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ルドルフ・ケンペの忌日に11

2016年05月11日 21時32分07秒 | 音楽

Rudolf Kempe - Dvořák: Symphony No.9 in E Minor "From the New World"

最近は文章を書くのも億劫で,10年前はあれだけ気合いを入れて書いていたウェブログも,おざなりになっているのだが,今日は別だ。
何せ40年目の節目でもある訳だし・・・。
この日に亡くなった故人を偲び,その数々の遺産を紹介してきたのであるが,今回は最晩年の映像と共に紹介したいと思う。


ルドルフ・ケンペ(1910-1976.5.11)。
ドレスデン近郊ニーダーボイリッツに生まれ,チューリッヒで没したドイツの名指揮者である。
2歳年上にはヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)が居り,そのカラヤンより10年以上前に没したこともあって,ケンペの存在は極めて地味で,我が国でもその少なからぬ数の録音(といっても毎月のように新録音が発売されたカラヤンには遠く及ばなかったが・・・)が生前に話題となることはあまりなかった。
今考えると,ロンドンのロイヤルフィル,チューリッヒの音楽堂(トーンハレ)のオケ,そしてミュンヘンフィルといった割と地味めなオケの音楽監督や常任指揮者を務めたこともあり,決してスターダムに上ることの無かったあたりが,私の心の琴線に触れたことも大きいと思う・・・。
そして音楽を聴き始めた40年前のこの日,レコード店にてケンペの指揮したチャイコフスキーの第5交響曲(ベルリンフィル)のジャケットを見て,何となく心惹かれたのであった・・・。
東芝EMIから出ていたニューセラフィムベストシリーズなる緑色のジャケットで,荒涼たるロシアの雪原の画像が載っていたのであるが,私が惹かれたのは,寧ろベルリンフィルのレコードが1,300円で買えるという事実にであった筈だ・・・。
そして翌日,新聞でそのケンペの訃報を知るに及んで,虫の知らせとも言うべき,尋常ならざる因縁を感じたのであった・・・。


以来,彼の指揮する演奏に惹かれ続け,ベートーヴェンやブラームスの交響曲(後者は2種類の全集),ブルックナーの交響曲第4,5,8番, R・シュトラウスの管弦楽曲集と協奏的作品集といった独墺系の音楽を聴き込むに及んで,その高い格調と芸術性に今尚傾倒している。
ケンペのレパートリーの中心が独墺系の音楽であったことは間違いないが,レパートリーが広い指揮者であったことは,意外に知られていない。
私のCD棚には,ベルリオーズ,ビゼー,チャイコフスキー,R・コルサコフ,ドビュッシー,レスピーギ,プロコフィエフ,そしてショスタコーヴィチの交響曲までが並んでいる。
中でも4種類の演奏が残されており,ケンペが愛し得意としていたのが,ドヴォルザークの新世界交響曲であった。
その最後の録音,1975年のロンドンプロムス(サー・ヘンリー・ウッド・プロムナードコンサート)における録画が,辛うじてYouTubeに残されており,熱狂的な若い聴衆を前に,白熱の演奏を繰り広げるケンペの姿を見ることができる。
亡くなるほぼ1年前の演奏だが,気迫と推進力,そして力と覇気に満ちたパッショネートな演奏が心を捉えて離さない。
オケは,この年から常任指揮者に就任したロンドンのBBC交響楽団だが,白熱の演奏を繰り広げている。
19世紀後半,独墺音楽の書法を以て,それ以外の地域に根差したモチーフで音楽を書いたのが,所謂国民楽派と呼ばれる作曲家たちだが,ロシアのチャイコフスキーと,チェコのドヴォルザークは,その典型であろう。
そしてケンペの手に掛かると,この魅力的な交響曲が,当然のことながら独墺音楽の本流からの継承であることを,改めて感じるのである・・・。
そして,今後もこの希有な芸術家の残した少なからぬ遺産に,益々惹かれていくことになろう・・・。


「ミステリーのオーラが,高度に洗練されてエレガントなルドルフ・ケンペを取り巻いている。彼の丈高いスリムな姿は,いつもすっくと立ったままである。ケンペは,没頭するのを好んだディオニソス的で華麗な技巧の要る楽節で,限度を超えようとする場合に於いてすら,規律正しいジェスチャーを保っていた。オーケストラは彼の明確なサインの言語を即座に了解し尽くした。この点にケンペが忽ちにして世界くまなく成功した要因がある。リハーサルで彼はほとんどしゃべらず,彼の名人芸的な棒さばきと,彼の長い表情ゆたかな両手によって,彼そのものを理解させた。」

(尾埜善司著「指揮者ケンペ」芸術現代社刊より)

 

 


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