koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

1.17・・・

2012年01月17日 21時52分21秒 | 時事問題,ニュース

この日のことは,7年前に1度書いたことがあった。
http://koshipiatti.wordpress.com/2005/01/17/1995%e5%b9%b41%e6%9c%8817%e6%97%a5/
決して忘れてはならない日・・・と思ってきたのだが,つい昨年それに3月11日が加わった・・・。
関西のあちこちでは関連のイヴェントも多く開かれたようだが,印象的なのは先の東日本大震災の起きた14時46分にも黙祷を捧げた地域があったことだ。
勿論,5時46分にも黙祷が捧げられた(46分というのは偶然の符合か・・・)。
東北の被災地代表も招待されたというし,東西を問わず自然災害からの復興に向かっていこうという意志が感じられた。
先の震災を経て,私としても17年前のことは余計人ごとではなくなった。


この2つの震災は形として全く異なる。
阪神淡路大震災(M7.3)は,震源が淡路島と阪神地区に極めて近く,震度7で都市部を直撃したため,犠牲者の9割は家屋倒壊による圧死だったという。
それに対して,先の東日本大震災は震源が宮城県沖と人口が集中する仙台圏から割と離れた宮城県沖だったため,M9.0(最初は8.4だかで,その夜のうちに8.8となり最終的に90.となった)と,とんでもない規模だったが,直撃だった私のところでも震度6強だった。
しかし,2万近い犠牲者の9割超は二次災害の津波による溺死だった。
昭和56(1981)年に建築法が大改訂され,耐震・免震構造の住宅が義務づけられたことで,建物の倒壊による犠牲者は33年前の宮城県沖地震の教訓が生かされたのか減ったものの,津波の被害が甚大であった・・・。
実は丁度1年前の2月末,チリで大地震が発生して津波が来るということで,県南部の沿岸に避難勧告が出されたことがあった。
結果的に何事もなかったので,今回も・・・という考えがあったのかどうか・・・。


いずれにしても,また30年以内に関西・東海・東北の太平洋側は危険だという。
あのような思いは2度と勘弁して貰いたいが,備えるしかないだろう。
非常持ち出しの整備,食糧備蓄,週末満タン給油など,これからもいろいろと考えていかなくては・・・。
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