて書いていたウェブログも,おざなりになっているのだが,今日は別だ。
何せ40年目の節目でもある訳だし・・・。
この日に亡くなった故人を偲び,その数々の遺産を紹介してきたのであるが,今回は最晩年の映像と共に紹介したいと思う。


ルドルフ・ケンペ(1910-1976.5.11)。
ドレスデン近郊ニーダーボイリッツに生まれ,チューリッヒで没したドイツの名指揮者である。
2歳年上にはヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)が居り,そのカラヤンより10年以上前に没したこともあって,ケンペの存在は極めて地味で,我が国でもその少なからぬ数の録音(といっても毎月のように新録音が発売されたカラヤンには遠く及ばなかったが・・・)が生前に話題となることはあまりなかった。
今考えると,ロンドンのロイヤルフィル,チューリッヒの音楽堂(トーンハレ)のオケ,そしてミュンヘンフィルといった割と地味めなオケの音楽監督や常任指揮者を務めたこともあり,決してスターダムに上ることの無かったあたりが,私の心の琴線に触れたことも大きいと思う・・・。
そして音楽を聴き始めた40年前のこの日,レコード店にてケンペの指揮したチャイコフスキーの第5交響曲(ベルリンフィル)のジャケットを見て,何となく心惹かれたのであった・・・。
東芝EMIから出ていたニューセラフィムベストシリーズなる緑色のジャケットで,荒涼たるロシアの雪原の画像が載っていたのであるが,私が惹かれたのは,寧ろベルリンフィルのレコードが1,300円で買えるという事実にであった筈だ・・・。
そして翌日,新聞でそのケンペの訃報を知るに及んで,虫の知らせとも言うべき,尋常ならざる因縁を感じたのであった・・・。


以来,彼の指揮する演奏に惹かれ続け,ベートーヴェンやブラームスの交響曲(後者は2種類の全集),ブルックナーの交響曲第4,5,8番, R・シュトラウスの管弦楽曲集と協奏的作品集といった独墺系の音楽を聴き込むに及んで,その高い格調と芸術性に今尚傾倒している。
ケンペのレパートリーの中心が独墺系の音楽であったことは間違いないが,レパートリーが広い指揮者であったことは,意外に知られていない。
私のCD棚には,ベルリオーズ,ビゼー,チャイコフスキー,R・コルサコフ,ドビュッシー,レスピーギ,プロコフィエフ,そしてショスタコーヴィチの交響曲までが並んでいる。
中でも4種類の演奏が残されており,ケンペが愛し得意としていたのが,ドヴォルザークの新世界交響曲であった。
その最後の録音,1975年のロンドンプロムス(サー・ヘンリー・ウッド・プロムナードコンサート)における録画が,辛うじてYouTubeに残されており,熱狂的な若い聴衆を前に,白熱の演奏を繰り広げるケンペの姿を見ることができる。
亡くなるほぼ1年前の演奏だが,気迫と推進力,そして力と覇気に満ちたパッショネートな演奏が心を捉えて離さない。
オケは,この年から常任指揮者に就任したロンドンのBBC交響楽団だが,白熱の演奏を繰り広げている。
19世紀後半,独墺音楽の書法を以て,それ以外の地域に根差したモチーフで音楽を書いたのが,所謂国民楽派と呼ばれる作曲家たちだが,ロシアのチャイコフスキーと,チェコのドヴォルザークは,その典型であろう。
そしてケンペの手に掛かると,この魅力的な交響曲が,当然のことながら独墺音楽の本流からの継承であることを,改めて感じるのである・・・。
そして,今後もこの希有な芸術家の残した少なからぬ遺産に,益々惹かれていくことになろう・・・。


「ミステリーのオーラが,高度に洗練されてエレガントなルドルフ・ケンペを取り巻いている。彼の丈高いスリムな姿は,いつもすっくと立ったままである。ケンペは,没頭するのを好んだディオニソス的で華麗な技巧の要る楽節で,限度を超えようとする場合に於いてすら,規律正しいジェスチャーを保っていた。オーケストラは彼の明確なサインの言語を即座に了解し尽くした。この点にケンペが忽ちにして世界くまなく成功した要因がある。リハーサルで彼はほとんどしゃべらず,彼の名人芸的な棒さばきと,彼の長い表情ゆたかな両手によって,彼そのものを理解させた。」

(尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社刊より)

 

 


目出度くもなき日に・・・

2016年03月01日 20時37分21秒 | 音楽

又今年もこの日が巡ってきた。
もはや10代後半から嬉しくない日の一つと化してはいるのであるが,多くの方々にお祝いの言葉をいただくと,やはり喜ばしい日であることを再認識したりもする・・・。


この日は,SNSをやり出した11年前からお気に入りの一曲を紹介してきたのであるが,毎年のラインナップを挙げると以下の通りとなる。


05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)


最初の年は,爛漫たる春を静かに祝う平穏な曲想の一曲で始まったのであるが,2010年
など自虐でしかない選曲だし,12年のピアノ四重奏もどす暗い情念が蠢くような曲想で,これまた自虐。
13年の「ローエングリン」に到っては,波乱の予兆でしかない・・・。
毎年,選曲には勝手ながら迷うのであるが,今年は迷わず決めた。


ピアノソナタ第3番ロ短調op.58~終曲(F.ショパン)。
本日3月1日は,ショパンの誕生日だそうだ(他に,芥川龍之介と加藤茶)。
私自身,決して熱心な聴き手ではなかったし,ピアノ協奏曲第1番の緩抒楽章ロマンツェやアンダンテスピアナートと華麗なる大ポロネーズ(但しオケ伴付)ぐらいしか自らの意志で好んで聴くことはなかったのだが,このソナタの終曲は例外だ。
先立つ第2ソナタが葬送行進曲付きで有名であるが,どうも割り切れ無さというか完成されぬもどかしさを感じさせるのに対し,この第3ソナタは違う。
何よりも第1楽章冒頭から,えも言えぬパッションの発露と,デモーニッシュな感性が聴き手の心を捉えて離さない。
この終曲は,強烈な和声の連打で始まる。
青白く燃えるパッションは,二度と帰ることの無かった祖国ポーランドへの思いなのか,恋仲にあったとされるジョルジュ・サンドへの思慕なのか,今となっては知る由も無い・・・。



この曲に関しては,絶対マウリツィオ・ポリーニの演奏に止めを刺す。
ファンには悪いが,ポリーニの後で聴くアシュケナージは腑抜けにしか聞こえない。
最後のBdurの和音まで,クリスタルガラスのような硬質なタッチと抜けるような高音域の冴えが見事で,一瞬たりとも弛緩する瞬間が無い・・・。


・・・ということで,本年も又齢を重ねた・・・。
またしても自虐とも言うべき波乱に満ちた曲を貼ってしまったが,充実した1年にするべく努力したいものだ・・・。


ルドルフ・ケンペの忌日に10

2015年05月11日 23時11分53秒 | 音楽

1982年9月,NHK.FMからライブでオンエアされたその演奏は,聴いていた人々の度肝を抜いた。
曲目は,ブルックナーの交響曲第8番ホ短調(ノヴァーク版)。
演奏は,オイゲン・ヨッフム(1902-87)の指揮するバンベルク交響楽団。
南独のバイエルン州に属する地方都市のオーケストラで,正直言ってあまり期待してはいなかった。
ところが,この地方オケが,ブルックナー演奏の第一人者であった名匠ヨッフムの下,ものの見事な演奏を聴かせたのだった。
冒頭の神秘的な所謂「ブルックナー開始」に始まり,第一楽章終盤大詰めに全オーケストラが全奏で鳴り渡る中,金管による叩きつけるような「死の動機」が闇を劈く電光のように響き渡った時,これは只事ではない・・・と誰もが思った筈だ・・・。
そして続く古代チュートン人の祭りに霊感を得たとも聞く快速にして重厚なスケルツォと,清澄な響きが夏のアルプスの山塊を思わせるようなアダージョ楽章を経て,騎兵の行軍の如き勇壮なコラールが響き渡る終曲においても,オーケストラに疲労や疲弊は全く見られず,明るく大きく全曲が結ばれるコーダで最後のCdurの和音が鳴り響いたとき,久々に感動に打ち震える自分を抑えきることが出来なかった・・・。
この時の演奏は,コンパクトカセット2巻に納め,それこそ擦りきれるくらい聴いたのだが,今はCDで聴くことが出来る・・・。


