koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

永遠の栄光の火・・・

2015年03月11日 21時12分02秒 | 時事問題,ニュース

4年目のこの日を迎える。
前日の3/10は,10万人が命を失った無差別爆撃の東京大空襲から70年目。
3/10といい3/11といい,3月のこの時期は鎮魂の時だ・・・。


あの日は金曜日だったので,夜に食料の買い出しに行こうと思っていたし,ガソリンも安くなってポイントも倍の週末に入れようと思っていたので,残量は僅かだった。
それがすべて暗転した。
暗闇の中,帰宅したときは水もガスも出たし,先の宮城県沖地震の時は,その晩のうちに電力も回復した。
なので何とかなるのでは・・・と思って,その日は体力温存と思って早く寝たのだが,翌日も電力は回復しなかったし,水もガスも止まっており,前日辛うじて使えた携帯も,UPSが時間と共に逝って圏外表示となっていた・・・。
自信の前日選択に風呂水を使った上に,水は出るから大丈夫と踏んで,風呂桶に給水・貯水しなかった迂闊さを悔やんだが後の祭りだった・・・。
それとしても,私なんか殆ど被災していないに等しいのであるが,あの時は,このまま物流が回復しなかったら,最悪栄養失調と餓死も有り得る・・・という暗澹たる思いがあった・・・。


それが4年を経て,完全に風化してきたことを感じる・・・。
私が不自由だったのは,せいぜい一ヶ月風呂に入ることが出来なかったことぐらいで,生活を根こそぎ奪われ,多くの痛ましい犠牲者を出した沿岸部の方々の辛苦に比べると,本当に微々たるものであはるのだが,あの時覚えた暗澹たる思いを忘れてはなるまい・・・。今後私に出来ることは,4年前のことを知らない世代に伝えていくことと,実に微力ではあるが,被災地を訪れて香華を手向けた後,少しでも消費に協力していくことだろう。
昨年は,石巻市の門脇地区と大川地区,女川町,南三陸町志津川地区,そして仙台市若林区荒浜地区を訪れたが,季節が良くなったら今年は亘理町や山元町,新地町や相馬市まで行ってみたいものだ・・・。


・・・ということで,鎮魂の一曲を貼る。
ショスタコーヴィチ(1906-75ソヴィエト)作曲,ノヴォロシースクの鐘(永遠の栄光の火:1960)。
ノヴォロシースクとは,件のクリミア半島東端の都市ケルチ(鉄か石炭を産出と中学で習った記憶が)から黒海を経たところに位置するロシアの都市で(ソチの北),ドイツ軍が攻め倦ねた要塞が有った。
本来は,独ソ戦の戦死者を悼む曲だが,鎮魂の気持ちを込めて・・・。
唯,演奏はテオドール・クチャル指揮ウクライナ交響楽団なので申し分がないが,何で画像がディズニーランドなのか不明だ。
もう1つの動画は,赤軍兵士の写真だったので,そちらよりは良いかと・・・。
冒頭のチェレスタの音型から始まる2分半ちょいの短い曲だが,副題に相応しい内容と思う・・・。
 


只今,他出中・・・

2014年03月29日 20時48分06秒 | 時事問題,ニュース

何故か,所用で金沢市にいます。
金沢市の繁華街,香林坊の隣の片町。
東京でいえば歌舞伎町,札幌でいえば薄野,仙台だと国分町,大阪だと宗右衛門町,博多だと中州・・・。
珍しく1人なので,今からちらっと飲んでこようかと・・・。
勝手が分からないので,怪しいところに踏み込まないようにしないと・・・(爆)


・・・ということで,帰宅したら旅行記書けると良いのですが・・・。
では,いざ出撃・・・。


關西紀行,其之廿壱:四明ヶ嶽の伝説・・・

2014年02月01日 22時15分58秒 | 時事問題,ニュース

唐突であるが,NHKの「行く年来る年」が好きである。
紅白が終わってから15分間。
これを見ないで過ごすと,1年の終わりに悔いを残しそうな気がする。
不意にそんかことを思ったのは,この日が大晦日であったからなのだろう・・・。
必ず日本各地の寺社の様子が映し出されるのが,大きな特徴であるが,雪に埋もれた北国の静寂な古寺だったり,雪とは縁のない暖国の寺社だったり,或いは2年参りで賑わう芝の増上寺のような大寺だったりする。
そのいずれからも感じられるのは,凍てついたように凛然とした空気感である。
遠くに除夜の鐘を聞きつつ,紅白や第9の余韻を少しばかりながら引き摺るこの時間帯,この開山以来1,000年を越える比叡山延暦寺こそ,それに最も相応しい場所と言っても良いだろう。


根本中堂は,そんな玲瓏たる大気の流れる中,一段下がった場所に有った。

さすがに,かつての記憶は無い。
否,建物の形状は同じであるが,やはり16歳当時の記憶とシンクロさせるのは困難である。

標高が800m程有るので,完全な高原気候で,数cmの雪が積もっているのも,興趣を添えている中,根本中堂へ参る。
回廊を歩く形で参詣するのは,全く記憶になく,永遠の灯明だけが記憶に残っている。

