koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

真田丸-第3回「策略」

2016年01月24日 20時59分47秒 | TV&エンターティメント

あー,そう来たか・・・三谷脚本。
出浦がカウンタースパイとは気付きませんでした。
まんまとしてやられました。
脱帽です。
しかし,なんで上杉への密使に信幸使うかな・・・。
囮としては分かるけど,命落としたら身も蓋もない・・・。
でもって,将来親子の確執を描こうという見え見えの伏線・・・。
でもって,お前が家督だ・・・で,疑念が氷解する信幸・・・。
作為以前の問題でしょう・・・。
しかし,出浦盛清って,武田の忍者であることしか知りませんでしたが,信濃の国衆だったんでしょうか・・・。
村上義清の葛尾城のあった埴科郡坂城の出身だそうですが,井上氏や高梨氏のような信濃源氏の一族だったのかどうか・・・。
でも,真田に与力したのって翌年以降,つまり信長の本能寺横死を受けて,信濃衆は海津城にあった森長可に裏切ったのに対し,出浦のみ従ったので,徳川~羽柴と信州の支配が変わる時期を生き残ってからではないかと思われます。
そして,実際にこの時期の昌幸は,実際何処にいたのでしょうね・・・。
真田氏は真田の庄に居た方が分かりやすいのでしょうけど,多分この時期の昌幸の本城は,上州岩櫃城だったのではないでしょうか・・・。
ま,織田軍が信州に侵攻してくるということで・・・という設定でしょうけど・・・。
多分,武田家が在りし日は,岩櫃から上州吾妻郡と信州小県郡-つまり現在の菅平高原から浅間山の北麓,西上州を押さえる中信地方の一大勢力だったのでしょう。
現在の長野県の地勢同様,中世の信州は,木曽郡の木曽,諏訪郡の諏訪,埴科・更級郡の村上,筑摩郡の小笠原(守護),安曇郡の仁科,佐久郡の平賀・・・といったように,国衆が割拠していたのでしょう。
甲府盆地に地勢が集約する隣国甲斐のように強力な統一政権が出なかったのは,山国故に盆地が散在したから・・・ということと思われます。


武田勝頼・信勝父子が天目山に自害して,源平時代より続いた甲斐源氏の名門である武田氏は滅びますが(続いた系統については,いずれ述べてみたいものです),信長(と穴山梅雪)の命も,それから僅か三ヶ月なんですね。
所行無常というか盛者必衰というか・・・あまりに儚いとしか言いようがありません・・・。
その信長横死の後,信濃を押さえていた代官であったのが上記森長可でしたが(甲斐は河尻秀隆),所謂天正壬午の乱によって,上信甲三国は大混乱します。
その辺りがどう描かれるのか,気に掛かるところです。
考えてみたら,上州と小県郡に配されたのは,上記森長可ではなく,滝川一益なので,今後どう関わってくるかも見どころとなることでしょう。
昌幸と滝川一族の関わりは,この時期に始まるでしょうから・・・。


・・・ということで,長澤まさみ嬢のご登場と相成りました。
しかしまあ,「巧妙が辻」の小りんといい,「天地人」の幸村妹役といい,今回といい,何か大河では役に恵まれていないのでは・・・と思ってしまいました・・・。
家老の高梨内記の娘が,城主の若殿とため口・・・。
有り得ません・・・。
ま,大河に色恋沙汰は不要・・・と(石が飛んできそうですが),断じておきましょう。
・・・にしても,源二郎酷すぎ。
男として最低の部類では・・・と,思ってしまいます。
武士階級の自由恋愛など考えられない時代ですし,殿様のお手が付いて・・・という時代でしたから,やはりこうした色恋沙汰を挿入すると無理があるような気がします。
因みに,この時点(天正10年3月)で,信幸は数えで17歳,信繁は16歳という設定ですので,信幸に夫人が居てもおかしくはないのですが,こう・・・はて,清音院殿のことでしょうか・・・。
何か病弱という設定で,将来が無いような気がするのですが・・・。


・・・ということで,今日も書き殴ってしまいました。
面白いのですけど,何かやたら軽い気がするのは私だけでしょうか・・・。
子どもの頃,訳分からずに垣間見た「竜馬がゆく」や「天と地と」は,もっと重厚で,高尚な感じがしたと思うのは,今だからでしょうか・・・。
否,物心つきつつある時分に見た「花神」や「草燃える」,結構いい年になってから見た「翔ぶが如く」も,もっと緊張感があったような気がするのですけど・・・。
吉川英治や司馬遼太郎の歴史小説のページを繰る際に覚えたわくわく感は,過去のものなのでしょうか・・・。


真田丸-第2回「決断」

2016年01月17日 22時17分08秒 | TV&エンターティメント

う~ん,期待してビデオを回したのですが,何か緊張感のない逃避行シーンと見え見えの小山田勢登場と,昌幸の救援・・・。
あのような逃避行が果たしてあったのかどうかも疑問ですし,おそらく新府城から信州佐久郡へは信玄が築いた棒道が有ったのでしょうし,佐久郡はまだ織田軍の支配下には無かったかと思われます(滝川一益が厩橋城に入るのは,甲州の仕置が済んでからでしょう)。佐久郡から岩櫃城のある上州吾妻郡に行くには,浅間山の東側-つまり現在の軽井沢から長野原・草津方面へ・・・というルートを取るでしょうし,吾妻郡の入り口たる羽根尾城は,前年に昌幸が城主の羽尾兄弟を謀殺して奪取していますから,あのような逃避行が有ったとも思われないのですが・・・。


信玄が2度も登場したのは,はっきり言ってぶっ飛びました。
ま,演出の1つではあるでしょうけど,どうかな・・と,思いました。
勝頼一行の終焉の地は,田野の景徳院の辺りだったと思われます。
日川を血で染める凄惨な戦いの果てに,勝頼一族は自害しますが,あれだけ立派な陣幕と,御旗(無かったな)楯無を持って歩いたのかどうか・・・。
介錯は土屋惣三だったと記憶していますが,同時に命を絶った嫡男の信勝や北条夫人は一切出てきませんでしたね・・・。
いずれにしても,髷と甲冑,騎上姿が一番似合っていたのは,平岳大演じる勝頼でした。大河の主役を務めた父の薫陶でしょうか・・・。


この頃の真田の立ち位置というのは,結構微妙であったのかも知れません・・・。
郡内(東甲州)を治める小山田信茂が,真田は後背定かでないと言い,岩殿城に勝頼を誘うと見せかけて裏切る・・・というのは,その通りとは思いますが,小山田とて武田家譜代の家臣・・・というより,緩い同盟関係にあったのが信玄の代に臣従した訳でしょうから,真田と極めて似た立場とも言えるのかも知れません・・・。
この辺りは,人物叢書等の参考文献や新田次郎の「武田信玄」,「武田勝頼」を読み返す必要に駆られます・・・。
真田が武田氏に仕えたのは,昌幸の先代である幸隆の時代です。
信州北部の豪族たち-例えば村上義清を筆頭に,井上某に高梨某,屋代某とかは,武田氏に南から圧迫され,越後の上杉を頼ります。
上州吾妻郡から信州小県郡を押さえた真田は,その中でも唯一武田に従った・・・というか,武田勢を手引きして砥石城や葛尾城といった村上氏の諸城を落とすのに大いに働きました。
その辺りが,山県,馬場,甘利・・・といった武田家譜代の家臣と共に真田幸隆が信玄二十四将に入ることになった由縁でしょう。
信玄麾下の秀才若手官僚として,昌幸はゆくゆく武田家を支える1人として,将来を期待されていたことと思われますが,信玄亡き後,勝頼の信頼を得たのは跡部勝資と長坂長閑斎でした(長坂は出てきませんけど・・・)。
そうした中にあって,昌幸は鬱々としていたことでしょうし,主家と運命を共にしなかった理由も,そのあたりに有ったのかも知れません・・・。
そうそう,昌幸はそもそも真田の家督ではありませんでした。
・・・というのは,先代幸隆の長子信綱(晴信の一字を貰ったのでしょう)と次子昌輝は,長篠の戦いで討ち死にしています。
そのような経緯で回ってきた家督を,昌幸はしっかりと引き継いで,強固な領国経営を行ってきたということになります。


それにしても,信幸・信繁兄弟の性格分けをくっきり出そうとしているのでしょうけど,何かそれがしっくりいっていないような気がしてなりません。
信幸-慎重,信繁-果断・・・という単純な分け方ではない筈ですし,それだけでは上手く描ききれないと思います・・・。
何かとにかくやたら軽くて,展開が見え見えだし,数々の歴史ドラマを見て感じてきた重厚さと緊張感が殆ど感じられないのが残念です・・・。
それに,あんなに打ち物を取って戦うのも??です。
どうも最近の大河の主人公は,かねたんにせよ龍馬にせよ,はたまた清盛と官兵衛にせよ,やたら初っ端からポテンシャルが高すぎるような気がします・・・。