WWIIの終結というかドイツの敗戦によって,ドイツの占領下にあった東欧諸国では「ドイツ人追放」が各地で起こった。
我が国も,北満や朝鮮半島,台湾,南方諸島から,多くの人々が必死の思いで本土へ帰還し,或いは私の伯父のように中途で帰らぬ人となった例も少なくなかったが,ドイツも亦,同様だったのだろう。
そうした中で,チェコから移ってきた人々が集まったことが,このバンベルク交響楽団の始まりで,終戦直後に発足したようだ。
その後,上記ヨッフムやカイルベルト,シュタインといったドイツ系の指揮者によって鍛えられ現在に至る。


ルドルフ・ケンペ(1910.6.14-76.5.11)。
ドレスデン近郊ニーダーボイリッツに生まれ,スイスのチューリッヒに没したドイツの名指揮者である。
毎年この日は,彼の残した演奏を偲び,代表的な演奏を紹介してきたのであるが,そのバンベルク交響楽団を指揮した演奏を採り上げてみたい。


ケンペは実は,レパートリーの広い指揮者であり,残された音源リストには,ショスタコーヴィチの第5交響曲や,コープランドの「エル・サロン・メヒコ」まで存在する。
勿論,彼のレパートリーがモーツァルト~ベートーヴェン~シューベルト~シューマン~ブルックナー及びブラームスへ連なる独墺音楽の本流にあったことは間違い無く,特にブラームスには2種の交響曲全集(50年代のベルリンpoと晩年のミュンヘンpo)が存在するほか,ロイヤルpoとの第4交響曲,そしてバンベルク交響楽団との第2交響曲が今もCDで聴くことが出来る筈だ。


推敲に推敲を重ね,20余年の構想の後に完成した第1交響曲(1868)が,重厚にして悲劇的なパッションを内包し,苦悩から勝利に至るのに対し,その翌年に南オーストリアの景勝地ペルチャッハで書かれたこの第2交響曲は,一気呵成に仕上げられた。
多分,ペルチャッハの明るい風光のせいであろうが,伸びやかで明朗な感性が充溢したブラームスには珍しい陽性の作品となっているのも大きな特徴である。
第一楽章冒頭の上降する低弦に導入されるホルンの響きから,既にどっぷりと中欧の風物に浸るようだ。
ケンペの指揮するバンベルク響の演奏は,その辺りから徐々に聴き手を響きの渦の中に巻き込んでいく。
澄み切ったバイエルンの青い空のように明るい弦楽の響きと,点在して咲く花のように明滅する木管の響きも美しい。
特別な仕掛けがある訳でも無ければ,驚くようなテンポの急変もない。
楽譜に忠実かつ正確。端正に演奏しているだけなのだが,この滲み出るような味わいの深さは何なのだろう・・・。
愁いに満ちた第2楽章の終盤を聴くと,ロマン派の作曲家にして厳しいまでの自己抑制を強いたにも関わらず,情感が溢れ出るという不徹底ぶりがブラームスの最大の魅力と思うが,そうした感性に一番ぴったり寄り添うのがこのような演奏なのではないか・・・と思う。
第3楽章冒頭のオーボエの艶やかな独奏は,この指揮者が元々はライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席オーボエ奏者であったことを思わせるし,ブラームスの喜びが率直に再現された終曲の歓喜も,やや速めのテンポで十二分に再現される・・・。


以前も述べたが,この曲のCDの中では,ブルーノ・ワルター(独 1876-1962)が50年代前半にニューヨークフィルを指揮したCBS盤と,ピエール・モントゥ(仏 1875-1964)が最晩年にロンドン響と残したフィリップス盤が双璧と思ってきたが,ケンペによる2種のステレオ録音も,それに勝るとも劣らぬ名盤と思う。
繰り返し聴きたくなる飽きの来ない演奏とは,こういうものを言うのであろう。

全くの偶然であるが,近年このコンビによる同曲の映像がリリースされた。
それをこの場で見ることができるというのだから,凄い時代になったものである・・・。
70年代初期の映像だろうか。
VTR撮影で,思ったより鮮明であるが,音声がステレオではないのが残念・・・。
勿論,名匠の至芸を偲ぶには十分である・・・。


