koshiのお部屋2

万年三歳児koshiの駄文のコーナーです。

オリジナル・オープニング・・・

2014年02月18日 21時29分21秒 | 風林火山


昨日,演奏シーンの動画を紹介したのですが,やはりオリジナルのオープニングが見たくなったので・・・。
何故か,スペイン語の字幕が何とも言えませんが,7年前の日曜夜の興奮は伝わってきます。

黒い甲冑に身を固めた武田軍の雄姿,キャスト紹介のバックは「風林火山」の旗,神の如き転調の場面での,南アルプスの空中からの俯瞰。
雲湧く山並みと滝,そして木漏れ日と湖面に映える月・・・。
百足衆のシルエットと,炎を背景にした甲斐善光寺とおぼしき不動明王像。
興奮が最高潮に達し,再現部へなだれ込む直前,武田菱(割菱)の征旗がさっと立てられ,粛然たる騎馬軍団が現出する格好良さ・・・。
CGを最低限に抑えた,アナログ的なタイトルバックの秀逸さに,今も熱くなります・・・。
う~ん,やはり個人的には,連邦よりジオン・・・じゃなくて,上杉より武田だな・・・。秀逸な大河のオープニングは,過去に幾つかありましたが,これもかなり出来がよいと思うのですが・・・。
少なくても,ここ数年の作品としては,内容もオープニングも◎と思います。
赤い御服のがっくんも(ここでは法体のようですが),またご愛敬ということで・・・。


「風林火山50-決戦!!川中島」

2007年12月19日 22時30分51秒 | 風林火山

残念なことに,遂に終わってしまいました。
終わってみれば,1時間枠の最終回だったにもかかわらずあっけない感じが残りましたが,何だかんだで1年間楽しませてもらいました。


川中島のロケ地は何処なんでしょうね。
タイトルバックにある何処かなんでしょうけど,なかなかああした何もない丘陵地帯というのは,本州ではなかなか見られないかもしれません。
ただ,千曲川西岸から犀川南岸にかけての川中島は,私が現地で見た限りはあれほどの起伏は感じられない平原でした。
逆に海津城は千曲川東岸の段丘上に築かれたので,東側の菅平や四阿等上信国境の山々に続く斜面となります。
したがって,海津城(松代城)方面こそ丘陵地帯になると思います・・・。


それにしても,だだっ広い丘陵地帯だけに,上杉軍の陣容がやたらしょぼく見えたり,礼の「三太刀七太刀」の場面なんか,武田の本陣が信玄以外誰もいなくなったところを襲撃されるし,襲ってきたガッくんは単騎で丘陵のてっぺんに立っているし,もう突っ込みどころ満載でした。
予想通り,勘助の最期に平蔵が絡んだのは予想通りでしたが,ちょっと長々と引っ張りすぎのような気もしました。
勘助に,討てと言われた平蔵が背中に矢を受けて一撃で倒れた,と思いきや,生きて戦場を北に向かったり(最後は力尽きたと思われますが・・・),鬼美濃助けたおばばが戦場稼ぎにうろうろしていたり,変なの・・・という印象でした。


で,第四回川中島の会戦はどっちが勝ったのか,ということですが,前半上杉・後半武田の勝ち,とよく言われるところです。
武田は,啄木鳥戦法の失敗により,勘助・信繁・両角を失っているので,上杉軍の誰か(はて柿崎だったか齋藤だったか・・・)が言ったように上杉の勝利と見る向きもありますが(現に上杉軍は善光寺で勝ち鬨を上げている),激戦地だった八幡原から退却しているわけでもあり(武田軍が八幡原に残り勝ち鬨を上げたのは史実通り),やはり戦術的には引き分けと見るのが妥当ではないかと思います。
そして,善光寺平の大半は武田領となったのですから(数年後に飯山城の攻防があったような・・・),戦略的には武田の勝利と言っても差し支えないのでは,と思います。
にしても,勘助と人格者として知られた典厩,歴戦の強者である両角豊後を失ったのは大いに痛いです。
その前の割ヶ嶽城攻防で鬼美濃も重傷を負って,引退(3年後没)を余儀なくされましたし・・・。


その後の武田家について最後にありましたが,永禄~元亀~天正にかけて,義信と飯富が組んで信玄追放を画策し,義信が東光寺に幽閉されて怪死を遂げる(病死とも自害とも)という内訌を経て,武田家は最後の光芒とも言うべき版図拡大を図ります。
その結果,駿河ほぼ全域と西上州を領有し,東美濃の一部へも侵出。
上杉に次いで小田原城を囲んだことも,よく知られています。
そして天正元(1573)年の西上。
自分が今川義元と同様に,二度と故地を踏めないであろうことを信玄は予見していたのでしょうか・・・。


勘助亡き後,武田家の重臣として重きを為したのは馬場信春(教来石改)と山県昌景(飯富の弟),そして高坂弾正だったのでしょうか・・・。
板垣・甘利→勘助・飯富→馬場・山県といった具合に武田家臣団も世代交代が進み,由布姫の子である四郎勝頼の代で天目山田野の露と消えるのは周知の通りです。
そして,勝頼を滅ぼした織田信長も,その二ヶ月後にこの世の人ではなくなるのですから,何と言ったら良いのでしょうか・・・。


武田家は天目山で滅んだのでしょうか・・・。
勝頼のその他の兄弟たち-油川夫人や禰津御寮人の子たちはどうなったのでしょうか・・・。
それもいずれ機会を見て書いてみたいものですが・・・。
そして,幸隆の後の真田一族の興亡についても興趣が湧くところです・・・。


