(■読んだもの、□読みたいもの)
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)
■■英米文学-ミステリ意外
■P.G.ウッドハウス『よしきた、ジーヴス』
ダリア叔母夫妻、その娘と婚約者、バーティの学生時代の友人とその思いびと(今で言う「天然」)3組のややこじれたカップルをバーティがさらにめちゃくちゃに(長編なので、そりゃもうこじれっぱなし)。ジーヴスの解決法はいかに。
短編と違ってジーヴスがさくさく解決してくれないので、事態は混迷の度合いを深めていく。その混乱ぶりが面白い。でも、短編の方が好きかなあ。
■P.G.ウッドハウス『エムズワース卿の受難録―P.G.ウッドハウス選集〈2〉』
綿菓子のようなほんわかした頭脳の持ち主、第九代エムズワース伯爵。美しい庭と平穏な暮らしを何より愛する老伯爵に、今日もトラブルが容赦なく襲いかかる。不肖の次男(実はエムズワース卿によく似てるのだ)に鉄血の妹。腕はいいが頑固な庭師。騒動に揺れる伯爵の領地に平和は戻るのか?
いや、ウッドハウスははじめて読みましたが面白い。坂田康子のイギリスものみたい(本当は逆なんだろうけれど)。
日本で言うと池波正太郎や佐伯康英(こちらは読んだことないのだが)の時代小説のような位置づけだろうか。主人公がのーんびりしていて、多少浮世離れしている。そしてある程度様式化された(マンネリといってもいいかも)物語展開。一方で随所にちりばめられたペダンティズム(詩の一節などが引用されたりして)。
読んでいて飽きない。
長生きした作家で作品も沢山あるのだそうだ。しばらくはまりそう。
■P.G.ウッドハウス『比類なきジーヴス』
20世紀初頭の大英帝国。ロンドンのフラットに住む遊び人で頼りない若旦那バーティやその友人が巻き起こすトラブルと召使いジーヴスの冴え渡る解決法。
この連作短編は恋多き友人ビンゴのウエィトレスとの恋に始まり(別の)ウエイトレスとの結婚に終わる。それぞれの短編が独立しているようで緊密に関係し合っている。
■ドナ.W.クロス『女教皇ヨハンナ』(上・下)
9世紀、知識欲あふれた女性がやむなく男装し、男社会である教会の地位を上り詰め、教皇にまでなる、という物語。
装丁が好みで手に取った。
最後、教皇行列の際、道で死産の赤子と産み落として女であることがばれ、しかも自分も命を落とす(?)ことになる。この伝説は昔からあったものらしい。字で書かれた記録が少ない時代ゆえ実証も反証も困難だそうだ。(私はやはり伝説の一種だと思う)
当時は女は劣っておりかつ汚れた、堕落のもとになる存在だったから、聖職者が出産を目撃したらそりゃあショックだっただろうなあ。
修道女の「純潔の誓」というのは、出産を自分でコントロールするという意味で実質的に必要なことだったのだ、という女子修道院長の台詞を『フィレンツェ幻書行』で読んだけれど、確かにそのとおりだ。
この作品ではヨハンナはすごく聡明で教皇となってからは改革を推進するリベラルな存在に描かれているけれど、自分のミスでうっかり妊娠してしまって(まあ愛する人がいて仕方なかったのだけれど)、勿体ないなあ、と思う。
■C.S.ルイス『顔を持つまで 王女プシケーと姉オリュアルの愛の神話』
プシケーの神話を題材にし、姉オリュアルの手記という形をとった妬みと愛についての物語。
これは大変に面白い。説教臭さがなく、「宗教著作」とほとんど考えなくてもよいと思う。
愛と執着はほとんど区別不能であり、それゆえに苦しむオリュアルの心情がとてもとてもリアルである。
原始女神の隠喩の部分は難しいところもあった。
□C.S.ルイス『悪魔の手紙』
■チャールズ・パリサー『五輪の薔薇』(上・下)
ヴィクトリア朝ロンドンを主な舞台に、少年ジョンがたどる数奇な運命・・・。
ディケンズを思わせる(『荒涼館』しか読んだことがないけれど)、時代ローラーコースター小説。不幸な出来事がたたみかけるように主人公を襲う。当時の時代風俗も丁寧に描かれている。著者はきっとメイヒューの著作を参考にしているはず。私も読んでおいてよかったと思った。
謎があちこちに仕掛けられていて、長くて複雑にもかかわらず熱中させられた。
ところでバブル崩壊って、このころにもあったのですよ。日のもとに新しきことなし。
■チャールズ・パリサー『大聖堂の悪霊』
19世紀後半のイングランド。歴史学者コーティンは古文書を調べるため、大聖堂のある町を訪れた。だが彼は、やがて起きる殺人事件と、250年前の殺人事件が交錯する複雑な謎の中に巻き込まれていく。
『五輪の薔薇』を読んであまりの大作だったのでまたどんなに複雑なプロットを追おわされるかとびくびくしてこれを手に取ったが、みかけどおり(薄い)、比較的普通の小説で、苦しまず楽しめた。