最後に疑問を1つ。
「甲府が落城しました」
という台詞がありましたが,甲府という地名はいつから定着したのでしょう・・・。
駿府という呼称はありましたが,現在の甲府市は,当時新しく築城した新府に対して,古府中と呼ばれていたのではないかと想像されます。
多分甲府という名前が定着したのは,柳沢吉保の時代以降ではないのでしょうか・・・。だとしたら,
「甲府が落城・・・」
というのは,考証的にどうよ・・・と,なります・・・。
ま,信玄の父信虎が,現在の石和から躑躅ヶ崎城館に移った際に命名した・・・と言われているらしいですが・・・。 


またこういうことを書くと,今回の大河を楽しみにしておられる方々から,お叱りを受けるかもしれませんが,やはりしっかりした時代考証の下,私のような素人に突っ込まれないような良い作品を製作して貰いたいと思います。
どうも「坂の上の雲」に,エキスを吸い取られたのでは・・・という私の危惧が,これ以上現実にならないことを望みたいです・・・。


真田丸-第1回「船出」

2016年01月10日 21時54分45秒 | TV&エンターティメント

18時から録画し,19時からビデオを回して見ました。
30年前の1986(昭和61)年1月は,まさにNHKの当時の水曜時代劇「真田太平記」が佳境を迎えていました。
そして,真田の由縁の地である上田や別所温泉,松代を訪れたのは,その翌月になります。その帰途,中央本線の急行アルプス車内から岩殿城跡がよく見えました(大月駅)。
当時の地名で言えば,甲州巨摩(こま)郡から信州諏訪郡・佐久郡,そして真田一族が蟠踞した小県(ちいさがた)郡の風物が好きで,若い頃は幾度となく上記中央線や信越線沿線を見て回ったことがあります。


そうした中で,「真田太平記」の原作(文庫本で全14巻)を読んだのは,昭和の終わりの頃でした。
脇の知識が極めて豊富で,独自の史観を以て語られる司馬遼太郎の歴史小説とは異なり,池波正太郎のライフワークとも言うべき「真田太平記」は,正統派の歴史小説とでも位置づけるべきでしょうか。
天正10(1582)年春の武田氏滅亡と,それから僅か三ヶ月後の本能寺の変に始まり,40年後の真田伊豆守信之の信州松代移封までの真田一族の激動の軌跡が,鮮やかに描かれており,一瞬たりとも弛緩する場面が無く,月2回新潮社から刊行される新刊が楽しみで,七ヶ月掛けて全14冊を読み切った記憶が有ります。
そのTV版で真田安房守昌幸を演じたのが,先年惜しくも亡くなられた丹波哲郎で,役作りのために,何十回も原作を読んだということでした。
重厚にして大胆な用兵をし,抜け目がないようでいて女に甘い・・・という原作通りの昌幸像を見事に作り上げていたと思います。
そして兄信之(初名信幸)役を演じていたのが渡瀬恒彦で,弟の幸村は何と,本日昌幸を演じていた草刈正雄でした。
水曜日に胸をときめかせて,夢中になって見たあの頃から30年もの年月が経ったことを痛感せざるを得ません・・・。
ですので,ぼそぼそとした喋りは,間違い無く丹波のおじさまを意識してのものでしょうし,丹波昌幸が作中で思案する際に胡桃を握ってごりごりさそせていたので,本日も草刈昌幸の傍に胡桃が置いてあったのを見て,思わずにんまりとしてしまいました。
三谷幸喜独自の遊び心だったのかも知れません・・・。


・・・ということで,私の目の前には「真田太平記」の文庫本と,DVDBoxが有りますので,如何に三谷幸喜が,30年に亘って続いている私の呪縛を解き放ってくれるかが,個人的には最大の課題となります。
しかも,大河ファンの方には,大変申し訳ないのですが,ここ数年大河ドラマは悉く外しておりまして,「江」は8月,「清盛」は3月,「八重の桜」は6月,「官兵衛」は3月,そして昨年の「花燃ゆ」に到っては2月に視聴を断念してきたという経緯があります。
その前の「天地人」と「龍馬伝」は,コンプリートしましたが,半分意地と惰性で見たきらいは否めず,どうも09~11年にかけてNHKが威信をかけて完成した「坂の上の雲」にすべてエキスを吸い取られたのではないか・・・とすら勘ぐってきました。
故に,毎年この時期は,どうか重厚にして史実に忠実な骨太な歴史ドラマを見せてくれ・・・という願いでいっぱいになります。
ですから,もしかすると今後この「真田丸」について書くとすれば,大河ドラマを毎週楽しみにしている方や,堺雅人や大泉洋のファンの方々にとっては,甚だ不愉快なものとなる可能性が大です。
ま,以前も,「天地人」や「龍馬伝」に対してぼろくそ書いたら,茶化した物言いは止めませんか,とか,あんな素晴らしい歴史考証(どこが素晴らしいのか聞きたいくらいですが)を誹謗するとは実に怪しからんとか,貴重な反論をいただいたことがあるのですが,
ま,素人の私が書くことですから,そのあたりは
「また書いてやがる。しょーもねーなー」
と,笑って看過していただけると幸いでございます・・・。


・・・ということで,本編について(前振り長すぎ)です。
風雲告げる天正10年2月,木曽谷を押さえる武田方の地方大名木曽義昌(自称木曾義仲子孫)が織田方に寝返ったところから始まります。
舞台は信州諏訪郡上原城(茅野市上原)。
織田・徳川連合軍による甲州侵攻作戦は,伊那口,木曽口,駿河口から始まったと考えられます。
真っ先に綻びたのは,上記木曽義昌の裏切りによる木曽口で,義昌の裏切りに怒った武田勝頼は1万の大軍(大将は勝頼従兄弟の信豊)を差し向けましたが,鳥居峠の戦いで惨敗。その辺りを,もう少しきちんと語って欲しかったですし,信濃の小笠原が裏切ったというのは,明らかに考証不足です。
信濃守護職の末裔である小笠原氏の当主長時は,天文17(1548)年の塩尻峠の戦いで勝頼の父武田晴信(信玄)に敗れて没落し,所領を失って上方の三好長慶や越後の上杉謙信を頼って亡命状態にあり,この時期は既に織田家に使えていた筈です(前年天正9年の京都御馬揃えにも出ています)。
或いは,客将として蘆名盛氏に仕えていたことも考えられますので,信濃にいて武田に反旗を翻したとは思われません。
あと,上原城に,果たして穴山梅雪(信君)は居たのでしょうか・・・。
梅雪は駿河江尻城主ですので,言わば対徳川,対北条の最前線です。
動ける筈もなく,また,裏切って徳川軍を駿河口から手引きした訳ですから,木曽義昌討伐には動員されていないと思われます。
梅雪にせよ,小山田信茂にせよ,後で裏切る訳ですから,出しておいた方がわかり易いということでしょうか・・・。
そして,「真田太平記」の序章の舞台となった伊那口の高遠城攻防について触れられていないのは,全くの片手落ちと言うべきでしょう。
武田勝頼の凋落に拍車を掛けた大きな原因となった訳ですから・・・。
信玄の末子,仁科五郎盛信の壮絶な戦いぶりと最期は,きちんと語られるべきと思いました。


信幸・信繁兄弟(と,姉の村松殿)を別にすれば,役者さんたちはさすがに上手かったと思います。
特に勝頼役の平岳大さんは,さすが大河で主役を張った父の薫陶宜しく,髷と甲冑姿が凄く似合いましたし,高嶋政伸の北条も,莫迦殿ぶりに期待が持てそうです。
内野聖陽の家康が爪を噛んだのは,「影武者徳川家康」の影響でしょうか(実際,そういう癖があったということらしいですが)。
う~ん,1回見ただけで評価をするのは,いささか早計に過ぎますし,まだまだ今後に期待すべきなのでしょうけど,どうかな・・・。
武田氏が滅亡した当時の,真田家の武田氏内部での立ち位置がどうであったか,果たして跡部勝資が言ったように,仕えて日が浅いのか,その辺りは,真田氏がどうして武田家に仕えるようになったのか,その経緯を語らなくてはなりません。
それこそ,9年前の「風林火山」の時代について述べなければなりませんので,次回語ることができれば・・・と思います。
ワープロ2ページ半程,キーを叩いてしまいましたので,今宵はこれまでにしたいと思います・・・。


風立ちぬ・・・

2015年02月21日 11時29分19秒 | TV&エンターティメント

封切られた去年の夏,これは何としても見ずば・・・と思って,単身映画館に赴いて,10年ぶりに封切りを・・・とも考えたのですが,これは内容的にも家族に見せておきたい・・・と考え,レンタル解禁を待って,週末にショップに走り,ラスト2枚というところでゲット。
残念ながらBDはすべてレンタル中でしたので,DVDでの視聴となりました。


木村秀政(1904-86),土井武夫(1904-96)と並ぶ航空工学の権威である堀越二郎博士(1904-82)については,中学生の頃,航空評論家の佐貫亦男氏(1908-97)の著作で読みました。
何せ,当時はご存命でしたので,私としては,つい最近の方という印象を拭えません。
ですから,我が国が世界に誇る偉大なる零式艦上戦闘機(と九六艦戦,雷電,烈風)の設計者としては勿論,戦後国産旅客機のYS11(屋久島便に乗ったのは,貴重な体験でした)の設計者として,航空界の大物である堀越氏の半生をどのように描くか,興味津々でした。
原作は,私の愛読書の1つである「モデルグラフィックス」誌に連載されていたもので,幾つかの類似共通点が垣間見られる「紅の豚」と被ります(原題は「飛行艇時代」。数年前入手)。
尤も,MG誌では,登場人物が擬人化された動物だったのですが・・・。
でもって,土曜の夜,子どもを寝かしつけて,ビールとワイン,日本酒を冷やしておいて,ビールを開栓と同時に視聴を開始しました・・・。


