koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

「篤姫」第13回:江戸の母君

2008年04月05日 22時14分37秒 | 篤姫

又しても6日間貯めてしまい,ようやく本日の夕方見ることが出来ました。
HDDが結構いっぱいになっており,今日は必要分だけDVD-Rを焼いたので10時間以上空かすことができました。


篤姫が船で離薩したので,酔わないのかと思っていたら,やはり日向灘でゲロゲロしていましたね。
前回は鹿児島湾内だったから,揺れなかったということでしょうか。
で,上京して養父となる近衛忠熙に対面。
近衛役の春風亭小朝の京都弁,というか,公家言葉が妙に填っていて(現地の方からすると多分おかしいのでしょうが・・・),笑いました。
小朝師匠をTVドラマで見たのは,平成初期の「三匹が斬る」シリーズ以来かもしれません・・・。


しかし,船酔い看病と欠伸で幾島との仲がすっかり氷解したようですね。
ハブとマングースのように睨み合ったのに,ずいぶんあっさりと仲良くなったもんだ・・・,とついつい突っ込みたくなりました・・・。
で,後は道中もののようになっていましたが,CG合成とおぼしき富士山に向かってのシーンはやらずもがなだったと思います・・・。
で,江戸では英姫がそれまでの心遣いとは一変した態度に・・・。
多分次回真相が分かると思われますが,そのあたりの史実を知らないあたりが痛いです・・・(汗)。


嘉永6(1853)年というのは,ペリーの浦賀来航があり,我が国にとってもエポックメイキングな年と言えますが,篤姫にとっても激変の年だったのですね。
次回,年が明けて日米和親条約の調印が行われるようですが,それで命を縮めたとしか思われない老中の苦悩と,将軍のお莫迦さ加減,そして篤姫をどう絡ませるのか(絡めようがないか・・・),注目していきたいと思います。


蛇足ながら,番組末の「篤姫紀行」で,今出川とか烏丸,さらには○○下ルといった独特の京都の地名と,東寺の塔と京都タワーに代表される京都駅の風景を見て,何とも言えぬ気持ちになりました。
もう10年以上京都とご無沙汰なので・・・。


「篤姫」第12回:さらば桜島

2008年03月29日 21時31分06秒 | 篤姫

4日貯めて,木曜夜にやっと見ました。
月9も2回分貯めているし,今夜は「しんちゃん」の劇場版録画しているし(するな!!),見るべき番組が貯まりすぎです・・・。


さて,いよいよ篤姫が薩摩を離れることになりました。
離薩にあたり,親族をはじめとする多くの者がやってきて,形式だけの別れの辞を述べますが,武家社会とはやはりこうした形式・様式が重んじられたのでしょう。
幕末の,しかも最も開明的と思われる薩摩ですらそうだったのですから,他藩は言うに及ばず,といったところでしょう。


しかし,陸路ではなく海路なんですね。
あのあたりが今和泉島津家・・・という台詞はちょっと出来過ぎかと・・・。
錦江湾の西側の今和泉沖を船が通るかどうか,という疑問はさておき,たかだか数えで18~9の女性に,それ程の地理感覚があったかどうか,ちょっと怪しい気がします・・・。
それに,結構時化ていたにもかかわらず船酔いはしていないようだし・・・。


後は,やはり尚くんとの思い出の場所である,あの錦江湾と桜島を見下ろせる場所が印象的でした。
今も尚ああした風景を見ることが出来るなら,とても素晴らしいことです。
一度,実際に鹿児島を訪れて,直接自分の目で見たい,と思った人は私だけではないでしょう・・・。


やはり篤姫は鹿児島へは永久に戻らなかったのですね。
維新後,一橋家の庇護のもとに暮らした際にもしかして,と思ったのですが,やはりそんなことはありませんでした・・・。
実は,今回の数年後,寡婦となり落飾した篤姫に,薩摩藩から帰藩の誘いがあったらしいのですが,それを自らの意思で断っています。
完全に自分は婚家である徳川家の者,という自覚があってのことでしょう・・・。


次の尚くんとの再会はあるのでしょうか・・・。
江戸の薩摩屋敷や柳営で遭うことは考えられませんが・・・。
いよいよ,江戸編と京都編のスタートです。
個人的には鹿児島編がもっと見たかった気がしますが,尚くんや西郷・大久保,そして斉彬の動きも輻輳させるでしょうから,しばらくは薩摩の風物を見ることが出来そうです・・・。


「篤姫」第11回:七夕の再会

2008年03月23日 20時16分45秒 | 篤姫

昨日の夜,ようやくビデオ回しました。
となかく一週間近くため込んでしまうと,すぐに次の回が回ってきてしまって,一昨年の「功名が辻」と同様になる恐れがありますので,とにかく貯めないようにしないと・・・(といっても,今年の方がはるかに面白いですけど・・・)