「ミステリーのオーラが,高度に洗練されてエレガントなルドルフ・ケンペを取り巻いている。彼の丈高いスリムな姿は,いつもすっくと立ったままである。ケンペは,没頭するのを好んだディオニソス的で華麗な技巧の要る楽節で,限度を超えようとする場合に於いてすら,規律正しいジェスチャーを保っていた。オーケストラは彼の明確なサインの言語を即座に了解し尽くした。この点にケンペが忽ちにして世界くまなく成功した要因がある。リハーサルで彼はほとんどしゃべらず,彼の名人芸的な棒さばきと,彼の長い表情ゆたかな両手によって,彼そのものを理解させた。」
                                                   (尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社刊より)


Brahms - Symphony No 2 in D major, Op 73 - Kempe
 

 


若き日のこと・・・

2015年04月22日 22時10分02秒 | 音楽

ビゼー:「アルルの女」 第1組曲~No.2:メヌエット:前奏曲:クリュイタンス/パリ音楽院O
仕事の帰途,たまたま愛車のCDトレイに載せた音盤から流れてきた一曲。
弦楽合奏に始まる清冽なメヌエットだ・・・。
ラテンものに食指が動かない筈の私だが,突如これを聴いて若い頃に西新宿の東郷青児美術館で,有名なゴッホの「ひまわり」を見たときのことを思い出した。
あの時も脳裏にこの曲が明滅したものだった・・・。
未だに見たことのない南欧プロヴァンスの海と台地が想起され,その晩はワインを飲んだ筈だ・・・。
若き日への追想は,懐旧の念と焦燥が交錯する。
音楽というものは,その時代の風を纏っているものなのだろう・・・。
私が仕事帰りに聴いたのは,アバド指揮ロンドン交響楽団によるきりっと冴えた演奏だったが,これは名匠アンドレ・クリュイタンス(1908-67)が,今は亡きコンセルヴァトワールのオケを指揮した極めつけ・・・。
 


目出度くもなき日に・・・

2015年03月01日 21時11分13秒 | 音楽

今年もまた,この日が巡ってきた。
もはやこの年になると目出度くも何ともない日ではあるのだが,SNSに多くの方々からお祝いの言葉をいただき,唯々感謝の気持ちが湧く。
そうした意味でも,やはり幾つになっても大切にして特別な日なのだろう・・・。
SNSを始めて10年になるが,この日は各年毎にお気に入りの楽曲を紹介してきた。
ブログに動画や音声を貼り付けられるようになってからは,完全に恒例の行事となっている・・・。


かつての選曲を眺めてみると様々である。
その年の境遇とか心理・精神状態とかに大きく左右されているというのもあるし,自虐的な選曲だったり,必死に精神を鼓舞するような選曲だったり,自分でも呆れるくらい脈略も節奏も無い・・・。
ま,私のやることだから当然なのだが・・・。


05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)


最初の3年は,まともというか晴れやかにして穏やかな曲と,喜悦に満ちた曲になっているが,2010年のシベリウスの第1交響曲や12年のブラームスのピアノ四重奏(シェーンベルクによるオケ版)など,完全に自虐以外の何者でもないし,その次のワーグナーなんてのは波乱の予感そのものである。
そうした中,昨年は希望と推進力に満ちた明朗な楽曲を選んだつもりだったのだが,肝心の動画が削除された・・・(泣)。
そうした中での今年の選曲である。


序曲「謝肉祭」作品92(ドヴォルザーク)。
有名な新世界交響曲を作曲する少し前,敬愛するブラームスの協力もあって,作曲家としての名声を高めていたドヴォルザークが,ニューヨークのナショナル音楽院の院長に招かれて渡米する直前に作曲された演奏会用序曲三部作の中の一曲である。
その三曲は「自然と人生と愛」という名称でくくられ,それぞれ「自然の中で(かつては自然の王国でという和訳だった)」,「謝肉祭」,「オセロ」という題名が付く。
「自然の中で」は文字通りチェコの豊かな自然の賛美であり,「オセロ」はシェイクスピアの悲劇から題名が採られた。
そしてこの「謝肉祭」は,その喜悦に湧く曲想から,間違い無く人生の喜びを具現したものであろう。
冒頭の沸き立つような喜悦は,ワーグナーの歌劇「タンホイザー」序曲中間の「ヴェヌスブルグの音楽」からの影響が見られるともいわれる・・・。


