平成24年3月25日 日曜日
「この道を行く」
以下の内容は、致知(チチ)出版社刊行の『小さな人生論』という本から抜粋し、私なりに編集したのものです。
『ひとつの道を究めた、人生の覚者(カクシャ)と言われる人達の心境・境地には共通点があります。
その第一は、「楽観的」ということです。
それは単に「物事をよいほうに考える」とか、「くよくよしない」ということではありません。
誰もが絶望するような状況の中でも、わずかで、かすかな光を探し、その光が見えたなら、
その光を信じて、明るいほうへ進んでいくという精神を言います。
第二は、「感謝の念が強い」ということです。
それは自分にプラスになるから感謝するのではなく、
自分にとってマイナスと思える出来事にも、それを天与の機会と捉えて感謝して受け容れる心です。
そのような心を、生まれながらにして持っている人はいないでしょう。
人生を歩んでいくことで、そのような心に練られるのでしょう。
第三は、「感動する」ということです。
普通、人は四十、五十になり人生体験を経てくると、物事に慣れて、多少のことでは感動しなくなってくると思います。
しかし、人生の覚者と言われる人達は皆、八十になっても九十になっても感動する心を失うことなく、
その姿勢はそのまま、人に感動を与える力になります。
最後の共通点は、「神を信じている」ということです。
ここでいう「神」とは、なんらかの特定の存在ではありません。
それは、この世には人智を超えた大いなるものが存在していて、
そういう大いなるものに対する敬虔(ケイケン)の念、畏敬(イケイ)の念を、
その人生経験から芽生え、実となって持ち続けているということです。』
私達が人生という道を歩む上で大事なもの、
心構えとして大事なものが何であるかを、これらの共通点は教えてくれていると思うのです。
「この道を行く」
以下の内容は、致知(チチ)出版社刊行の『小さな人生論』という本から抜粋し、私なりに編集したのものです。
『ひとつの道を究めた、人生の覚者(カクシャ)と言われる人達の心境・境地には共通点があります。
その第一は、「楽観的」ということです。
それは単に「物事をよいほうに考える」とか、「くよくよしない」ということではありません。
誰もが絶望するような状況の中でも、わずかで、かすかな光を探し、その光が見えたなら、
その光を信じて、明るいほうへ進んでいくという精神を言います。
第二は、「感謝の念が強い」ということです。
それは自分にプラスになるから感謝するのではなく、
自分にとってマイナスと思える出来事にも、それを天与の機会と捉えて感謝して受け容れる心です。
そのような心を、生まれながらにして持っている人はいないでしょう。
人生を歩んでいくことで、そのような心に練られるのでしょう。
第三は、「感動する」ということです。
普通、人は四十、五十になり人生体験を経てくると、物事に慣れて、多少のことでは感動しなくなってくると思います。
しかし、人生の覚者と言われる人達は皆、八十になっても九十になっても感動する心を失うことなく、
その姿勢はそのまま、人に感動を与える力になります。
最後の共通点は、「神を信じている」ということです。
ここでいう「神」とは、なんらかの特定の存在ではありません。
それは、この世には人智を超えた大いなるものが存在していて、
そういう大いなるものに対する敬虔(ケイケン)の念、畏敬(イケイ)の念を、
その人生経験から芽生え、実となって持ち続けているということです。』
私達が人生という道を歩む上で大事なもの、
心構えとして大事なものが何であるかを、これらの共通点は教えてくれていると思うのです。