激震走らせた「れいわ新選組」 2議席獲得し政党要件を突破 国政変えるスタートラインに立つ
2019年7月22日 長周新聞
https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/12454
開票結果を受けて会見する山本太郎代表
参院選の投開票がおこなわれた21日の午後8時、東京都千代田区のれいわ新選組の開票センターには、多くのボランティアが詰めかけて開票状況を見守った。「市民とともに本気でたたかう政党をつくる」と宣言し、6年間、参議院議員を務めた山本太郎氏が単独で立ち上げたれいわ新選組(東京選挙区1人、比例9人擁立)は、比例で224万3878票(得票率4・5%)を得て2議席を獲得し、政党要件(得票率2%)を突破した。優先度の高い比例特定枠に新人2人を立てたため山本太郎代表は当選を逃すことになったが、比例での個人票は全党派別で単独トップの97万1916票を集めた。数々の選挙常識を覆し、政党として新段階に進んだれいわ新選組は、停滞した国政に確かな風穴を開け、次期衆院選でのさらなる躍進を見据えて大きな一歩を踏み出した。
開票センターでは、早くから多数のボランティアが詰めかけ、開票状況を見守った。特定枠で、難病ALS患者の舩後靖彦氏、重度障害者の木村英子氏の当選確実が報じられると大きな歓声に包まれた。山本太郎代表は「私の一議席だったものが2議席になり、政党要件も獲得できた。みなさんと一緒に手にした大きな勝利だ」と、集まったボランティアたちににこやかに呼びかけた。
開票センターに駆けつけたボランティアたち
「みんなで支えていきましょうね」――山本代表のアナウンスで登場した舩後氏は、「障害者への合理的配慮を実践する山本太郎代表こそが、これからの日本を変えていくと確信している。優しい国にするはずだ。選挙戦でも、一般の人がエレベーターを譲ってくれるなど障害者に対する国民のみなさんの意識が少しずつ変わってきたと感じる。障害者自立支援法が障害者総合支援法に名称が変わったが、小手先だけをいじる法律だけでなく、必要な支援とは何かを今一度考え直してもらえる制度を作っていきたい」とのべた。
比例特定枠で当選した難病ALS患者の舩後靖彦氏(左)
同じく木村氏は、「たくさんの応援をいただき、厳しい状況にある障害者みなさんの一票一票が私の胸に突き刺さっている。地域で生きている障害者の生活環境は非常に厳しく、介護者がいなければ生きていけないのに介護者不足の状況もある。出るのには勇気がいったが、その状況を変えるために覚悟を決めて出馬した。地域で暮らすことを望む障害者が安心して生きられる環境を整えていきたい」と決意をのべた。
比例特定枠で当選した重度障害者の木村英子氏
山本代表は、「日本は近い将来、高齢化が加速して寝たきりの人たちが増えていく。生産性で人間の価値がはかられる世の中にあって、この人たちに対する“いつまで生きているのか?”という空気も強まっていくだろう。医療費などによって命が選別さえされかねない時代になることを危惧している。パラリンピックのホスト国になり、“合理的配慮”などの言葉だけが踊っているが、国権の最高機関にそのような考えがない。寝たきりでありながら豊かな人生を実践し、この国の将来に必要な知見をもっている人を国会に送ることは非常に意義深い。誰も切り捨てられない社会を作るためには、寝たきりや難病の方の人間の尊厳が守られるべきであり、それを実践するために当事者に国会に入ってもらう意味は大きい。これから議会は議会活動のサポートをやるべきであり、参議院はじめ国権の最高機関である国会が柔軟に対応してほしい」と力を込めた。
東京選挙区に立候補し、21万票を得ながら落選した野原善正氏をはじめ、7人の新人候補者たちも当選には届かなかったが、山本代表は「私一人の議席を守る選挙ではなく、この魅力的な候補者がいたからこそ2議席を確保できた。風穴を開けていくために立ち上げたれいわ新選組に対するみなさんの期待だ。すぐに来る衆院選でまたチャレンジする」とのべ、この選挙戦で作り出した地殻変動に対する確信をみんなで共有した。