■エドワード・ラザフォード『ロンドン』(上・下)
ローマ時代から現代まで、いくつかの一族を軸に描いた一大叙事詩。
何しろ長くて、読み通したことに自分をほめてあげよう。
歴史好きにはたまらないだろうが、私はもうちょっと各時代のディテイル(服とか食べものとか)が沢山描いてあるとうれしかった。
■ロバート・ヘレンガ『フィレンツェ幻書行』
芸術の都に展開する謎と官能の物語。
1966年に大洪水がフィレンツェを襲った。29歳アメリカ人マーゴット・ハリントンは古書修復のヴォランティアとして現地に。そこで不思議な遍歴の末にルネッサンス期に禁書とされて失われたはずの、幻の書物とめぐりあう……。
うまいけど、ハーレクイン・ロマンスみたい。
■ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』
1967年生まれ。インドベンガル人を両親に持つアメリカの女性作家のデビュー短編集。PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、ピュリツァー賞などを受賞。
インド、またはアメリカのインド系の人々が登場する。民族性は特に感じず、むしろ普遍的な孤独と哀しみを共感させる。
このなかでは、少年のベビーシッターをする、お魚好きの、インド婦人の話がとても印象に残っている。
夫について見知らぬ土地(アメリカ)に来て、夫は忙しくてほとんど家にいず、少年のお母さんと交流を図ろうとするけれど相手にされなくて、車の運転が出来ないため欲しいものを自分で買いに行くこともできない・・・という孤独感に共感した。引越した当初の自分の境遇と多少重なるからかな。しみじみ哀しくなってしまった。
それにしても、見返しの小さな写真を見るに、このような美人がこの若さでこんな見事な作品を書くなんて。「よきもの」は偏在するのね。
□ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』
■アーシュラ・K・ル=グィン『ゲド戦記 1 影との戦い』
『ゲド戦記 2 こわれた腕環』『ゲド戦記 3 さいはての島へ』
『ゲド戦記 4 帰還』『ゲド戦記 5 アースーシーの風』
残念ながら子供のときは手にとらず、数年前はじめて読んだ。ふんわかしたファンタジーではないので子供の頃の私は好きになったかどうか不明だが、大人になったいま、面白く読むことができた。
『帰還』で、年取ったテナーが、「私が長年磨いてきたこのテーブルをあの(どうにも愛せない)息子の、ぐうたらな嫁が使うかと思うとやりきれない」というようなくだりが何故か印象に残った(子供にはわからないよね。こんな台詞)。
テナーとゲドが魔法をかけられて犬のような姿勢をいつのまにかとらされていく部分、自分も魔法をかけられたようだった。
死後の世界は、誰かが築いた石垣のせいで風がとおらない、乾いた世界になりはててしまった・・・・、というのは、フィリップ・プルマンの『琥珀の望遠鏡』(もしくはジョン・レノン「イマジン」)に通じるものがある気がするが、記憶違いだろうか。
この本にある非キリスト教的死後世界観というのはもしかしたら西欧では衝撃的にうけとめられたのかもしれない。日本人は、どうかな。作者と同様に考えている人は少なくないのではなかろうか。色のない世界とうつろな亡霊達の絵画的情景が印象深い。
■フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤』『神秘の短剣―ライラの冒険シリーズ〈2〉』『琥珀の望遠鏡―ライラの冒険シリーズ〈3〉』
物理学者がファンタジーを書いたような、ものすごい中身の濃い(プロットがいっぱい詰まった)作品。ダイモン、ダストなど独自の用語が沢山出てきて、あたまの柔らかい子供の頃に読みたかったかも(でも挫折したかも)。挿絵がないから私の定義では児童文学ではないけど。
3巻に納めるのは勿体なくて、7巻くらいに伸ばしたい気がするほど(もう一度ゆっくり読んでみるべきか)。
ディテイルを足して水増ししまってはこの緊張感は生まれないのかな。
非キリスト教的、かつ反キリスト教的世界観(たとえば死後の世界など)を強く感じさせる。実際カトリック教会(の誰か)から強く批判された書物らしい。
日本人にとってはどこをとってもタブーではないけれど。
■ジェラルド・カーシュ『瓶の中の手記』『廃墟の歌声』
「奇妙な味わい」の短編集。シリアスなものあり、ユーモア短編あり。
営業時間日没後夜明迄限定の探偵カームジンシリーズが楽しい。
ロアルド・ダールが好きな人はこれも好きでは?