「風林火山49-死闘川中島」

2007年12月09日 22時41分47秒 | 風林火山

ラスト二話。
録画しつつ冒頭から再生できるのがHDDの強みです。


いやー,面白かったです。
霧の晴れた川中島で対峙する上杉軍がしょぼかったり,典厩信繁が何故か柿崎に討たれたり,妻女山から見た海津城がどう見ても千曲川対岸に位置しているようにしか見えなかったり(松代PA付近で千曲川は蛇行するので,海津城は川の右手-東方に見える筈です),と,突っ込みどころは有りましたが,ハイテンションを持続したまま進行するので,ついつい見入ってしまいました。


私が川中島を訪れたのは若い時,というよりまだ10代の半ばでしたので,信玄の本陣があり最大の激戦地となった八幡原付近は,のどかな田園風景の中にありました。
その後,長野市のベッドタウンとなったり,オリンピックがあったりと,付近の様子も随分変わったようです。
オリンピックのメインスタジアムだったビッグハットも近いですし,北東部には昨年のNHK杯が行われたホワイトリンクもあります。
また,史跡公園となった八幡原にはいつの間にやら市立博物館もできていました。


松代を訪れたのは,その10年後でした。
折しもNHKの水曜時代劇で「真田太平記」が放映中で,松代の市内を見た後上田に行った記憶があります。
2月半ばの真冬でしたが,善光寺平に射す日差しは暖かく空気が乾燥して澄んでいたせいか,白銀を頂く飯綱・戸隠の山々が綺麗に望めました。
あのあたりも,高速が通り松代PAやら長野ICができて,すっかり様変わりしたことでしょう。


今回は,典厩信繁と両角豊後守の討死に尽きますね。
史実と整合するかどうか(柿崎に討たれたのは??)極めて疑問ですが,見事な演技でした。
確か,信繁を討たれたのは義信の失態である,と記憶していたのですが,義信は全く出番が無かったですね・・・。
いずれにしても,今回の大河魅力はとにかく俳優に実力派を揃えたところにある,ということを再認識しました。
加藤武さん,本当に素晴らしい演技で,見ていてついつい熱いものが込み上げてきました・・・。。


ま,がっくんはワンレンのままだろうと予想した通りでした。
せめて白い頭巾被って欲しかったですけど・・・。
亀信玄は考証通り諏訪法性の甲冑を身につけていましたし,来週の「三太刀七太刀」の場面は,多分勘助討死後にもかかわらず放送されるようですね。
通常の甲冑を着けた有髪の信玄・政虎が斬り結んでいたという滅茶苦茶な設定にもかかわわらず,空前の視聴率だった「武田信玄」とは大違いです。
尤も,大将が単身敵陣に斬り込むなどということは通常は考えられないので,どうも後世の創作であるような気がしてならないのですが・・・。


勘助は鉄砲で撃たれて最期を遂げるようですね。
原作とはかなりかけ離れた内容になりそうですが,そもそもこの番組自体が三条ちゃんを可憐で夫思いに,諏訪御寮人は気丈にと,既成の概念を完全に崩しているわけですから,それも宜しいかと・・・。
あと1回。
久々の大河視聴コンプリートがかかっています・・・(昨年の「功名が辻」,HDDの中ですが見る気無し・・・)。


「風林火山48-いざ川中島」

2007年12月03日 20時54分24秒 | 風林火山

このエントリ,実に久々でございます。
前のエントリが9月3日でしたので,何と3ヶ月ぶりです。
その間に,史実だけを辿っても油川夫人問題,由布姫逝去,太原雪斎逝去,勘助・晴信・幸隆出家,甲駿相三国会盟,桶狭間の戦い,上杉勢小田原攻城戦,そして第1~3次川中島会戦(以上順不同),と,すっかり佳境に入り,いよいよ永禄4(1561)年の最大の激戦である第4次の戦いへと進みました。
確か全50回ということだったと思いますので,何とあと2回を残すのみとなったんですね。
正直言って来年放送の「篤姫」は全く見る気がしませんので,「風林火山」が終わってしまうのが残念でなりません。


さて,しばらくエントリしていない間に,勘助(もとい道鬼か)も信玄もすっかりスキンヘッドが板に付きましたね。
似非入道ぶりがなかなか様になっています。
唯一真田幸隆だけが似合わないように思うのは私だけでしょうか・・・。
がっくんの変な景虎(もとい上杉政虎)にもだいぶ馴らされた感じです。
そう言えば,関東管領拝命の折,鎌倉の鶴岡八幡社頭で下馬の礼をとらない成田長泰を史実通り打擲していましたが,鬼気迫らんばかりのサディストぶりでちょっと恐ろしくなりました。
本編でも触れられていた通り,後三年の役の際に先祖が源家の頭領である八幡太郎義家に対しても下馬の礼をとらなかった故事を倣ってのことでしょうが,それこそKYということでしょう。
尤も,成田氏は多分関東の諸豪族(小山,結城,下河辺,八田,宇都宮,佐野等)同様藤原北家魚名流(つまり藤原秀郷-江州三上山の百足退治で知られる俵藤太-流)でしょうから,特別の名家とは言えないと思うので(受領等で地方に下った藤原氏は数多い),その故事は眉唾では,と思ってしまいますが・・・。


そして,勘助をはじめ,飯富,馬場,山県,両角,真田といった麾下に加え,典厩信繁・太郎義信といったご一門衆の揃った川中島出兵前夜の武田勢に対し,上杉勢は宇佐美,柿崎,ぐらいしか見当たらず(鬼小島弥太郎が出ていない)ちょいとしょぼいですね。
実際,越後と上州の一部を押さえる上杉家と甲州と信州の八割(北信の高井郡と水内郡だけが上杉領では??)を領有する武田家の動員力は,当然武田が多いと思われます。
増して,上杉は前年の関東出兵の失敗もあって,政虎1人のカリスマで何とか成り立っていた,ということでしょうか・・・。