う~ん・・・,評価が難しい・・・。
私のような頭からつま先まで,完全な昭和の男にとって,描かれた風物は,ある種のノスタルジーを伴って迫ってきますし,若い頃とち狂ったように読んだ堀辰雄の諸作品の影響や,夢の中でのカプローニを代表とする飛行艇時代への憧憬(これも「紅の豚」ともろに被ります),そして仰角や主翼前縁30パーセントに重心を持ってくる模型飛行機(ペーパークラフト)を夢中で作った子ども時代への個人的追想など,多くのファクターが去来しました。
前半は,カプローニとの出会い(但し,夢での)から九試艦戦の設計まで,わりとさくさくと進んだのに対して,後半は多分まるっきり創作(というか,題名も含めての堀辰雄作品へのオマージュでしょう)である恋愛模様・・・と,良い意味でのコントラストがはっきりしていたと思うのですが,個人的にはどうもその辺りの統一感というか,作品を貫く芯がぶれたような感覚は最後まで付いて回りました。
勿論,2時間強,飲み続けていたにも関わらず,トイレにも立たないで,画面に釘付けになっていた(AVアンプに灯を入れ,サラウンドスピーカーを鳴らしつつ)ことは,言うまでも有りません・・・。
碓氷峠(新幹線開通で,これが失われたことは痛恨でした)の石橋を登るアプト式鉄道と草軽交通(私が生まれる前に廃線),旧軽井沢銀座の賑わい,正確な考証に基づいて描き込まれた車両の数々等に指を鳴らし,登戸行きの電車は小田急だろうが,菜穂子の家は上野だったのではとか,「風立ちぬ」のヒロインは,確か節子という名前だったとか,ヒロインの菜穂子の名は「楡の家」~「菜穂子」から取ったとか,氷室で雨宿りする場面が出てきたら完璧なオマージュだったとか,菜穂子が入った療養所(サナトリウム)は,作中にも出てきたように浅間高原の軽井沢ではなく八ヶ岳山麓の富士見高原だったとか,作中の「草軽ホテル」は旧軽井沢のアカシアの小径の奥にある「万平ホテル」のことだろうとか,「会議は踊る」(31)の音楽だ・・・とか,余計なことをたくさん思いながら見ることが出来たので,楽しめたことは間違いないでしょう・・・。
零戦(21型)の登場シーンは最後の一瞬のみで,九試艦戦(量産型は九六式艦戦)のプロトタイプによる初飛行成功でストーリーが完結しているのは,やはり旧式化による劣勢と戦局の悪化,特攻と敗戦ということが頭にあったからなのでしょう・・・。
誰にでも楽しめる・・・とは,無条件では言えませんが,当時の時代背景や堀辰雄の諸作品(上記2作と「美しい村」あたり)を読めば,さらに理解が深まって楽しめると思います。大いに気に入ったら,BD買おうかと思っていましたが,現段階では躊躇しています。
次は,来月発売の「永遠のゼロ」を何としても見ないと・・・。
でもって,作りかけの九六艦戦と宮部久蔵搭乗の台南航空隊所属の零戦21型を組まないと・・・。
 


「花燃ゆ」-第1回:人むすぶ妹

2015年01月05日 22時16分37秒 | TV&エンターティメント

昨日,18時からBSプレミアムを録画したのは良いのですが,ようやく先程見終えました。
幕末維新ものは,一昨年の「八重の桜」以来。
長州藩が舞台となると,1977(昭和52)年の「花神」以来ではないでしょうか・・・。
「毛利元就」(07)や「義経」(05),はたまた「龍馬伝」(10)あたりでも,山口市や下関市が舞台となることは有ったでしょうけど・・・。


それにしても,「八重の桜」もそうでしたが,随分と地味な人物を採り上げた・・・という感は否めません。
私の知識は,そういえば松陰の妹は確かに久坂玄瑞の奥さんだったな・・・という程度でして,不覚にも小田村伊之助って誰・・・と思っていたら,何と維新政府の官僚楫取素彦(かとりもとひこ)のことだったのですね。
根多ばれですけど,文の再嫁した相手です・・・。


萩を訪れたのは,かれこれ20年以上昔の独身の頃でしたが,海に突き出た指月城や今も建物が現存する松下村塾跡,確か明倫小学校となっていた萩明倫館跡(我が仙台藩の藩校は正式名称明倫養賢堂で,通常は養賢堂と呼ばれますが,明倫館とも呼ばれたそうです),そして桂や高杉といった維新回天の中核を担った武士たちの屋敷跡等を足早に回って,その日のうちに山口へ向かったことを記憶しています(山口には,何と毛利敬親の銅像がありました)。
特に,当時の様子を色濃く残した武家屋敷群(知覧や金沢も有名ですが)に惹かれるものがありました。
こうした街にて,松陰の門下生たちは短い青春を過ごしたのか・・・という感慨が自然に湧き上がりました・・・。


但し,庄内藩領に生まれ,仙台藩領に育った私としては,世良修蔵が仙台でやらかした一件や,会津戦争後の西軍(会津藩領で,迂闊にも官軍と言ったら,ここでは西軍と呼ぶのですと,穏やかに窘められました-確かにその通りです)が会津藩に対して行った仕打ちもあって,明治期の薩長の業績を素直に認めたくない頑迷さを有していますので,以下の文章は,もしかすると西日本在住の方には,甚だ不愉快なものとなるかもしれないことを,予めお断りしておきます。
そういう意味でも,東北人(というか私同様蝦夷と言うべきでしょうか)の血が流れているのに長州系という現首相って・・・と思ったりするのですが・・・(安倍晋三首相は,前九年の役の後に伊予に配流された-後に筑紫に移ったらしい-安倍宗任-首謀者の貞任弟-の子孫を称しているそうなので・・・)。


ま,第一回目なので,これだけで出来を云々するのはどうかと思うのですが,う~ん・・・評価が難しい。
冒頭の砲術訓練の場など,果たしてあれだけ大掛かりな大筒を連発できるのか・・・という疑問がありましたし,寅次郎が遊学した長崎の風物もあそこまでエキゾチックだったでしょうか・・・(開国以前に,西洋人が大手振って歩いたのは,出島の中だけでは・・・?)あとはグラバー邸(正しくはグラバー園か)が写ってしまっては,完全に考証不足・・・となってしまいます。
あとは,あの禁書だったという「海防臆測」ですが,寅次郎と伊之助が持っていたという事実はどうなのでしょう。
「海防臆測」は,寡聞にも江戸末期の幕府の儒学者であり昌平坂学問所(東大の前身)の教授だった古賀侗庵の著ということ以外知りませんが,「甲陽軍鑑」(甲州武田家の信玄流軍学書)の字でカモフラージュしてあったあたり,思わず笑ってしまいました・・・。
勿論,寅次郎は,年は若くても当代随一の軍学者だったでしょうから,持っていたり目を通していたりした可能性は有るとは思いますが・・・。


中心となる役者さんたちは,皆達者だったと思います。
寅次郎役の伊勢谷さんも,伊之助役の大沢さんも髷が似合っていたし,存在感もあったと思います。
77年の「花神」のイメージが未だに残っている私としては,寅次郎-篠田三郎,高杉-中村雅俊というのが離れないのですが,伊勢谷さんの寅次郎は文弱な感じがしなくて,逆に良かったような気がします。
また,子役二人も上手でしたね。
文役の山田萌々香さんも,その弟役の物言わぬ演技だった山田瑛留くんも良かったと思います。
唯,わりとお転婆系のヒロインが多い大河にあって,寡黙な性格をどこまで描き出せるかが鍵となりそうです。
その辺りは,来週ご登場の井上真央嬢に託すことになるでしょうが・・・。
一瞬出てきた義助(玄瑞)役の東出くん,何かと話題の人ですが,う~ん・・・どうでしょう・・・。
激烈な尊攘思想の持ち主にして長州の火薬庫,そして松陰門下一の秀才で切れ者,しかもイケメンというイメージですが(尤も,禁門の政変の軍事暴発には反対であったと言われているようです),どうかな・・合うかな・・・といったところです・・・。
吉田稔麿(としまろ)とか入江九一,寺島忠三郎・・・といった松陰門下の俊才たちが,キャラが立たないで埋もれていくことのないような脚本と演出を期待したいと思います。
そうそう,殿様役の北大路さんはさすがの貫禄と存在感でした。
でも「そうせいそうせい」を連発して(今日も一回言いました)「そうせい候」と揶揄された毛利敬親は名君だったのでしょうか・・・。
薩摩の島津久光と共に,家来に担ぎ上げられたまま維新にゴール・・・という感じだと思うのですが・・・。