さて,峰もとい尚五郎くんとの再会の段でございました。
こうした余計とも言えるエピソードを入れていかないと,1年間保たないのでしょう。
主人公をとにかく強引に史実に絡めて,さも重要な役割を演じたように見せた「功名が辻」がそうでしたし,その前の「義経」も色恋沙汰を入れていましたから・・・。
ある程度は仕方ないと思いつつも,前二作はそれがどうしても鼻についたのですが,本作と昨年の「風林火山」は脚本が良いからかどうか,そうしたことも割と自然に感じられます・・・。


しかし,斉彬も言っておりましたが,確かに於一こと篤姫は,そっちの方はまだまだだったということでしょう。
尤も,於一も尚くんも嘉永6(1853)年当時,数えで18,満年齢なら17ですから,現代の高校生ぐらいです。
・・・ということは,気付かなくても仕方ないか・・・と,矛盾することを思ったりします・・・。
当然,自由恋愛なんてものは階級社会である武士層では難しいでしょうから,主君や上司,或いは親が決めた相手との縁組みが普通だったわけで,自由恋愛が無いから不幸な時代,とは単純に決めつけられませんが・・・。


それにしても,江戸へ行きたい,という尚くん,未練ですねぇ・・・。
尤も,すっぱり思い切ることができずにいつまでも過去を引き摺るのは,実はいつの時代でも男なのかもしれませんが・・・(をいをい)。
で,その思いを知っているお千賀(本作ではお近)にはすっかりお見通しで・・・。
この2人はまだくっつきませんが(笑),そうなったら尚くんの於一への思いを知っているお千賀は何と心の広い女性なのでしょう・・・。
小松清猷が存命中から養子縁組と縁談は決まっていたのかどうか,寡聞にも存じませんが,末期養子も無いでしょうから,決まっていたと見るのが自然なのかもしれません。
尚くんは肝属家の三男坊ですから,家督に問題ないし・・・。


・・・と,史実に関しては全く述べませんでしたが,尚くんを介して西郷・大久保らが斉彬に認められた,という設定は悪くありませんが,実際のところどうなんでしょうね・・・。
大久保は同年代ですが,西郷は尚くんより一回り以上年長ですし・・・。
それに尚くんが家老になるのは確か文久年間ですし,斉彬の死後弟久光に重用されたと記憶しています。
周知の通り,久光は西郷を忌み嫌って遠島にまでしていますので,どうなんでしょう・・・。
そのあたりも楽しみに待ちたいと思います・・・。


さて,どうしよう,第12回見ようか・・・。
それともメディア断ちしていたスケート見ようか・・・。


「篤姫」第10回:御台所への決意

2008年03月15日 23時07分07秒 | 篤姫

明日次の放送だというのに,6日間HDDで寝かせておいて,今日の午後ようやく見ました・・・。


考えてみると,篤姫が歴史の表舞台に登場したのは(表舞台かどうかわかりませんけど),単純に考えて,嘉永6(1853)年,斉彬の養女となった時に始まり,慶応4-明治元(1868)年の江戸開城,及び大奥解体までの16年間と考え,生涯を俯瞰してみると,以下のように分類されます。

 

①薩摩時代1(1836-53)
②薩摩時代2(1853)                斉彬の養女として,鶴丸城大奥に住す
③江戸藩邸時代(1853-56)
④京都時代(1856.11まで)                 右大臣近衛忠煕の養女となる
⑤将軍家定御台所時代(1856.11-58.7)
⑥天璋院時代(1858.7-1868)             文久2(1862)年和宮降嫁
⑦明治時代(1868-83)                      徳川家達の養育


今は②であり,どうやら再来週あたりに③へ行きそうですが,その間に歴史上の事象や薩摩藩の動きも描かれるし,周囲の人物たちの動向も入ることでしょう。
でなければ,去年の「風林火山」同様,とても1年保たせられませんから・・・。
歴史上の出来事だと,ペリー来航があっさり片付けられてしまいましたが,次は日米和親条約でしょうか。
そして,将軍家定が米使節タウンゼント・ハリスを江戸城中で引見した日米和親条約調印,安政の大獄,咸臨丸渡米,桜田門外の変,寺田屋事件,生麦事件,薩英戦争,八月十八日の政変,池田屋事件,禁門の政変,薩長同盟・・・と続くのでしょうか・・・。


さて,そこで今週の内容ですが,ハブとマングースの対決のような篤姫vs幾島でございました。
書の時,篤姫の「のだめ」攻撃(正確には「もじゃもじゃ」攻撃か?)に全く動じなかった幾島はさすがでございます・・・。
来週は,峰もとい尚五郎くんと最後の再会(多分)をするようですが,ああしたエピソードを入れないと長丁場保たないのでしょう・・・。
ま,面白いので良しとしますが・・・。
・・・と書いてきましたが,今週のドラマの内容がワープロ4行ぶんしか無いや・・・。