根本中堂に正対するような形で,小高い位置に文殊楼があり,何とも古雅な味わいを見せているが,工事中なのか,雪で滑るからなのか分からないが,かなり残念であった。


比叡山は,どうやら3つの地区に分かれるようだ。
根本中堂がある今回訪れたのが東塔(とうどう),本堂にあたる法華堂がある地域が西塔(さいとう),そしてその北に位置する横川(よかわ)である。
つまり私は,比叡山の1/3しか見ていないということになり,京都側の景観は味わっていないということになる。
各地区の間にシャトルバスが走っているようだが,洛中と異なり,ここだけは車で訪れた方が良いようだ。
京都市中でレンタカーを借りて,御蔭通りから山中越えを行くか,大津市内で借りて,反対側の近江神宮から田の谷峠を越えて,比叡山DWに入るのがセオリーだろう。
後者の方が,リスクは少ないだろうが・・・。
京都側の最大の見どころは,展望台のある四明ヶ嶽だろう。
何でも承平の昔,京に任官の為に来ていた平将門と藤原純朝が一緒にこの四明ヶ嶽に登り,東西を見つつ,こちらは私,そちらはそなた・・・と,日本を二分して支配する構想を語ったという伝説があるという。
大河ドラマにもなった海音寺潮五郎の小説のように,この2人が果たして出会っていたのか,そして東西呼応して挙兵したのか,そのあたりは勿論分からないが,何とも気宇壮大な伝説である。


30分に1本のケーブルカーに間に合わせる為に,帰途は走る羽目になった。
こういう時は,やはり1人だとフットワークが軽いことを実感する。
ようやく間に合って,汗をぬぐう。
ゆっくりと琵琶湖の景観を味わう余裕は,全く無かった。
帰途は,運良くもう1台の「縁号」だった。

折りの途中のもたて山駅近くだったと思うが,石仏群があり御法難の供養のものではないかと説明された。
下界に着いた際,誰も車内にいなくなったのを狙い澄まして,写真を撮った。

かなり粘ってしまったので,職員の方には申し訳なかったが,嫌な顔せず挨拶をされた。
さすが京阪系である。
何年か前,奈良のレトロバスで,終点のJR駅に着いた際に車内の写真を撮っていた上の子が,女の運転手さんに,
「早く降りてください」
と,露骨に嫌みを言われたことがあったが,それとは大違いだ。
ダイヤを狂わせる訳ではないのなら,当地を愛する観光客をもっと大事にすべきだと思うのだが・・・。


ケーブルカーを降りた後は,坂本駅近くまで,ゆっくりと下る。
味わいに満ちた日吉神社の参道や,門前町を形成する多くの寺院を軒並み見て回る。





そして,食事は後述するが,当地を代表するものを堪能したのであった。

何とも名残が尽きぬ街で,駅のホームに入る前に,幾度となく街並みを振り返った・・・。


Tokyo,2020・・・

2013年09月08日 20時21分05秒 | 時事問題,ニュース

起床するや否やPCを立ち上げる。
こうした行動を取られた方は,多分私以外にも多かったのではないだろうか・・・。


昨日の段階で,私としては,本命がマドリードで,対抗が東京,イスタンブールは,中東問題がネックとなって一次投票で落選と踏んでいたのだが,予想は外れた。
92年のバルセロナ五輪からまだ20年というのがあったのか,それとも深刻な不況によって,高い失業率が是正されないことが響いたのか分からないが,王族によるロビー外交も活発で鼻息荒かったし,何と言ってもIOCの欧州偏重路線が大きいので,マドリードが有力かと思ったのだが,イスタンブールに敗れた・・・。


そのイスタンブールは,何と5回連続のエントリだそうだ。
洋の東西の接点,欧州とアジアの中継地として,コンスタンティノープルと呼ばれた時代から,この都市が歴史上で果たした役割は極めて大きい。
中東やバルカン半島,旧ユーゴ,旧ソ連邦に近いこともあって,スパイ銀座となったのは,「007ロシアより愛をこめて」でも描かれていた。
ネックとなったのは,やはりシリア情勢だろうか。
南部に多く住むというクルド人の問題も深刻であり,冷戦後の東西対立が終わりを告げた後,民族・宗教対立によって,国際問題が複雑化した典型と言えるかも知れない。
個人的には,こうした街には極めて興味があって行ってみたいと思うし,スペインのように,中世のムーア人の侵攻によって,アフリカの文化が移入された地も興味深いが(映画「エル・シド」を思い出すし,有名なアルハンブラ宮殿なんてアラブ系のムーア人・ベルベル人が築いたものだろう),東西の接点であるイスタンブールのエキゾティシズムには,上述のスパイ銀座と呼ばれたような危うさが感じられて,危険だが魅力的である・・・。