最後に,何とナレーターは,私が尊敬し奉る池田秀一さんでした。
「ナルニア国物語」のライオン役では,すっかりシャアの声そのものでしたが(笑),抑揚の効いた美声で,シャアの面影は微塵もありませんでした。
「冗談ではない!」
とか,
「認めたくないものだな・・・」
などと言うはずもなく(当たり前だ),唯々感服でした。
川井憲次さんの音楽に関しては,次回述べられれば・・・と思います。
個人的には,サウンドトラックのCDを買ってしまった劇場版「機動警察パトレイバー2」のOPなんか,最高に格好良い音楽の1つ・・・と,思ってきました・・・。


「風立ちぬ」・・・

2014年06月22日 22時27分52秒 | TV&エンターティメント

封切られた去年の夏,これは何としても見ずば・・・と思って,単身映画館に赴いて,10年ぶりに封切りを・・・とも考えたのですが,これは内容的にも家族に見せておきたい・・・と考え,レンタル解禁を待って,週末にショップに走り,ラスト2枚というところでゲット。
残念ながらBDはすべてレンタル中でしたので,DVDでの視聴となりました。


木村秀政(1904-86),土井武夫(1904-96)と並ぶ航空工学の権威である堀越二郎博士(1904-82)については,中学生の頃,航空評論家の佐貫亦男氏(1908-97)の著作で読みました。
何せ,当時はご存命でしたので,私としては,つい最近の方という印象を拭えません。
ですから,我が国が世界に誇る偉大なる零式艦上戦闘機(と九六艦戦,雷電,烈風)の設計者としては勿論,戦後国産旅客機のYS11(屋久島便に乗ったのは,貴重な体験でした)の設計者として,航空界の大物である堀越氏の半生をどのように描くか,興味津々でした。
原作は,私の愛読書の1つである「モデルグラフィックス」誌に連載されていたもので,幾つかの類似共通点が垣間見られる「紅の豚」と被ります(原題は「飛行艇時代」。数年前入手)。
尤も,MG誌では,登場人物が擬人化された動物だったのですが・・・。
でもって,土曜の夜,子どもを寝かしつけて,ビールとワイン,日本酒を冷やしておいて,ビールを開栓と同時に視聴を開始しました・・・。


う~ん・・・,評価が難しい・・・。
私のような頭からつま先まで,完全な昭和の男にとって,描かれた風物は,ある種のノスタルジーを伴って迫ってきますし,若い頃とち狂ったように読んだ堀辰雄の諸作品の影響や,夢の中でのカプローニを代表とする飛行艇時代への憧憬(これも「紅の豚」ともろに被ります),そして仰角や主翼前縁30パーセントに重心を持ってくる模型飛行機(ペーパークラフト)を夢中で作った子ども時代への個人的追想など,多くのファクターが去来しました。
前半は,カプローニとの出会い(但し,夢での)から九試艦戦の設計まで,わりとさくさくと進んだのに対して,後半は多分まるっきり創作(というか,題名も含めての堀辰雄作品へのオマージュでしょう)である恋愛模様・・・と,良い意味でのコントラストがはっきりしていたと思うのですが,個人的にはどうもその辺りの統一感というか,作品を貫く芯がぶれたような感覚は最後まで付いて回りました。
勿論,2時間強,飲み続けていたなも関わらず,トイレにも立たないで,画面に釘付けになっていた(AVアンプに灯を入れ,サラウンドスピーカーを鳴らしつつ)ことは,言うまでも有りません・・・。
碓氷峠(新幹線開通で,これが失われたことは痛恨でした)の石橋を登るアプト式鉄道と草軽交通(私が生まれる前に廃線),旧軽井沢銀座の賑わい,正確な考証に基づいて描き込まれた車両の数々等に指を鳴らし,登戸行きの電車は小田急だろうが,菜穂子の家は上野だったのではとか,「風立ちぬ」のヒロインは,確か節子という名前だったとか,ヒロインの菜穂子の名は「楡の家」~「菜穂子」から取ったとか,氷室で雨宿りする場面が出てきたら完璧なオマージュだったとか,菜穂子が入った療養所(サナトリウム)は,作中にも出てきたように浅間高原の軽井沢ではなく八ヶ岳山麓の富士見高原だったとか,作中の「草軽ホテル」は旧軽井沢のアカシアの小径の奥にある「万平ホテル」のことだろうとか,「会議は踊る」(31)の音楽だ・・・とか,余計なことをたくさん思いながら見ることが出来たので,楽しめたことは間違いないでしょう・・・。
零戦(21型)の登場シーンは最後の一瞬のみで,九試艦戦(量産型は九六式艦戦)のプロトタイプによる初飛行成功でストーリーが完結しているのは,やはり旧式化による劣勢と戦局の悪化,特攻と敗戦ということが頭にあったからなのでしょう・・・。
誰にでも楽しめる・・・とは,無条件では言えませんが,当時の時代背景や堀辰雄の諸作品(上記2作と「美しい村」あたり)を読めば,さらに理解が深まって楽しめると思います。大いに気に入ったら,BD買おうかと思っていましたが,現段階では躊躇しています。
次は,来月発売の「永遠のゼロ」を何としても見ないと・・・。
でもって,作りかけの九六艦戦と宮部久蔵搭乗の台南航空隊所属の零戦21型を組まないと・・・。
 


軍師官兵衛-第7回「決断の時」

2014年02月16日 20時58分10秒 | TV&エンターティメント

信玄が死んだ・・・というところからスタート。
信玄は,三河で発病し,伊那の番場なるところで陣没する際に,自分の喪を秘するように厳命したとされますが,あっさり分かってしまったということでしょうか・・・。
いよいよ,官兵衛が織田家に・・・というくだりでしたが,仲介したのは村重という設定でしたね。
あの流れであれば,やはりそうなるのが自然なのかも知れません・・・。
実際に,摂津衆である村重と,播磨衆の官兵衛にどの程度の接点があったのか(或いは,全く無かったのか),想像するしか有りませんが,この時期の官兵衛は,小寺家の帰趨を巡って,あちこちを歩き回っていたような気がします。
ですから,織田領にも毛利領にも行っていたのでは・・・と,推測します。


 先日,久方ぶりに「播磨灘物語」を読み返してみましたが,序章では,黒田家が何故近江から備中福岡に移り,さらに御着の小寺家に仕えるに至ったかが,詳しく述べられていました。
そして,永禄年間の官兵衛は,堺や京で南蛮寺に出入りし,洗礼を受けたとしていました。
その際,将軍義昭の側近である細川藤孝や和田惟政と知り合い,それが縁で織田家に・・・という手順のようです。
この時点で,村重は出てきません。


そうそう,始まってすぐ,松寿丸が僧侶と相撲を取っていました。
誰だ・・・と思ったら,恵瓊とは恐れ入りました・・・。
ま,播州は,毛利と織田の接点となる地域だけに,外交僧とも言うべき恵瓊が,探りを入れに・・・というのもあり得ない話ではないと思いますが,だったら真っ先に行くのは,最大勢力である三木城の別所長治のところでしょうし,小寺家の陪臣に過ぎない無名の官兵衛のところへは来ないでしょう。
しかも
「武勇に優れる官兵衛殿」
とか言っていましたが,官兵衛は槍働きが苦手な筈です。
逆に,息子の長政(松寿丸)は,武勇に猛く,そのあたりが官兵衛の気に入らないところだったのかもしれません。
そう言えば,又兵衛も登場しましたね。
村重の登場もそうでしたが,もう伏線が分かりすぎるのが,困ったものです・・・。
困ったもの・・・と言えば,芸州吉田郡山城での毛利家のシーンで,手前に3本の矢が立てかけてありました・・・。
これって,そのような文献資料でもあるのでしょうか・・・(「陰徳太平記」に描写があったとか)。
元就の家訓として,あまりに有名な3本の矢ですが,常にそれを立ててあった・・・という記述が史料にあるならば納得ですが,只の演出だとしたら,わざとらしい通り越していると思います・・・。


それにしても,官兵衛夫人といい,濃姫といい,政治に口を出しすぎではないでしょうか・・・。
秀吉夫人の北政所が,太閤夫人として,建設的な意見を述べて夫を助けたのはよく聞く話ですが,それは足軽(普段は農民)上がりだった秀吉ならではのものでしょう。
少なくても,大名夫人が主人にものを言うなど,あまり考えられませんし,信長は苛烈な男故に,聞く耳など一切持たないのでは・・・とも思います・・・。
叡山や伊勢長島で,女子どもまで皆殺しにした理由を,いちいち奥方に説明するような男ではないと思われます・・・。


秀吉が,小谷城攻略の最前線として横山城に於いての功を認められて,江州長浜の城主となったのは,この時期でしょうが,大名と言えるのかどうか・・・。
城持ちは確かですが,秀吉が最初に城主となったのは,多分墨俣の一夜城だつたと思われます・・・。
それから,当の柴田と丹羽が居る前での改姓は,ちょい違うのでは・・・と。
両将の姓から,一字をとったのは事実でしょうが,部将としての格付けは,柴田が上でしょうから,柴羽となるところでしょうが,逆の羽柴としたのは,柴田と丹羽が一騎打ちしたら,多分勝つのは10以上若い丹羽では・・・ということで,羽柴としたという話も聞いたことがありますが,真相はどうだったのでしょう・・・。
秀吉らしい気の遣い方だと思いますが・・・。