10代の頃から親しんで大いに気に入っていた曲なのだが,残念ながら今まで演奏する機会には恵まれなかった(上記「自然の中で」は,オケでの演奏の機会があった)。
幾多の演奏をCDで聴いてきたが,やはり颯爽と駆け抜けるようなスピード感のある演奏が好みであり,9分台以上時間のかかる演奏は気に入らない。
そうした意味では,最高のドヴォルザーク振りであった同郷チェコ出身のラファエル・クーベリック(1914-96)がミュンヘンのバイエルン放送局のオケを指揮した演奏を愛聴してきたのだが,今は何と言ってもテオドレ・クチャル指揮ヤナーチェクフィルハーモニーの演奏が全てだ。
嵐のように激しく駆け抜ける演奏で,オケの機能も優秀である。
名前から察するにウクライナ人のようだが(私と同年らしい),ドヴォルザークの序曲・交響詩集,ショスタコーヴィチの管弦楽曲集を聴いて以来,すっかり填ってしまった・・・。
でもって貼る動画は,何と洗足学園大学の学生オケによる演奏である。

指揮は,名匠秋山和慶。
ビギナーズオーケストラチャレンジとか銘打ってあるので,新入生による講座の発表なのかもしれないが,颯爽とした演奏聴かせる。
最後でTbが音を外したのが惜しいが,細かい音型をシングルストロークで打つタンブリンの妙技は見物である。
音大のオケの中でも,近年の洗足の演奏は勢いが感じられる。
ついでに音声だけだが,上記クチャルの演奏も貼っておく。

比べてみるのも一興だし,9分以上かかる他の演奏が生温く感じられると思う・・・。


・・・ということで,今年はわりとまともな選曲だったと思う・・・(本当か??)。
人生の喜びを大いに味わう1年にしたいものだ・・・。


 


Chaconne・・・

2014年10月27日 23時23分42秒 | 音楽

昨日の過酷な練習の2曲目がこれだった。
ヴァイオリンのためのパルティータ第2番~シャコンヌニ短調(J.S.バッハ)。
原曲以外だと,ブゾーニが編曲したピアノ版が有名なほか,指揮者のストコフスキーや斎藤秀雄が編曲したオケ版も知られる。
コンサートバンド版が有るとは,迂闊にも実際に楽譜を前にするまで知らなかったが,久々にアレンジものを演奏して血が騒ぐのを禁じ得なかった。
シャコンヌとは,三拍子を基調とした舞曲風変奏曲のことで,パッサカリアと同義らしいが,さすがに「音楽の母」の手になるものだけに,緊密な網の目のような書法と格調高い様式感が感じられ,私のような素人を有無を言わせず納得させる絶大な説得力を持つ。
ゴシック建築のような質実にして巨大な建造物のようなイメージと中間部の聖母マリアの救済を思わせるような対比感,そして主題が回帰する終結部の劇的な展開(体力的に果てそうになった・・・)。
バッハの楽曲には神の声が宿る・・・と聞いたことがあるが,必死で譜を追いながらも心中にゆるやかな感動が徐々に広がりゆくのを感じることができたのは,一体いつ以来だろうか・・・。
私のパート譜は,指揮の先生による独自の改変が多数書き込まれているので,この演奏とは微妙に違うのだが(ライブだが,正直あまり巧いとは思われない・・・。人のこと言えないが・・・),次の練習までの二週間,必死でさらわないと・・・。
神の声が聞こえる演奏を・・・と,大それたことは考えないが,ドイツバロック特有の深く高貴な精神性のようなものを感じさせるような演奏を目指したいものだ・・・。
それにしても,対位法や古代旋法を多く取り入れ,古典回帰を提唱したブラームスがこの曲を編曲したら,どうなっただろう・・・。
そのブラームスのピアノ四重奏曲を編曲したシェーンベルクによる編曲も聴いてみたいような気がする・・・。
Chaconne from Partita No.2 in D minor arr. Larry Daehn - AudioImage Wind Ensemble  