でもって,その3都市の中で,最も都市インフラが整備されて,安全なのが東京であることは言うまでもない(尤も,官公署と各国大使館の建ち並ぶ千代田区や港区は,「東洋のイスタンブール」と呼ばれる程のスパイ銀座らしいが)。
04年のアテネ五輪は,古代・近代五輪発祥の地ということでエポックではあったが,長引く不況の影響と,ギリシァの国力の問題もあって,選手村等のインフラ整備が立ち後れたことが問題となったが,東京なら問題は無いだろう。
勿論,治安に関しても同様である(私の好きな歌舞伎町とかは,お世辞にも治安が良いとは言えないが,パリのモンマルトルの裏通りよりは安全だろう・・・)。
加えて,各種目の開催が近隣でまかなえるというのも大きい(カヌーの葛西臨海公園が揉めているようだが・・・)。
49年前は,馬術競技のみ長野県の軽井沢町で開かれたが,今回はどこで行うのだろう。
長野五輪の際のカーリング開催により,現時点では軽井沢町は世界で唯一夏季・冬季量五輪が開催された街となっているのだが・・・。
そういえば,サッカーのみ札幌で開催・・・という未確認情報があったが,どうなるのだろう(今調べたら,国立の他,札幌,宮城,さいたま,横浜国際で行われる模様だ)。
もしそうなったら,我が国から2つ目の開催地となるのだが・・・。


勿論,山積する問題は多い。
先程mixiを除いたら,
「そんなことやっている場合か」
とか,
「被災地の復興が先だろう」
といった意見も少なからず有ったが,もしこれが落選したら,負ったダメージは少なくないし,掌を還して安倍政権を讃え始めた隣国メディアの攻撃も激しくなっただろう。
先ずは五輪景気再び・・・ということで,増税無き景気回復を望みたい。
また,言わずもがなだが,原発問題の解決は必須である。
イスタンブールとダマスカスより,東京と浪江・双葉は近いのである。
開催が決まってから,危険だとボイコットされたのでは話にならない。
選手村は何処に誘致するのだろう。
かつての選手村は,代々木公園の一角に「青少年オリンピックセンター」として残されており,私も仕事の事情で利用したことがあるが(中国残留孤児の方々が利用した時期と多少被る),外国人の体型に合わせた大型のベッドがある部屋もあった。
今度は,どのようになるのだろう・・・。


そして,私としては改めて,49年前の東京五輪に思いを馳せるのである。
往時を偲ぶものとしては,以前紹介した故市川崑監督による映画「東京オリンピック」があるが,その入場行進の素晴らしさは今でも決して色褪せない。
確か00年のシドニー五輪より,隊列を組んでの整然とした入場行進は無くなったと記憶しているが(ミリタリズム云々・・・という理由なのだろうか・・・),やはり49年前のイメージが残るので,気になるところである。
そして,何と言っても福島が生んだ昭和の天才作曲家古関裕而による「東京オリンピック行進曲」。
今回も使ってくれれば嬉しいし,新しい時代に相応しい名曲の誕生も待ちたいところだ。


・・・ということで,リンクを貼っておきます。
私より若い世代の方には,なかなか縁のないことだと思いますので,49年前の燃えた東京に触れてみるのも悪くないと思います。
あ,あと今回も,ブルーインパルスによる展示飛行,及びスモークの五輪マークもぜひやってほしいです・・・。




 


余震は続く・・・

2013年08月04日 21時24分41秒 | 時事問題,ニュース

実家に行き,母を拾って挨拶回りに行こうとしていた矢先のことだった。
ずん・・という直下からの大きな突き上げがあった。
その瞬間,
「こいつは大きい」
と直感。
今迄幾度となく余震に遭っているが,一昨年4月頭の停電した時のことが過ぎった。
周囲が大きく振動し始める。
下の子をテーブルの下に突っ込み,様子を見る。
照明器具が大きく揺れ出したから,これはいよいよまずいか・・・と思った途端,揺れがおさまってきた・・・。
時間にして30秒近くだろうか・・・。
長い時間に思われたのは,今回も同じである・・・。


震源は宮城県沖で,M6.0。
2年前の本震の9.0に比べれば小さいが,普段なら十分大きい揺れである。
津波被害にあった石巻市で震度5強。
我が街は震度4。
職場のある隣の区は3。
震度5を越えたら非常呼集がかかるので,助かった・・・。


次々と隣県を始めとする県外の親戚から連絡が入った。
取り敢えず,何も被害が無く良かったが,その後1つ軽い騒ぎがあった。
ガスが出ないのである。
さては,安全のためにガス局が止めたか・・・と思ったが,室外にある都市ガスのマイコンメーターは,揺れが大きいと自動的にガスを遮断するようになっている。
復旧ボタンを押して事なきを得たのだが,ようやく梅雨が明けて暑くなり始めた時期だけに,風呂が・・・と一瞬落ち込みかけた・・・。
津波の被害もなく,女川原発も無事・・・ということで,取り敢えず良かったのだが,揺れがおさまった直後に突然一斉に鳴り出した緊急地震警報,何とかならんのだろうか・・・。


これが民主化か・・・

2013年07月05日 22時39分24秒 | 時事問題,ニュース

エジプトのムバラク政権が倒れたのは,確か2011年の初め頃と記憶している。
東日本大震災の少し前のことだ。
北アフリカから中東にかけて,燎原の火の如くアラブ諸国の民主化が進み,隣国リビアのカダフィ政権もその年のうちに終焉を迎えた。
世に言うアラブの春である。
チェコに共産主義政権が誕生したプラハの春(本来は国際音楽祭の名称だったのだろうが)に引っかけたネーミングが何とも垢抜けない・・・と思ったら,かつて私が予想した通り,大変なことになった・・・。