「篤姫」第9回:篤姫誕生

2008年03月02日 22時03分21秒 | 篤姫

相変わらずあの饒舌すぎるオープニングのCGが煩雑過ぎる感じで,どうも馴染めません。前々回の「功名が辻」のフルCGも最後まで馴染めませんでしたが(というか10月で見るのを止めた・・・),今回もどうも駄目です。
あの極彩色の篤姫を見ると,どうもグスターヴ・クリムト(1862-1918)の絵を思い出してしまいます・・・。


いやー,松坂幾島怖いですね・・・。
去年の今頃見ていた「エラいところに嫁いでしまった」での,谷原磯次郎義元の母親役も妙な恰幅の良さと凄みがありましたが・・・。
ただ,幾島が篤姫に付いたのは,将軍家定室として江戸城に入った際に近衛家から共に・・・と記憶していたのですが,いかがなものでしょう・・・。
考えてみると,高橋英樹と松坂慶子のコンビというのは,73(昭和48)年の「国盗り物語」以来かもしれません。
薙刀の殺陣が今二つと感じましたが,寡聞にして存じませんが,薩摩示現流というのは薙刀にもあるんでしょうか・・・。
あの独特の「きぁー」という猿叫は示現流のものと思ったので・・・。


あとは,小松清猷偉いですね。
西郷・大久保が斉彬に引き立てられた背景に,峰もとい尚くんの存在が大きい,という設定は分かりますが,清猷がそれに必然性を与えたということでしょうか・・・。
・・・にしてもお千賀(お近)と尚くんの接点が今回も見えませんでした・・・。


そして,遂に斉彬が真意を幾島に告げましたね。
しかし,望まれていた,とは到底思われず,幕府内での権力強化のために斉彬が工作してのことでしょう・・・。
来週は,いよいよ篤姫が斉彬の真意を知ることになりますが,額面通り斉彬は篤姫を利用したということでしょう。
それにしても,当時は鶴丸城からはあのように桜島御岳が見えたのでしょうね。
私が15年前に訪れた時は,生憎の天気で勇姿を認めることができませんでしたので,いずれ機会を見て鹿児島を訪れてみたいものです・・・。


「篤姫」第8回:お姫様教育

2008年02月25日 21時11分25秒 | 篤姫

いやー,予想通り鶴丸城大奥奮闘記でした。
「吾を誰と心得る!!」
で,思わずこっちもびびりました(笑)。
近衛家から派遣された幾島が登城した場面では,背後に稲妻が走り,思わず吹き出してしまったのは,私だけでしょうか・・・。


当然と言えば当然ですが,将軍の妻となる女性が,外様大名の養女(しかも分家の出)では釣り合いが取れない,ということで,於一は京の公家の中でも名門である近衛家の養女となるわけですが,近衛家は財政的に島津家に頼っているようです。
禁中並公家諸法度によって,禁裏の力は幕府によって抑えられましたので,室町時代ほどではないにしても,公家の生活は決して華やかなものではなかったということでしょう。その分,公家には名家の意識や格式があるでしょうから,幕政にもの申す島津家としては,近衛家との折衝は意義があったと思われます。
また,外様の島津を抑えるほど幕府には力がなくなっていた,とも言って良いかと思います。


遂にペリーの浦賀来航となりましたね。
埃にまみれた先祖伝来の大鎧を持ち出したり,大筒のダミーに釣鐘を使ったりといった幕府の海防のごたごたが見られるかと期待したら,あっさりとスルーでした。
ペリーが琉球に立ち寄った情報を,果たして幕府が掴んでいたかどうか甚だ怪しいですが,清が英国の言いがかりでぼろくそにやられたアヘン戦争の事実を幕府は押さえており,鎖国の限界と開国による国防を考えていた,ということですから,我が国が欧米列強の食いものにされなかった布石は,やはり老中阿部正広をはじめとする幕閣の英断があってのこと,と思われます。
ま,今も昔も変わらぬアメリカの砲艦外交にしてやられた感もありますが,その後50年で条約改正にこぎ着けた先人たちの偉業を讃えるべきでしょう。


・・・ということで,次回は幾島vs篤姫の女の戦いが見られそうです。
そして,斉彬が遂に本音,というか篤姫こと於一に課す使命がはっきりするようで・・・。


「篤姫」第7回:父の涙

2008年02月18日 20時28分19秒 | 篤姫

しかし,早いものでもう7回ですか。
今年も2ヶ月終わろうとしているし,一週間が長く感じられるものの,終わってしまえばあっという間で・・・。


娘を見送る父親の心境ってのは,さすがに未だ味わったこと有りませんが(当たり前だ),今回は,そんな父娘(或いは家族)の別れの話で,ついつい感情移入しちゃいました・・・。殊に,封建社会に於いては,ああした養子(今回は養女か)縁組の際,身分がすっかり変わってしまい,親子とはいえ主従関係になってしまいますし,同じ藩内とはいうものの二度と会うことはかなわない訳ですから,辛い別れであったことは容易に想像できました・・・。