ルドルフ・ケンペの忌日に9・・・

2014年05月11日 22時01分37秒 | 音楽

冒頭,C音の八分音符を刻むティンパニと低弦(コントラファゴットもか)の律動に乗って,左右両翼配置のヴァイオリンが高い音域のオクターブユニゾンでメロディを奏する。
チェロは三度上でハモるが,音域的には勿論下。
第1ヴァイオリンが極めて高い音域をとるのも,ブラームスの交響曲の特徴だろう。
推敲と熟慮を重ね,完成までに20年以上かかったという曰く付きの第1交響曲は,重々しいソステヌートで始まる。
つい一週間ほど前,隣町へ出掛ける際に,何気なくトレイに載せたCDから流れてきた見事な演奏に,一瞬我を忘れかけた・・・。
今の車のオーディオには殆ど手も金もかけていない故,サブウーファが無いので多少低音は薄めだが,フルレンジの4つのスピーカーとフロントドア上部に埋め込まれたツィーターは,キレも立ち上がりもよく,割と気に入っている・・・。
新緑の映える山々と,遠く残雪を戴く蔵王連山を眺めながらの快適なクルージングに,こうした演奏は実によく合う・・・。


ルドルフ・ケンペ(1910.-76.)。
エルベ河畔の古都,ドレスデン近郊のニーダーボイリッツに生まれ,チューリッヒに没したドイツの名指揮者である。
バッハからモーツァルト,ベートーヴェンを経て,ブラームスやR・シュトラウスに至る独墺音楽の正統的な解釈を示した音楽家として記憶されているが,レパートリーは意外に広い。
チャイコフスキーやドヴォルザークといったスラブ圏の音楽を得意としていたことは知られているが,ラテンものだとベルリオーズの幻想交響曲を皮切りに,ビゼーの「アルルの女」組曲とか,レスピーギの「ローマの松」もCD化されているし,ストラヴィンスキーの「火の鳥」とか,ブリテンの鎮魂交響曲,ショスタコーヴィチの第1と第5交響曲,さらにはコープランドの「エル・サロン・メヒコ」までカタログにあった。
毎年,彼の忌日であるこの日は,その演奏を偲ぶ一文を書いていたのだが,今年もその季節がやって来た・・・。


ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席オーボエ奏者として,音楽家のキャリアをスタートさせたケンペだが(指揮者がワルター,コンマスがミュンシュ,首席ヴィオラがコンヴィチュニーという凄い顔ぶれだったらしい),やがて指揮者としてケムニッツやヴァイマール,そして生地ドレスデンのオペラハウスの音楽監督を務め,バイエルン国立歌劇場(ミュンヘンオペラ)やメトロポリタン歌劇場(ニューヨークオペラ)の音楽監督を歴任,さらにはバイロイトやロイヤルオペラの常連でもあったケンペの音楽の本質が,独墺の作曲家と見事に合致していたのは紛れもない事実であろう。
上記ブラームスの第1など,その典型と言って良いかもしれない。