私が,民主化と書いたのは,全く正鵠を射たものではなく,民主化の名のもとに従来の政権を倒しただけのことだから,民主化とは言えないだろうし,今回のエジプトのように結果的に軍部の台頭を導く結果になったのだから,実に皮肉である・・・。
ムバラク政権が倒れた際に,私はこれからが大変だと書いた記憶があるか,残念なことにその危惧が的中してしまった・・・。
軍が現政権を倒した・・・と言えば聞こえはよいかもしれないが,要は軍事クーデターを起こして,憲法停止・大統領の権限剥奪したということだ。
同国外相は,「クーデターではない」と弁明していたが,どう考えてもクーデターだろう。


北アフリカから中東,アラビア半島には,多くのアラブ系部族が割拠し,それらが利権・覇権を競っていたと思われる。
映画「アラビアのロレンス」には,アラブの独立に力を尽くしたロレンスが,己の利権のみを主張する族長会議に失望し,失意のうちに英国へ去る様子が描かれていたが,そうした部族を統括するには,善悪は別として,カダフィのような強烈なカリスマを持った人物でないと務まらないのかもしれない。
しかし,独裁者は国民の支持を失い,国民は独裁者を断罪した。
国土は荒れ,立て直すには海外資本の力が必要となる。
しかし,それもある程度の域を超えると,欧米諸国にアラブ経済が食いものにされる怖れがある。
かといって,海外からの援助や資本提携をシャットアウトすれば,元の遊牧民の集団に過ぎなくなろう・・・。
荒れた国土のインフラを整備し,法政を整え,子どもには教育を施し・・・といった,長期展望に立った国家再建をしなければならないアラブ諸国にとって,今回のエジプトのクーデターは,痛恨事ではないだろうか・・・。


いつの時代も,安定しない政権のツケは国民に来る。
4,000年以上前,つまり旧約聖書の時代から喧嘩してきた民族ではあるが,だからといって国民に負債を強いる・・・というのは,酷いを通り越している・・・。
願わくは,一刻も早くクーデターが沈静化し(シナイ半島とスエズに非常事態宣言が出されたというから,難しいを通り越しているだろうが・・・),安息と平和が訪れることを願って止まない・・・、。


二度と有ってはならぬ・・・

2013年04月22日 19時39分25秒 | 時事問題,ニュース

先日のボストンマラソンに於ける爆弾テロの犯人は,何とチェチェン人の兄弟だったという。
射殺された兄は26歳,身柄を確保されて重傷という弟は19歳だそうだ。
何年か前に,両親と母国を脱出。
アメリカにやってきたものの,移民に対する目は厳しかったのであろうか・・・。


チェチェンというと思い出されるのは,20世紀末の2度にわたるチェチェン紛争である。ソ連邦崩壊後,ロシアがチェチェンの独立を認めず,軍隊を派遣して首都グロズヌイを占拠したものの,泥沼のような戦いが続いた。
そしてその間,ゲリラ化したチェチェン独立勢力は,アルカイーダ等イスラム過激派と結びつき,ロシアに対するテロ行為が後を絶たなかった。
99年のモスクワのアパート連続爆破事件,2003年6月のモスクワ野外コンサート会場爆破事件,翌年8月のハイジャック事件(今時こんな割の合わないテロを起こすなんて信じられぬ思いだった),そして05年9月の北オセチアの小学校占拠事件(銃撃戦の結果,400人近くが犠牲となった)が記憶に新しい。


旧ソ連邦に関しては(否,も),全く知識に乏しい私なので,改めて地図を繙いてみると,丁度黒海とカスピ海の間,急峻なカフカス(コーカサス)山脈の北側に位置する。
首都グロズヌイは,中学生の頃,石油が採掘される都市と暗記したのが唯一の知識である。地勢的には,中央アジアの西,南隣のグルジア,アゼルバイジャン,アルメニアを経てイランに至るし,東はトルコなので,完全に中東と隣り合わせでイスラム圏ということになる。
祖国を去ったこの兄弟が,アメリカ社会に於いて孤立を深めたであろうことは想像に難くないし(兄は,アメリカ人の友人は居ないと生前語っていたという),大国に踏み躪られた祖国を思い,イスラム過激主義に傾倒していったことも十二分に理解できる。


しかし,だからと言って,この行為が許される筈はない。
祖国にもアメリカにも安住の地を見出せなかったであろう移民の苦渋は,きっと想像に絶するものだったことだろう。
ロシアに祖国を蹂躙され,アメリカにも受け入れられなかった移民の悲劇は,移民社会でもある西洋諸国にとって,今後検討して行かなくてはならない重大な社会問題である。
それにしても,無差別テロが,許される筈はなかろう。
パトリオットディとマラソンのゴール(昨年のデータだと,一番ゴールした者が多かった時間帯だった)を狙って多くの関係のない者を狙った無差別テロは,どんな理由を付けても許し難い・・・。
かつての9.11テロの際,私の職場では「アメリカ帝国主義がすべて悪い」と息巻いていた者が居たが,イデオロギーと宗教と歴史と現代社会が絡み合ったテロが,そんな簡単に白黒を付けられるものではないだろう。
むしろ,無差別に関係のない一般市民を殺傷した行為そのものを,を憎むべきだろう・・・。