いよいよ,岐阜で官兵衛が信長と対面。
来週は秀吉と会うようですね。
半兵衛との出会いが,楽しみでもあります・・・。
・・・ということで,今回も余計な突っ込みその他で終わってしまいました・・・。


軍師官兵衛-第6回「信長の賭け」

2014年02月10日 20時55分42秒 | TV&エンターティメント

都知事選を気にしつつ,6時半までBSを見て,例によってサザエさん(永井一郎さんの最後の出演・・・)に譲り,7時から,録画の続きを見ました。


いや~,やっぱ,江口洋介の信長は,悪いけど違和感ありありです。
反町隆史(であるな・・・は,笑った)や緒形直人のそれと良い勝負です・・・。
かつて,高橋幸治や高橋英樹を見てきた者としては,かなりもの足りません・・・(いつの時代だ・・・)。
先ず,あんな饒舌であってはいけません。
「出陣じゃあ」
などと,絶対に言わない男です。
自分が単騎で飛び出し,それに遅れじと家臣(前田孫四郎とか佐々内藏助とか)が追いかけて,軍勢が膨れあがって・・・という感じではなかったでしょうか・・・(少なくても,桶狭間や美濃攻略戦までは・・・)。
何と言っても,苛烈にして冷酷な男ですので,諸将の前で光秀を平気で打ち据えるようなことをする訳です。
 スマートで格好良い信長像をイメージしたのかも知れませんが,イケメン過ぎて爽やかなイメージは合いません・・・。
元亀から天正にかけては,将軍義昭の謀略で,各地の反織田勢力が一斉に蜂起した時期で,信長の生涯で,最もしんどい時期であったことは疑いありません。
大坂石山本願寺,伊勢長島一向一揆,叡山と結ぶ浅井朝倉,阿波三好党と裏切った松永久秀,伊賀地侍衆,そして甲斐の武田と越後の上杉(直接戦闘が有ったかどうか甚だ疑問ですが,上杉好きは手取川の戦いを,鬼の首を取ったように言います)・・・。
まさに四面楚歌の様相でしたが,京畿と岐阜の間を悪鬼羅刹のように荒れ狂い,見事にその難局を切り抜けます。
そんな強さが,爽やか系の江口信長からは,感じられないのです・・・。
ま,私だけがそう思っているのかも知れませんが・・・。


この時期は,元亀元年の朝倉征伐失敗(浅井長政の造反)に,姉川の戦い,叡山焼き討ちに,石山本願寺包囲戦(雑賀衆の鈴木孫市に狙撃されている),槇島城攻略戦,そして三方ヶ原の戦いに長島一向一揆殲滅戦・・・と,とにかく獅子奮迅の勢いだったに違い有りません(三方ヶ原には差直接参戦していませんが・・・)。
で,この中で語られたのは,叡山焼き討ちと槇島城と三方ヶ原のみでした。
将軍追放がさらにクローズアップされても良いし,三方ヶ原も,せめて
「援軍の林佐渡(道勝・秀貞)殿と佐久間右衛門尉(信盛)殿は撤退,平手監物(汎秀-諫死した平手政秀二男とも孫とも・・・)殿,御討ち死に・・・」
ぐらい言って欲しかったです・・・。
さらに,この時期の信長を語るならば,元亀元(1570)年の朝倉征伐失敗と姉川の戦いは必須だと思いますし,将軍義昭の造反劇に際して,光秀や藤孝が両者の板挟みになった様子もあっても良かったか・・・と,思いました。


あっという間に20年経ってしまいましたが,官兵衛はいつどこで信長と会うのでしょう・・・。
安土に単身乗り込むのが史実に近いとは思うのですが,この後,半兵衛との出会いや播州三木城攻防戦,小寺政職造反,有岡城幽閉,松寿丸が半兵衛によって助けられ,有岡城脱出,中国征伐・・・と,エピソードがてんこ盛りとなるだけに,最初の20年は一気に進ということでしょうか・・・。
これを機会に,「播磨灘物語」と,「黒田如水」を再読してみようかと,思います・・・。


あ,そうそう,官兵衛室櫛橋氏の父伊定って,天正6(1578)年の志方城にて,別所長治に荷担した小寺政職に味方した責任を取って自害したと記憶しているのですが,私の記憶違いでしょうか・・・(最近多いからな・・・)。


軍師官兵衛-第5回「死闘の果て」

2014年02月02日 20時36分38秒 | TV&エンターティメント

15分見たところで,今日も「サザエさん」に譲ることになり,7時から続きを見ました。
CG+ご本人登場のタイトルバックですが,ご本人が出るとイマジネーションが刺激されず,個人的には??であることは,「篤姫」や「江」の時から感じてきました。
番組の良否を左右しかねない重要な問題と思うのですが,どんなものでしょう・・・。
ここ何年かの大河では,7年前の「風林火山」が,CGが煩雑ではなく,良かったと思いましたし,テーマ音楽も千住明だけに,素晴らしかったです。
では,今回のテーマ音楽はどうでしょう・・・。
菅野祐悟なる作曲家については,寡聞にも知らなかったのですが(汗),私が見た番組だと一昨年のNHK新春のドラマだった「開拓者たち」の劇伴をしていた若手作曲家です。
「龍馬伝」を始め,「ローレライ」,「ウォーターボーイズ」,「H2」といった超売れっ子である佐藤直紀よりも,さらに若い作曲家ということになります。
残念ながら,個人的に現時点では,余り印象に残らない楽曲と思います。
広上淳一指揮N響という豪華布陣ではあるのですが・・・(他の劇中曲は,ワルシャワpoによる)。


あっさりと信長が上洛。
やはり観音寺城攻防戦は,ありませんでした。
この上洛に際しては,同盟軍である浅井長政軍が先鋒を務めたらしいですが,北近江を押さえた信長だっただけに,南近江の六角勢が抵抗を示したことが,せめてひと言あったら・・・と,思いました。
稲葉山城を落として間もない時期の信長にとって,やはり次期将軍候補である義昭が,自ら転がり込んできたことは,大きかったと言えるでしょう・・・。
三好党は,一時的に京を逃れ(すぐに奪回戦を試みて,本圀寺を襲撃したりしたようですが・・・),13代将軍義輝暗殺後,彼等が擁した14代将軍義栄は,阿波に逃れ,間もなく没します(どうやら一度も入京しなかったらしい)。
この頃になると,三好三人衆と松永弾正久秀は権力抗争を始めており,弾正があっさり信長に帰服したのは,それが理由だったのでしょう。
信長も,使い道があるということで,大和一国の切り取りを命じたりしています(後にあっさりと裏切ったのは,周知の通りです)。
でもって,信長が京都市中で女性をからかった自軍の兵を,有無を言わさず首を刎ねたのも事実でしょう。
只,随分京洛は荒れ放題で,避難民が野垂れ死にしているような状況は事実でしょうが,進駐軍たる織田軍の入洛を見に来た大勢の輩も居たと思います。
そのあたりが描写されなかったため,上洛軍がえらくしょぼく見えてしまいました。
有無を言わさず兵の首を刎ねた場面も,さらな劇的に演出することで,信長の苛烈さをクローズアップさせることが出来たのではないでしょうか・・・。
軍規について,くどくど口説を弄すような男ではないと,私は思います。
家老クラスの柴田なり林なり佐久間なりに一言言って,彼等がぎっちり軍団を掌握する筈です。
否,当時の洛中守護を命じられたのは,確か秀吉であり(大抜擢でしょう),やがて典礼に明るい光秀に代わったのでは・・・と,記憶していますが・・・(違ったか)。
いずれにしても,織田軍の軍規は粛然としたものであり,上記の他に,物売りを殴った兵を縛ってさらした例もあったと聞いています・・・。
義昭の将軍宣下の際に,副将軍を辞退した信長が,堺,大津,草津に代官を置くことを希望して,義昭をして
「何と欲のない」
と,思わしめたのも多分史実なのでしょう。
堺は,町衆による自治が行われ,南蛮船もやってきます。
そこを勢力下に置くことは,当然町衆の力を抑えて貿易収支を織田家のものとする布石ですし,草津は東海道と東山道の分岐点という交通の要衝で,鉄砲鍛冶の居る国友村にもちかいです。
大津は,京の玄関口であり,岐阜との往復を考えた場合,琵琶湖の舟運の要地ということでしょう・・・。


それにしても,半兵衛はこの時期,近江の何処に居たのでしょう・・・。
私は,てっきり美濃攻めを前に,秀吉によって織田軍に帰属したと思っていましたが,近江の浅井家に身を寄せていたようですね・・・。
なんかあっさり秀吉に応じていましたが・・・。
もう少し,気の利いた演出は無かったものか・・・と,思います・・・。
松寿丸が生まれ,実生活で新婚の永井武兵衛のお相手は,何としょこたんでしたね。
赤松の挙兵を数十秒で退けたのも束の間,しぶとく帰ったきた赤松団時朗(昭和46年根多)。
夜襲を命ずる官兵衛ですが(明るいぞ),武兵衛が石川に討たれ,何と一騎打ちで石川を討ち取る官兵衛。
軍略とか戦法とか,何もありませんでしたので(夜襲のみか),軍師の片鱗を見せるとか,何か一工夫欲しかったですが・・・。
この戦を,青山・土器山(かわらけやま)の戦いと言うのだそうですね。
母里一族が全滅し,その後を継いだのが,母方が母里氏である太兵衛ということになるのだそうです。
もこみちくんは,果たしてどうなんでしょうね・・・。