さて,行方不明となっていた鬼美濃こと原虎胤が生きておりました。
 割ヶ巌城攻防戦で負傷して第一線を退き,第4次川中島会戦には参加せず,3年後に亡くなることになるのですが,次回と最終回は出ない可能性が高いのでは・・・。
NHKから出ているストーリーブックの下巻を読んでいないので,最終回は分かりませんが,勘助は川中島で伝兵衛と相見え,彼に討ち取られるのでは・・・と予想します。
今週中に本屋に行って買わなくては・・・。


海津城については機会を見ていずれ・・・(いつになる・・・)。


「風林火山35-姫の戦い」

2007年09月03日 22時49分19秒 | 風林火山

今回は退屈でどうでもよい内容,と思って見たら案の定でした。
由布姫が勘助に悋気病みを指摘されてキレかかるし,勘助は油川夫人(原作では於琴姫。新田次郎の武田信玄では恵理)を斬りに積翠寺裏へ行くと,何故か原美濃ご令嬢が・・・。
さすがに途中で眠くなりました・・・・・。
三条ちゃんも出てきたし,おねいさんがいっぱい出てくるのはそりゃ喜ばしいことですけど(自爆),延々45分「女の戦い」やられた日にゃ眠くなります・・・。


油川氏は作中でも語られたように武田の一族です。
それも,晴信祖父信縄の弟が氏祖ですので思いっ切り身内ってことになります。
ま,現在のように何親等以上・・・といった法も無いので,それだけ晴信がお盛んだったということで,それが謙信贔屓の人たちの顰蹙を買っているのでしょう・・・。


晴信と油川夫人の間には一男二女があったように記憶しています。
男子は以前述べたように,信州北安曇郡の名族仁科氏の名跡を継ぎ仁科五郎盛信と名乗り,伊那の高遠城主となりました。
天正10(1582)年の織田軍の甲斐侵攻に際して,降伏勧告を聞き入れず壮絶な最期を遂げたことも書きました。
その時の織田軍の総大将は信長嫡男の信忠でしたが,盛信の妹の一人である菊姫が信忠の許嫁でした。
晴信(もう信玄となっていました)と信長によるものでしたが,信玄最後の最上に際し,三方原の戦いで信長が家康に依頼されて援軍を送ったことから両家は手切れになり,婚約も解消となったということです。
菊姫と信忠の間には書簡のやりとりがあったということを読んだ記憶がありますが,実際はどうだったのでしょう・・・。
菊姫は兄と共に高遠城に住みましたが,織田軍が迫ると盛信は妹二人と自分の娘を脱出させます・・・。
菊姫は武州八王子近隣に隠れ住みますが,やがて武田家滅亡後かつての許嫁である信忠の使者がやってきます。
しかし,武田家滅亡から僅か三ヶ月,今度は信長・信忠父子が思わぬ最期を遂げるのでした・・・。
・・・と書くと,かなり作り話めいていますが・・・。


 来週もまた「女の戦い」続行中のようですが,久々に駿河三人衆の登場のようです。
谷原「磯次郎」義元と伊武「デスラー」雪斎(畠山桃内ともいう・・・)の絡みが実に楽しみです。
あ,今回も勘助のこと殆ど書かないでしまった・・・。


「風林火山34-真田の本懐」

2007年08月30日 22時48分01秒 | 風林火山

何と3日遅れでようやく昨夜ビデオ回しました。


いよいよ砥石城落城のくだり。
予想通り真田一族総出演でしたね。
幸隆長男の信綱,二男昌輝,そして三男の喜平次(武藤氏を継ぎ,後に称昌幸)。
さすがに四男信尹は6歳ということで登場しませんでした・・・。


しかし,以前も書きましたが幸隆以前の真田氏のことは謎に包まれています。
だいたい幸隆の父ですら,一応海野棟綱ということになってはいるものの,詳しいことは不明です(娘婿説や真田頼昌の子説等諸説有り)。
天文10(1541)年の海野平の戦いにおいて武田信虎と村上義清・諏訪頼重によって小県を追われ,後天文年間に武田氏の傘下に入るまでは,西上州を転々としていたと思われます。上杉氏や箕輪城の長野業正を頼ったと思われますので,河越夜戦の際に従軍していたことも十分考えられます。
武田氏に帰属した時期は不明ですが,同17(1548)年の上田原の戦いでは既に武田陣営にあったと思われます。

 

で,結局真田の調略で砥石城は落ちるわけですが,今回は幸隆弟の常田隆永を夫人と信綱が説き伏せて,幸隆自身も現れて・・・という設定でした。
ただ私の記憶ですと,砥石城調略は同じく幸隆弟である足軽大将矢沢頼綱(池波正太郎の「真田太平記」にしきりに登場します)が手引きして,ということだと思ったのですが,諸説があるということでしょう・・・。
武田軍にとって屈辱的な砥石崩れから僅か1年。
さらに翌年,村上義清は居城である葛尾城を放棄し越後に走ります。
それが川中島の会戦の直接のきっかけとなるのは周知の通りです。
ですから,埴科・更級・水内といった北信地方の人々や新潟県人には真田嫌いが多いのではないでしょうか・・・。
尤も,村上氏が信濃を追われた70年の後,幸隆の孫である信之(初名信幸)が勘助が築城したと言われる海津城に入ることになるのも因縁でしょうか・・・。


この魅力的な真田一族については,ぜひ項を改めて述べてみたいのですが,幸隆の居城ついてひと言。
真田と言えば信州上田と松代(上記海津城)ですが,幸隆三男昌幸による上田築城は天正年間-それも秀吉の統一事業が進んでいる時期ですから,この時代よ30年以上後のことになります。
では,幸隆はどこに居たのかが問題になりますが,おそらく真田郷(小県郡真田-現在は上田市)の松尾城だったのではないでしょうか。
砥石落城でようやく小県を手に入れたように語られていましたが,武田氏帰属後すぐに信濃先方衆として小県に住んでいたということでしょう。
やがて川中島の後武田は西上州へ侵攻しますが,それによって真田も西上州吾妻郡を蚕食していきます。
その結果が秀吉の小田原出兵となるのは,上田築城よりさらに後のことです・・・。