昨日行われたロンドンマラソンでは,参加者が減ることはなく,むしろ増えたという。
テロや不当な暴力に屈しない-これもまた大切なスポーツ精神の1つなのだろう。
勿論,競技会場の安全性は十二分に確保されなくてはならないし,スポーツに政治や信仰を,決して持ち込んではならない・・・。
それにしても,チェチェンとチェコを間違う輩が多くて困っている・・・と,チェコの大統領が言っていた。
何をか況んやだ・・・
日記@BlogRanking


今そこにある危機・・・

2013年04月08日 21時33分01秒 | 時事問題,ニュース

今度は本気か??
先月末に,60年来の休戦協定を破棄して「臨戦態勢」を宣言した彼の国に対して,アメリカは韓国に最新鋭のF22とB2を配備し,グァムからはB52が飛んだ(未だ現役か)。
勿論,彼の国の魂胆は知れている。
得意の恫喝外交と挑発によって,アメリカを外交交渉のテーブルに座らせ,経済援助を引き出すことである。
それに対して,アメリカはぎりぎりまで動かず,彼の国が焦れるのを待っている。
まさにチキンレースである。


金王朝も三代目を迎え,正恩は焦っているのだろう。
100万を軽く越えるという三軍の統帥権は有るのだろうが,今までの指導者と違って言うことを聞かない。
ここは,何としても強いところを内外に示さなくてはならない,でもなかなか動いてくれない・・・というところだろうか・・・。


ドイツにせよヴェトナムにせよ朝鮮半島にせよ,東西のご都合主義によって分断された為に,米露中を初めとする国々は,多少の後ろめたさも有って経済援助をしてきたのだろう。ドイツ統一の際は,東西ドイツの生活・経済水準が違いすぎて大変だったと聞くので,北の困窮を知る韓国としては,統一は望まないのでは・・・と思う。
おそらく,金王朝のみを終息させて,あとはミャンマーのようにゆるゆると民主化に持って行くのが良いのでは・・・と考えているのだろう・・・。


10日にミサイル発射,標的はグァムの米軍基地だろうか。
勿論,当たるかどうか分からないし,当たったらそれこそ返り討ちでは済まされないので,近海に落とすか(落ちるか)だろうが・・・。
或いは金日成の誕生日前の14日という線も有るそうだ。
追い詰められた正恩が,窮鼠猫を噛むではないが,暴発しないという保障は無い。
今回も無意味なチキンレースとなるのか,或いは・・・。
もはや対岸の火事ではないのである。
米軍は高々度迎撃ミサイルシステム(THAAD)をグァムに配備したという。
当たるか当たらないか分からないが,近距離迎撃のPAC3もそうなのだから,彼の国とどっちもどっちということか・・・。
それにしても,我が国としては国家単位の対策を大至急講じるべきだと思うのだが・・・。
戦争は起きない・・・と,かつて非武装中立を標榜する人たちは語っていたが,現に隣国で起きようとしているのである・・・
日記@BlogRanking


3.11・・・

2013年03月11日 22時17分19秒 | 時事問題,ニュース

大切な日なのだが,仕事が終わらず,帰宅は9時を大幅に回った・・・。
突如として強風と寒波が北日本を見舞い,朝はうっすらと積雪。
帰宅時は再び氷点下となり,家の周囲は凍っていた・・・。


思えば2年前のあの日も,夕刻に小雪がちらついた。
その中で,家族の安否も分からぬまま仕事を黙々とこなし,深い闇と静寂の中へ帰ったことも,勿論鮮明に記憶している。
そして,翌日になって知るに至った沿岸部の惨憺たる状況と分断されたライフラインによって如何に都市部が災害に脆弱であるかを痛いほど知らされたことや,このままインフラの復興が滞り,物流が復旧しないと,最悪の場合餓死や栄養失調もあり得る・・・といった暗澹たる思いと,震災の翌晩に見た灯火の無い星月夜の美しさも・・・。


あれから2年,あっという間に月日が過ぎ去った・・・。
ほぼ被災していないに等しい私ですら,震災前・震災後という時系列でものを言うことが多くなったのだから,大切な人や大切なものを失った方々のその心中を思うと,私如きが何も言う資格は無いと思う・・・。
只1つだけ言えることは,喉元過ぎれば熱さを忘れた私にとって,あの時覚えた暗澹たる思いは決して忘れてはならないということだ・・・。
不自由極まりない生活を思い出し,普段通りの日常が,停滞することなく続くことを甘受する幸せを噛みしめることこそ肝要だろう・・・。


哀悼の意を込めて一曲貼る。
願わくは,犠牲になった方々を鎮魂し,残された方々の生きる希望となるよう・・・。


鯨刺が食べたい・・・

2013年02月27日 21時58分00秒 | 時事問題,ニュース

一昨日,環境保護に名を借りた海賊集団SSが,またやってくれたようだ。
こういうことがあると,無性に鯨刺が食べたくなる。
そう言えば,震災以降異動前の職場近くにあった鯨を常備している鮮魚店に行っていない。週末は,鯨のさくと日本酒だ・・・。
でもって,米連邦高裁が
「SSは海賊である」
と断じ,SSを擁護してきた地裁の判断を覆したという。
当然のことだ。
船体をぶつけて号砲である調査捕鯨を妨害したのだから・・・。
そう言えば,SSの船には本当に日本人の女性が乗っているのだろうか・・・。