ケンペが指揮したブラームスの第1には2種類の録音が残されている。
59年にベルリンフィルを指揮したEMI盤と,晩年の74年に手兵であるミュンヘンフィルを指揮した盤である。
今日ここで採り上げたのは,前者-つまりベルリンフィルを指揮したステレオ録音初期の旧盤である。
何故なら,これは私が初めて自分の意志で聴いた同曲の録音だからである。
昨年物故した父のレコード棚にこのLPがあり,同曲に興味を持った時期(高校3年の秋だった)に,針を下ろしたものだった。
当時は,重厚にして晦渋な曲想が理解できず,終曲のコラールでようやく人心地・・・といった感じで聴き始め,やがてテンションの高い演奏(トスカニーニとか,ベイヌム,ベーム,バーンスタイン,ケルテス等)に惹かれていったのだが,今幾星霜を経て改めてケンペの演奏を聴くと,その見事な調べに舌を巻く。
概してドイツ系のオケは,ピッチが高めだと思うが,この見事に合った音程は何なのだろう。
特に上記冒頭の弦楽の厚みに圧倒される。
序奏が高揚し,アレグロの主部に入る前に奏でられる哀切極まりない,それでいて決して嫋々とならないオーボエの見事なソロはどうだろう。
多分名手ローター・コッホ(1935-2003)だろうが,ケンペ自身がオーケストラでのキャリアをオーボエ奏者として開始した故に,もしかすると厳しい注文があったのか,或いはツーカーだったのか・・・。
当時のベルリンフィルは,フルトヴェングラーからカラヤンが引き継いで数年,独のトップオケらしい重厚で渋い音色を残していたと思われる。
それを見事に引き出したケンペの手腕も,さすがと言うべきだろう。
第2楽章終盤,夏の終わりの野の黄昏を感じさせるような,ホルンに独奏ヴァイオリンが絡むくだりの美しさはどうだろう。
この楽章は,上述の通り推敲と熟考を重ね,その跡が色濃く残る部分が顕著であるが,一編の叙事詩を読むような感覚に満ちている。
Vn独奏は,コンマスのミシェル・シュヴァルベ,Hrは首席のゲルト・ザイフェルトだろうか・・・。
典雅な響きに満ち,中間部ではスケルツォ風のリズムも垣間見せる第3楽章も,特異であるが,冒頭の見事なB♭管のクラリネット独奏は,名手カール・ライスターだろうか・・・。
そして艶やかな歌と重厚な高揚感に満ち,最後はしなやかに力感が解放される終曲。
特別な仕掛けも無い代わりに,視聴後の充実感は比類無い。
作曲者が意図したのは,もしかするとこういう演奏だったのかもしれない・・・。


・・・ということで,数年ぶりでケンペの指揮したブラームスについて述べてみた。
ケンペには,上述の通りベルリンフィルとミュンヘンフィルを指揮した2種の交響曲全集が有るが(前者の第2と第4はモノラル録音),その他にはバンベルク響との第2,ロイヤルフィルとの第4が残されており,いずれも名盤として薦められる。
さらには,以前紹介したゲルバーとのピアノ協奏曲第2番(ロイヤルフィル),ギンベルを独奏者とした同第1番(ベルリンフィル),メニューインが弾いたヴァイオリン協奏曲(同)の他,ドイツレクイエム(同:確かフィッシャー・ディスカウが独唱?)と悲劇的序曲(同),そして2種の聖アンソニーヴェリエーション(ベルリンフィルとバンベルク響)が残されており,Vn協とドイツレクイエム以外は,何とか入手したところである。
そして本日,母の日ということで実家へ顔を出したついでに父のレコード棚を漁り,上記LPを発掘してきた。
オリジナルはステレオ録音だが,当時はモノラルとステレオの2種とも発売されたらしい。盤質も良く,もしかすると好事家にとっては垂涎ものかも知れないが,勿論そのまま保存しておくことにする。
国内初版かもしれないジャケットは貴重であろう。
たすきまで付いているし・・・。
それにしても,当時(1960年頃)の1,500円とは,今換算すると幾らに相当するのだろう・・・。
いずれにしても,公務員だった父の給料は高かったとは思われないので,やっとの思いで買って,大事に聴いたのだろう・・・。
 


謹んでご冥福をお祈りします・・・

2014年04月30日 22時17分40秒 | 音楽

作曲家の松岡直也氏の訃報に接し,頭の中が真っ白になっています・・・(公式web参照)。
何も言葉がありません・・・。
93年発売のアルバム「Mineral」(廃盤らしい)は,今も愛車のコンソールに入っており,T-SquareのCDと共に,クルージングの定番となっています・・・。
5年程前に,こちらでも紹介していました。
ラテンヒュージョンの大家というイメージですが,気の利いた小粋でキャッチーな曲の数々は,今尚時代を感じさせません。
20年ちょい前,今までの人生で一番良かった頃に聴いた上記アルバムから2曲を貼って,冥福を祈りたいと思います。
合掌・・・。

20年程前だろうか。白馬での真冬ライブのせいか,かなり音程は怪しいが,ご本人の姿を拝見できるだけでも貴重・・・。

こちらはアルバムから。今となっては,遠い目をして聴くしかないのか・・・(泣)