最後に,一つ突っ込みを。
常田隆永に海野家再興???
海野=真田じゃないのか・・・。
この2人の父は海野棟綱だとしたら,弟に海野の名跡を継がせるのか・・・。
海野も真田も古代から小県・佐久地方に根を張った滋野氏の一族ですが,この時代海野の名跡がさほど価値のあるものとは思われないのですが・・・。
それに多分常田隆永はもう登場しないのでは・・・。


あと,真田幸隆の名前にも諸説がありまして,海野にも真田にも隆の字は見当たらないので,本名は幸綱だったのではと言われています。
ここでは,一番使われる幸隆を採りましたが,長子が晴信の一字を拝して信綱となると幸綱のほうが(父を海野棟綱,弟を矢沢頼綱とすると余計)辻褄が合うような・・・。


あ,勘助のこと何も書かないでしまった・・・(汗)


『風林火山33-勘助捕わる』

2007年08月19日 23時31分53秒 | 風林火山

前半は武田家内情暴露,後半は上杉もとい長尾家中勘助受難劇というところでしょうか。


武田太郎義信役の兄ちゃん,どっかで見たと思ったら「のだめ」のモーホー高橋に「田中3号」の次郎じゃないか・・・。
今売り出し中の若手俳優さんの1人なのでしょう・・・。
しっかし,久々登場の三条ちゃんとは,間違っても親子には見えませんでしたね。
ま,苦心して皺作っていたようですけど・・・。


武田家に勝るとも劣らぬ極渋の上杉家臣団。
西岡徳馬の直江にカネやん甥の柿崎,そして宇佐美。
浮きまくるがっくんにもそろそろ慣れてきました。


ただ,確か長尾政景が景虎に恭順するのは,確か景虎が坂戸城を攻撃した後だった筈で,しかも景虎姉(法名が仙桃院なので桃姫としたのでしょう。西田尚美嬢ってあんなにきれいだったかな・・・)が嫁いだのはそれ以前だったと思われます。
「政景殿に嫁いでくださらぬか」
のひと言で,
「えっ,とっくに嫁いでたんじゃなかったの・・・」
と唖然となりました・・・。
ま,勘助の越後幽閉なんてのも全くの作り話ですし,清廉潔白を標榜し毘沙門天誓って女色を断った(私には到底無理だ)景虎がウィリアム・テルよろしく鉄砲で勘助の頭の上の「風林火山」狙うとは作り過ぎです・・・。


来週はいよいよ砥石城及び葛尾城攻めでしょうか。
真田が主役のようですので,楽しめそうです。


て,最後に余計なことを・・・。
長尾政景はその後,景虎の柱石として越後を支えますが,川中島の会戦後の永禄7(1564)年,北信の野尻湖で怪死します。
死因には諸説有るようで,同時に宇佐美定満が死んだということで,宇佐美が身を挺して上杉家を守ったとする説や,酔って溺死した説等,いろいろ言われているようです・・。
仙桃院については・・・・・,長くなりそうなのでいずれ機会を見て・・・。


『風林火山32-越後潜入』

2007年08月14日 22時47分09秒 | 風林火山

武田家の場面が余りなく,今回と来週は上杉家と勘助の絡みになるようです。
つまり,全くのオリジナルということになります。


しかし,武田家臣団に劣らず上杉軍団も渋いですね。
宇佐美定満を筆頭に,猛将柿崎景家もなかなかごつくて良い感じです。
だからこそ,がっくんが浮いちゃうんですけどね・・・。
あの喋り方,ファンにとってはたまらないでしょうが,何となくいやらしく聞こえてしまうのは私だけでしょうか・・・。


勘助の素性は百戦錬磨の宇佐美にはすっかりばれてーらでしたが,この2人のやりとりもなかなか見応えがありました。
その間に「砥石崩れ」という設定だったわけですね。
勘助抜きだから,村上に負けてしまった・・・と,したかった意図が見え見えでした。
翌年,真田が近隣の諸豪族に対して内応工作した結果砥石城が落ち,翌々年には本拠地の葛尾城も落城。
村上義清は越後の景虎を頼ることになります。


宇佐美氏の出自は,伊豆半島東海岸の宇佐美郷でしょう(因みに伊豆の東部にあるから伊東です)。
源平盛衰記や吾妻鏡に,頼朝挙兵時に宇佐美助茂という武将の名を見出すことができますが,これが多分定満の先祖でしょう。
石橋山の合戦にはどうやら父子で参加したようですが,その後の消息は分かりません。
ただ,伊豆の豪族が越後に行ったのは,おそらく鎌倉幕府の地頭職だったと思われます。
室町時代は守護の上杉氏に仕え,定満の父房忠の代に守護代の長尾為景(景虎父)と対立。
房忠は為景と戦って討死したのは作中にもあった通りです。


さて,勘助はすっかり幽閉されてしまいましたが,どうやって脱出するのでしょう。
上杉にも今川にも後北条にも顔が利くようになってしまい,今後また怪しげな動きをしそうな予感がします・・・。


『風林火山31-裏切りの城』

2007年08月08日 22時52分56秒 | 風林火山

題名から察してどこのことかと思いましたが,松尾城のことだったんですね。
武田軍が信濃府中に侵攻し,深志城(現松本城)落として守護の小笠原長時が村上のところへ逃げ込んだ,と,のっけから快進撃で,あっという間に筑摩郡を席巻して安曇郡まで行ってしまいましたね。
さすが,TVは便利です(笑)。


