風雅庵の日々

園芸、屋上、近所の散策を中心に記録します

風雅の意味

風雅とは、自然の中に趣や味わいを感じること・さま。
風雅を目指し、自宅を風雅庵、ダイニングを風雅亭と呼ぶことにしました。

鎌倉高校より

2010-11-13 17:12:02 | 日記
ここ何週間か、県立学校の公開講座に通ってます
江ノ電の「鎌倉高校前」駅の駅名になってる高校です。

駅からの海の眺めが超素晴らしいので、
高校からの眺めもちょっと期待してたのです。
でも、あまりよいビューポイントは見つからず、
まわりの病院とか、住宅がじゃましてます


国際理解ホール、遠くから見るときれいな建物ですけど、
裏山はあの広町緑地、深い自然が建物を侵略しつつあります


迷路のような建物なので案内図が必須です


体育館はスラムダンクで有名とか


案内図では「新部室」となってる建物、いい味でてます

瑞泉寺

2010-11-06 10:41:57 | 鎌倉33観音

第6番 錦屏山・瑞泉寺(臨済宗円覚寺派)【千手観音】

本堂には本尊の釈迦如来と千手観音さまなどが安置されてます。
千手観音さまは、水戸光圀公が徧界(へんかい)一覧亭からの
眺めを激賞して、寄進したという37cmの小さな像です。
やはりメインは夢窓礎石(夢窓国師)の作った庭園ですね。



夢窓礎石は風光明媚な自然の中で修行する禅を好んだようです。
岩壁に彫られた大きな洞は天女洞と呼ばれ、水月観の道場とのことです。
さらに右側にも座禅修行する坐禅窟、葆光窟があるそうです。
崖の上には貯水池があり、客人があると堰を外して滝にする仕掛もあります。

天女洞の前には池を掘り、中島を掘り残す造園工法です
2つの橋(第1曲、第2曲)を渡り、十八曲がりと言われる登坂路を
上ると徧界一覧亭に着きます。霊峰富士を望む壮大な眺望だそうです。
通行止めなのですが、これとか、これとか、こんな景色だそうです。

初めから景観を庭園の一部として取り込む設計というか、
景色がいいところに庵を結んだというのが正しいと思います。
富士が見える景勝地で修行するのが悟りを開く技術なのでしょう。

建長寺の勝上けん(山冠に献)、円覚寺の六国見山も同じとか。
夢窓国師が後年に作庭した京都の西芳寺からは比叡山、
天龍寺からは愛宕山が拝め、霊山を仰ぎ見る共通の構成です。
私が屋上で富士山を眺めるのも、まあ似たようなものかもね


瑞泉寺は紅葉ヶ谷の奥、錦屏山(きんぺいさん)を背景としています。
モミジの黄葉が始まってましたが、まだまだこれからですね


たまたまですが、写真供養感謝祭
捨てるに忍びない写真、消し去りたい写真などを供養する催しです。
大下一真・住職の読経の中、写真が焚き上げられてました


お昼は左可井の穴子丼と卵焼きのセット、この味ならとっても良心的


本日いただいた御朱印です。ちょっと位置が下なんですけど

西御門来迎寺

2010-11-03 11:55:36 | 鎌倉33観音
鎌倉三十三観音の巡礼です。

第5番 満光山・来迎寺(時宗)【如意輪観音】
西御門の来迎寺は(らいこうじ)と読みます

1293年(正応元)に一向上人により開かれたと伝わります。
関東大震災で本堂が倒壊、1994年(平成6)に新築されたそうです。

藤沢の遊行寺を本山とする時宗のお寺ですが、
かつて西御門にあったいろんな宗派の仏像が集まってます。

鎌倉33観音5番の如意輪観音さまと、鎌倉24地蔵2番の地蔵菩薩は、
1868年(明治元)の神仏分離で廃された法華堂から移されたそうです。
また本尊「阿弥陀如来」は鎌倉13仏10番札所になってます。
継続は力というか、ある意味ラッキーなお寺かも

本堂では、林学善・住職から説明をいただき
間近で仏像を拝むことができました。
うっとりとするような姿に、清楚な雰囲気、「鎌倉で最も美しい仏像」とか

↑如意輪観音さま、学研ムック「鎌倉仏像めぐり」より
幸せそうなお顔です、見ているこちらも幸せな気分になりました。

6本の腕を持った六臂像です
右第一手は優美にほおづえ、右第二手には如意宝珠を大事そうに乗せ、
右第三手は数珠をつまみ、左第一手は大地に触れ、左第二手には蓮の花、
左第三手の人差し指の先に法輪がピッと発現!カッコイイ

右膝を立て、左右の足裏を合わせた輪王座で座ってます。
台座の蓮の花びらも美しい、丸い光背の淡い赤色も何かキレイ

衣服のレース文様は土紋で立体的に装飾されてます。
鎌倉独特の技法で、漆で練った地の粉を型抜きして貼り付けてるそうです

現在、鎌倉では土紋を残す仏像は九体のみとのこと。
①西御門来迎寺の如意輪観音、②覚園寺の鞘阿弥陀、
③宝戒寺の歓喜天、④浄光明寺の阿弥陀如来、⑤浄智寺の韋駄天、
⑥東慶寺の聖観音、⑦伝宗庵の地蔵菩薩、あとは個人蔵や部分



頼朝の作った幕府は「大蔵幕府」と呼ばれ、鶴岡八幡宮と荏柄天神の間にありました。
西御門は大蔵幕府の西の門に由来します。

西御門には、7つの寺があったと言われます
①来迎寺、②太平寺:来迎寺裏手のテニスコート、
③高松寺:太平寺の跡地、④報恩寺:第二中学校、
⑤保寿院:第二中学校、光福寺?あとは法華堂?

この石碑が建ったころには来迎寺と高松寺の2寺残ってたのに、
今では来迎寺1寺です。



太平寺(たいへいじ)
源頼朝が池禅尼の恩義に報いるため、その姪の願いを聞き入れて建立した尼寺。
足利基氏の未亡人・清渓尼が中興し、鎌倉尼五山の第一位になりました。
1556(弘治2)年、安房の里見義弘の水軍が鎌倉を攻めた時、
住持の青岳尼を連れ去り、住持を失った太平寺は廃寺になったとか。

本尊の聖観音は、安房に運ばれた後に鎌倉に戻され、東慶寺に安置。
また、円覚寺の国宝・舎利殿は、太平寺の仏殿を移したものです。

高松寺(こうしょうじ)
1644年に、紀州徳川家の家老水野氏が太平寺の跡地に建てました。
1931年(昭和6)に宮城県栗原郡へ移転、山門は鎌倉山「らい亭」へ移築

報恩寺(ほうおんじ)
1371年(応永4)、宅間上杉家の能憲によって建立されました。
来迎寺の地蔵菩薩は、胎内銘札から1384年(永徳4)に作られた宅間浄宏作とみられ、
跋陀婆羅尊者像とともに、報恩寺に安置されていたもの考えられてます。

保寿院(ほじゅいん)
鎌倉公方足利基氏の母の菩提所。開山は報恩寺と同じく臨済宗の高僧義堂周信という

光福寺
ほとんど不明だが、如意輪観音はここから法華堂に移されたとか

本日いただいた御朱印です