峰,もとい尚くんは,お気の毒に今回も針の筵でしたね・・・。
ま,囲碁の相手とはいえ,藩主の分家に簡単に出入りできたり,妙齢の女性と会ったりすることが可能だったとは到底思われませんが・・・。
「貴方には,人の思いなど理解できませぬ・・・」
といった台詞が痛々しかったですが,理解どころか気付かぬ,否,憎からず思っていても尚くんを到底男として認知してないのでは,と思われる於一だけに,一層哀れです・・・。この2人に皮肉な再開はあるのでしょうか・・・。
そして,尚くんと千賀はどうやって結ばれるのでしょう・・・。
そんなことのみに興味が行ってしまいそうですが・・・。


米国太平洋艦隊提督であったペリー(ペルリ)の浦賀来航は,2年後の嘉永6(1853)年のことですが,以前から斉彬や幕閣がそれを予知していたとは思われません。
勿論,19世紀末から異国船の来航は後を絶たなかったわけですが(天保年間の薪水給与令なんてのもあった),ペリーとか時期を同じくして来貢したロシアのプチャーチンとかの名が既に知られていたとは考えられないのですが・・・。
水戸斉昭は頑迷な攘夷主義者として描かれていたようですが,実際のところどうだったのでしょう。
洋夷に神国の土を踏ますな,といったのが攘夷思想でしょうが,だったら軍艦製造を献策したりしないのでは・・・,と思ってしまいました。
ということは,やはり只の攘夷主義者ではなかった・・・,ということでしょうか・・・。


さて,来週は鶴丸城島津御殿物語のようです。
深刻な場面があまり無いのが,この番組の良さだと思いますが,このままもう少し薩摩編を引っ張って欲しいものです。


「篤姫」第6回:女の道

2008年02月11日 18時38分51秒 | 篤姫

峰,もとい尚くん,玉砕の巻でございました。
相手の知らないところで終わってしまうというのも,ある面辛いものがありますね・・・。
その後2度にわたって会うことになるとは針の筵でございます。
好きな女性から貰った酒飲んで,西郷の祝言の席でべろんべろんになるのも,ある面無理なきことかと・・・。
しかし,ああしたちょい情けない役柄はぴったりですね。
映画版「電車男」の引きこもり青年役も好演でしたし・・・。


後半は,斉彬に対面した於一が,自らの意志で養女となるくだりでした。
運命と時代の波に翻弄された感のある篤姫が,自らの手で人生を切り開いていく,というのが,多分本作のコンセプトなのでしょうから,今回のようなエピソードを入れたということなのでしょう・・・。
しかし,実際のところ,どうなんでしょうね・・・。
私自身,前にも述べましたように天璋院篤姫の生涯に関しては,何の知識も持ちませんので,推測・憶測の域を出ませんが,斉彬のお眼鏡にかなったというのは多分事実でしょうし,対将軍家対策として養女を送り込むことは,ギネス記録保持者である11代将軍家斉の奥方の前例もありますので(島津家出身で,家斉は比較的長生きした),将軍継嗣問題に絡む斉彬の江戸城中大奥に打ち込む楔だつたということでしょう。
当然のことながら,将軍家定の正室にするには,島津本家養女でも家格が低すぎる,という批判があったことでしょうから,近衛家の養女としたのでしょうし,宮尾登美子さんの原作では斉彬の密命を受けて・・・という設定らしいです(読んだこと無いので詳しくは分かりませんが・・・)。


ただ,不幸なことに,篤姫の周りの人々は,皆足早にこの世を去っていきます。
父忠豪,斉彬,長兄忠冬,小松帯刀,そして西郷に大久保・・・。
そうした中で,江戸城中にあって孤軍奮闘,自らの人生を切り開いていったと思われる篤姫の生涯は,この後どう展開するのでしょうか・・・。
まだしばらく薩摩編は続きそうですが・・・。


尚くんが,万次郎や千賀と歩いた(そして簡単にべらべら喋ってしまった)海岸は一体何処なのか,ちょっとばかり気になりました。
薩摩半島のいずれかの浜,と考えるのが妥当でしょうが,ロケ地に下田市が入っていましたので,島嶼の多い複雑な地形はむしろそちらかと・・・。
蘇鉄などの亜熱帯植物は,伊豆半島でも十分育つでしょうから・・・。