■デイヴィッド・イーリイ『大尉のいのしし狩り』『ヨットクラブ』
アメリカの作家。ブラックな笑いで描く異色短篇集。
カーシュとごっちゃになるのだが、イーリイの方がブラック。
■ジャック・リッチー『クライム・マシン』
アメリカの短編ミステリのスペシャリストの作品集。
見事。星新一を思い出させる鮮やかさ。
■ジェフリー・フォード『白い果実』
世界幻想文学大賞受賞の話題作だそうだ。装丁が美しい。
この作家、もう1作読んで好きかどうか考えてみよう。
■パトリック・マグラア『グロテスク』『閉鎖病棟』
『グロテスク』は扉をちらと読んで、殺人(未遂)がおこるみたいだからミステリーだ、と思い込んで読み進んで、結局最後まで謎解きはなくて愕然とした。自分の不注意だけど。そうと知っていたら鑑賞の方法もまたべつにあっただろうに!
で、ミステリーではないとちゃんと分かって『閉鎖病棟』に取り組んだ。
うーむ。この作家はあまり好きでないかも。文章に反復が多く、それがねらいなのだろうけれど、飽きる。「それさっきも聞いた。で?」と言いたくなる。本の厚さの割にストーリーは展開しない。設定は私好みなんだけどなあ。
■J.M.クッツェー『恥辱』
ブッカー賞受賞作だそうだ。
登場人物の行動を批判するのは受賞文学に対してすることじゃないかもしれないけど。
自分の外見と立場に応じた女を落とすべきでしたね。向かうところ敵なしという昔日の栄光をひきずっていてはだめでしょう。「52歳」でも「性欲過多」でも何の問題もないと思うよ、相手さえ間違わなければ。
「ダメンズ・ウォーカー」に出てきそうなキャラクター。ダメンズの方が今カノがいる分上か。
(順不同)
(概要説明にはアマゾンから写したものもあります)
■■英米文学-ミステリ意外
■P.G.ウッドハウス『よしきた、ジーヴス』
ダリア叔母夫妻、その娘と婚約者、バーティの学生時代の友人とその思いびと(今で言う「天然」)3組のややこじれたカップルをバーティがさらにめちゃくちゃに(長編なので、そりゃもうこじれっぱなし)。ジーヴスの解決法はいかに。
短編と違ってジーヴスがさくさく解決してくれないので、事態は混迷の度合いを深めていく。その混乱ぶりが面白い。でも、短編の方が好きかなあ。
■P.G.ウッドハウス『エムズワース卿の受難録―P.G.ウッドハウス選集〈2〉』
綿菓子のようなほんわかした頭脳の持ち主、第九代エムズワース伯爵。美しい庭と平穏な暮らしを何より愛する老伯爵に、今日もトラブルが容赦なく襲いかかる。不肖の次男(実はエムズワース卿によく似てるのだ)に鉄血の妹。腕はいいが頑固な庭師。騒動に揺れる伯爵の領地に平和は戻るのか?