比例票が出揃い、みずからの落選が確定した22日午前4時45分、改めて会見の場に出てきた山本代表が、「後悔は一切ない。前回は東京選挙区の自分一人だけだったのが2議席になった」と支持者を前に語ると、みずからの身を切って勢力拡大を果たしたことへの惜しみない拍手が送られた。
「立候補した10人を当選させることができなかったのは私の力不足だ。加えて、私自身も議席を得られなかったのは残念だが、みんなで全力でたたかった結果だ。とはいえ、政党要件を持たない諸派が議席を獲得したのは新制度に移行後はじめてのことだ。そのうえに2議席を頂戴して政党要件を満たしたというのは、決して負けてはいない。この波紋は今後大きく広がっていく。れいわ新選組として大きく前進した。
旗揚げした理由は、まず国会の中に緊張感をもたらす野党勢力を作ること、そして一番の狙いは政権を取ることだ。2議席に加えて政党要件は大きな成果だ。政党助成金によってたたかうことができる。しかも障害をお持ちのお二人が通ったことで、日本の障害者施策は大きく前進する。山本太郎の一議席と引き換えに得られたものは、比べものにならないくらい大きい」と強調した。
躍進の理由として、「そろそろみんなが怒るときに来ているということだ。20年以上続くデフレで生活や人生を削られる一方で、一部のものだけが好景気の恩恵を享受する。この国に生きるすべての人を慮(おもんばか)る政治へとみんなの力で変えようという訴えにみなさんが賛同してくれた結果だ。もっとも意識したのは小さな野党の票を狙うのではなく、最大多数である無関心層、浮動票だった。今回の投票率は戦後2番目に低いが、それだけ政治への幻滅が広がっている。と、同時に私たちが支援を呼びかける対象が増えているということだ。がんじがらめの永田町の中から変えることは不可能だが、その外側にいる数を生み出す人たちの力が動けば変えていける。山本一人ではできないが、それが2人、3人になっていくことで政治が必ず変えられることを今後も訴え続けていきたい」と力を込めた。
今後は政党代表として国政にかかわるとともに、次期衆院選にみずからを含めて政権奪取可能な数の候補者を擁立するために全国で活動することも明言し、「すでにこの瞬間からそのたたかいがはじまっている」と口もとを引き締めた。
この選挙戦で全国の人々から寄せられた寄付金は、約3万3000人から4億円を超える額にのぼった。有権者に支援を呼びかける公選ハガキは、法定数15万枚を大きく超える22万枚が1万1000人から返送された。配られた政党・個人のポスターは9万枚、ビラは270万枚。それらを掲示、配布することを含め、選挙戦を下で支えたボランティアの人数は集計不能な規模に膨らみ、四ッ谷の選挙事務所を訪れた人数だけでも17日間で3500人以上にのぼった。
山本代表は、「身を削る思いで私たちに寄付をくださった方々、忙しい中で自分の時間を削ってポスター掲示やビラ配りをしてくださった方々、まるで自分が候補者に成り変わったかのように全国を走り回ってくださった方々が全国にいらっしゃることを私は知っている。残念ながら10人当選に至らなかったが、6年前の1議席しか得られなかった私および私たちの力が2議席に増え、政党要件を満たした。テレビが映さないなど、これまでの政党でないことから受ける数数の不条理を払拭するためのカードを手に入れることができた。次の選挙では、メディアも扱わなければならなくなるし、政党でなければ4、5人(×供託金600万円)立てなければ認められなかった衆院選のブロックに、1人でも立候補が認められるようになる。それによって費用も大きく抑えられる。かなり大きなシード権を手に入れることができたと思う。6年前に比べたら非常に大きな力だ。このような状況でこれからのたたかいをさらに進められるのは、みなさんのお力のお陰以外にない。足を向けて寝られない」と感謝の思いを伝えた。
「あくまで目標は政権を取りに行く。そのための大きな一歩をみなさんの力で勝ち取った」――会見場に悲壮感はみじんもなく、一人一人の力を繋ぎながら全国を走り抜けた選挙戦で得た力を確信し、次期衆院選に向けてさらに勢力を拡大していくことを確認して、長い一日を終えた。