「篤姫」第5回:日本一の男

2008年02月04日 22時18分34秒 | 篤姫

いやー,5回見ちゃいました・・・。


お気の毒に・・・ってのは次回か・・・。
峰もとい尚五郎くん,遂に玉砕覚悟で突入しちゃいましたね。
西郷と大久保も大真面目に唆したので,逝っちゃいました・・・。
なかなか微笑ましい青春群像でございますが,当人はたまらんでしょうな・・・。
私なんかもう久しくそうした思いしていないし(当たり前だ),これからも無いことを祈るばかりですが,1年間どうやって保たせるかと思いきや,どうも序盤は幕末薩摩青春グラフィティのようでございます。
こうなったら篤姫の案内で,私の苦手とする幕末維新史をおさらいしようか,などと思ってしまいます。


1853(嘉永6)年  於一,斉彬養女となり篤姫と称し,江戸藩邸へ。
                    ペリー,浦賀来航。
   54(安政元)年  父忠剛没。
                    日米和親条約締結。
   56(安政3)年  篤姫,右大臣近衛忠煕の養女となり,将軍家定室として輿入れ。
                    小松清猷,琉球にて急逝。尚五郎,小松清猷妹千賀と結婚。
   58(安政5)年  将軍家定没。落飾し天璋院と称す。
                    島津斉彬没。日米修好通商条約締結。
  59(安政6)年   兄忠冬急逝。三兄忠敬が家を継ぐ。
                    安政の大獄。
   60(万延元)年   桜田門外の変。咸臨丸渡米。
  62(文久2)年   坂下門外の変。寺田屋事件。和宮降嫁。生麦事件。
  63(文久3)年   薩会同盟。薩英戦争。八月十八日の政変。
   64(元治元)年  池田屋事件。禁門の政変。


・・・と書いたところで飽きてきました・・・。
間もなく江戸編,京都編,そして大奥編と続いていくと思われますが,それと薩摩藩の動きを輻輳させていくのか,それとも小松・西郷・大久保は,江戸城無血開城まで出てこないのか(竜馬が出てくるということは,やはり薩摩藩自体の動きも描かれるのでは・・・),ストーリーブックを買わないと分かりません・・・。


いずれにしても,斉彬によって歴史の奔流に放り出された感がある篤姫ですが,どのような生き方をするのか,いよいよこれからが本番,と言えそうです・・・。


「篤姫」第4回:名君怒る

2008年02月02日 23時23分34秒 | 篤姫

6日間HDDで眠らせて,今日見ました。
どうも連続ドラマをまめに見ていくのは苦手です・・・。


しかし,毎回思うのですが,脚本がうまいのでしょうか。
小気味良いテンポでさくさくとストーリーが進むせいか飽きません。
毎度毎度登場の鹿児島名物である甲突川五石橋の一つですが,一体何処にあるのか地元の方に聞いてみたいと思います。
また,あの鶴丸城も本物を使ってのロケーションではないでしょうか・・・。
あとは,於一と峰のツーショットの際に必ず使われる場所-錦江湾と桜島御岳が見事な-は一体何処なのでしょう・・・。
実際,私のような鹿児島とは縁もゆかりもない者にとっては,嘉永年間の薩摩藩の事情など知る筈もなく,それこそ中学校の教科書程度の知識しか無い訳ですから,一つ一つの事象や馴染みの薄い薩摩の風物がどれも新鮮に思われてきます。


今回は,何と言っても題名にもある通り,高橋斉彬に尽きます。
平成2(1990)年放送の「翔ぶが如く」では以前も述べたように弟の久光役で,時節の見えない莫迦殿ぶりが結構様になっており,最終回(だったか,西郷が城山に果てた1つ前だったか),鹿児島城下で盛大に打ち上げられた花火をバックに虚しく高笑いをする場面が印象的でしたが,今回もまた圧倒的で,他の演技陣が霞んでしまう程でした。


多分,私が初めて高橋英樹の演技を見たのは,昭和43(1968)年の大河ドラマ「竜馬がゆく」の武市半平太役だったと思われますが(明治100年記念作品だったのかどうか・・・),多分次が翌年の「鞍馬天狗」,そして昭和48年の「国盗り物語」(織田信長役)だったと思います。
「けんかえれじい」や「伊豆の踊子」での二枚目ぶりを見たのはずっと後年のことで,とにかく派手な殺陣と押し出しの強い圧倒的な存在感を常に示してきた大物俳優です。
で,こうした殿様役も,浪人髷も似合う希有な役者ではないでしょうか。
私より上の年代の世代だと,「旗本退屈男」,「おらんだ左近事件帖」,「編笠十兵衛」といった70年代の作品に胸躍らせながら見入った記憶がある方も多いのではないでしょうか・・・。
尤も,時代劇スター高橋英樹の名を完全なものにしたのは,やはり70~80年代にかけての「桃太郎侍」(放送中に原作者が亡くなりましたが,原作とは全く違う代物でした)と,それに続く80年代後半の「三匹が斬る」だったと言えましょう。
とにかく,藩主となって初の登城場面や於一との出会いの場面は,演技も存在感も抜群で,改めて感心させられました・・・。