以前,佐久郡の内山城攻略戦の際に述べましたが,武田軍は内山城と同様の掃討・殲滅戦を安曇郡の小岩嶽城攻略においてもやっているんですね。
そのあたりをせっかくなので詳しく述べて欲しかったと思います。
安曇郡の北はもうすぐ越後です。
中信・東信地方を攻略した武田軍が遂に北信まで侵攻したというエポックですので,版図が急速に拡大した訳ですから・・・。


ここで,安曇郡に関連した根多を2つ。
安曇野と俗に呼ばれるのは,どうも現安曇野市穂高地区・有明地区を中心とした烏川が形成する扇状地のことのようですが,本来は中央構造線(フォッサマグナ)に沿った狭隘な盆地を指すのではないでしょうか。
名前の通り,呉からの渡来人と思われる安曇族の開いた土地と言われているらしいです(滋賀県の安曇川も同様でしょう)。
この地を長く支配していたのは,中央構造線が作り出した美しい褶曲湖仁科三湖(木崎湖・中綱湖・青木湖)の畔に起こった仁科氏でした。
この仁科氏の名跡を晴信は襲います。
晴信五男の信盛は仁科五郎を称し,かつて兄勝頼の居城だった伊那の高遠城主となります。天正10(1582)年の織田軍の甲信侵攻に際し,信盛は押し寄せる織田信忠の大軍に対して果敢に立ち向かい落城。
作家池波正太郎のライフワークとも言うべき長大な「真田太平記」は,高遠落城・信盛自刃から始まります。
さらに,上述烏川扇状地の水は,西方に聳える北アルプスがもたらす上質なもので,扇状地東端万水川(よろずいがわ,と読むのでしょうか)沿いにはわさび田が作られ,有名な穂高産のわさびの生産地となっています。
また,最近私が好んで飲むco-opの緑茶や烏龍茶は,安曇野市烏川地区で生産されており,安曇野の天然水仕込みがウリのようです。


・・・と,また余計なことを長々と述べてしまいました(汗)。
で,裏切り者,というか間者は,相木「源之助」芳正では?と思っていたら,何と真田幸隆の芝居にまんまと村上が乗せられ,気の毒なことに矢崎彦五郎が松尾城二の郭で討死。
せっかくヒサと夫婦になれた平蔵の幸福も束の間だった・・・という結末に。
晴信の二敗目に当たる「砥石崩れ」は来週のようですが,どうやら春日山城での勘助の足跡を追うことで,おざなりにされそうな気配です・・・。


勘助が根來寺で津田監物と会って,鉄砲を手に入れるというエピソードはさすがにやりすぎでは・・・。
そんでもって景虎が,鉄砲百挺揃えよ,というのも???
鉄砲伝来から10年たたないこの時期,鉄砲を生産していたのはおそらく有名国友村(近江国坂田郡-現長浜市)と上記紀州根來寺と雑賀寺,そして泉州堺ぐらいだったのではないでしょうか。
100挺以上を持っていた大名も居るとは思えず,現実的には無理な数字ではないでしょうか・・・。
案外,この時期天文~永禄年間,一番鉄砲を保有していたのは,機内を抑える三好・松永勢と後に3000挺を保有して信長を散々苦しめることになる紀州雑賀衆あたりではなかったでしょうか・・・(確信なし)。


・・・ということで,またしても仕様もないことばかり突っ込んでしまいました。
がっくんの扮装は仕方ないとして,喋り方に違和感を覚えるのは私だけでしょうか・・・。
ま,今回もお気に入りの美瑠姫が出てきたので良いことにします(意味不明)・・・。


『風林火山29-逆襲!武田軍』

2007年07月22日 23時38分25秒 | 風林火山

あっさり上田原終わってしまいましたね。
対陣20日で,村上が先に陣を払ったということは,双方に追撃する余力がなかったということでしょう。
上田原で武田の信濃侵攻が一時頓挫した,と踏んだ信濃守護小笠原長時は高遠頼継等諸豪族とともに諏訪領を侵します。
これに敗れれば,武田の威信は地に落ち,諏訪や佐久といった制圧地の反抗勢力が息を吹き返すのは目に見えています。
そういう意味でも,塩尻峠の一戦は乾坤一擲の大勝負だったと言えるでしょう。


しかし,今回もかなりの演出過剰が鼻につきました。
大井夫人が亀晴信を諫め,三条ちゃんが太郎が家督と思って喜ぶ。
甘利は大井夫人のところへ,板垣は晴信のところへ化けて出る。
板垣の魂魄は蜻蛉に,そして晴信は慟哭・・・とは,いささかやり過ぎではないでしょうか・・・。
で,武田勢が甲信国境の大井森(現在の小淵沢・清里辺りでしょうか)から,夜陰に紛れて諏訪の上原城に進軍し,さらには一気に塩尻峠を越えて小笠原勢に討ちかかったのも事実でしょう。
せめて,その経緯をもっと克明に描いて欲しかったです。
尤も,武田勢が塩尻峠を越えて,諏訪郡から筑摩郡に攻め込んだのは今回が初めてではなく,3年前に信濃府中付近まで侵攻して林城近隣に火を放った経緯があります。


晴信が諏訪法性の甲冑を身に纏い,風林火山の旗とともに諏訪法性上下(上社と下社-すなわち上諏訪と下諏訪)大明神の旗を陣頭に持ってきたのは,占領地たる諏訪の人心の収攬策だったということでしょう。
それを提案したのが諏訪を支配した板垣,ということは十分にあり得たかもしれません。
ただ,有名な
「人は石垣,人は城・・・」
の一節を慟哭する亀晴信に言わしめる演出・脚本も??です・・・。


中山道・国道20号線が越えた塩尻峠を,JR中央本線が貫通したのは昭和60年頃だった,と記憶しています。
川島,小野といった駅を通らず,新たに番組終わりに紹介されたみどり湖なる新駅ができたのもその時です。
以来,新宿-松本間の時間短縮になりました。