軍師官兵衛-第4回「新しき門出」

2014年01月26日 20時35分26秒 | TV&エンターティメント

6時から,BSを見ました。
ところが,下の子から
「サザエさん見たい」
と言われ,6時半でチャンネルを一度譲りました。
でもって,録画していたので,残りを後で見ることに・・・。


のっけから,おねいさん出てきたので色めき立ちましたが,回想でした・・・(泣)。
あっさり縁談と家督相続の話でしたね。
確かに,永禄10(1567)年に,氏職は官兵衛に家督を譲っています。
でも,それが氏職に将軍からの書状(せめて御教書,若しくは御安書と言って欲しかった・・・)が来たので,政職から疑われて・・・という設定のようです・・・。
寡聞にして存じませんが,そのような史実があるのかどうか,史料等はあるのか,聞いてみたい気がします・・・。
確かに,俄出頭人である氏職への風当たりは強かったことでしょう。
しかし,姫路城代にまでした氏職を,職隆は疑ったのかどうか,想像するしか有りません。
只,後に小寺家の帰趨を官兵衛に任せた政職ですから(最終的にそれを反故にしましたが),多分,氏職-官兵衛父子に対する信頼は,この時期は厚かったと予想されます。
永禄10年当時,氏職は44歳。
ま,当時の年齢としては,隠居してもおかしくはない年と思います。


で,尾張の信長に,話が飛びました。
ぐうたらしている秀吉を,弟秀長がせっつきます。
で,西美濃三人衆を籠絡したとの報が。
でかした猿・・・ということで,あっという間に落ちる城。
こんな城は,叩き壊せ~と,意気上がる江口信長。
え゛,どこの城落ちたの・・・と,思わず聞いた私。
どーやら,ビールの飲み過ぎで放尿に行っているうちに,稲葉山城落ちた模様です・・・。せめて墨俣一夜城や,川並衆が木曽川の上流から筏を組んで材木を運んだエピソードは,語って欲しかったような気がします。
少なくても信長は,美濃攻略という重大な局面で,奥方にものを言わせるような男ではないでしょうし,
「岐阜と改める」
とか,
「天下布武を印とする」
なんて言わないと思います。
信長とは,もっと苛烈な男の筈です。
自分で決めたことは,何も言わず実行していくのではないでしょうか・・・。
次回で,あっさり上洛してしまうような気配ですが,せめて観音寺城と箕作城攻防戦ぐらいは,語って欲しいのですが・・・。
そうそう,
「織田尾張守信長です」
と,言っていましたが,如何に律令制の名残ともいうべき官制が有名無実となっていたとはいえ,信長は尾張守を称したことってあったのでしょうか。
上総介ではないのか・・・と,思わず突っ込みを・・・。


でもって,木の上で泣いているがきんちょを助ける官兵衛。
完全に見え見えの展開です。
絶対,ここでおねいさん出てくる・・・と思ったら,予想通りでした。
櫛橋氏は,やはり守護である赤松氏に仕えた旧家で,小寺政職の信頼も厚かったのでしょう。
櫛橋左京進は,果たして官兵衛を嫌っていたのかどうか,想像の域を出ませんが,主命は絶対であり,婚礼を断るなどということはあり得ないでしょう。
後に,櫛橋父子は別所長治に付いて,官兵衛と敵対しますが,そのあたりの複線として,官兵衛に対する嫌悪があったということでしたら,ちょっとあざとい設定ではないかと思います・・・。
因みに,どうでも良いですが,酒井若菜嬢と中谷美紀嬢ですが,中谷嬢の方が年上では・・・??


・・・ということで,う~ん・・・,首をかしげてしまいました。
ま,面白いから良いのですが・・・
見続ける自信は無くなりつつありますが,半兵衛(今回出番無し。浅井家に??)との接点までは見ようかな・・・と・・・。


それにしても,官兵衛くん,婚礼初夜のお床入りを前に,昔の彼女のことなんか言うんじゃねーよ・・・。
元カノの思い出は,自分の腹にしまって,墓まで持って行けよ・・・と思ったのは,私だけでしょうか・・・。


軍師官兵衛-第3回「命の使い道」

2014年01月19日 20時15分31秒 | TV&エンターティメント

播州室津。
神武東征以来の天然の良港として栄え,中世には室津千軒と言われ,大いに賑わいました。
今なお,味わいのある街並みが残り,一度行ってみたいと思いつつ,果たせないでいます・・・。
その室津に,浦上氏が依ったのはいつからだったのでしょうか。
室津城自体は,南北朝時代に,赤松円心入道則村によって築かれたちという伝承がありますが,舟運の要衝である室津に築城というのは,必然だったことでしょう。
播州史に全く通じていない私ですので,このあたりの浦上と赤松の関係,そして山陰道の覇者として美作方面から侵攻してくる尼子勢との関係は,どうだったのか,知りたくなります。
多分,赤松も浦上も,15世紀までの力は無く,龍野城の赤松政秀のように主家からの独立勢力となったり,同族で争って分裂を繰り返して独立をしたりしていたのでしょう。
永禄7(1564)年,浦上清宗と姫路城主小寺職隆の娘の婚礼の日に,赤松政秀に攻められ,当主である父政宗共々斬られたのは史実です。
清宗の室となる筈だった小寺職隆の娘は,同時に斬られたとも,後に清宗弟である誠宗(なりむね)に嫁したとも言われています。
ですから,広峯神社の神官(御主)の娘を,小寺(黒田)の養女として・・・というのは,設定としてはどうかな・・・と,思わざるを得ません。
むしろ職隆の娘(官兵衛の妹)とでもしてしまった方が,自然な気がします。
尤も,そうしてしまうと,官兵衛のお相手はべつのおねいさんを・・・と,なってしまいますけど・・・。


初恋の人だったおたつを失って,失意の官兵衛に,堺での鉄砲買い付けの命が下ります。とごぞやの山中で,浪人の村重と出会って・・・というのは,どんなものでしょう・・・。
村重も,官兵衛以上に前半生は謎でしょうが,摂州池田城主である池田勝正に仕え,この時期は,京畿を制圧していた三好三人衆に寝返っていたと想像されます。
信長や秀吉と同時代人ですから,30歳前後で,風来坊のようなことはしていなかったと思われます・・・。
多分,摂津のあちこちを転戦していたのではないでしょうか・・・。
だったら,鉄砲の買い付けに来ていて,今井宗及のところで官兵衛と邂逅・・・とでもしていた方が,必然性があったのでは・・・と思います。
母里も善助も武芸に秀でていたでしょうに,あれでは何の役にも立っていないということになってしまいます・・・。
4年後に上洛した信長に仕えた訳ですから,やはりこの時期は,主家である池田家を乗っ取ろうとしていたとするのが,正しいような気がします。
信長に仕えて数年で,茨木城主となっていますし・・・。


堺は,当時「東洋のヴェネツィア」と呼ばれ,博多と共に商人の自治によって治められていたという,奇跡のような環濠都市でした。
もし,永禄7年に官兵衛が訪れていたとしたら,鉄砲伝来より約20年を経て,映像通りの賑わいだったことでしょう。
南蛮商人や宣教師たちが歩き,妓楼では葡萄酒が飲まれ,教会ではミサが営まれ・・・というエキゾティックな様相を呈す国際的な都市だったと想像されます。
堺をヴェネツィアのようだと言ったのは,宣教師のガスパル・ヴィレラだったそうですが,それは少し前の弘治年間のことだったようで,多分信長による堺制圧(というか代官を置いた)まで,会合衆による自治と繁栄は続いたのでしょう。
因みに,ヴィレラが東洋のヴェネツィアと呼んだのは,海を控えたロケーションもさながら,執政官(この場合は会合衆)による自治が行われていたことが,共通していたからだと思われます。


残念ながら,私は堺を訪れたことがありません。
堺の街自体は,大坂夏の陣の際に大野治胤(道犬斎)によって焼かれ,その後は幕府の直轄地となって,同様に繁栄したらしいですが,その街域は,南海本線から阪堺電気軌道を経て,国道26号線あたりまでだったのでしょうか・・・。
地図を見ると,水路のような川があり,碁盤の目状になっていますので・・・。
阪堺の宿院駅付近に,千利休の生地があったと記憶してます・・・。
でもって,私が訪れたのは,せいぜい仁徳陵の廻りをバスに乗って走ったぐらいです。
勿論,高いところから俯瞰しないと,前方後円墳の全容は分からないでしょうし,只の林の連続にしか見えませんでした(すごく長かったですが)。
因みに,今の教科書には,仁徳陵とは記載されず,大仙古墳とか堺百舌鳥古墳のように表記されるようです。
伝承なので,確証がないという理由でしょうか・・・。