ま,島津斉彬が開明的な名君であったことに異論を挟むつもりは全くありませんが,先代が調所を登用して藩の財政を引き締めにかかったことを思うと,西洋かぶれだった斉彬を先代が敬遠した理由も分からなくはありません。
ただ,斉彬の治世は嘉永から安政にかけてのわずか数年だったのですね。
晩年は越前候の松平慶永(春嶽)や宇和島候の伊達宗城,水戸候の徳川斉昭(烈公),土佐候の山内豊信(容堂)とともに四賢候と呼ばれましたが(保守的で,勤王党を弾圧した容堂は賢候かどうか私にはわかりません・・・),もう数年の寿命があったら,公武合体を強力に推し進め,違った形の倒幕が成ったかもしれません。


・・・ということで,明日の第5回が楽しみです。
今度こそ峰,もとい瑛太くんが主役のようで・・・。
え゛,中浜万次郎が出てくる・・・???
薩摩に来たんか・・・と思って調べたら,確かに嘉永5(1852)年の帰国の際に,琉球から鹿児島に立ち寄っていました・・・。


「篤姫」第3回:薩摩分裂

2008年01月21日 19時51分29秒 | 篤姫

全く期待せず,最初ぐらい見てやるか,ぐらいの気持ちで見始めたのですが,これが結構イケるのでついつい第3回も見てしまいました。
篤姫こと天璋院の生涯を思うと(と言えるほど詳しくないのが痛いですが・・・自爆),決して幸福なものではなかったと思うだけに,本作の天衣無縫なキャラクターが際立っているような気がします。
宮崎あおい嬢は,私のタイプではなく(をい),少々舌足らずで(失礼),およそ大名家の姫君に似つかわしくないと思うのですが,十分な熱演でついついにやりとさせられます。
全編に明朗な風気が感じられるのは,暖国薩摩だからでしょうか・・・。


そもそも生粋の東北人たる私にとって,今となっては薩長土肥いずれもが言わば敵国で,明治維新を全面的に正義である,とは認めない頑迷固陋な精神を未だに標榜しているので(何を100年以上前のことに拘るのか,と言われるのを覚悟の上で),明治新政府発足時の施策を全面的に是とする筈もないのですが,攘夷の不可能と無意味を悟った薩長の方針は慧眼だったと思います。
隣国の清や李氏朝鮮が欧米列強の(そして後に日本の)標的になったのに対し,我が国は不平等条約の改正を行い,決して欧米列強の言いなりにはならなかった訳ですから(戦後は「米」の言いなりですけど・・・),昨日の放送から10年後の薩英戦争や4ヶ国艦隊下関砲撃を経て,攘夷を捨てたのはやはり正解だったというべきでしょう(故に軍閥ができて,先の敗戦に繋がった,との意見もありましょうが,それはまた別の問題で・・・)。


ま,突っ込みを入れれば,殿様ご一門の妙齢の姫君が自由に藩内を歩き回るなど,儒教道徳に雁字搦めにされていた当時としてはあり得ないでしょうし,同年代の男と碁に興じたり,下級藩士の家を訪ねたりすることは尚更考えられません。
おそらく,後年西郷・大久保が思い通りに政治活動ができた背後には,当時の家老小松帯刀の力があり,勝と西郷による江戸城無血開城の裏には天璋院の存在が,ということを裏打ちさせるための伏線を張っているのでしょうが,ちょっとあざとい感じがします。
ついつい,一昨年の「功名が辻」で,一豊を歴史上の重要な事件に絡ませたことを思い出してしまいます・・・。


「お由羅騒動」があっさり片付けられたのは意外でした。
どうしても斉彬父の斉興が悪者にされがちですが,調所広郷を登用して藩の財政を引き締めにかかった斉興一派にとって,祖父重豪の影響で西洋かぶれと言われた斉彬が世襲すると,引き締めにかかった財政が浪費されることを怖れたというのが真相でしょう。
その点,江戸詰で幕閣に顔が利き,老中阿部正広とも懇意な斉彬の方が上手だったということではないでしょうか。
因みに,斉興をしきりに色香で惑わしている感のあるお由羅の方ですが(出自は江戸の町娘とも・・・),寛政7(1795)年の生まれですから,嘉永4(1851)年当時57歳で,斉興の4つ下になります。
ちょっと無理のあるような・・・。
いずれにしても,大久保の父利世が喜界島に流刑になり,世継ぎの一蔵をはじめ,一族が閉門の罰を受けたことには触れられていましたが,この事件で西郷が受けた衝撃については殆ど語られませんでした。
その辺りをもっと丁寧に作って貰えたら,と,ついつい思ってしまいました。


いやー,峰もとい瑛太くん,今回も頑張っていました。
女に甘い役は抜群ですね・・・って,峰も同じか・・・。

 