・・・で,とっておきのあずさワイン(塩尻産)を空けて・・・と思ったのですが,奮発して6本\698で買った発泡酒を飲んでいるうち時間が遅くなってしまったので,自粛しました・・・。


さて,来週はどうも勘助が鉄砲絡みのエピソードのようです。
でもって,赤い羽織のがっくん景虎。
まだ出家も遁世もしてないんだから,ストレートのロングヘア,何とかならないものでしょうか・・・。
尤も,19年前の「武田信玄」のように,出家してない信玄・謙信も困ったものですが・・・。


『風林火山-両雄死す』

2007年07月15日 23時29分58秒 | 風林火山

上田を訪れたのは過去に3度ほどあります。
同じ県内の松代同様六紋銭の旗が林立しており,真田一色というかんじでしたし,確か地元のタクシーのマークも六連銭でした。
尤も,真田昌幸による上田築城は天正年間のそれも1580年代ですから,昌幸が上田に居たのは関ヶ原まで10数年,長子信之が松代に移封になるまで20年弱,秀吉の時代から江戸時代初期まで合わせて2代30数年にわたる治世だったたわけですが,熊本の加藤,松江の堀尾,姫路の池田同様に,治世は短くても街の繁栄の礎を築いたということで今なお慕われているのがよく分かります・・・。


・・・・・っと,今回は真田ではなく,上田原の戦いに関してでした・・・。
しなの鉄道の上田駅から西へ向かう上田交通別所線(30年以上前は,真田郷へ向かう路線もありました)の上田原駅は,古戦場の少し南に位置し,車両基地があり東急のお古の車両がうようよしていました。
オンラインで地図を出して,ドラマの進行と一緒に地形を見て地名を拾いました。
こうした楽しみもまた有りかと思います。


地図を見て分かったのですが,現在県営の野球場となっている古戦場一帯は中世に鎌倉北条氏の一族が土着して勢力を張った塩田平の北端に当たり,埴科と小県を結ぶ狭隘な葛尾山に居城した村上義清は千曲川を渡河して塩田平を見下ろす位置に布陣したと思われます。
番組最後に紹介された激戦地である観音寺付近は,西の青木村から流れる浦野川と塩田平から流れる産川(うぶがわ,と読むのでしょうか?)の合流点にあたります・・・。


佐久から小県へ侵攻した武田軍と北隣の埴科・更級方面を押さえる村上勢がぶつかるのは必然だったと思いますが,上原城や志賀城を落とした勢いで,武田軍は小県へ侵攻したのであり,本日の放送のような板垣・甘利の煩悶のようなものはあくまでもドラマの演出ということだと思います。
おそらく緒戦に勝利した両将が敵陣深く入り込みすぎ,地の利のある村上勢に討たれた,というのが実態ではないでしょうか・・・。
甘利が村上への内応を約して義清を討とうとして出陣情報を漏らしたり,単身敵陣へ乗り込んだり,という演出・設定はちょっとやり過ぎでは,と正直思いましたし,義清に斬りかかった甘利を平蔵の矢が・・・というのも余計かと感じました。
捕らえられた甘利が逃げ出し,背後から矢を射られて板垣の陣へ辿り着いて事切れるのも???です。


ただ,役者の演技とか存在感といった点で,今日の二人は見事に際立っていましたね。
勘助も暗黒晴信もすっかり形無しでした。
千葉真一の板垣は,土スタでの「引退発言」(真偽というか,真意は如何に?)の後でもあるせいか,やはり壮絶無比とも言うべき凄まじさでした。
あの円陣の槍衾を上空から見せる演出はどうかと思いますが,獅子奮迅の働きをした後に壮絶な最期を遂げる様子が見事に描かれていたと思います。
それにしても,私が幼少の頃「日本一のかっこいい男」として土曜夜の顔だった千葉真一が,30数年の後にこんなに存在感か有って渋くて本当に「かっこいい」男になっているとは予想もしませんでした。
去年見た「アストロ球団」では,ただのおっさん風だったのですが,それも役作りの巧さということでしょう。


前々から危惧していたことですが,板垣・甘利両将を失った武田軍団は小粒にならざるを得ないでしょうね。
真田・小山田・教来石改め馬場+駒井はイケメンではありますが,やはり2人と比べると・・・ですし,飯富と原・・・???
いずれにしても,勘助と亀晴信の独壇場となるのでしょうか・・・。
上田原の戦いは未だ終わっていません。
原作では,損害を被りながらも武田軍の勝利,となっており,上杉・村上ファンの顰蹙を買ったことが想像されますが,来週の放送では如何に・・・。


『風林火山-最強の敵』

2007年07月09日 21時59分34秒 | 風林火山

ますますダークサイドの泥沼にはまり込む亀晴信の巻でしたね。
板垣が命がけの諫言をしたのは,まあ分かるとしても,甘利のあの行動はいったい何なんでしょう。
小県の村上義清の元にいきなり忍んでいって,いざと云うときは武田を裏切る,と進言。晴信が村上に勝てない,と踏んでの謀なんでしょうか・・・。
板垣と甘利の行動を散々見せておいて,次回の上田原における両雄の討ち死を際立たせようとする演出なのでしょうか・・・。
村上の諜者となった平蔵が甘利の手の者に囲まれたり,カウンタースパイの近藤「源之助」市兵衛が怪しげな行動をとったり,と,ちょっと小細工が鼻につきます・・・。