・・・ということで,またしても余計なことを述べて終わってしまいました・・・(悪癖)。どうも,織田家と半兵衛の描写が甘いと感じるのは,私だけでしょうか・・・。
せめて半兵衛が,龍興を諫めた後に美濃菩提山城に・・・という説明があっても良いと思うのですが・・・。


軍師官兵衛-第2回「忘れえぬ初恋」

2014年01月12日 23時12分27秒 | TV&エンターティメント

こういうものを書くと,私の場合ついつい時代考証とか,史実との整合性とかを云々してしまう悪癖があります。
例えば,私の大河コンプリート(つまり全話見た)の1つである「天地人」など,その最たるもので,主人公のかねたんが出陣の際に,家臣たちが全員抜き身の大刀を振りかざして気勢を上げていました(危険だ)。
また,続いての大河コンプリートであった「龍馬伝」最終回では,何と龍馬が暗殺された晩に,弥太郎も京に居て,今井信郎を筆頭とする暗殺団に絡まれて痛めつけられておりました・・・(京に居ないだろうし,見廻組に見つかったら,当然無事では済まんだろう)。
でもって,そういうことを書くと,一生懸命作っている制作者に失礼だとか,自分が作れもしないのに,批評したり批判したりする資格は無いとか,茶化した物言いは止めろとか書かれたことがあります。
いや,その件に関しては,全くその通りなのですが,公共放送が制作して,視聴料を払っている全国民に対して放映する以上,やはりきちんとしたものにして欲しいという意図とか願望もあります。
ですから,これからも突っ込みは入れたいと思いますし,駄目は駄目と書くつもりです。
確かに,私の書かれたものをご覧になって不愉快に感じる方も居られるかもしれませんが,そこは,またしょうもないこと書いてやがんな・・・と,呆れながら看過していただければ・・・と思います・・・。


でもって,歯の浮くような今回の副題,嫌な予感がしたのは私だけでしょうか・・・。
私が途中で見るのを止めた過去の幾つかの作品,例えば「江」にしても「清盛」にしても,何故にあのような色恋沙汰に時間を取らなくてはならないのか,理解ができませんでした。勿論,ドラマはエンターテイメントである故に,今回のようなエピソードも時には必要・・・ということでしょうし,もしかすると若い視聴者のことを考えて・・・といった企図もあるのやも知れません。
只それにしても,あくまでも現代の視点で,当時の恋愛-というか婚姻を捉えすぎてはいないでしょうか・・・。
輿入れ即ち人質・・・という会話が幾度か出てきました。
確かに,ある面本質を突いていると思います。
女性が,政略の具として捉えられていたというのは真実でしょう。
しかし,それを女性蔑視とか気の毒とか捉えるのは,あくまでも現代の感覚に過ぎないのでは・・・と思います。
以前「江」の時も述べましたが,当時の武士階級には,現代の自由恋愛の感覚は極めて希薄で,男はある一定の年になると,先輩格や友人(もしかすると場合によっては父親とか上司とか?)が,それなりの場所に連れて行ってくれて・・・以下自粛・・・となったのでしょうし,上の階級になれば,傳役(つまり爺)とかが絵草紙を見せて・・・(以下自粛)・・・だったことでしょう。
そんな不潔な・・・というのは,現代の感覚なのでしょう・・・。
女性の場合は,自分の将来の伴侶になるのは一体何方なのだろう・・・と,思ったりしたことでしょう。
親同士が決めたり,生まれる以前から両家の取り決めて婚姻が決まっていたり・・・というのが,通常だったと思われます。
ですから,そう言う意味では,官兵衛が言った,
「母上も人質だったが,幸せだった」
という台詞は,本質を突いているかも知れません。
勿論,そんなことを口に出したり,他人に言ったりはしないでしょうけど・・・。
ま,海を見に行って(姫路城からならともかく,広峯からは遠いだろうに),途中で雨にあって,雷で・・・というベタベタな展開が読めただけに,苦笑してしまいましたが・・・。
一緒に遠出して海に行くような仲なら,親公認でしょうし,だったら家格が違うから嫁にやれない・・・というのも??
さらには,職隆の養女にして・・・というのはもっと不自然だし,だいいち広峯神社は,黒田家にとって恩人でしょう・・・。
浦上家は,本来赤松家の家老クラスだったし,どう考えても黒田家とは釣り合わないと思うのですが・・・。
・・・といいつつも,南沢奈央嬢にやられました・・・(爆)。
来週ちらっと出て終わりでしょうか・・・。
子役の子も,可愛いかったですけど・・・(似た雰囲気の子を選ぶのですね)
残念な限りです・・・(をい)


永禄6(1563)年に織田軍が美濃攻めをして破れたということは,多分新加納の戦いであったと思われます。
ということは,あの辺りは,木曽川の北岸で,平地だったのではないでしょうか。
十面埋伏の陣とは恐れ入りますが(三国志を思い出しました),半兵衛がそれを使ったという記述はあるようです。
おそらく林の中に伏兵を隠していたのでしょうが,信長が単騎で太刀を抜いて・・・というのは,どんなものでしょう・・・。
柴田勝家というと,宍戸錠とかマツケンとか勝野洋といったごつい俳優が務めてきましたが,今回の近藤芳正さんも押しが強そうで,豪傑のイメージですね。
川並衆が出てくるのはタイミング良すぎますが,ピエール小六も良かったのではないかと思いました。
ただ,どうもあの信長と秀吉は・・・(以下自粛)。
谷原半兵衛については,今後に期待ということにしておきましょう。
語りが藤村志保さんですので,あとは伊武雅刀が出れば,今川家ダークサイド三人衆が再結集となりますが(そんなことある訳ないか),あの暗黒義元はとても素敵でしたし,同時期(厳密にはちょい後か)にやっていた民放ドラマのマザコン夫役も見事でした。
今回のようなまともな役は,果たしてどうでしょう・・・。


官兵衛と信長を輻輳させる手法は良いと思います。
只,どこで初シンクロさせるのか,脚本と演出の腕の見せどころでは・・・と思います。
実際のところ,信長に仕えるまでの官兵衛の行状は謎だと思います。
ですから,山本勘助の前半生同様,かなりの自由度は制作に当たってあると思いますので,そのあたりをしばらくは,青春ドラマと割り切って見ていこうかな・・・と思います。
次回は,堺で村重と遭ってしまうようですし・・・。


軍師官兵衛-第1回「生き残りの掟」

2014年01月05日 21時35分05秒 | TV&エンターティメント

旅行記を書いていたのですが,今日は一時中断して,大河ドラマの感想を述べたいと思います。
こちらも,暴走しそうな気配濃厚ですが,兵庫県民,特に播州地方は,今までの人生に於いて殆ど,否全く縁がなく,せいぜい播磨屋の煎餅を食した程度です・・・。
なので,予備知識も殆ど無く(何せ,姫路城すら行ったことがない),どの程度書けるか全く未知数です。
TVを見ながら,いろいろと勉強していきたいと思いますが,果たして意欲が続きますかどうか・・・。
何せ,「江」,「清盛」,「八重」と,3作続けて大河ドラマを途中で断念してきましたし,その何年か前の「武蔵」,「新選組!」,「義経」,「功名が辻」,「篤姫」も続きませんでした。
果たして,今作はどうなることでしょう・・・。


黒田官兵衛孝高,号は如水軒,洗礼名ドン・シメオン。
言わずと知れた秀吉の軍師であり,竹中半兵衛重治と共に,秀吉の(羽柴の,と言うべきか)両兵衛と言われた名軍師です。
因みに,中学生の頃に歴史好き(というか上杉謙信好き)の友人に,
「戦国三大軍師って,誰か知ってるか」
と,聞かれて,
「山本勘助,黒田官兵衛,竹中半兵衛」
と答えたら,
「直江兼続,島勝猛,小早川隆景だ」
と,言われましたが,果たして根拠があるのかどうか,未だに知りません・・・。


実に面白い人物です。
今日の小田原の役でもそうでしたが,単身敵陣に乗り込んだ(花隈城では,結果的に,それが裏目に出ましたが・・・)エピソードがあり,至誠の人という印象も有ったり,さらには,天正10(1582)年6月の高松城包囲戦の際に,本能寺に於ける信長横死の報に動揺する秀吉に対して,千載一遇の好機・・・と言ったとか,関ヶ原の役に際しては,九州版関ヶ原を独力で行うことで,一気に・・・と目論んだ・・・といった食わせ者的一面も有ったり,とにかく一筋縄ではいかない人物だったようです。
40そこそこで出家したのも,秀吉の疑いから逃れるため,という見方もあり,意見が分かれるところでしょうが,陰険な策士・・・というイメージはあまり感じられません。
このあたりの人物像を,どのように作り上げていくかも,1つの見どころと言えましょう。


只,上述の如く,私はこの人物に対する知識が多くありません。
専門的な文献は読んでいませんし(例えば,黒田家文書のような・・・),せいぜい吉川英治の「黒田如水」と,海音寺潮五郎の「武将列伝」の一節,そして司馬遼太郎の「播磨灘物語」を,若い頃に読んだだけです。
ですから,当時の時代背景にも疎いですし,播州や豊前中津,そして博多の地理にも詳しくないので,地図と首っ引きにもなることでしょう・・・。