記事とは全く関係有りませんが,たった今,元大洋の加藤博一氏の訃報を知りました・・・。
最近TVで見かけなくなり,あんな逸材を・・・と思っていた矢先でした・・・。
残念極まりありません・・・。
合掌・・・


「篤姫」第2回:桜島の誓い

2008年01月15日 22時57分47秒 | 篤姫

薩摩と言えば西郷や大久保,或いは人斬り半次郎と怖れられた桐野利秋に田中新兵衛,陸軍の重鎮でもあり大村益次郎暗殺の黒幕疑惑もある海江田信義(有村俊斎),もうちょっと後だと黒田清隆とか東郷平八郎,といった名前が浮かびますが(西郷弟の従道も),小松帯刀という名は彼等ほど一般的ではないかもしれません。


幕末の薩摩は,長州のように藩ぐるみで暴発したり土佐のように勤王派を露骨に弾圧したりせず(文久2年の寺田屋事件のようなことはありましたが),親藩の会津藩と手を結んだかと思うと,坂本竜馬の斡旋で長州との同盟を果たして倒幕の急先鋒に転じたり,と,常に怜悧な計算でしたたかに幕末維新を乗り切った印象があります。
こうした維新回天の業績は,ついつい島津斉彬が素地をつくり,彼が下級武士から登用した西郷と大久保が完成させたと思いがちですが,薩英戦争で攘夷の不可能を悟り公使パークスを通じて英国に近づき,国力を高めることで勤王第一藩として西郷・大久保が自由に動いて存分に力を発揮することができた陰には,家老であった小松帯刀の名を忘れることはできないと思います。


「薩長同盟・大政奉還・・・,ありゃ竜馬が一人でやったことさ・・・」
と,竜馬の師匠ともいうべき勝海舟が維新後に述べた話が伝わっています。
確かに,犬猿の仲にして仇同士でもある薩長が同盟して倒幕に当たる,というのは,日本史上の奇跡と言って差し支えないと思いますが,その竜馬が元治元(1864)年の禁門の政変以来長州藩の桂小五郎とともに,新撰組や見廻組にとってブラックリスト級のお尋ね者となった際に,京阪での活動を円滑にしたのも小松の後ろ盾あってのことでした。


小松帯刀-本名は清廉,尚五郎。
天保6(1835)年薩摩国下原良村にて上士肝属兼善の三男に生まれ,安政3(1856)年,前年に琉球を視察中に客死した小松清猷の養子となる。
やがて島津久光にその才を見出され,力を奮うことに。


今回も,於一に振り回されるかなり情けない役柄での登場でしたが,峰くん,もとい瑛太くんは,こうした役柄がぴったり填っていました。
ま,西郷吉之助(小澤Jrは父と違ってごつくて○)や大久保一蔵(原田泰造かよ・・・)との接点に関しては作りすぎのきらいもありますが,こうした人物に焦点を当てるのも良いかもしれません。
慶応4(1868)年3月,江戸を戦火から救ったのは,品川の薩摩屋敷に於ける勝と西郷の会談であったことは有名ですが,おそらく西郷のバックに小松が,そしてその小松と幕府高官の勝の背後に於一こと天璋院があった,という設定にもっていくのでしょうが,前回のナレーションにあった,於一がやがて日本を救うことになる,というのはちと大袈裟というか,言い過ぎのような気がします・・・。 
調所が服毒自殺したのは史実通りでしたし,琉球の抜け荷や偽金造りの全責任を被って薩摩を救ったという設定も悪くありませんでした。
しかし,如何に上士とはいえ,妙齢の男女が頻繁に会ったりすることがこの時代可能だったとは思えないのですが・・・。


突っ込みついでに,もう一つ。
本編終了後の小松帯刀屋敷の紹介の際,小松が「寺田屋事件」で負傷した坂本竜馬を鹿児島へ招待した,とありましたが,招待は事実としても,「寺田屋事件」とは京都近郊の伏見の寺田屋で,文久2(1862)年4月に薩摩藩尊攘派志士が藩主久光の命で粛正されたことを指すものと思っていました(筆者註:久光は藩主ではなく,久光の子忠義が藩主でした。1/22)。
TVで語られたのは,慶応2(1866)年1月に薩長会盟という大事業を果たした竜馬が,長府藩士で小槍の名手として知られる三吉慎蔵とともに同じく伏見の寺田屋に投宿中,新撰組をはじめとする幕吏に踏み込まれ,短銃で応戦した際に左手親指を負傷したものです(手前味噌ですが,こちら参照)。
で,これを果たして「寺田屋事件」と呼ぶのでしょうか・・・。
呼ぶとしたら「寺田屋事件」二度あったことになります・・・。
このあたりは,識者の見解を聞きたいところです・・・、。