村上義清の先祖は,源頼信の子頼清と言われていますので,武田氏同様歴とした河内源氏の名門です。
武田氏は頼信の孫である新羅三郎義光の子孫ですから,似たような時期の10世紀末から11世紀前半にかけて信濃国更級郡村上郷へ土着したのが発祥と言えましょう。
その後,保元・平治の乱(崇徳院側についた村上判官代為国が有名)や木曾義仲の挙兵と法性寺合戦を経て鎌倉御家人となり,そのまま中世は埴科・更級・高井・水内といった現在の善光寺平(長野盆地)南部に勢力を張るに及びました。
また南北朝期では,元弘3(1333)年吉野で大塔宮護良親王の身代わりとなって自害した村上義光-義隆父子が,南朝の忠臣として名を残しています(このことからも,鎌倉幕府での地位はさほど高くなかったと想像されます)。


この村上一族の興亡については,なかなか波乱に富んだものがあり,ぜひ調べてみたいものではありますが,「風林火山」からは著しく逸脱するので,これぐらいにしておきますが,家臣団の姓氏を拾ってみると,高梨,雨宮,屋代,海野,望月,保科,諏訪・・・といった埴科・更級・高井・小県・佐久地方の地名を発祥とする一族(前3つ)と信濃発祥の名家(後ろ4つ)が多く見られるのも特徴的と言えましょう・・・。


永島敏行を大河ドラマで見たのは,もしかすると昭和55(1980)年の「獅子の時代」で会津藩士をやって以来かもしれません。
デビューは,確か「ドカベン」の実写版だったと記憶していますが,ごつくて野性味があって今回は当たり役だと思います。
初回登場時に,鮎の串焼きをがぶりとやったのはちょいやりすぎ,と思いましたが・・・。


そうそう,今回もあの美しい美瑠姫が出てました。
で,遂に小山田のものになってしまいます・・・(泣)。
あの真木よう子というおねいさん,どっかで見た・・・と思いきや,『私たちの教科書』に出ていた伊藤「ちびノリダー(電車男ともいう)」淳史の相手役のおねいさんでした。
1,2回見ただけなので,すぐに出ませんでした・・・。


来週は,いよいよ板垣・甘利のXデーである上田原ですね。
原作では,両将を失い大損害を被るも武田の勝ち,となっているようですが,放送ではどうなるのでしょう・・・。
そして,大物2人を失った武田家臣団は小粒になってしまうのでは・・・,という懸念を拭えない私です・・・。


『風林火山-苦い勝利』

2007年07月02日 21時04分13秒 | 風林火山

いや~,亀晴信,完全にダークサイドに陥没しましたね。
長野県御在住の方,特に佐久郡にお住まいの方に一度伺ってみたいと思うのですが,武田晴信の佐久攻略をどう思われているのでしょう・・・。


個人的な感想というか印象を述べれば,天文十六(1547)年7月から翌月にかけて行われた志賀城攻めは,若き日の晴信の汚点といった感が拭い去れません。
西上州の国人たちを中心とする関東管領軍が碓氷峠を越えて小田井原に着陣し(2万と言いますが,上杉家にそれほどの動員力があったかどうか甚だ疑問),板垣・甘利・横田らの武田軍との戦闘に入り(合戦場面がありませんでした・・・),ぼろくそに負けて3000もの雑兵首を取られ,それを周りに吊して城方の戦意を削いだことは事実でしょう(3000とは大袈裟ですが)。
そして,落城後に捕虜たちを身寄りに身請けさせたり,甲州金山の金堀人足や女郎に売ったのも事実と思われます。
また,笠原清繁の室を落城後に小山田信有がものにしたのも事実のようです。
美瑠姫,という名になっていましたが,平賀源心の忘れ形見で勘助との邂逅があったのはいささかやりすぎ,というか演出過剰という気がします。
いずれにしても「人は石垣,人は城」と,領国経営と人心収攬にかけては有能な民政家であった晴信としては随分苛烈なことをやったものです。
昨日の放送で勘助や板垣(だったか?)に言っていたように,勝ち急いだり,負けを知らなかったりした者の通過点だったということでしょうか。
村上義清との全面対決を前に,佐久を押さえておくことは必須条件であったと思われます。それ故に,苛烈極まりない処断をしたのではないでしょうか・・・。
尤も,晴信はその数年後の天文21(1552)年に行われた安曇郡の小岩嶽城(現安曇野市穂高有明)に対しても同様な苛烈な処断をしていますので,長野県内での評判は至って悪いのではないかと思われます。


ドラマに関してですが,私のお気に入りの今川主従(谷原「磯次郎」義元と伊武「デスラー」雪斎)が出ない代わりに,近藤「源之助」市兵衛がカウンタースパイ役で出てました。
花蔵の乱の時に,ちらっと今川の雑兵役で出ていたと思ったのは見間違いだったのでしょうか・・・。
がっくんは今回も浮いていましたね。
赤い着物で毘沙門天に祈っていたようで,何やら神懸っているようで,そういう点では良いのかも知れませんが,柿崎とか直江・宇佐美とかいう宿老クラスの前だとあまりにも乖離しすぎるおそれもあります・・・。
あの変な琵琶は薩摩琵琶のようですが,小さかったので特注なのかも知れません。


しかし,ダークサイド亀晴信の増長は,きっと砥石崩れや上田原の敗戦まで続くってことでしょうかね。
佐久から諏訪を経由すると甲斐府中まではえらく遠回りなのに,わざわざ由布姫のところに寄って,
「負けるのが怖い」
と泣き付く亀晴信でしたが,閨室関係でも暗黒面に陥りましたね。
三条ちゃんは蚊帳の外で,油川夫人や禰津御寮人のもとへ入り浸るのでしょう・・・。


『風林火山-非情の掟』

2007年06月25日 23時04分55秒 | 風林火山

題名を見て,かつての『キー・ハンター』思い出したのは私だけですかね・・・(超古っ・・・)


