koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

今年も目出度くも無き日に・・・

2017年03月02日 00時01分29秒 | 音楽

今年も目出度くも無き日を迎えるに当たって,さてお気に入りの一曲を何にしようかと思って居たところ,例によって睡眠不足と倦怠感に苛まれての起床の際に,脳裏にがんがん鳴り響いていたのは,ブラームスの悲劇的序曲であった。
これは紛れもない名曲ではあるが,如何に自虐根多を好む私としても,どうも相応しくないと感じる。
しかも,演奏したこと無いので,スコアを開いたこともない。


因みに,これを始めたのは2005年と記憶しているが,今までのラインナップは以下の通りだ。

05年 バレエ「アパラチアの春」(コープランド)
07年 嬉遊曲(イベール)
08年 ジークフリードの牧歌(ワーグナー)
10年 交響曲第1番ホ短調(シベリウス)
11年 小組曲(ドビュッシー~ビュッセル編)
12年 ピアノ四重奏曲第1番ト短調(ブラームス~シェーンベルク編)
13年 歌劇「ローエングリン」~第3幕への序奏(ワーグナー)
14年 「坂の上の雲」サウンドトラック~少年の国(久石譲)
15年 序曲「謝肉祭」(ドヴォルザーク)
16年 ピアノソナタ第3番~第4楽章(ショパン)

去年のも明らかに自虐だし,シベリウスの第1とかローエングリンなんて縁起でもない。ブラームスのピアノ四重奏なんてのも完全に自虐というか自爆に近い。
ブラームスは,自称ゲルマンフリークである私のお気に入りの作曲家の一人であるが,どうもこうした選曲には相応しくないのかと思いきや,晴朗たる一曲を思い出した。


大学祝典序曲op.80(J.ブラームス 1833-97独)
1879年,ポーランドのブレスラウ大学から名誉博士号を授与されたブラームスが,その返礼としてかいたことで有名である。
・・・というより,その第3主題が,その昔ラジオ短波の「旺文社大学受験講座(通称ラ講)」のテーマに使われたり,さだまさしの「恋愛症候群」の導入部に使われたりした曲,と言った方が,私の世代には分かり易いかもしれない。


当初大学側は,荘厳な曲調の演奏会用序曲(既にこの様式からしてブラームスらしくない)や祝祭的なファンファーレを想定していたらしいのだが,そこは一筋縄ではいかない皮肉屋のブラームスである。
何と,学生たちが酒場で歌う学生歌をベースにした楽曲を作曲した。
つまり,大学当局を煙に巻いた,という訳である。
曲は,以下の4部から構成される。


1."Wir hatten gebauet ein stattliches Haus"(『僕らは立派な学び舎を建てた』-民謡より)
2."Landesvater"(『祖国の父』-"掛布のテーマ"に似たコラール)
3."Was kommt dort von der Höhe?"(『あそこの山から来るのは何』,狐乗り(Fuchsritt)の歌-上述)
4."Gaudeamus igitur"(ラテン語で「いざ楽しまん」)


・・・というわけだ。
生真面目な印象のブラームスとしては精一杯の皮肉と諧謔のつもりだったのだろうが,出来上がったこの曲は,紛れもなくブラームスの個性が十二分に発揮された傑作である。
だいたい,この時期のブラームスは,牧歌的で晴朗たる歓喜に満ちた第2交響曲や,イタリア旅行の所産でもあるパッショネートなヴァイオリン協奏曲,対を成す「悲劇的序曲」,そして,やはりイタリア旅行の影響が大きい大傑作の第2ピアノ協奏曲等々,傑作の森ともいうべき名曲を次々と作曲した脂ののりきった円熟期に入っている訳だから当然なのだろう・・・。
ブラームス自身,この曲を「笑う序曲」(対の「悲劇的序曲」に対しての呼称だろう)とか,「スッペ風ポプリ」とか呼んだらしい。
スッペは同時代にウィーンで人気のあった喜歌劇の作曲家(「軽騎兵」,「詩人と農夫」とか「ウィーンの朝昼晩」・・・)だし,ポプリとはフランス語で小さな花束のことだろうから,この場合はメドレーといったところだろう・・・。
遅筆の印象があるブラームスとしては,短期間で一気呵成にかきあげた印象が強いが,スコアを繙いてみると,ブラームスらしくぎっしりと凝縮度の高い網の目のような書法が顕著である。
二拍子の部分でもフレーズの頭をずらしたり,八分音符を刻む弦楽に対してホルンだけ八分三連で強奏させたり,わずか10分程度の曲なのに,その内容はさすがに大家の筆である。
本来ブラームスは,弟分とも言うべきトヴォルザーク(1841-1904)と違って,基本的にメロディメーカーではなく,気の利いたメロデイを作り出すのは苦手と思われ,それ故,ヘンデル,ハイドン,パガニーニ等の主題を生かした変奏曲に名曲を残したのだろうが,この曲のような主題の活用・変奏はお手の物である。
それでいて,格調高い弦楽の調べや明滅する木管のオブリガートにえもいえぬ魅力を感じさせる。
交響曲や器楽曲,或いは室内楽や声楽・歌劇に比して,管弦楽曲は内容的に一段も二段も低いと思われがちだが,大家の手になると,かくも魅力的な作品となるものなのである。


演奏は,往年の大家から現役まで名演が目白押しである。
私のCD棚には,モントゥ~ロンドン響,ワルター~コロンビア響,バルビローリ~ウィーンフィル,シュミット=イッセルシュテット~北ドイツ放送響,ヨッフム~ロンドンフィル,バーンスタイン~ウィーンフィル,サヴァリッシュ~ロンドンフィル,ハイティンク~アムステルダムコンセルトヘボウ管,プレヴィン~ロイヤルフィル,マゼール~クリーヴランド管,アバド~ベルリンフィル,ムーティ~フィラデルフィア管・・・と,山のように有った。
大家と呼ばれる人では,ベームにカラヤン,ケンペ,そしてヴァントはこの曲の録音を残さなかったようだ(フルトヴェングラーは有るのだろうか・・・??トスカニーニ,クナッパーツブッシュ,クレンペラー,セルは有る)。
交響曲全集にフィルアップされる例が多いため,私の手持ちも多いのだが,単品では意外や意外,最近のお気に入りは,メキシコのど派手指揮者という印象の強いエンリケ・バティス~ロイヤルフィルである。
存外に端正で,そして予想通り分熱いのである・・・。

・・・ということで,動画も貼っておく。
バーンスタインとウィーンフィルによる分熱い演奏。
かつてオケで2度演奏したが,実に楽しかったな・・・。
今日のような日に相応しいか否か分からないが,これで今年も齢を重ねよう・・・。


Bernstein - Academic Festival Overture (Brahms)

 


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