いや、ウッドハウスははじめて読みましたが面白い。坂田康子のイギリスものみたい(本当は逆なんだろうけれど)。
日本で言うと池波正太郎や佐伯康英(こちらは読んだことないのだが)の時代小説のような位置づけだろうか。主人公がのーんびりしていて、多少浮世離れしている。そしてある程度様式化された(マンネリといってもいいかも)物語展開。一方で随所にちりばめられたペダンティズム(詩の一節などが引用されたりして)。
読んでいて飽きない。
長生きした作家で作品も沢山あるのだそうだ。しばらくはまりそう。
■P.G.ウッドハウス『比類なきジーヴス』
20世紀初頭の大英帝国。ロンドンのフラットに住む遊び人で頼りない若旦那バーティやその友人が巻き起こすトラブルと召使いジーヴスの冴え渡る解決法。
この連作短編は恋多き友人ビンゴのウエィトレスとの恋に始まり(別の)ウエイトレスとの結婚に終わる。それぞれの短編が独立しているようで緊密に関係し合っている。
■ドナ.W.クロス『女教皇ヨハンナ』(上・下)
9世紀、知識欲あふれた女性がやむなく男装し、男社会である教会の地位を上り詰め、教皇にまでなる、という物語。
装丁が好みで手に取った。
最後、教皇行列の際、道で死産の赤子と産み落として女であることがばれ、しかも自分も命を落とす(?)ことになる。この伝説は昔からあったものらしい。字で書かれた記録が少ない時代ゆえ実証も反証も困難だそうだ。(私はやはり伝説の一種だと思う)
当時は女は劣っておりかつ汚れた、堕落のもとになる存在だったから、聖職者が出産を目撃したらそりゃあショックだっただろうなあ。
修道女の「純潔の誓」というのは、出産を自分でコントロールするという意味で実質的に必要なことだったのだ、という女子修道院長の台詞を『フィレンツェ幻書行』で読んだけれど、確かにそのとおりだ。
この作品ではヨハンナはすごく聡明で教皇となってからは改革を推進するリベラルな存在に描かれているけれど、自分のミスでうっかり妊娠してしまって(まあ愛する人がいて仕方なかったのだけれど)、勿体ないなあ、と思う。
■C.S.ルイス『顔を持つまで 王女プシケーと姉オリュアルの愛の神話』
プシケーの神話を題材にし、姉オリュアルの手記という形をとった妬みと愛についての物語。
これは大変に面白い。説教臭さがなく、「宗教著作」とほとんど考えなくてもよいと思う。
愛と執着はほとんど区別不能であり、それゆえに苦しむオリュアルの心情がとてもとてもリアルである。
原始女神の隠喩の部分は難しいところもあった。
□C.S.ルイス『悪魔の手紙』
■チャールズ・パリサー『五輪の薔薇』(上・下)
ヴィクトリア朝ロンドンを主な舞台に、少年ジョンがたどる数奇な運命・・・。
ディケンズを思わせる(『荒涼館』しか読んだことがないけれど)、時代ローラーコースター小説。不幸な出来事がたたみかけるように主人公を襲う。当時の時代風俗も丁寧に描かれている。著者はきっとメイヒューの著作を参考にしているはず。私も読んでおいてよかったと思った。
謎があちこちに仕掛けられていて、長くて複雑にもかかわらず熱中させられた。
ところでバブル崩壊って、このころにもあったのですよ。日のもとに新しきことなし。
■チャールズ・パリサー『大聖堂の悪霊』
19世紀後半のイングランド。歴史学者コーティンは古文書を調べるため、大聖堂のある町を訪れた。だが彼は、やがて起きる殺人事件と、250年前の殺人事件が交錯する複雑な謎の中に巻き込まれていく。
『五輪の薔薇』を読んであまりの大作だったのでまたどんなに複雑なプロットを追おわされるかとびくびくしてこれを手に取ったが、みかけどおり(薄い)、比較的普通の小説で、苦しまず楽しめた。
■エドワード・ラザフォード『ロンドン』(上・下)
ローマ時代から現代まで、いくつかの一族を軸に描いた一大叙事詩。
何しろ長くて、読み通したことに自分をほめてあげよう。
歴史好きにはたまらないだろうが、私はもうちょっと各時代のディテイル(服とか食べものとか)が沢山描いてあるとうれしかった。
■ロバート・ヘレンガ『フィレンツェ幻書行』
芸術の都に展開する謎と官能の物語。
1966年に大洪水がフィレンツェを襲った。29歳アメリカ人マーゴット・ハリントンは古書修復のヴォランティアとして現地に。そこで不思議な遍歴の末にルネッサンス期に禁書とされて失われたはずの、幻の書物とめぐりあう……。
うまいけど、ハーレクイン・ロマンスみたい。
■ジュンパ・ラヒリ『停電の夜に』
1967年生まれ。インドベンガル人を両親に持つアメリカの女性作家のデビュー短編集。PEN/ヘミングウェイ賞、ニューヨーカー新人賞、ピュリツァー賞などを受賞。
インド、またはアメリカのインド系の人々が登場する。民族性は特に感じず、むしろ普遍的な孤独と哀しみを共感させる。
このなかでは、少年のベビーシッターをする、お魚好きの、インド婦人の話がとても印象に残っている。
