だ・こーじの「いま、思い、考えること」

「目に見え心に思ふこと」をホンネのごとくフィクションとして綴ります。

11/27~12/3 動いて見て聞いて話してきた。

2014年12月04日 | 日記
30年ぶりにアメリカに渡った。
日本古典文学、中でも平安宮廷歌謡を専門とする私がなぜ、いまだったのか、コトバにしたところで言い尽くせないことは間違いないが、備忘録としてでも書いておく。
それは宮内庁に属する雅楽の演奏者たちが楽家に限り伝わってきた過去とは異なり、いわゆる一般人が演奏者側に存在する現実、あるいは時代を下れば歌舞伎界も国立劇場には養成所があり、限られた家の芸から門戸を開き、伝統を残す昨今をここのところ再認識した機会があったことがあげられる。
ここまで残存した詞章、歌詞の表現を分析してきたし、これからもその仕事はひとつの使命のように持っているが、若者が古典文学、まして歌謡に振り向かない現代と、一方でsongsは洋の東西を問わず人々に共感されている現代、そこに生きる自分がどこか閉塞感を抱き、どこかに風穴を開け、自分の方向性を再認識させるためにも、日本を出てchange airをしたくなった。
幸い、アメリカには《The Young American Collage of the Performing Arts》というカレッジが全寮制によって世界中から若者たちを選抜し、世界各国の著名なウタを学ばせているというプログラムがあることを知った。そこに日本のウタもあるという。それならば《受容の調査ならびに視察》をしてみてもいいかなと思い立った。それもさまざまな国のものが享受され伝承されている。
もちろん、collegeのブログラムであるし期待ハズレだったらどうしよう、そんな思いもよぎった。
ちょうど、閉架式の大学図書館で図書カードからアタリだと思う書籍を見つけ、職員に依頼し、手に取ったものの、その内容に何度も裏切られた昔の学生時代を思い出しもした。
ただ、事前に確認できることはやったつもりだ。百聞は一見に如かず、ともいうし、動けば結果が出る、と学生にも常日頃から伝えてきている。
有言実行。それで渡米した。研究課題からしたら、その根幹をなす研究の推進力を左右する大事な機会だった。
現地ではサバティカルでも取ってこっちへ来ればいいと、わざわざ言ってくれた方もあり、とにもかくにも刺激をもらったことは間違いない。
今すぐ、何がどう変わっていくものでもないかもしれないが、外へ出ていくということは不可欠なことに思った。
おおげさな言い方を付け加えれば、日本の良さを痛感する一方で日本の弱さも感じさせられた数日間であった。