黒田官兵衛一族のことを語る前に,当時の播州の状況をさらっておく必要があると思います。
室町時代以降,播磨の守護職は,幕府創世に尽くした赤松氏でした。
後醍醐天皇の綸旨を奉じた六波羅探題攻略に,足利尊氏(当時は高氏)と共に功があった赤松円心入道(則村)は,北朝方として力を尽くした結果,三男則祐の代に,播磨一国の守護職を拝命。
代々播磨に根を張ります。
途中,嘉吉の乱(1441-嘉吉元-年)によって,一時没落しかけたものの,応仁の乱では細川勝元に味方した功で,播磨・美作・備前の守護職に返り咲きます。
しかし,16世紀に入ると,守護代の浦上氏や別所氏(後で出てきます)の台頭や,京畿を押さえた阿波三好衆や,山陰方面からの尼子氏の侵攻もあって,完全に守護職は有名無実化していました。
さらに,赤松氏も置塩城(姫路市)と龍野城(たつの市)等に分裂して,家督を争うなど,完全に弱体化し,半独立勢力として,一族の小寺氏が御着城に,被官の黒田氏が姫路城代に・・・という構図となっていたと思われます。


黒田氏(官兵衛父職隆の代からは小寺か)の先祖は,近江国伊香郡黒田庄(賤ヶ岳の麓,滋賀県長浜市木之本町黒田)出身と言いますから,近江源氏(宇多源氏)佐々木氏の一族だったのでしょうか(違うとの説が有力)。
それが,備前国邑久郡福岡(現在の長船町福岡)に土着し,さらには家伝の目薬売りとして,隣の播州広峯神社の神職との関係で,御着を訪れて小寺氏に仕えるようになったのは,官兵衛の祖父重隆の代だったと,上記「播磨灘物語」に詳述されていました。 
さらに余計なことをかませば,父祖伝来の吉井川沿いの福岡の地は,黒田氏にとって特別なものであったようで,後に官兵衛の嫡子長政が,関ヶ原の役の功によって,博多52万石に封じられた時に,城下の名を福崎から福岡と改めたということです。
このあたりは,織田信長命名の岐阜(以前は井ノ口),山内一豊による高知(それまでは河内)と共に,知っておいても良い雑学だと思います・・・。


・・・ということで,予想通り大暴走。
ドラマのことを何も書いていませんね・・・。
題名と違う,というご批判はもっともです・・・(汗)。
ま,今回だけで断ずるのは,いささか早計というものでしょうから,簡単に印象を述べますと,子役が上手でしたね。
万吉役の若山くんには大成して欲しいものです・・・。
片岡鶴太郎と柴田恭兵の競演には,笑ってしまいました。
「オトコマエ」の鳥居甲斐守と金さんじゃないですか・・・。
鶴太郎の莫迦殿ぶりは,「太平記」の高時役で実証済みですが,柴田恭兵は30数年前の「大追跡」(知っている人居るかな?)の滝本刑事(たきもっちゃん)役から全く変わっていないですね・・・。
尾藤イサオの御師役も填っていましたね。
さすが大ヴェテランです。
官兵衛の幼少期は不明ですので,しばらくはオリジナルのエピソードが続くのでしょうから,脚本家の手腕がものを言うと思われます。
ま,次回は,お決まりの色恋沙汰のようですが,仕方がないということでしょうね・・・。


名優逝く・・・

2013年12月17日 22時30分12秒 | TV&エンターティメント

往年の名優,ピーター・オトゥールの訃報に接し,驚くと共に残念でなりません・・・。思えば,私が子どもの頃の二枚目俳優は,皆80を越えるか鬼籍に入るか・・・と,なってしまいました。
こちらが年を食ったということでもありましょう・・・。


ところが,オトゥールの出た映画で私が見たのは,代表作である「アラビアのロレンス」(62)を除くと,オードリー・ヘップバーンと競演した「おしゃれ泥棒」(66)(原題は,How to steal a million)と同年の「天地創造」,「チップス先生さようなら」(69),ジョン・ローン演じる宣統帝溥儀の家庭教師,レジナルド・ジョンストン(著書は「紫禁城の黄昏」) 役だった「ラストエンペラー」しかないことに気づきました。
そのいずれもが,強烈な印象を残したということは特筆されるべきでしょう・・・。
特に,代表作であるデヴィット・リーン監督による「アラビアのロレンス」に於ける主演は鮮烈で,私より背が高い(188cm)碧眼のロレンス役の格好良さには痺れました。
「おしゃれ泥棒」でのスリムな二枚目役も滅法格好良く,オードリーとのスリムコンビは,実にお似合いでもありました・・・。


したがって,本日のBGMは必然的に,この「アラビアのロレンス」のオリジナルスコアとなります。
作曲者のモーリス・ジャールも,数年前に帰らぬ人となりましたが,92年にロンドンのロイヤルフィルを指揮した自作自演のライブ映像を発見しました。

同時に,「インドへの道」や「ドクトル・ジバコ」といった曲も演奏された模様です(私が以前求めたCDは,ロイヤルリヴァプールフィルを指揮したライブで,「グラン・プリ」や「パリは燃えているか」とかが収録されていました・・・)。
映画冒頭,オートバイを引っ張り出して整備をするロレンスの背後に流れるのが,疾走感溢れるメインタイトルで,上記の映像では痛烈なティンパニの独奏で始まる「序曲」が演奏されます。
途中で,英国の作曲家K・J・アルフォードの行進曲「銃声」が挿入されているのも(映画では,英軍のカイロ入城の場面で流れました)ミソです・・・。


今ひとつは,映画のオリジナルサウンドトラックから,メインタイトルを貼っておきます。

若い頃,何とも古めかしい録音が時代を感じさせるLP(英PYE原盤)を求めて聴きましたが,そちらには作曲者のジャール自身の指揮とクレジットされていました。
ところが,映画のタイトルバックを見ますと,名指揮者サー・エードリアン・ボールト(ホルストの「惑星」初演者)指揮ロンドンフィルハーモニーというクレジットが・・・。
このあたりは,未だ謎です・・・。


・・・ということで,名優の訃報に接し,唯々合掌です・・・。
それにしても,ネット上でも新聞でも扱い低くないでしょうか・・・。
「ロレンス」のBD欲しくなりました・・・。

因みに,この映画に関して5年前に,こんな一文を書いていました・・・。
今回とダブる部分もありますが・・・。


「空飛ぶ広報室」・・・

2013年06月24日 22時02分07秒 | TV&エンターティメント

この手(どの手だ?)の映像を見る時の基準は決まっています。
つまり,どれだけ我が空自の誇る航空機群が映っているか・・・という点に尽きます。
松島基地の仮設ハンガーに収納されたブルーインパルスのT4全機,津波到達ラインが機首に描かれたF86FとT33A,後方に映るC1等,極めて不純な動機でこの番組を見た私の要求を満たしてくれましたし,広報室に並べられたデスクトップモデルの数々にも萌えました・・・。


主演の新垣結衣嬢は,はっきり言って私の範疇ではないので(偉そ-に・・・),敢えて書きませんが,お相手の綾野剛くんは,「開拓者たち」の主人公の弟役,「八重の桜」の松平容保役・・・と,抑えた演技が実に良い味を出していたのですが,どうも存在感が今二つ・・・というか,個性派揃いのキャストに埋没した感じでした・・・。
旧日本軍の軍服は似合っていたのですが,空自の青や迷彩の制服はどうかな・・・と思いました。
二枚目半役の多い要潤の方が,存在感があるのは何故でしょう・・・。
柴田恭兵は,30数年前に見た「大追跡」(藤竜也と共演)から,全くキャラが変わっていない・・・というか地のままなんでしょう・・・。
私のオキニだった水野美紀嬢(ガメラのおねいさん)は,最終回では妊婦役でした・・・。何か,「踊る大捜査線」以降,役に恵まれない感じです・・・。


松島海岸駅から,野蒜運河に沿った国道45号線沿いの見慣れた風景,あの日を境にがらりと景観を換えた松島基地と東松島市沿岸。
決して忘れたはずではないし,風化させてもいけないとも思ってきた記憶がたちどころに蘇りました。
ま,松島基地の存在自体が,地元民に聞くと以前より微妙なものであるのは事実ですし,あの日を境に,人々が蒙った被害の数々はなかなか語りきれるものではないですが,これだけの印象的な「絵」を鏤めてくれたことに素直に感謝です。
空自全面協力とはいえ,よくあれだけの「え」を撮ることが出来たと思います。
東松島市上空を三角編隊でフライパスする構図や,上方空中開花など,見ていてぞくぞくしました・・・。


途中から見たことが惜しまれてならないですが,ま,DVDがレンタル解禁になったら(というか,新作扱いでなくなったら),未見だった部分を見てみようかな・・・と思います。書店に平積みになっているらしい原作は,果たしてどうなのでしょう・・・。


でもって,恋愛ドラマとしては果たして・・・といった野暮なことは言わないでおきましょう・・・。
今から流されたF2と無事だったT4を引っ張り出して来ます。
T4は震災前に組んだ最後の一作ですし,F2は震災直前に買って,震災後に組みました・・・。
単座型も組んでみたいものです・・・。
でもその前に,303SQのF15Jが先か・・・。