次回は,いよいよ「お由羅騒動」でしょうか。
どのように薩摩が分裂するのか楽しみです・・・。


「篤姫」-第1回:天命の子

2008年01月13日 21時47分46秒 | 篤姫

鹿児島を訪れたのは,空港でのトランジットを除くと只一度,今から15年前の3月末になります。
東京から寝台特急「富士」をつかまえ,目が覚めると早春の柔らかな光を海面に散らす別府湾が見え,日豊本線沿いにリニアモーターカーのテストコースを見ながら極めてアクセスの悪い日豊線を薩摩入りしました。
残念ながら南九州は天気が悪く,噴煙をあげる桜島御岳を控えた「東洋のナポリ」と言われる鹿児島の佇居を感じることはできませんでしたが,鶴丸城や磯庭園・天文館通等を市電で見て回りました。
そして,その日は最南端のJR沿線の指宿温泉に投宿。
途中の今泉駅前には,今和泉島津家の屋敷跡が残されていることなど,全く知らずに・・・。


・・・ということで,HDDに一週間貯めたままだった「篤姫」の第一回を本日昼にようやく見ました。
だいたい,「あつひめ」なのか「とくひめ」なのかも怪しかった私ですし,和宮と混同していた(出身が違うやん)時期もあったり,天璋院のことだと知ったのはいい年になってからだったり,と,昨年の「風林火山」以上に予備知識が不足(というか殆ど無い)していますし,原作も読んでいない(多分今後も読まないと思う)上に,主役である宮崎あおい嬢(先頃ご結婚されたので,嬢はないか・・・)にも関心がありませんので,時代背景や当地の風物について語ったり,考証に突っ込みを入れたりするのは苦しいと思われます。
ま,その分,余計なこと考えずに見られたというメリットはあったかもしれませんが,正直言って全く期待せずに見ました。


於一こと篤姫が生まれ育ったであろう今和泉島津家の屋敷からは,陽光に輝く錦江湾が見えましたが,ロケーションを考えると全くその通りだったのでしょう。
冒頭の,桜島を望む石橋と鹿児島の城下の遠景は実にうまく撮影されていましたね。
あの石橋は,甲突川五石橋のいずれかなのでしょうが(地元の方ならすぐお分かりでしょう),私が訪れた年の夏に2つが台風による出水で流されて,残り3つが公園に保存されていたことを,確か内田康夫著「黄金の石橋」で読んだ記憶があります。
また,雨裂や溶岩流の痕が生々しく残る桜島の山肌も実によく捉え,雰囲気を盛り上げていたと思います。
タイトルバックの映像が「風林火山」と違って「功名が辻」に近いフルCGなのは個人的に×です。
花や蝶に篤姫の画像,と煩雑すぎる印象です。
やはりCGは最低限に使用すべき,との感を強くしました。
曲は,ご当地出身の吉俣良。
実は,「マチベン」も「プライド」も「Dr.コトー診療所」も見たことのない私にとって(あ,「プライド」1回だけ見たか・・・),未知の作曲家ですが,甘口ながらなかなかのメインタイトルだったかと思います。
ただ,私が勝手に思いこんでいるだけでしょうが,歴史に翻弄された感のある篤姫の生涯を思うと,ちょっと明るく爽やかに過ぎるような気もしますが・・・。
指揮が井上道義というのも意外でした・・・。


で,内容ですが,何の予備知識も期待も無く見たせいかどうか,面白かったです。
1時間があっという間でしたし,次回(今日)も見ようという気にさせられました。
長束京三(於一の父,島津忠剛),長門裕之(当主島津斉興),涼風真世(お由羅),ご当地俳優の山口祐一郎(島津久光),平幹二朗(調所笑左衛門),榎木孝明(肝属兼善),阿部正広(老中,草刈正雄),そして高橋英樹(島津斉彬),といったヴェテラン陣が揃っていたので見栄えしました。
高橋英樹は,平成2年の「翔ぶが如く」では弟の久光役で,なかなかの莫迦殿ぶりでしたが(斉彬役は加山雄三),今度は英明な君主役で適役と言って良いでしょう。     
最近出まくりで,映画の主役まで務めるという瑛太くん(裏軒の峰とも言う)は,こうしたちょい頼りない役柄が合いますね・・・。                                    


次回は,琉球での抜け荷問題・及びお由羅騒動で調所が詰め腹切らされる(史実では服毒自殺らしい)のでしょうか・・・。
急進的な藩政改革を推進したことで,苛烈な簒奪者というイメージが強く,お由羅騒動でも久光擁立に回ったことで悪役イメージが強い調所ですが,どう描かれるのでしょう。
個人的には,長州の村田清風とともに藩政改革成功の立役者というイメージが高校の教科書以来有り(藩の負債の額は薩摩が圧倒的ですが),維新の原動力は調所によって養われたと考えると,再認識を必要とする人物と思うのですが・・・。


さて,第2回見ようか・・・。