我が社の社章(ヤマイチ)は創業者の古河市兵衛が
明治10年に商標として定めものだそうです。
山一という名前で世間に知られているのは
15年前に廃業した山一證券の方ですが
我が社の方が歴史があるんですね。
まぁ、その他にも山一~という会社は
全国に多数あり、「江戸時代から続く」
なんていう事業者もおりますので
古さ自慢はしない方が良いですね。
山一のいわれは、創業者時代に
主力事業の鉱山業の他に、生糸売買も
手掛けていたものの、上手くいかなかったので
山(鉱山)で日本一になる!という志を現したものだそうです。
数多くの古河グループ企業の中で
このを商号としているのは
数多くある古河グループ内でも数社のみですが
バブル期に吹き荒れた、CI旋風にも負けず
明治の商号を掲げ続けています。
此処七ヶ宿においても、山一は残っています。
それが、↓ 山一橋です。
この橋は、大深沢社有林に向かう
町道大深沢線が白石川(七ヶ宿的には内川)を
横断する場所に設置されています。
そもそも、町道大深沢線、林道大深沢線は
我が社によって、用地取得&開設された道路で
曲折を経て、七ヶ宿町に寄付したたそうで
橋の名前だけが、その名残となっています。
東日本大震災を耐えた橋ですが
耐震補強をした方が良いのでは?と
役場で検討して頂いており、今日は診断作業で
通行止めとなっています。
この橋は、我が社の丸太を積載した
トラックが通るので、じっくり直して下さいね
と願う主な使用者でした。
明治10年に商標として定めものだそうです。
山一という名前で世間に知られているのは
15年前に廃業した山一證券の方ですが
我が社の方が歴史があるんですね。
まぁ、その他にも山一~という会社は
全国に多数あり、「江戸時代から続く」
なんていう事業者もおりますので
古さ自慢はしない方が良いですね。
山一のいわれは、創業者時代に
主力事業の鉱山業の他に、生糸売買も
手掛けていたものの、上手くいかなかったので
山(鉱山)で日本一になる!という志を現したものだそうです。
数多くの古河グループ企業の中で
このを商号としているのは
数多くある古河グループ内でも数社のみですが
バブル期に吹き荒れた、CI旋風にも負けず
明治の商号を掲げ続けています。
此処七ヶ宿においても、山一は残っています。
それが、↓ 山一橋です。
この橋は、大深沢社有林に向かう
町道大深沢線が白石川(七ヶ宿的には内川)を
横断する場所に設置されています。
そもそも、町道大深沢線、林道大深沢線は
我が社によって、用地取得&開設された道路で
曲折を経て、七ヶ宿町に寄付したたそうで
橋の名前だけが、その名残となっています。
東日本大震災を耐えた橋ですが
耐震補強をした方が良いのでは?と
役場で検討して頂いており、今日は診断作業で
通行止めとなっています。
この橋は、我が社の丸太を積載した
トラックが通るので、じっくり直して下さいね
と願う主な使用者でした。