・・・ということで,この手の根多もいくらでも書けるのだが(迷惑!!),とんでもないことになりそうなので,以前書いたものでお茶を濁す・・・。
ま,鯨なんて食べなくても・・・と思われる方も多いだろうが,私にとっては大問題なのである・・・。
           ↓
http://blog.goo.ne.jp/fw14b_2005/e/74865f7654fa825b05976cc256f3f4c4
日記@BlogRanking


困っちゃったな・・・

2013年02月12日 21時39分25秒 | 時事問題,ニュース

しかしまあ何と言ったら良いのやら・・・。
ま,毎度毎度のことだけど・・・。
百歩譲って,こうでもしないと国際世論上で存在感を示すことができない国なればこそだけど・・・。
つまり,ならず者が懐の匕首をちらつかせながら,
「俺んとこなめんじゃねーぞ」
と突っ張っている図式である。
米国がペリーの浦賀来航やモロッコ危機に代表されるような砲艦外交が十八番だとすると,さしずめ彼の国はやくざのような恫喝外交ということになろう・・・。
国連安保理は早々に制裁を決定したそうだし,安倍総理も独自の制裁策を・・・と発表した模様だ。


さて,この暴挙に対して,我々はどう対処するのが良いのだろう。
「核実験は我が共和国の合法的で平和的な衛星発射の権利を,乱暴に侵害するアメリカの暴悪無道な敵対行為への対処」と彼の国は言っておるが・・・。


①やたら彼の国を刺激することを避け,制裁は行わない。防衛予算増大や軍備拡張は彼の国を硬化させるだけだ。

②国連安保理の決定に則って,今後国際レヴェルでの制裁措置に断固踏み切る。若しくは我が国独自の制裁を行う。

③私の脳みそでは思いつかん・・・ので(泣),その他・・・。


私が子どもの頃,南は貧窮な農業国,北は近代的な工業国と習った記憶が・・・。
平和と平等の国とかこの世の楽園・・・と言っていた者も居たし・・・。
現政権樹立の時期,旱魃による凶作と政府+軍による搾取により,数万人の餓死者を出したという話もある彼の国が地上の楽園とは到底思われないのだが・・・。
ついでに陸軍の武器リストにWWIIのソ連戦車の傑作と言われるT34が,空軍にはどう見ても50年代製造のMig19が載っていたことを,何年か前に見た。
そうそう,Mig29も持っているらしいけど,燃料不足でろくに飛ばないという話も・・・。
成る程,これじゃ確かに核兵器ちらつかせたり,大規模な軍事パレードをして国威を示したりする訳だ・・・(納得してどーする)
何でも良いけど,小松と百里と入間だかから,大気中の核拡散を懸念してT4が放射線測定に上がったらしいが,結果はどうだったのだろう・・・。


1995年1月17日・・・

2013年01月17日 20時07分57秒 | 時事問題,ニュース

「関西で大きな地震があったらしい・・」
週末に程遠い火曜日の朝,例によって惰眠を貪っていた私は,母の声で起こされた。
前年の四月の異動で,今住んでいる町に戻ってきており,実家から10km離れた職場に通っていた時代だ。


最初に目に飛び込んできたのは,燃えさかる炎と瓦礫の山。
一瞬,1945年3月10日の東京大空襲や,その丁度三ヶ月後の仙台空襲の映像とオーバーラップした。
テロップには「神戸市長田区」とあった。
次いで映し出されたのは,倒壊した高速道路の高架。
押し潰された車は,当然の如く原形をとどめていない・・・。
さらに瓦礫の山がアップで写る。
現地リポーターが悲痛な声で報告をする。
大規模な集合住宅があり,瓦礫の下に何人もの人が・・・という。
耐震構造・免震構造と言って,近代建築は地震に強い,というは話を聞いた記憶があったが,虚構であったのか・・・。


以前も書いたが,私は三度の大きな地震を体験している。
宮城県沖地震(78),宮城沖地震(03),東日本大震災(11)だ。
教訓としては,不時の災害に備えての「非常持ち出し」の準備,関連して災害時のライフライン不通時を想定しての準備(携帯ガスコンロ,石油ストーブ,飲料水等),緊急避難所(近くの学校)への道筋の確認,戸外への脱出ルートの確保等々が挙げられるが,都市型災害に対して如何に大都市が脆いか,ということも痛感している。
例えば先日の大雪で,市内随一の豪雪地帯である我が家周辺は最大25cmを越える積雪があったが,日中は救急車が走りっぱなしであった。
市街地中心部は数センチの積雪で,交通機能が麻痺する。
東京・大阪なれば尚更であろう。
大地震に備えておくことと,18年前の惨禍を,一昨年のことと同様に,もう一度頭にたたき込んでおくことの必要性を感じる。
6,436人もの犠牲者と4万人を超える被災者のためにも・・・。
(随分以前に別のコミュニティに投稿した拙文を改訂して再掲しました。間もなく巡ってくる「あの日」の為にも,今一度認識を新たにすべく,敢えて掲載に踏み切りました・・・)
日記@BlogRanking