夫について見知らぬ土地(アメリカ)に来て、夫は忙しくてほとんど家にいず、少年のお母さんと交流を図ろうとするけれど相手にされなくて、車の運転が出来ないため欲しいものを自分で買いに行くこともできない・・・という孤独感に共感した。引越した当初の自分の境遇と多少重なるからかな。しみじみ哀しくなってしまった。
それにしても、見返しの小さな写真を見るに、このような美人がこの若さでこんな見事な作品を書くなんて。「よきもの」は偏在するのね。
□ジュンパ・ラヒリ『その名にちなんで』
■アーシュラ・K・ル=グィン『ゲド戦記 1 影との戦い』
『ゲド戦記 2 こわれた腕環』『ゲド戦記 3 さいはての島へ』
『ゲド戦記 4 帰還』『ゲド戦記 5 アースーシーの風』
残念ながら子供のときは手にとらず、数年前はじめて読んだ。ふんわかしたファンタジーではないので子供の頃の私は好きになったかどうか不明だが、大人になったいま、面白く読むことができた。
『帰還』で、年取ったテナーが、「私が長年磨いてきたこのテーブルをあの(どうにも愛せない)息子の、ぐうたらな嫁が使うかと思うとやりきれない」というようなくだりが何故か印象に残った(子供にはわからないよね。こんな台詞)。
テナーとゲドが魔法をかけられて犬のような姿勢をいつのまにかとらされていく部分、自分も魔法をかけられたようだった。
死後の世界は、誰かが築いた石垣のせいで風がとおらない、乾いた世界になりはててしまった・・・・、というのは、フィリップ・プルマンの『琥珀の望遠鏡』(もしくはジョン・レノン「イマジン」)に通じるものがある気がするが、記憶違いだろうか。
この本にある非キリスト教的死後世界観というのはもしかしたら西欧では衝撃的にうけとめられたのかもしれない。日本人は、どうかな。作者と同様に考えている人は少なくないのではなかろうか。色のない世界とうつろな亡霊達の絵画的情景が印象深い。
■フィリップ・プルマン『黄金の羅針盤』『神秘の短剣―ライラの冒険シリーズ〈2〉』『琥珀の望遠鏡―ライラの冒険シリーズ〈3〉』
物理学者がファンタジーを書いたような、ものすごい中身の濃い(プロットがいっぱい詰まった)作品。ダイモン、ダストなど独自の用語が沢山出てきて、あたまの柔らかい子供の頃に読みたかったかも(でも挫折したかも)。挿絵がないから私の定義では児童文学ではないけど。
3巻に納めるのは勿体なくて、7巻くらいに伸ばしたい気がするほど(もう一度ゆっくり読んでみるべきか)。
ディテイルを足して水増ししまってはこの緊張感は生まれないのかな。
非キリスト教的、かつ反キリスト教的世界観(たとえば死後の世界など)を強く感じさせる。実際カトリック教会(の誰か)から強く批判された書物らしい。
日本人にとってはどこをとってもタブーではないけれど。
■ジェラルド・カーシュ『瓶の中の手記』『廃墟の歌声』
「奇妙な味わい」の短編集。シリアスなものあり、ユーモア短編あり。
営業時間日没後夜明迄限定の探偵カームジンシリーズが楽しい。
ロアルド・ダールが好きな人はこれも好きでは?
■デイヴィッド・イーリイ『大尉のいのしし狩り』『ヨットクラブ』
アメリカの作家。ブラックな笑いで描く異色短篇集。
カーシュとごっちゃになるのだが、イーリイの方がブラック。
■ジャック・リッチー『クライム・マシン』
アメリカの短編ミステリのスペシャリストの作品集。
見事。星新一を思い出させる鮮やかさ。
■ジェフリー・フォード『白い果実』
世界幻想文学大賞受賞の話題作だそうだ。装丁が美しい。
この作家、もう1作読んで好きかどうか考えてみよう。
■パトリック・マグラア『グロテスク』『閉鎖病棟』
『グロテスク』は扉をちらと読んで、殺人(未遂)がおこるみたいだからミステリーだ、と思い込んで読み進んで、結局最後まで謎解きはなくて愕然とした。自分の不注意だけど。そうと知っていたら鑑賞の方法もまたべつにあっただろうに!
で、ミステリーではないとちゃんと分かって『閉鎖病棟』に取り組んだ。
うーむ。この作家はあまり好きでないかも。文章に反復が多く、それがねらいなのだろうけれど、飽きる。「それさっきも聞いた。で?」と言いたくなる。本の厚さの割にストーリーは展開しない。設定は私好みなんだけどなあ。
■J.M.クッツェー『恥辱』
ブッカー賞受賞作だそうだ。
登場人物の行動を批判するのは受賞文学に対してすることじゃないかもしれないけど。
自分の外見と立場に応じた女を落とすべきでしたね。向かうところ敵なしという昔日の栄光をひきずっていてはだめでしょう。「52歳」でも「性欲過多」でも何の問題もないと思うよ、相手さえ間違わなければ。
「ダメンズ・ウォーカー」に出てきそうなキャラクター。ダメンズの方が今カノがいる分上か。
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