何やら,おかしなことになってきました。
完全に亀晴信はダークサイドに陥ったようで,
「家督は太郎と言って安心させてください」
みたいなことを言っていた三条ちゃんを一喝してましたね。
あれじゃ先代信虎と何ら変わり有りません。
何か,暴君のような亀晴信を見るのは心苦しいような気がします。
この調子で,油川夫人もいただいてしまうのでしょうか・・・。


勘助は今川家に赴き,これまたダークな伊武デスラー雪斎に対して諏訪頼重の遺児寅王丸を預かるよう進言します。
諏訪の名跡はともかく,四郎が諏訪郡を領有するのにもはや邪魔になったということでしょうが,どんなものでしょう・・・。
これもまた暗黒面に堕ちたような谷原義元が勘助を露骨に嫌っていましたが,寿桂尼が,
「諏訪を我が軍が攻める際の旗頭にしても・・・」
みたいなことを言っていたのも??です。
今川家は海道筋にしか興味なかったでしょうから・・・。


実際のところ,寅王丸の末路に関しては諸説があるようで,仏門に入るもこの年天文15(1546)年,寅王丸の大叔父(父頼重の叔父)にあたる諏訪満隆が四郎勝頼の諏訪領相続に反して挙兵した際に駿河に亡命途中斬られたとも,逃れて消息不明とも言われています。
現実問題として捉えると,気の毒ですが晴信に斬られたと考えるのが一番合点がいくような気がします。
諏訪の名跡たる大祝(おほはふり)は,ドラマにあった通り頼重叔父の満隣が継ぎます。
その後の諏訪氏がどうなったかは,いずれ項を改めて述べることができれば良いのですが・・・。


しかし,教来石景政が後の名将馬場信春だということをすっかり失念していました。
春日源五郎虎綱が春日(高坂)弾正昌信となるのは知っていましたが,迂闊であること極まりません。
そんでもって,駒井政武(高白斎)とともに甲州法度(世に云う信玄家法)の下りまで出てきたのには参りました。
確かに天文16年ですから,時期的に符合するんですけどね。
っていうか,駒井役の高橋一生くんてどっかで見たと思いきや,『田中3号』の三島くんじゃないか・・・(気付くの遅いって・・・)。


丹念に史実を追うかと思いきや,突発的にストーリーが暴走し始めたり,どろどろの継嗣問題と女の一念の話になったり,といった具合にとっちらかった感じですが,まぁ楽しんで見ることができるので良いかな,と・・・。


最後に余計なことですが,上諏訪市だかで毎年行われる『ミス湖衣姫コンテスト』とかいうイヴェントの名称が,『由布姫コンテスト』に変更になったらしいです・・・。
現地の方には悪いですが,何だかなぁ・・・。


『風林火山-越後の龍』

2007年06月18日 20時27分10秒 | 風林火山

昨夜,酩酊しながら見ましたのでかなり曖昧な印象ではあるのですが・・・。
Gackt謙信,どういった登場するのか,と思いましたが,え゛,こんだけ???・・・という感じで,台詞も殆ど無くあっという間に消えてしまいましたね。
あとの大半は,真田幸隆小県復帰物語で・・・。
ファンは,もっと出せと思ったでしょうし,そうではない人たちは題名が不適当と思ったのではないでしょうか・・・。


謙信は逸話の多い人です。
軍神毘沙門天に誓って女色を断ったとか(常人では無理です・・・),実は厩橋(前橋)城攻撃の際に局部に矢を受けたため男の機能が無かったとか,いろいろ言われているようです。
謙信を主人公にした代表的な作品である海音寺潮五郎作「天と地と」がやはり一般的に言われる正義の武将的な内容で,恋愛シーンも盛り込まれています(昭和44年の大河ドラマは朧気ながら覚えています。平成初期の角川映画は論外)。
ただ,正義を標榜したのは事実でしょうが,家臣や領民にとっては迷惑な戦好きだった,という側面もあったようで,なかなか複雑な性格だったのかもしれません。


世の謙信贔屓の人たちにとって,野心ぎらぎらの信玄は当然嫌いのようです。
信長は論外のようで・・・。
でもって,天正5(1577)年の謙信急逝の際に20万もの軍勢が集結したということで,謙信贔屓の人たちはこれを信長を討つため,ということにしたいようですが,実際は関東への越山のためと考えるのが妥当だと思います。
集結した武将には,里見とか芦名といった名前も見られることから,関東管領の名跡に拘った出兵だったと見るべきでしょう。


そうした上杉ファンにとって,中信地方へ武田軍を手引きした真田は特に嫌われているようです。
村上義清や小笠原長時を好きな人たちが真田を好むはずもなく,更埴地方で真田がどう思われているか,現地の人たちに聞いてみたいものです。
真田幸隆役の佐々木蔵之介さん,格好いいですね。
イケメン・元イケメン俳優が改めて多いことを実感します。
ま,真田が小県を回復する際に武田を手引きしたことは事実ですが,勘助がそれを行ったと考えるのは小説的に過ぎる気がします(勿論,原作には真田は出てきませんが)。
冒頭の,
「勘助の子ができました」
で,のけ反りましたが,もしかすると,こうしたことが今後も起こりそうな気がします。


しかし,真田というと幸隆の三男である昌幸と,その次男である信繁(幸村)のみが有名ですが,真田が戦国の世に出る基礎は,幸隆が固めたということを痛感します。
昌幸自身武藤喜平次と呼ばれた若い頃は,晩年の信玄に可愛がられたということですが,幼い信之・幸村兄弟と祖父幸隆がどんな交流をしていたのか,ちょっとばかり興味が湧きます。


真田の末裔や松代藩についても,いずれ項を改めて述べてみたいのですが,それには気力と体力が少しばかり必要なようです・・・。


・・・と,ドラマの印象を述べるつもりが,余計なことを吹いて終わってしまうことに・・・。
ま,いつものことですが・・・。