たまには語ってみるか・・・

2012年12月17日 21時22分19秒 | 時事問題,ニュース

いやまあ・・・らしくないというか・・・。
食うことと飲むことと○△にしか興味のない(と思われている)私が政治を口にするなど前代未聞だし,脳みそがワープしたと思われても仕方ないかもしれない・・・。
・・・にしても,これ程盛り上がらなかった選挙も珍しい。


現職の官房長官と文科相を初めとする民主党の閣僚達が次々と地方区で落選。
60パーセントを超えるという噂の死票が,明暗を分けたのだろうか。
おまけにこれらの閣僚達は,比例区でも復活できず完全に沈んだ。
見事なまでの文字通り民主党の地盤沈下である。
国民は,3年前に選んだ民主党に審判を下したということか・・・。


しかし,国民は3年前に民主党を選び,自民党を切り捨てたのだ。
それが何故またしても自民の復権を望むのか,政治音痴の私など素朴な疑問を感じる。
バブル経済の崩壊や農業行政の失敗,さらには諸外国に阿諛追従するような弱腰外交,終いには小泉のような鉄面皮を生んだような政権を何故今更望むのか,全く理解が出来ない。


では,自民でも民主でもなく,マスコミが散散煽る維新はどうか。
最後の希望とか散散もてはやされているようだが,はっきり言って維新塾なる集団は,小泉チルドレン以下の政治素人だと思う。
公務員を痛めつけることで国民の支持を得ているように見えるが,現場の声を無視してあんな景気よいことをそのまま実行に移したら,それこそ秩序も何も有ったものではない。
散散ぶっ壊した挙げ句,国民にその負債が回ってくるに決まっている。


次なる首相は返り咲きの腹痛坊ちゃんだ。
何と吉田茂以来の返り咲きらしい。
百歩譲って,A倍氏の良いところを探してみると,親中でも親米でも親韓でもなく,周辺諸国に媚びを売る男ではないということぐらいだろうか・・・。
岸伸介・佐藤栄作に連なる長州系だが,先祖を辿ると何と前九年の役で伊予に配流された安倍宗任(鳥海三郎,貞任弟)に至るという。
宗任は筑前に再配流となつたが,子孫が北九州の在地武士団である松浦党に養子に入って安倍に復姓したとのことだ。
したがって,彼には私と同じく猛き蝦夷の血が流れているのである・・・(脱力)
かつて訳分からんこと言って,簡単に政権投げ出した男を国民は認めるのか・・・。
これ以上述べると,どこに暴走するか分からないので自粛するが,新政権にも組閣にも全く期待が持てないことは今までと何ら変わりは無いし,やはり私のような者が政治を語るべきではなかった・・・。
書いていて乗らないし,続かない・・・。
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蘇る悪夢・・・

2012年12月07日 22時26分12秒 | 時事問題,ニュース

市内の地下鉄D駅。
トイレに,12/7に爆弾を仕掛けて子どもを殺す,という落書きが 発見されました。
D駅は封鎖,最寄りの学校は集団下校を余儀なくされ,多くの市民の足に影響が出たと思われます。
全くどうしようもない話で,そのようなことをした犯人を絶対に許してはならない・・・と憤りました・・・。
そうした中で退勤時間を過ぎ,仕事は山積だが今日は所用があるので,早く帰ろう・・・などと思った矢先でした。
同僚と打ち合わせをしている最中,誰かが
「あ,きた」
と言いました。
(何が?)
と思った途端,大きな横揺れ。
思わず1年9ヶ月前の記憶がたちどころに蘇りました。
強い,そして長い-と直感。
あの時と全く一緒です。
「火を消して」
誰かが言って,近くの者が暖房機のスイッチを消し,私は給湯室に走りガス栓を閉めました。
それでも揺れは収まりません。
この長さもまさにあの時と同様です。
只,あの時はあちこちで物が落ちて壊れる音がして,窓ガラスがガタガタ鳴り渡り割れる寸前だったのに対して,今日のはそこまで大きくないと判断されました。
「電力,落ちるな-」
あの時は,あっという間に照明が消え,3日3晩の闇の世界が待っていた訳ですが,とにかく必死でそれを願うとともに,
(あの時以上のものが来る筈ない・・・)
と,必死で思いました・・・。
1分と少しでしょうか・・・。
大きな揺れが収まっても,しばらく揺れている感じでした・・・。


ラジオを付けても同調せず,TVを付けるとすべての局が地震特番に切り替わっていました。
机上のPCのIEを動かして情報を入れ,その後はTVに釘付けとなりました。
沿岸部の町が映り,アナウンサーが必死で叫んでいました。
「津波警報が発令されました。今すぐ高台に避難してください。近くに高台がない場合は頑丈なビルでも構いません。3階か屋上に避難してください。東日本大震災を思い出してください。川や海の近くにいる方はすぐに離れてください・・・」
尋常ならざる口調から,遂にまたあの時のような津波が・・・と誰もが思ったことでしょう・・・。


