平成24年3月7日 水曜日
「泥棒と悪口…言葉の重さ」
今日も、昨日に続いて作家の故・三浦綾子さんの話しです。
三浦綾子さんは講演で、「泥棒と悪口を言うのとどちらが悪いか」という話をされています。
『私の教会の牧師さんは、「悪口のほうが罪深い」と言われました。
大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底からくつがえされるような被害でない限り、いつかは忘れます。
少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。
だけど、人に悪口を言われた老人の話や少年少女の話はときおり聞きます。
「うちのおばあさんたら、食いしん坊で、あんな年をしてても三杯も食べるのよ」
…と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、
その後一切、食べることを拒否して亡くなった…という話があります。
恐ろしい話です。
私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやります。
だから、泥棒のような単純な罪とは違うのです。
それなのに私たちは、いとも楽しげに人の悪口を言い、また聞いているのです。
そして ああきょうは楽しかった…と帰っていく。
ひとの悪口が楽しいと思う心、
それは人間の悲しい性(サガ)です。』
私が、このことを読んで、思ったことは…
それは確かに人間の性ですが、それを思ったとしても…
それを言葉にして出すか否か、という人間性でもあると思うのです。
その性の悪さを心に置いて、見つめることで、、変わることができると思うのです。
言葉の重さを…
言葉は相手に届かないかもしれない、
言葉は相手を優しく包み込むかもしれない、
言葉は相手の心に突き刺さるかもしれない、
言葉は癒しの薬にもなり、言葉は刃をもったひとをも殺す武器にもなるのです。
発した言葉の重さを自覚すること、責任をもって言葉を発する覚悟がいると思うのです。
「泥棒と悪口…言葉の重さ」
今日も、昨日に続いて作家の故・三浦綾子さんの話しです。
三浦綾子さんは講演で、「泥棒と悪口を言うのとどちらが悪いか」という話をされています。
『私の教会の牧師さんは、「悪口のほうが罪深い」と言われました。
大事にしていたものや、高価なものを取られても、生活を根底からくつがえされるような被害でない限り、いつかは忘れます。
少しは傷つくかもしれませんが、泥棒に入られたために自殺した話はあまり聞かない。
だけど、人に悪口を言われた老人の話や少年少女の話はときおり聞きます。
「うちのおばあさんたら、食いしん坊で、あんな年をしてても三杯も食べるのよ」
…と陰で言った嫁の悪口に憤慨し、
その後一切、食べることを拒否して亡くなった…という話があります。
恐ろしい話です。
私たちの何気なく言う悪口は人を死に追いやります。
だから、泥棒のような単純な罪とは違うのです。
それなのに私たちは、いとも楽しげに人の悪口を言い、また聞いているのです。
そして ああきょうは楽しかった…と帰っていく。
ひとの悪口が楽しいと思う心、
それは人間の悲しい性(サガ)です。』
私が、このことを読んで、思ったことは…
それは確かに人間の性ですが、それを思ったとしても…
それを言葉にして出すか否か、という人間性でもあると思うのです。
その性の悪さを心に置いて、見つめることで、、変わることができると思うのです。
言葉の重さを…
言葉は相手に届かないかもしれない、
言葉は相手を優しく包み込むかもしれない、
言葉は相手の心に突き刺さるかもしれない、
言葉は癒しの薬にもなり、言葉は刃をもったひとをも殺す武器にもなるのです。
発した言葉の重さを自覚すること、責任をもって言葉を発する覚悟がいると思うのです。