結果から言えば,現時点で観測された津波は最大1mで,被害は殆どありませんでした。
しかし,沿岸部の市町村では避難所が各地に開設され,相当数が避難をした模様です。
前回壊滅状態となったM町など,全町に避難勧告が出されたと言います・・・。
我が街も沿岸沿いの3区に18箇所の避難所が開設されたようです。
8時過ぎに津波警報が解除され,その後避難所は解散となったのでしょうか・・・。


電話は,地震直後は携帯が繋がりましたが,すぐ落ちて1時間ほど不通でしたし,固定電話も同様。
相方からは5分後に電話がありましたが,その後しばらく繋がりませんでした。
1時間後にようやく固定電話が繋がり,上の子の無事を確認できました。
相方はクライアントへの対応に追われたようで,7時半まで勤務が解除にならなかったようで,私が下の子を迎えに行って無事を確認。
その後,実家行って母の無事を確認(耳が遠くて携帯に出ず)して,入院中の父のところへ行き,帰宅したのはかれこれ9時近くでした・・・。
とにかくいろいろなことが有りすぎた1日でしたが,ようやく遅い夕食を摂って,ビールを1缶空けて一息つくことができました。
とにかく大きな被害が無くて良かった。
あのような思いはもう二度と御免です・・・。


それにしても,携帯の緊急地震速報は全く役に立ちませんでした。
地震発生から数分後,多少のタイムラグは有るとはいえ,携帯がほぼ一斉に鳴り渡りました。
地震発生の後に鳴る地震速報なんて考えられません・・・。
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不発弾騒ぎ・・・

2012年10月30日 22時02分34秒 | 時事問題,ニュース

昨晩,我が県の空港の滑走路付近で,不発弾が発見された。
今日は全便が欠航となり,空のダイヤが大混乱したことだろう・・・。
つい先日,所用で行ってきたばかりなので,人ごととは思われない出来事である・・・。


かつて,私が初めてその空港に行ったのは,小学校1年時の遠足まで遡ることになる。
その時初めて旅客機の着陸を見た(全日空のレシプロ4発だったと記憶している。ヴィッカース・バイカウントか??)。
当時,仙台空港という呼称は普及しておらず(何せ,某テーマパーク同様,冠した土地に無いので・・・),私の周りの年配者たちは矢野目飛行場と呼んでいた(名取郡玉浦村矢野目-現岩沼市玉浦地区-に有ったので)。
で,実際に飛行場を利用するようになったのは,80年代最後の年-つまり平成になってからだった・・・。
根多切れを理由に記憶を辿ってみると・・・。

1989年7月末 札幌便(ANA B767-300)
1990年8月初 大阪便(同)
1993年7月末 札幌便(同)復路は,JALの同機
1994年8月初 那覇便(同)
1996年8月初 那覇便(同)
1997年7月末 那覇便(同)
1998年7月末 札幌便(同)
1999年8月初 福岡便(JAS MD90)
2004年1月初 福岡便(ANA B737-500)

・・・となった。
圧倒的にB767-300ばかりなのは,時代のせいだろう。
先日行ったときは,CRJ-200,700といった小型のリヤジェットばかりだった(ASIANA航空のB767-300は居たが・・・)・・・。
因みに,04年1月の福岡便が現時点での最終フライトで,以降関西に行くのもJR利用になったので,もう8年以上飛行機に乗っていないことになる・・・。


・・・で,不発弾である(前置き長すぎ・・・)。
どうやらWWIIの米軍の500ポンド爆弾のようだ。
当時,陸軍航空隊の飛行学校が有ったので(航空大学校の前身か??),それを目標に空爆したのだろうか・・・。

或いは,昭和20(1945)年7月10日の仙台空襲の際に,ついでに落としていったのだろうか・・・。
実際B29が3機,蔵王山系の不忘山に激突して墜落したということもあったので(何と東京大空襲の前後),米軍機の空爆ルートだったのかも知れない・・・。
東京大空襲は仙台空襲の丁度4ヶ月前だから,当時硫黄島の飛行場はまだ米軍が使用していなかったと思われる。
・・・ということは,さらに南のサイパンから飛来したのか・・・などと考えてしまった・・・。


陸上でのことなので,山形の神町から陸自の不発弾処理班がやってきて,処理に当たったので,明日は通常通りの運行になるという・・・。
かつては成田や羽田は勿論,女満別,釧路,函館,帯広,旭川,三沢,新潟,松本,岡山,関西国際,神戸,広島西といった諸都市へのフライトも有ったが,今は私が乗った路線以外では,広島便と中部国際便,そして小松便だけのようだ・・・。
今年は受験生を抱えているので,家族で遠出する予定もなく,飛行機はさらに遠い存在になりつつある。
一度,仙台発の国際便に乗ってみたい気もするが,韓国とか中国,台湾,グァムに行きたいとは思わないので,それも無いだろう・・・。
それより,1日1便で夏は連日満席の那覇便にまた乗ってみたい気もする。
日本海側の海岸線に沿って飛ぶので,抜群に面白かったのは福岡便だったが・・・。
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